■第29話 俄かシスターは帝都を駆ける:前編
お城から小道具として持ち出した籠を両手で抱え、早歩きで城門を目指していると、「リーニャ様」と声を掛けられた。御者のホウゼンさんである。
立ち止まると、ホウゼンさんは恭しく一礼して馬車を示した。
「リーニャ護送1号は、いつでも貴女のために走ります」
「……っ、ありがとうございます!」
ホウゼンさん、素敵にも程がある。走って行く気だったから、馬車を使えればかなりの時間短縮だ。
いそいそと馬車に乗り込むと、見送りに来たエオルスさんとミッシェルベル様に「リーニャちゃん」「リーニャさん」と呼び掛けられた。
「止めても行くよね君は……。いいかい、武装もしてない一市民の少女なら、もし立ち入り禁止区域への不法侵入が見つかっても手荒な真似はされないとは思う。けど、絶対に危ないことはしないでね。シルヴィスがいるかどうかを確かめたら、無茶せずにすぐに帰ってくるんだよ。いる確証があるならこっちも動きようはあるから。分かった?」
「はい、エオルスさん」
「優雅に、美しく、好きにやらかしておしまいなさい」
「はい、ミッシェルベル様」
助言をくれた二人に頭を下げ、ホウゼンさんに「下町の一番ぼろくて小さい教会までお願いします」と伝える。御者台から「御意に」と短い返事がして、馬車が発進した。
普段の送迎よりかなり飛ばし気味で馬車は走り、ほどなく教会に着いた。
ちょいちょい教会を留守にしがちな神官様だけれど、この時間帯はたいてい在席している。案の定、花壇のサボテンに水遣りをしている姿を発見した。
「神官様!」
「うお。どうしたリーニャ、そんなに慌てて。便所か?」
「ちょっとシスター服を借りて出掛けてもいいですかいいですねありがとうございます」
「許可をもぎ取るのが早いな。まあそれは構わねえけど……どこに行く気だ?」
神官様は何かを察して、いや私がシスター服を借りて出掛けたことなんて今までなかったので何か企んでいると思われるのは当然なわけで、水遣りの手を止めて怪訝な顔で私を見た。神官様の三白眼から発せられる鋭い視線に目を泳がせながら、ごにょごにょと答える。
「……大聖堂。の、奥です」
一般開放されていない場所へ乗り込む気満々なことを知ったら引き留められるかと思ったけれど、神官様は咎めることもなく「そうか」と頷いて、「事務室にいるから着替え終わった声掛けろ」とも言った。
もはや着慣れたシスター服に早着替えし、怪しい所がないかを鏡で確認する。黒を基調としたローブ、共布のベール、教会の象徴である銀の星を模った首飾り。うん。この三点を身に着ければ、見た目だけは立派なシスターだ。
身支度を終えて事務室に入ると、ちょうど神官様は何か手紙を書き終えて、物々しい装飾が施された銀色の印鑑で押印しているところだった。
「神官様。着替えました」
「ん。これを持っていけ。簡易式だが効果はあるだろ」
「これは?」
渡された手紙は古語で書かれており、聖職者の勉強をしていない私には読めなかった。文章の最後には見たことのない複雑な模様の印と、たぶん神官様の名前と思われる一文が記されている。
「あー、なんだ、まあ紹介状みたいなもんだ。大聖堂の『奥』ってんなら、お前が行きたいのは本部だろう。これを見せて使者だと言えば、本部も通れるはずだ」
「……ありがとうございます」
事情も話していないのに紹介状を用意してくれた神官様に、深々と頭を下げた。この人はなんだかんだ言って面倒見がいいのだ。
「後日、お礼のパンを焼いて持ってきますね」
「どういたしまして。そして俺はお前の焼くパンより夫妻の焼くパンの方がいいんだが」
神官様にぽんぽんと頭を撫でて見送られ、教会の前で待ってくれているホウゼンさんの馬車に乗り込む。
「大聖堂までお願いします」
大聖堂。
帝都で、というか帝国で一番大きくて立派な教会。毎日のように帝国中から人々がお祈りや観光にやってくる、教会の総本山的な場所。
その大聖堂の建つ神聖地区はとても広い。一般的に「大聖堂」と言えば、複数ある堂のうち、誰でも自由に出入りできる礼拝堂を指す。
けれど、皇帝陛下が聖王様に呼ばれたのだとすれば、一般開放の礼拝堂ではなくて奥の区画の建物だというのがエオルスさんの言だった。大聖堂の奥、神官様の言う「本部」は、基本的に教会関係者以外は立ち入り禁止である。
「……よし!」
一般の来訪者たちに紛れて、大聖堂に足を踏み入れた。「帝都在住なら一回くらいは大聖堂でお祈りしとかないと!」「リーニャちゃんも有名なステンドグラスを見ておかないと!」と、父母に連れられて幼い頃に来たことはあるけれど、当時は神官様のいる小さい教会と段違いの壮麗さにびっくりしたものだった。
あの頃の印象と変わらず、広くて立派でなんだか神々しい堂内の雰囲気に圧倒される。今から不法侵入を試みる身なので余計に緊張が激しい。
深呼吸をし、ミッシェルベル様と訓練中の優雅な足取りを意識して進む。
怪しい者では一切ございません、今から不法侵入を試みているなんてことありません、という清廉潔白シスターを装った、楚々とした歩みで。
礼拝堂の奥、「教会関係者以外立ち入り禁止」の札が立つ入口を抜けると、広い中庭を貫く廊下に出た。お城から持ち出した籠を両手で抱えてシスター服で歩く私の姿は、周りから見ればお使いから帰ってきたシスターにでも見えてくれているのか、一般来訪者は立ち入り禁止の入口を抜けたところで何も言われなかった。
どきどきしながら廊下を進む。ここまでくると当然一般人の姿はなく、代わりに神官姿の人やシスターとすれ違う。その度に緊張を隠して会釈を返し、やっと廊下を抜けると、今度は礼拝堂よりも格段に広い堂内に入った。
ここが大聖堂の奥、「本部」だろうか。
「……えっと」
さて、首尾よく本部に入り込めたはいいが、広すぎて皇帝陛下の居場所の見当が付かない。あんまりキョロキョロしていると怪しまれるので、微キョロキョロくらいで視線を泳がせて歩いていると、お掃除中らしきシスターたちを見つけた。




