■第24話 パン屋の娘は城で安眠できない
人生二度目の素晴らしい朝食も佳境を過ぎ、穏やかな食後の紅茶に差し掛かった頃。
「昨日は疲れさせてしまいましたか?」
皇帝陛下から心配そうに訊かれ、思い当たらないので首を傾げた。
昨日、私が夕方頃に帝城へ来てからしたことと言えば、素敵な夕食をご馳走になって、ポメコのブラッシングに勤しんで、瀟洒な浴場で入浴をして、ぐっすり眠ってと、心身に優しいことばかりである。いや入浴の際は三メイドたちとのちょっとした攻防があったけども(そして抵抗虚しく頭のてっぺんから爪先までピカピカに洗われてしまった)。
「いいえ。昨日はおかげさまで快適に過ごせました。健康そのものです」
「それはよかった。昨夜はとても早く就寝していたので、よほど疲れていたのかと」
「あ、それは……はい。私もあんなに早く眠るつもりはなかったんですけど、ベッドがあまりにふかふかだったもので、つい……」
皇帝陛下は私の回答を聞いて笑った。そう言えばお泊りに来た身でありながら、家主(?)である皇帝陛下におやすみも言わずに先に寝てしまった。ふつつかな宿泊者にも程がある。反省しよう。
「挨拶もせずに寝てしまってすみません……」
「いえいえ。リーニャの寝顔が見れたので幸せでした」
「……。……。部屋、入ったんですか……」
「昨夜リーニャの部屋を訪ねたらノックをしても応答がなく、まあいいかと思って入ってみたらベッドの上で毛布も掛けずに全力で大の字になって幸せそうに眠っているリーニャを発見しました」
両手で顔を覆った。何もそんなアホな寝姿を発見しなくてもいいのに。あとノックして応答のない寝室に「まあいいか」で入室しないで欲しい。
「その場で思いついた起こし方を十通り試しましたが、一向に起きなかったので毛布を掛けてそっとしておきました」
十通りの内容が非常に気になるけれど聞いたら聞いたで後悔しそうなので聞くのはやめ、精神安定のために紅茶に口を付ける。うん、素晴らしい香りである。
「眠り姫がキスで起きるという俗説は俗説でしかないんですね」
「ん゛っ」
紅茶を吹き出すところだった。せっかく聞かなかったというのに、さらりと続けられた発言により十通りのうち一つが分かってしまった。人が熟睡している間に何をしやがりあそばすのかこの皇帝は。
「もうお城で安眠できない……」
「安眠の手本のような安眠具合でしたけど」
「もうお嫁にいけない……」
「お嫁に来てくれないと困ります」
「あああ……」
人の家のベッドで爆睡しているうちにファーストキスが終わってしまった。
正確には小さい頃に川で溺れた際、通りがかった近所のお姉さん(よく家庭菜園で採れた野菜を分けてくれる素敵なお姉さん)に人工呼吸をされたことがあるのだけれど、これは人命救助なのでノーカウントである。
「右頬で起きなかったので次回は左頬で試してみます」
「……」
あ、ほっぺに……。
てっきり唇にされたと思っていたので、いや頬でも勝手にするなと言いたいのだけれど、うん、早とちりした、うん、話題を変えよう。
「んっ、んん。あの、昨夜部屋に来られたということは、私に何か御用だったのでしょうか」
「はい。リーニャを枕投げに誘おうと思って」
「まくらなげ」
冗談かと思ったけれど、皇帝陛下は割と真面目な顔だった。お泊りに来た客人との枕投げを真剣に検討する二十二歳。
「お泊り会で親睦を深めるならこれは必須の行事なのだと兄さんが言っていました」
「なるほど……」
なんだかんだ兄であるエオルスさんの言うことに素直な皇帝陛下である。しかし皇帝を相手に枕をぶん投げるイベントというのもなかなか凄まじい。
「昨日はリーニャが不在なので中止にしようかとも思いましたが、予行演習ということでやっぱり決行しました。遮蔽物を配置した大広間で使用人を含めて作った班による対抗戦です。寝る前の軽い運動に丁度いい具合で、それなりに盛り上がりましたね」
「それはちょっと楽しそうな枕投げですね」
なんだか面白そうなのでぜひ参加してみたかった。
寝てしまったことが悔やまれる。
「枕の代わりに投擲用ナイフを投げるルールに変更したのも盛り上がりの要因でしたね」
寝てしまってよかったと心から思った。
「そこは一番変えてはいけないルールです陛下」
「枕は割と重量があるのでリーニャの細腕で投げ続けるには辛いかなと思って、配慮した末のルール変更だったのですが……」
配慮の結果が致死率の爆上りである。枕投げを血染め仕様にしないでいただきたい。
「枕投げでは枕を投げましょう陛下」
「もちろん使ったのは訓練用の模擬ナイフなのでご心配なく。枕投げと聞いて意気揚々と参加した兄さんは『何この軍事演習』と泣きながら逃げ回って最後は力尽きていましたが、三メイドやホウゼンたち他の参加者には概ね好評でした」
普通の枕投げを想像して弟に勧めただろうに、とんだサバイバル戦に参加することになったエオルスさんのご冥福をお祈りしよう。そして三メイドの皆さんはタダ者ではないと薄々思っていたけれど、ホウゼンさんも普通の御者さんではなかったらしい。たとえ投擲物が模擬ナイフだろうと高級枕だろうと、絶対に敵に回したくないお城のスタッフの皆さんである。
「なのでリーニャもぜひ。というわけで今夜は先に寝ないでくださいね」
「いえ速やかに就寝させていただこうと思います」
「それは残念。まあ、また寝顔を見られるので良しとします」
うん。今夜はちゃんと部屋に鍵を掛けて眠ろう。




