■第21話 恋の理由
「そういえば、兄さんとは何を話したんですか?」
綺麗な所作で私のティーカップに紅茶を注ぎながら、皇帝陛下が問う。
「兄さんがリーニャのいる教会に行ってすごく楽しくお喋りをしたと自慢してきた割に、どういう話をしたのかは教えてくれなかったので気になって」
帝国広しと言えども、皇帝にお茶を注がせる人間は私くらいだろう。でも皇帝陛下がごく自然にポットを手にして流れるように給仕をするので、止める間がない。到底お返しにはならないけれど、皇帝陛下の空いたカップには私が紅茶を注ぎながら、エオルスさんとの会話の記憶を辿る。
「えーと……陛下の兄だけど皇族ではないことの説明とか」
「まあ、そこは気になりますよね」
「仕事のできる事務官とはエオルスさんのことだとか」
「ああ、それは虚言ですね」
「リーニャ日記が2冊目に入ったとか」
「いえ、今月で3冊目ですね」
「それは知りたくなかったです。あと、陛下がリンゴの……」
――リンゴの目利きの本なんか読んでたんだよ
「リンゴの……」
急に言葉に詰まった。
――自分でリンゴを選んで道に並べないと、気が済まないんだね
「……」
言葉に詰まって、なぜ詰まったのか考えて、やっと分かった。
そうだ。この謎の緊張は、今朝に始まったことじゃない。エオルスさんと教会で話をしてから、ずっと続いているのだ。
私は今まで、誘拐もとい招待される形で対面を果たした時からずっと、皇帝陛下からの好意をどこか非日常のように、どこか他人ごとのように受け取って、言い替えれば本気で受け取らずに、ここまで来た。いやだって展開が早い。何より相手がこの皇帝だ。事実の前に事件である。現実味に欠けていたと言っていい。
そこに来て、エオルスさんの話を聞いて、自分がどうしようもなく皇帝陛下にとって特別なのだと知ってしまった。
いつも柔らかな表情で、たまにお腹の空いた子犬のようにしょんぼりした顔を見せて、言動と行動に突っ込みどころが満載で、隙あらば何らかの美味を食べさせようとしてくる、そんな皇帝陛下としか接してこなかったから、それが皇帝陛下の「普通」なのだと思っていたけれど。
私は私に対する皇帝陛下の姿しか知らなかったから、何も特別なことではないのだと思っていたのだけれど。
――リーニャちゃんに関することだと、違うんだね
それが皇帝陛下の「普通」ではないのだと知って。
あの時のリンゴも、ふわふわのポメコも、今までのおやつも、今日のメロンのケーキも、丁寧に書かれた招待状も。全て皇帝陛下が私のことを考えてしたことなのだという、考えてみれば当たり前の事実を、ようやく思い知って。
「リンゴの?」
私が急に俯いて押し黙ったものだから、皇帝陛下が不思議そうに先を促す。促された続きは言わず、代わりに、別の言葉を口にする。
初めて皇帝陛下に馬車に乗せられた時に聞いたことを、もう一度。
「……どうして、私なんですか」
ところでという前置きさえない唐突な切り出しに、皇帝陛下は瞬いた。
「どうして陛下は、私が好きなんですか」
皇帝陛下が私を特別に思う、その理由は分かっている。最初から言われている。皇帝陛下は「恋をした」と言ったのだから。
でも、「どうして私なのか」と思う。
皇帝陛下は懺悔室での応答で私のことを好きになったと話したけれど、神官様に言った通り、私はこの答えに納得していない。いや、正確には「納得していない」ではなくて。
「うしろめたい」が、正しい。
過大評価されて、うしろめたい。
現実味がなかったということ以上に。
何よりうしろめたい気持ちがあったことが、皇帝陛下の好意を本気にしないようにしていた一番の理由だ。
「陛下は……あの教会の懺悔室で私と言葉を交わしたことが理由だと、そう言いましたけれど」
自分でどうしてと問いながら、皇帝陛下の答えを待たずに言葉を重ねる。反応される前に、反応を見てしまう前に、言い切らないと。
「以前も同じことを言いましたが、あの時はマニュアル通りの対応をしただけです。相手を肯定するようにとマニュアルにあったから、肯定したんです」
皇帝陛下はただマニュアル対応をしたに過ぎない私のことを、過大評価している。実際には、私は何か特筆すべき点のある人間ではないのに。このまま交流を続けていけば、やがて皇帝陛下もそれが分かって、がっかりするだろう。最終的に期待外れだったと思われる瞬間を考えると、失望した顔を思い浮かべると、とても辛い。彼にとって自分が特別なのだと自覚を持った今は、泣きたいくらいに。
「そういう仕事だから言っただけで、きっと私でなくても、他の誰かでもできたことです。だから、私自身の人間性が素晴らしいとか、陛下の求めるような人物だったとか、そういう訳ではなくて」
皇帝陛下は私を素晴らしい人間だと思い違えて恋をしたのだから、そこをはっきりと訂正するか、好意から逃げ切るかしなければならないと、考えていたのに。
考えていたくせに、今日のおやつの感想を言い合ったり、花に興味がないのにちゃんと花の知識はある皇帝陛下から講釈を受けながら庭を回ったり、そういう時間が心地良くて、流されるままに交流を続けていた。けれど、皇帝陛下の恋を思い知った今ではもう、結果を先延ばしにできない。
「私は、陛下の期待しているような人間ではありません。だから……私を好きだと思っているのは、何らかの思い違いです。たぶん、いつか、失望します」
だから今のうちに、まだ全然仲良くなっていない体のうちに、まだ失望されていないうちに、自分から切り出してしまえるうちに、うっかり私を過大評価してうっかり恋に落ちてしまった皇帝陛下の道を正そうと思ったのだけれど。
「でも」
と、皇帝陛下は優しく言った。
「あの懺悔室で肯定してくれたリーニャに、嘘はなかったでしょう?」
次話で3章は終幕です。




