■最終話 懺悔室バイト最終日に皇帝陛下が婚約にきました
波乱のお泊り期間から、しばらくして。
とうとう父母に、求婚者がこの国の皇帝であることを告げた。その際の父母の反応は「すごいな!」「すごいわ!」だった。そして笑顔で拍手された。すごいの一言で受け入れられるあなたたちが一番すごいと言いたい、世界一誇らしい私の父と母である。
私は明日から帝城の一室に住むことが決まっている。最短でも一年の婚約期間を経て結婚というのが通例らしく、私もそれにならう形だ。これからの一年間は帝城で過ごしながら、本格的に皇妃を目指すための勉強に励むことになる。
皇帝陛下は準備が整い次第の速やかな入籍を望んでいたのだけれど、「今回の婚姻では色々と慣例を破るのだからここくらいは従った方が周囲の心証が良い」という意外にも冷静なエオルスさんの助言と、「婚約期間というのは結婚生活とはまた違った甘酸っぱさがありますのよ」という恋愛小説を嗜まれるミッシェルベル様の甘言が効いたらしく、渋々ながらも一年の期間を受け入れていた。
父母と離れることになるから、この一週間は帝城には寄らず、普段通りの日常を過ごした。まあ、同じ帝都にいるわけだし、いつでも会いに行けるから、今生の分かれということでもないのだけれど。いざ離れると思うと、やっぱり寂しい。
という娘の感傷など露知らず、父母は「挨拶に来た陛下すごかったな!」「顔が良過ぎて引いたわ!」「手土産のお菓子すごかったな!」「美味し過ぎて引いたわ!」と浮かれることに忙しく、全く寂しがっていない。これでこそ我が父と母である。
そういうわけで、週一で勤務を続けていた懺悔室バイトも今日で最終日。シスター服もこれで着納めだ。
さて今日も頑張るぞと気を引き締めていると、懺悔室の開始時刻早々、扉がノックされた。
開始と同時に訪れる人は珍しい。よほど気合の入った懺悔なのだろうかと思いつつ、「どうぞ」と入室を促す。
主にバイト初日にこの業務の厳しさを知った私に、もはや怖いものはない。どんな人でもどんな懺悔でもどんなお悩み相談でも、どんと来いだ。
「こんにちは」
銀髪赤眼美貌の青年が席に着いた。
「お久しぶりですね、リー……シスター」
訂正しよう。皇帝陛下以外なら、どんと来いだ。
「……こ、こん、こんにちは」
「ああ、身構えないでください。今日は懺悔にきたわけではありませんから」
「……懺悔以外のことは別の窓口でお願いします」
「まあこれを見てください、マニュアルに忠実なシスター」
衝立の下の隙間から、すっと紙が差し入れられた。見慣れた「懺悔室マニュアル」の紙である。
その1、懺悔者が一通り話終えるまで、真摯に耳を傾けること。
その2、懺悔者を全肯定すること。
その3、さりげなく寄付を勧めること。(赤インク下線)
その4、皇帝陛下を追い返さないこと。(赤インク二重下線)
……。……。項目が増えとる。
「何ですかこの極一部の来訪者限定と思われるその4は……?」
紙を持つ手を震わせながら衝立越しに皇帝陛下を見れば、あちら側からは見えないはずのこちら側の反応が見えているかのように、それはもう優雅な微笑みを浮かべていた。
「教会に来たらちょうどサボテンに水遣り中の神官がいたので、マニュアルの改訂をお願いしました。差し入れに上等なワインを渡したら快く応じてくれましたよ」
「お酒で買収される神官様をシメたいのでちょっと退席してもよろしいでしょうか」
「急用があるとかで出掛けていきましたよ」
神官あの野郎。
「というわけでマニュアル通りの対応をするなら、俺を追い返してはいけないわけですが」
相変わらず退路を断つのが上手い皇帝陛下に負けて、というかそもそも皇帝陛下を追い返すという不敬はできないわけで、私の取る道は最初から一本である。
「……。……。ご用件をどうぞ」
「リーニャのシスター姿を拝みにきました」
シスター呼びの放棄が早い。
そして来訪の理由が最高にくだらなかった。
「皇帝陛下にあらせられましては、お暇なのでございましょうか……?」
「暇は全てリーニャに捧げると決めています。と言ってもあまり長居できないので申し訳ない限りです」
「……」
朝から人のシスター姿を見に教会を訪れるという何とも暇そうな皇帝陛下だけれど、本当は暇人でないことを知っている。暇を作るために時間のやりくりをしていることも、私と結婚するにあたって色々と大変な調整をしてくれていることも、政務の合間を縫ってここに来ていることも。
衝立越しの対面で済ませるのは不義理なので、懺悔室内の小さな扉を開けた。皇帝陛下の顔がパッと輝く。
「ああ、やっぱりリーニャのシスター姿は素敵ですね。俺を助けに聖王の間に突っ込んできた先日の勇姿が蘇ります」
「その勇姿は永遠に忘却していただけるとありがたいです」
「永遠に胸に刻んでしまったので手遅れですね」
皇帝陛下は笑って、懐から小さな箱を取り出した。
「では本題を。今日は結婚の申し込みにきました」
渡された小箱に中には、銀色の指輪が入っていた。林檎飴のような透き通った赤色の、綺麗な宝石が嵌められている。銀と赤の婚約指輪。誰の色なのか、すぐに分かる。
帝国では指輪を渡すことが、正式な婚約完了の証となる。皇帝陛下は最初から私に求婚するつもりだと宣言していたものだから、つい失念していたけれど、そう言えばこんな風に改めて結婚の申し込みをされるのは、初めてだった。
「シスター姿を拝みにきたのでは……」
「婚約指輪を渡すならこの場所がいいと思って、機会を待っていました」
にっこりと微笑まれる。全くこの人は、いつだって私の心臓を脅かしてくれる。
「まあ書類の提出諸々の婚約の手続きは既に済ませているわけですが」
「陛下はいつだって順番がおかしいですよね……」
先日、大聖堂での騒動の後、私は「陛下のことを両親にちゃんと話していいですか」と言った。まあ、それが、求婚に対する答えだったのだけれど、皇帝陛下はそこから数日で諸々の手続きを済ませてしまったというのだから、本当に行動が迅速な人である。
「相手を恋に落としてから、然る後に求婚。……リーニャは落ちてくれましたか?」
甘い、優しい眼差しを向けて問われる。恥ずかしながら答えは決まっているので、その目を真っ直ぐに見つめながら答えた。
「這い上がる気力もないくらいです。落とした責任を取ってくれますか?」
「もちろん。生涯をかけて」
皇帝陛下は恭しく私の手を取り、指輪を嵌めた。そして、赤くなって指輪を見つめている私の顔を両手で包むようにして、軽く上を向かせて、キスをした。
「愛しています、リーニャ」
「……私も、陛下のこと、好きですよ」
「……。……。分かりました今日をリーニャ可愛い記念日として祝日に」
「しなくていいです」
この人の愛情の、その甘さが凄まじいことは知っている。バター蜂蜜パンケーキに追いクリームをするような人なのだ。これから始まる婚約期間では、今までの大変さが可愛く思えるくらいの、心臓に悪い日々が始まるのだろう。抗えるか心配だ。抗えないかもしれない。
でも、もう離れる気はない。離れたら離れたで、心配で堪らなくなる人だから。近くで振り回される方が、ずっといい。
「……ところで、せっかく来ていただいたので、何か懺悔をしていきますか? 最終日ですし」
私の提案に、皇帝陛下は穏やかに「では」と言った。
「そのマニュアルの最後の項目ですが、実は神官に頼んだのではなく、自分で勝手に書き足しました」
「……相変わらず筆跡の模倣がお上手で」
「シスターの大事なマニュアルに落書きをした罪を、許してくれますか?」
「……」
血染めの皇帝と呼ばれた彼が口にした、とても平和な内容の懺悔に。
つい、顔が綻んだ。
「許します」
そう答えた私に、皇帝陛下は「やっぱりリーニャは優しいですね」と、笑ったのだった。
『懺悔室バイトをしていたら、皇帝陛下に求婚されました』 終
懺悔室から始まる恋物語、これにて完結です。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!
なんとおかげさまで、角川ビーンズ文庫さまにて書籍化が決定いたしました!
なろう版とは第4章の展開がガラリと異なっていたり、随所に細かいネタ(リーニャの時給の内容とか、陛下が三メイドを雇った時の台詞とか……)が増量されていたりしますので、機会があれば書籍版もお楽しみいただけると……嬉しいです……。
本作がこうして一冊の本になったのも、読者さまの応援のおかげです。
読んでくださった全ての方に、感謝申し上げます!
追伸:番外編を2つほど更新予定です。お楽しみに!




