王弟殿下の婚約者 アヴィナ -10-
北の第一王子ミハイルは公爵邸に到着後、屋敷のあちこちを見てまわっていた。
もちろん、こちらからの護衛という名目の監視付きである。
うさぎたちとも戯れていたようだが──白いもこもこたちの反応は「嫌いじゃないけど積極的にじゃれるほどでもない」といったところ。
動物好きのメイド、ノエル的にも「悪い方ではなさそうですけれど……」と微妙に歯切れは悪かった。
これは果たして、俺たちがついつい警戒してしまっているせいなのかどうか。
その後、ミハイルは公爵邸自慢の風呂を所望。
一人で入らせるのも……ということで、テオドールとフラムヴェイルが一緒に入ることになったのだが。
風呂から出た後、テオドールは全身から苛立ちのオーラを発散していた。
「殿下? ミハイル殿下となにかありましたか?」
「大した事ではない」
なにかあったのは否定しないんかい。
義兄のほうも黙りこんでなにかを考えている様子で、なおさら厄介ごとの予感。
「いずれにせよ、当人から正式に申し出があるだろう。それまで待てば良い」
その言葉通り、主要メンバーが集まっての夕食の席にて、教国の王子はぶち込んできた。
「いや、本当に素敵なところですね。いっそのことこちらに定住してしまいたいくらいだ」
「お褒めに預かり光栄です。しかし、教国にも素晴らしい場所が沢山あると聞いておりますが」
「もちろん。特にそうですね……北の地ならではの景色と言えばオーロラでしょうか」
それはいつか見てみたい。
「私がこの地に惹かれた理由もおわかりいただけましたか、殿下?」
「ああ、そうだね。でも、君に求婚を断られた心の痛みはそれだけでは癒えそうにない。ああ、愛しいアナスタシア。初めて君に会ったのは八歳の時だったね」
大袈裟な口上が始まると、テオドールが「またかよ」とばかりにため息。
風呂の時にも一度聞いたらしい。
こほん、と、それとなく話の腰を折ると、ミハイルは笑顔のまま「失礼」と言葉を止めて。
「ずっと思い続けてきた相手なのです。いくら、かのフェニリード家の長子とはいえ、ぽっと出の男に奪われてしまうのは許しがたい。この気持ち、君ならわかるんじゃないかな、アーバーグ侯爵令嬢」
「え、ええ、まあ、そうですわね」
「そうだろう!? 君とランベール殿下も幼い頃からの運命の相手、それが引き裂かれてしまうなんて!」
こほん。再度の制止。
「貴殿とアナスタシア様とは違い、アーバーグ侯爵令嬢とランベールは婚約を交わしている。同じように考えることはできないでしょう」
「……ええ、確かに。ですが、であればなおさら、おわかりいただけるでしょう? 位の高い者の婚姻は単に恋愛感情だけで決まるものではないと」
それは確かに、と、この場にいる全員が認めざるをえない。
教国王家としては『聖女』を取り込むことで権威拡大を目指していたわけで、これがあっさりフイにされてしまうのは許しがたい。
「王家といえど、聖女の婚姻に口出しする権利はないと聞いていますが?」
「確かにその通り。ですから、アナスタシアの気持ちが変わらないというのなら、フラムヴェイル殿との婚約自体は仕方がない」
変わらぬ笑みだが、だんだんとこの笑みが彼にとっての仮面であるとわかってきた。
「ただ、我らが王家の意向が潰されたのも事実。可能であれば、なにか埋め合わせをしていただけないかと考えている次第です」
この王子はなにも本気でアナスタシアを引きとめに来たわけじゃない。
この婚約話にかこつけて、少しでも自国に利を得ようとしているのだ。
「テオドール殿下とフラムヴェイル殿には少々お話しましたが、いかがでしょう? 貴国の令嬢から我が花嫁を迎えさせていただけないでしょうか?」
「それは、浴場でもお答えした通りです」
ぐっ、と、表情を引き締めつつ答えるフラン。
「当人と家長の意思確認なくしては決められない事柄です。私の一存ではなんとも申し上げられません」
「ふむ。他家のご令嬢でなく、フェニリードのご令嬢でも構わないのですが。──例えば、フラムヴェイル殿の姉妹のいずれか、とか」
「ミハイル殿下。冗談はそれくらいにしていただきたい」
「おっと。これは言い過ぎてしまいました、どうかお許しください」
なるほど、テオドールがぴりぴりしていた理由はこれか。
埋め合わせに俺かアルエットが嫁に、なんてことになったら実質、王族の婚約者を横からかっさらう形になる。
というか俺はテオドール自身の婚約者なわけで。
「ですが、一度考えてみてはいただけませんか? 特に『大聖女』アヴィナ様。あなたに我が国へお越しいただけるのならば、我が国は聖女を手放す痛手を補って余りある幸福を得ることでしょう」
「いえ、わたしには既に決まったお相手がおりますので……」
「もちろん、お越しいただけるのならば最大限の配慮をいたします。お望みとあらばなんでも叶える所存ですが」
ふむ。そこまで言うなら最大限に無茶ぶりをしてみるか。
「では、わたしの髪形、服装、装飾品──装いに関する完全なる自由を所望しても?」
「ええ、構いませんよ」
マジで? あれだぞ、完全に自由だから全裸で城を練り歩いてもいいってことだぞ?
「……失礼ですが、わたしの噂についてはどの程度ご存じで?」
「過不足なく存じ上げているかと思いますが」
「────」
「アヴィナ。まさか心動かされているわけではないだろうな?」
「ま、まさか。……残念ですが、ミハイル殿下。わたしはテオドールさまをお慕い申し上げておりますので」
全裸でいても誰からも文句を言われない生活……だいぶ心惹かれるが。
「残念です。『聖女』を差し上げるのですから『聖女』を迎えさせていただくのが最も収まりが良いと思うのですが」
「申し訳ありませんが、わたくしもアヴィナ様も既にお相手がおりますので」
「ならば、フラムヴェイル殿、あるいは公爵家からどなたかを紹介していただくことはできませんか? こう見えて教国の第一王子です、悪い暮らしはさせないと約束いたしましょう」
……実を言えば、この話は悪いことばかりではない。
先方から「そっちの国の女をくれ」と言ってきているのだ。
教国の王位継承がどうなるにしろ、第一王子の妃という重要ポジションにこっちの人間が入れば両国の友好の証になる。
場合によっては人質にもなりうるわけで、嫁ぐ本人には覚悟が必要だが、ミハイル自身が言った通り生活には絶対困らないだろうし。
言われたフランは「……そうですね」と思案して。
「やはり、今すぐにお返事はいたしかねます。父や陛下にも相談が必要ですので」
「ああ、もちろん、それはそうでしょう。私としてもすぐにとは申しません。……アナスタシアが嫁ぐとなれば、これから両国のやり取りも増えるでしょうし、ね?」
やっぱり面倒くさいことになった。
食事の後、こちら側での話し合いも持たれたものの、やはりすぐに「私が嫁ぎます!」と言う者は現れない。
フェニリードの分家にも令嬢は何人かいるが、さすがに他国の王族に嫁ぐのは勇気がいるし──フェニックスに関する情報が利用される可能性を考えるとおいそれとは出せない。
と、そこで父公爵が「もしかしたら」と口にして。
「こんなこともあろうかと、陛下が打ってくださった『手』が役に立つかもしれないな」
「陛下の『手』ですか?」
「ああ。陛下と連絡を取った際、お互いに書状を送る約束を交わしたんだが」
口頭で「これこれこうしますよ」と伝えたうえで、同じ内容の手紙と許可する文面の手紙を同時に送りあう。
届くのは事後になるものの、これである程度のエビデンス、アリバイ作りはできるわけだ。
「併せてこんなことを言われたんだ。手紙を娘に運ばせる、とね」
「娘、といいますと」
「ああ。ルクレツィア第四王女殿下だね」
義兄フラムヴェイルに求婚し、フランがアナスタシアと婚約するからと振った相手。
アナスタシアとの話し合いの結果を今か今かと待っていた彼女がわざわざここに来る意味。
国王から婚約話を聞いているのなら「待ちきれなくなったから」が理由ではないだろうし──そう考えれば。
「我が国からご用意できる最高のお相手、かもしれませんね」




