■第13話 サボり上手の事務官
昼休憩を終えて、再び懺悔室の椅子に座る。来訪者が現れるまでは暇なのがこのバイトである。次回のお弁当はパンに何を挟もうかな等の建設的思考を巡らせて有意義に過ごしていると、扉がノックされた。
「どうぞ」
「失礼しまーす」
朗らかな入室の挨拶とともに衝立の向こうの席に着いたのは、二十代半ばくらいの青年だった。優し気な眼差しの翠色の瞳と言い、長い金髪を緩く編んで肩に垂らした様子と言い、全体的に柔和な印象が漂う。竪琴なんかを持たせると絵になりそうな美しい青年である。
「こんにちは、シスター」
「……こんにちは」
なんだろう。初めて会う青年のはずだけれど、なぜか既視感がある。
少し考えて、彼自身ではなく服装の方に見覚えがあるからだと納得した。しばしば皇帝陛下に招かれる帝城で、この青年と同じ服の人たちを見たことがある。きっとこの青年は宮廷務めの役人の一人なのだろう。もしかしたらすれ違ったことだってあるのかもしれない。
こちらがそんな観察をしている間に、青年はきょろきょろとあたりを見回し、楽しそうに言った。
「ここが噂の『シスターのお悩み相談室』かあ。初めて入ったよ」
いやお悩み相談室ではないのだけれど、いや最近ではお悩み相談室になりつつある感も否めないけれど、訂正する間もなく青年が「この教会自体にはよく来るんだけどね」と続けたので、そちらに気を取られた。
「この教会に常連さんがいたんですね……」
思わず感心して呟くと、青年は得意そうに頷いた。
「ふっふ。帝都中にある僕のサボりスポット百選の一つさ。あまり人が来なくて静かで、古いけど丁寧に掃除されてて空気も綺麗、ぼんやりするには丁度いい穴場だから気に入ってるんだ」
自慢げな表情で自慢してはならないことを言う青年。サボる場所を百個も持っている人間を雇っていて宮廷の運営は大丈夫なのだろうか。もしかして今も絶賛サボり中なのだろうか。
「それにしても、この教会にもちゃんとシスターがいたんだねえ。サボテンに水遣りをしている神官さんには何度か挨拶したことがあるけど。あ、そうそう確認なんだけど、この教会のシスターって君ひとりで合ってる?」
「はい、そうですが……」
「そっかそっか。やっぱり君かあ。綺麗な声の女の子だからそうだろうとは思っていたよ」
青年はうんうんと頷いて、仕切り直すようにぽんと手を叩いた。
「では、本題に入る前に……。ねえシスター、僕の悩みを聞いてくれるかな?」
お悩み相談室のつもりで来た割にお悩みが本題ではないのか。っていうか本題って何なんだろう。などと訝しみつつも、笑顔から一転して本当に悩んでいそうな困り顔になった青年を突っぱねることもできず、「どうぞ」と促す。
青年は物憂げに額に手を当てると、とても深刻そうに言った。
「弟が……最近、すごく、僕に冷たいんだ……」
「……。……。それは、ご愁傷さまです」
それしか言えなかったのでそれしか言わなかったら、なんだか気まずい沈黙が降りてしまったので、「ど、どんな感じで……?」と、ひとまず話題を広げてみる。
「弟の執務室に行ってさ、仕事サボって外に遊びに行こうよついでに恋バナしようぜって誘ったらさ、一瞥もせずに『働けよこの野郎』って呟かれたんだ」
「……。そ……」
それは仕事を邪魔するあなたが悪いのでは……、と口にしかけたけれど、当懺悔室のマニュアルの一つに「懺悔者を全肯定すること」というものがある。これが「お悩み相談者」に当てはまるのかは微妙なところだけれど、ここは肯定も否定もしないというスタンスで、当たり障りのない相槌で乗り切ろう。
「なるほどー……」
「いやまあ塩対応は小さい頃からなんだけどね。いやあの頃はもっと頑なだったから一段上げて岩塩対応かな? 初めての顔合わせの時に『お兄ちゃんって呼んでくれていいよ!』って声掛けてから存在を一週間ガン無視されたのが初回の思い出だからね」
「なん、なんか、複雑な兄弟仲なんですね……?」
「うん、まあちょっと込み入った家庭の事情があるから複雑なのは否めないよ。でも最初の挨拶から八日目にして、ついに弟から声を掛けてくれたんだ。『兄さん人のベッドの上にセミの抜け殻を並べないでください』って。喜ぶかなと思ってやったんだけど、めちゃくちゃ驚いたらしくて。『ごめんね』ってちゃんと謝ったよ。この記念すべき初会話以降、弟は僕と会話してくれるようになって、今ではすっかり仲良し兄弟さ」
遠い目をしてしみじみと語る青年。美しい思い出のように語られた記念すべき初会話の内実が「苦情と謝罪」なのだがそこはいいのだろうか。
「えーと……。で、その仲良しの弟さんが、最近冷たいんですね」
「うんそう。まあ、理由は分かってるんだ。最近の弟は、とても大事な用ができて忙しいから。僕に構ってる暇がないんだろうと察しが付くよ」
「大事な用、ですか」
「うん。弟には最近、どうしても陥落させたい要塞ができたみたいでね。全方位からガンガン砲弾をぶち込むような強硬手段を取れなくもないけど、出来る限り時間と手間をかけて無傷で手に入れたい大事な要塞らしくて。そのために弟は毎日、普段の仕事を前倒しで片づけたり調整したりして、要塞陥落に充てる時間の捻出を頑張ってるんだ」
仕事をやりくりして作った時間でやりたいことが、要塞の陥落。一体どういう立場の人かは分からないけれど、余暇の使い方のスケールが凄まじい弟さんである。
「それは……なんというか、弟さんも大変なんですね」
「うん。でも、感情の死んだ目で淡々と仕事を片付けてた頃より、今の方がずっと生き生きしてるし、何よりすごく楽しそうだから、それは本当に嬉しいんだ」
青年は心から嬉しそうな笑顔でそう言った。弟さん思いなんだなあとしみじみ感じさせる。かと思うと、「でも」と言って、雨に打たれた子犬のような、しょんぼりとした表情になった。感情の起伏が素直に顔に出る人らしい。
「そう、弟が生き生きしてるのは嬉しいんだけど……。お兄ちゃんにもその要塞のことぜひ話して欲しいなーとか思ってちょっかい掛けたら、ドスの利いた低い声で『働けよこの野郎』だよ。冷たい……」
「……ご愁傷さまです」
しかしなんだろう、その「働けよこの野郎」というフレーズに聞き覚えがある。どこで聞いたんだろう。
「あいつが敬語を使う相手って、この国では僕くらいなんだよね。お兄ちゃん枠の僕以外、弟より上の立場の人間ってそうそういないからさ。というわけで小さい頃から変わらず僕にはいつも敬語なんだけど、稀にイラついた時に呟かれる言動が素の口調だから余計に怖いよね」
自分より目上の人が兄くらいというのも、なかなかすごい状況だ。上司的な人が存在しない立場ということである。この青年の弟さんは何らかの組織の長なのだろうか。
「で、突っぱねられて執務室の隅で三角座りをして落ち込んでたら、そんな僕を見かねた弟から『そんなに暇なら配達の仕事でもしてください』って、これを渡された」
青年は懐から封筒を取り出すと、衝立の下の隙間から私の方に差し出し、不敵な笑みで言った。
「で、ここからが本題」
なぜ私に渡すのだろうと首を傾げつつ、まじまじと封筒を見て、固まった。
それは近頃よく目にする封筒で、近頃とても見覚えのある綺麗な筆跡で差出人の名が書かれており、つまり初めての登城の日から週一のペースで私の家に送られてくる、皇帝陛下からの招待状だった。
ハッと顔を上げ、衝立の向こうの青年を見る。
「改めて、初めましてリーニャちゃん」
「……あ」
最初にこの青年に感じた既視感の本当の理由が、今になって分かった。
髪と瞳の色が全く違うから認識が遅れたけれど――彼はどこか、皇帝陛下に似ているのだ。
「僕のことは『お義兄さん』って呼んでくれていいよ?」
金色の髪に翠色の瞳をした青年は、銀色の髪に赤い瞳をした青年の面影がある顔に、にっこりと笑みを浮かべてそう言った。




