■第23話 パン屋の娘は城で朝を迎える
宛がわれたのは、可愛らしい調度品で統一された帝城の一室。初めての登城時に三メイドとお着替えをした時と同じ部屋である。
今夜はこれで眠るのかとちょっとわくわくしながら、天蓋付きの大きなベッドを見つめる。同方向に五連続で寝返りを打っても落ちないくらいの広さである。試しに寝転んでみたらあまりにふかふかだったので、感嘆の声が漏れた。
「……えーっ……なにこれ……もはや雲……ふかふか……えー……」
ベッドというものはおしなべて軋むものだと思っていたのに、このむやみに大きいベッドが立てた音は「ギシッ」ではなく「まふっ」だった。幻聴かと思った。
誰も見ていないことを確認してから助走を付けて飛び込み直してみたけれど、それでもなお「まふっ」だった。恐ろしい。いや自宅のベッドだって普通に快適なのだけれど、これはもう別種の心地良さである。
無駄な広さを堪能すべく精一杯手足を伸ばして大の字に寝そべり、こんなに感動的な寝心地だったら興奮してかえって寝付けそうにないなあ、なんて考えながら目を閉じて、次に目を開けた時にはもう朝だった。快眠にも程がある。
「お城のベッド怖い……」
「おはようございます」
「ひっ」
驚いて声の方を向く。朝日を受けて安定の無表情、ライズさんである。眩しくて目が覚めたのだけれど、彼女がカーテンを開けてくれたらしい。
「お……はよう、ございます、ライズさん」
メイドさんが起こしにくるという人生初の体験。慣れない。そして気恥ずかしい。
「リーニャお嬢様。よく眠れましたか」
「恐怖を感じる程に」
「それはようございました」
ベッドの上で伸びを一つ。
さて。帝城に宿泊して、初めて迎える朝が始まった。
なぜ一介のパン屋の娘である私が、この国で一番立派な建造物である帝城、その一室で寝起きしているかというと、事の発端は数日前に遡る。
先日、帝都で開催された反復横跳び大会に出場した父が、優勝賞品である温泉旅行券(二名様分)を持って帰ってきた。憧れの温泉旅行に母は大喜び、父は早くも『しばらくパン屋をお休みします』の貼り紙を作り始め、私は功労者である父のふくらはぎを褒め称えた。
温泉旅行は夫婦水入らずで楽しんできてもらいたいので、私はお留守番である。
父母は「リーニャちゃん寂しくない?」「やっぱり一緒に行かない?」と心配したけれど、温泉旅行券は二名様分だし、十七歳の身で一人のお留守番ができないわけでもないし、何かあったら神官様を呼ぶし、大丈夫だと言った。
特に「何かあったら神官様を呼ぶ」に絶大な安心感を得たらしい父母は、「じゃあ来週にでも行ってくるよ!」「温泉マカロン買ってくるから!」と親指を立ててウインクをかました。なぜうちの父母はここまであの神官様を信頼しているのだろうか。
以上のことを、毎週恒例のお茶会で皇帝陛下に話したら、「では来週はご両親が旅行の間、リーニャはここに泊まればいいです」と言われた。
何が「では」なのか分からないけれど、皇帝陛下はその場でさらさらと手紙をしたため、三メイドのうち最も俊足なシャインさんが速やかにそれを父母のもとへ届け、その日の内に外泊の許可を取ってしまった。本人がうんとも言わないうちに家族から許可を取るなと言いたい。相変わらず行動が迅速過ぎる皇帝陛下である。
「だってリーニャ、一人でお留守番は寂しいでしょう。それに女の子が一人だと何かと危ないです。安全な城で保護するのが最良だと思うのですが」
「数日だけなので寂しくないですし、あの辺りは治安もいいですし、別に私一人でも平気だと思いますけど……」
「また呑気なことを言う……。いいですかリーニャ。前にも言いましたけど世の中は物騒なんです。誰だってリーニャが一人で家にいると知ったら確実に誘拐しにいきますよ?」
「それは陛下だけです」
結局お留守番していても誘拐されるのであれば、自ら出向いた方がいいだろう。
「ちなみにここに宿泊すればリーニャは料理長の作る朝食・昼食・夕食をコンプリートできることになりますね」
ぜひ自ら出向かせていただこう。
「コール家の留守番には帝国軍の兵士を手配しておきます。一個師団ほど常駐させれば戦力としては充分でしょう」
私一人が留守番するよりも遥かに防犯レベルが跳ね上がってしまった。そして下町の庶民宅に一個師団が入るスペースはないということを後で言っておこう。
「でも陛下。急なお泊りになりますけど、迷惑になりませんか?」
「問題ありません。リーニャ用の部屋はもとから用意してありますし」
「そう言えばそうでしたね……」
「それに数日間でもリーニャと暮らせるなんて嬉しいです」
心底嬉しそうに言われて、変な顔になる前に下を向いた。なんだかんだ皇帝陛下の嬉しそうな顔には弱い。ポメコの首傾げおねだりポーズと同等の威力があって、ちょっと何でも言うことを聞いてしまいそうで怖い。
「では、あの、はい。数日間お世話になります」
「はい。永住前の見学期間とでも思って気軽に楽しんでください」
「永住は前提なんですね……」
「未来の話ですからね」
未来と言うか予定と言いたいレベルで確定していそうな話だけれど、仲良くなるところから始めると言った皇帝陛下が仲良くなる前に最終段階に入っているのは今に始まったことではないから、もう、その辺は受け入れよう。だって皇帝陛下だもの。
それに、本当は一人でお留守番はちょっと寂しかったのだ。
「ふつつかな宿泊者ですが、よろしくお願いいたします」
というわけで、父母が温泉旅行に発った昨日から、私は帝城に宿泊させてもらっている。
ライズさんに慇懃かつ手際よく手伝われて身支度を済ませ、部屋を後にする。食堂へ向かう途中、何度かメイドさんやら執事さんやらとすれ違った。「おはようございます、お嬢様」と丁寧にお辞儀をされ、ぎこちなく挨拶を返す。
「おはようございます、お嬢様」
「おはようございます、お嬢様」
「おはようございます妃殿下、あっ違った、まだ妃殿下じゃなかった、お嬢様っ!」
「おはようございます、お嬢様」
私は城内においてどういう立ち位置なんだろうと常々思っていたけれど、途中に混ざっていたドジっ子メイドのうっかり発言により、なんとなく分かってしまった。相変わらず地味に着実に迅速に外堀を埋められつつある我が身である。しかし実在したのかドジっ子メイド。
そして何となく気になることがあったので、ライズさんに小声で訊ねてみる。
「あの、ライズさん。初めてお城に来た朝は、こんなに人がいなかったように思うのですが……?」
今思えばこの広いお城で朝から働く使用人の皆さんが三メイドだけというのもおかしいので、今の状況の方が正しいのだけれど。
「はい。あの時はリーニャお嬢様が寝間着でしたので、あまり人目にさらされても恥ずかしいだろうと、陛下が使用人たちを下がらせておりました」
「あ、陛下にも寝間着でお城をうろつくのはよくないことだという認識はあったんですね……」
そして気遣う部分が微妙にずれている皇帝陛下である。なら朝一で寝間着状態の人間を攫うなと言いたい。
相変わらずこの場にいなくても突っ込みを休ませてくれない皇帝陛下のことを考えているうちに食堂に着いた。入り口にはセットさんとシャインさんが控えているが、食堂内には誰もいない。
がらんと広い食堂の長い長い食卓にぽつんと着席していると、まもなく皇帝陛下が現れた。私の姿を見るなり、ぱっと笑顔を見せる。
「おはようございます、陛下」
「おはようございます。今日も愛してますよリーニャ」
「……」
挨拶のように愛の告白をしないで欲しい。
「朝から渋い顔をするリーニャも素敵です」
「……おはようございます以降、要ります……?」
「リーニャは定期的に愛を囁かないと不安になる性分かと思って」
「……」
「渋い顔を継続するリーニャも素敵です。照れ隠しが上手で可愛らしいですね」
「……」
照れ隠しが上手だと褒めたいのであれば照れ隠しだとばれていない体で黙っていてほしい。
分かっていてやっている大変よろしい性格の皇帝陛下へのささやかな抵抗として、絶対に動揺した素振りをみせてやるものかと固く表情筋を引き締めた。が、まもなく朝食が運ばれて来たので、あえなく顔が綻んでしまった。
「いただきます」
「いただきます」
人生で二度目となる、皇帝陛下と一緒にいただく朝食である。
お待たせしました第4章、「俄かシスターは帝都を駆ける」編、スタートです!




