公爵家の長女アヴィナ -10-
公爵領に入ってから初めての宿泊。
立ち寄った街に降り立つと、見慣れた白い毛玉がぴょんぴょんしているのを見かけた。
みゅ~!
くすりと笑った俺は、かごの中からスノウを出してやる。
お互いにぴょんぴょんと近寄ったうさぎたちはみゅうみゅうと鳴いてじゃれ合い出した。
「……ずっと見ていられそう」
「それはいいが。君はあれを見分けられるのか?」
「ええ、ぜんぜん特徴が違いますもの。ほら、あっちがスノウです」
示してやると、テオドールは「むぅ」と声を上げてうさぎたちを凝視。
「テオドールさまにも苦手なことがあるのですね」
「苦手というか……。見慣れない生き物の、かすかな違いを判別するのは至難の業だろう」
「でしたら、殿下もうさぎを飼えるよう父にお願いしてみましょうか?」
「定期的に素材が手に入るのは悪くない話だな」
そこか? いや、単に照れ隠し的なアレかもしれないが。
「ですが、うさぎがこんなに野放しで大丈夫なのでしょうか」
「ああ。公爵領において、彼らは住民と共に暮らしている。街の平和の象徴でもあるからね」
と、答えたのは父公爵。
「……神獣様の眷属と称される彼らは実際、僅かではあるが邪悪な魔力を浄化する力を持っている」
「では、あの子たちがいる地域では魔物の発生が抑えられると?」
「ああ。統計上でも相関関係が証明されているよ」
「うさぎたちは、ただそこにいるだけでわたしたちを守ってくれているのですね」
だから、公爵家はうさぎを他の領地に出したがらない。
領内で誘拐でもあれば領民たちがこぞって守ろうとするし、都の公爵家にいる子たちもしっかり守られている。
「……それにしても、ふわふわのうさぎとフェニックス様にどのような関係が?」
「うさぎは一羽、二羽と数えるだろう?」
え、ほんとにそんな適当な理由なのか?
「というのは冗談として、神獣様がこの地に定住を決められた際、眷属に相応しいものを選ばれた結果なのだろう」
「雪を思わせる白い羽毛は炎とは正反対ですが、ふわふわの毛は似ていますものね」
辺境伯領にもそういうのがいればいいんだが。子グリフォンが大きくなったら特有の眷属が増えていくのかもしれない。ライオンにちなんで猫とか。
などと、のほほんと話している俺たちにそっと、メイドのノエルが歩み寄ってきて、
「あのう、アヴィナ様? 現地のうさぎを間近で見られる機会は貴重でして……。少々、近くで愛でてきてもよろしいでしょうか?」
「ふふっ。ノエルは本当に動物が好きなのね。構わないけれど、当人たちに嫌がられないようにね?」
「それはもちろん心得ております。では、失礼して……!」
ふにゃ、と、しまらない笑顔を浮かべて歩き出すノエル。
姿勢を低くして怖がられないようにおいでおいでをすると、どこからともなくうさぎが増えて群れ始める。
動物も、自分のことを好いてくれる人間には好意的になるのだろう。
「公爵領はいいところですね。寒いのは難点ですが、こちらで暮らすのも楽しそうです」
「だが、君の服の趣味とは相性が悪いだろう?」
「往来では大手を振って歩けないのは都でも変わらないではありませんか」
いざとなれば俺と養父、義兄には不死鳥の防寒具がある。
あれを着ていれば極論、裸でもぜんぜん寒くない。
なお、そう思って着用したところ一発で「公爵家ご一行」とバレて人だかりができてしまったのはなんというかご愛敬である。
◇ ◇ ◇
領内に入ってからさらに移動すること数日。
フェニリード公爵領の領都へと近づいてくると、北上しているというのに徐々に雪が減り始めた。
領都の半径数百メートルまで来るともう雪がほぼ存在せず。
それどころか、街の中からは湯気らしきものが立ち上る様子まである。
「これが噂に聞くフェニリードの領都か。地熱を利用した温泉が湧き、冬でも温かい。大陸有数の湯治場と言われ、療養に訪れる貴族も多いという」
もちろん、地熱というのは地下にこっそり隠れたフェニックス様の恩恵だ。
「湯治場がどのように設置されているのか、ずっと気になっていたのです」
「街規模で風呂を推している土地は珍しいからな。私も興味がある」
疑問の答えは、馬車が領都へ入ると明らかになった。
街の中に何か所か大きな入浴場があり、石材で簡易的な囲いがあるだけの『露天風呂』を平民たちがこぞって利用している。
入浴場は男女別のところと混浴のところがあるようで……うん、公爵領の人々は全体的におおらかな傾向にあるらしい。
「貴族用の温泉は──あれだな。ほら、領都の奥に見えるだろう」
どこか、懐かしい『瑠璃宮』を思わせる屋敷のような建物。
「ああ。貴族用の施設は屋内型なのですね」
「そうらしいな。ただし、設えられた窓から雪をたたえた山の景色を楽しむ事ができるらしい」
「それは……お酒を嗜みながら眺められたら最高でしょうね」
と、元はこちら出身のコレットが「公爵邸にも別途お風呂のご用意がございますよ」と教えてくれる。
「こちらは公爵家の方、および特別に認められたお客様のみが利用できる専用のお風呂です。お二人はこちらをお楽しみいただくのがよろしいかと」
「至れり尽くせりですね……。と言っても、浮かれてばかりもいられませんが」
『北の聖女』のことばかりでもない。気がかりは他にも。
「家族以外の、公爵家の係累か?」
「ええ。いくら現公爵の決定とはいえ、平民の娼婦を養子としたのですから──反感があって当然です」
養父と義兄はともかく、果たして自分が歓迎されるのか。
「ふむ。仮にも王弟の婚約者を無下にするとも思えないが、な」
「言質を取られないよう、さりげなく反感を示すのが貴族というものですもの」
「……私としましては、おそらく問題がないと考えますが」
蓋を開けてみないとわからない。
少し緊張しながら、馬車が公爵邸入りするのを待って──都の公爵邸とどこか似た、しかしより雪対策を厳重に施された屋敷を窓から見上げる。
先に降りたテオドールの手を取って地面に降り立てば、都にいる以上の数の白い毛玉がみゅうみゅうと群がってきた。
俺の腕の中にいるスノウも嬉しそうにじたばたして、
「はは。相変わらずアヴィナは大人気だね」
「本当にね。君がいると僕や父上がついでのような扱いだ」
養父やフラムヴェイルももちろん、公爵家の直系としてうさぎたちからは好かれている。
特に女の子からはだいぶ懐かれているものの、全体的ななつき度で言うと俺やアルエットのほうが上である模様。
……まあ、俺がうさぎでも野郎よりは可愛い女の子のテンションが上が──閑話休題。
「お待ちしておりました、兄上。久方ぶりだな、フラムヴェイル」
歓迎のためにずらっと並ぶ使用人たちがさっと左右に割れて、何人かの人物がこっちに歩いてくる。
その先頭にいるのは、どこか養父に似た顔立ちの男だ。
彼は養父、そしてフラムヴェイルに挨拶、さらにテオドールに臣下の礼を取り、侯爵令嬢であるセレスティナにも丁寧な挨拶をしたうえで、
「そして──ようこそお越しくださいました、アヴィナ様」
まるで王族に対するかのように、俺の前に跪いた。
他の面々も、さすがに跪くまではいかないものの、可能な限りの敬意を示すように礼の形を取ってくれる。
これは、お前なんか公爵家の一員とは認めないぞという遠回しな嫌味……ではなく。
「公爵家一同、『聖女』の来訪を心より歓迎いたします」
今なお神獣を守り続ける一族は、一般的な神殿のそれとは少し異なるとはいえ──貴族の中ではかなり例外的に、めちゃくちゃ信心深いらしい。




