悪女になんて負けません!(2/2)
「ごめんね。ありがとう、サブリナ」
「気にしないで。お姉様は何でも重大に考えすぎるのよ」
コペル家を出る。次に向かったのは、もちろん本屋とぬいぐるみ屋だった。
その後、何時間か買い物をして過ごし、ロワイヤル家へ戻る頃にはわたしの機嫌はすっかり直っていた。
「五年も経つと、いいこともあるのね……」
なんと、お気に入りのシリーズ本の新作が三冊も出ていたのだ。その他にも馬車が重みで傾くくらいの大量の本を仕入れてきたし、早く帰って読みたいわ!
「どれから目を通すべきだと思う? マダム・ミルフィーユ」
膝に乗せたぬいぐるみに話しかける。
マダム・ミルフィーユはクリーム色の体をした、頭に三本の筋模様がある猫だ。お店の棚に並べられていた彼女を見た時にビビッときて、即お迎えしたのである。
「あなたとも仲良くなれそうね。……でも、マダム、信頼関係は一朝一夕では生まれないの。あなたじゃ、まだわたしの大親友にはなれないわよ」
マダム・ミルフィーユはうるうるした目でこちらを見る。わたしはマダムの頭を撫でてあげた。
ラングドシャ卿がいたら、わたしが新しいぬいぐるみを可愛がっているところを見て、何て思うかしら?
……ああ、ダメだわ。彼のことを思うと胸が痛む。頑張って乗り越えないといけないとは分かっているけれど、当分は引きずりそうだ。
ロワイヤル家へ戻ると、使用人たちを呼び寄せて本を部屋へ運んでもらった。マダム・ミルフィーユだけは自分で持っていくことにする。
「マルグリット、おかえり」
玄関ホールを抜けたところで、フローランさんがひょっこりと顔を覗かせた。
「君がいなくて寂しかったよ。ところで、あの大量の本はどうしたんだ? ドルレアン銀行へ行っていたんじゃないのか?」
フローランさんはわたしの手を取ってキスしようとした。その拍子にマダムに気付く。
「この子は?」
「マダム・ミルフィーユです」
フローランさんにもよく見えるようにマダムを顔の前に掲げた。
「わたしの新しいお友だちです」
「そうか。よろしく、マダム」
フローランさんはマダム・ミルフィーユの顎の下を撫でた。良かったわね、マダム!
それにしても、「お友だち」発言にはツッコまないのね。フローランさんはわたしの好きなものを否定しない。やっぱりいい夫だ。
「わたし、今日からマダムと寝ますね。だから、添い寝はもういいですよ」
「これはこれは……マダムはとんだ泥棒猫だったわけか」
フローランさんは大げさに肩を竦めた。
ロワイヤル家で過ごしたこの三日というもの、フローランさんは毎晩わたしの隣で寝ていたのだ。それ以上のことは何もしなかったけど、彼はこの役目が結構気に入っていたらしく、残念そうな顔になる。
「それで、今日から僕は床で寂しく独り寝をするんだな」
「そんなまさか」
気落ちするフローランさんを見ていられなくなり、わたしはなだめるような声を出した。
「床なんかで寝なくていいですよ。温かいお布団にくるまってください」
「君の隣で?」
「そう、わたしの隣で……って、違います!」
うっかり乗せられそうになり、慌てて首を振る。油断も隙もないんだから!
マダム・ミルフィーユがいるのに生身の男性の添い寝係が必要だなんて、おかしいじゃない!
「フローランさんのお部屋にも、ベッドを入れるスペースくらいあるでしょう?」
「どうだろうなあ。あったかなあ。なかったかもしれないなあ」
フローランさんは、わざととぼけた返事をする。そんなにわたしと一緒に寝たいの?
「わたし、就寝前はいつも本を読んで過ごすんです。隣でそんなことをしている人がいたら、明かりで眠れなくなると思いますけど」
「別にいい。そんなことは気にしないから」
フローランさんは思ったより頑固だった。
どうしようかと思い、マダム・ミルフィーユに視線を落とす。
『いいじゃないの。ひとりぼっちにしておくなんて、フローランが可愛そうだわ』
マダムがそうアドバイスしてくれた気がした。まあ、そこまで言うなら……。別に、添い寝係って何人いても問題ないわよね?
「じゃあ、今夜からも一緒に寝てください」
「ああ、任せておけ」
フローランさんの声は明るい。
添い寝って、そんなに楽しいものなのかしら? フローランさんの考えることはよく分からない。
「そろそろ昼食の時間だ、マルグリット」
フローランさんがわたしの肩を抱く。
「今日のメニューはチーズリゾットだよ。君のは特別に大盛りにしておくように頼んでおいた」
「ありがとうございます!」
フローランさん! あなたは最高の夫です! チーズリゾット大好き! 大盛りだともっと好き!
足取りも軽く食堂を目指す。フローランさんがふっと口元に笑みを浮かべた。
「ドルレアン銀行はどうだった、マルグリット」
その一言で、忘れかけていた最悪の事実を思い出してしまう。マダムを抱きかかえる手に力を込めた。
「わたし……悪いこと、たくさんしてたみたいですね。あの貸金庫には、他人の弱みがたっぷり詰まっていました。わたしはあそこをよく利用していたんですか?」
「分からない」
フローランさんが静かに首を振る。
「僕もあの金庫の存在を知ったのは、ごく最近のことなんだ。だから、君が足繁く足を運んでいたかどうかまでは把握していない。あのカギも、少し前に君から預かったものだったんだよ」
「そうですか……」
あそこは、悪女のわたしにとっては宝物庫みたいなところだ。そんな場所のカギを預けるなんて、二十二歳のわたしはよっぽど夫を信頼していたに違いない。
悪女だった時の記憶は戻らなくてもいいけど……フローランさんのことだけはどうにか思い出せないかしら?
きっと、わたしたちの夫婦生活は幸福な思い出でいっぱいのはずだから。
『大丈夫よ。何もかも上手くいくわ』
わたしの頭の中でマダムが言った。彼女は中々楽観的な性格らしい。
『もし記憶が戻らなかったとしても、愛情ならまた一から育んでいけばいいでしょう? フローランもそう言っていたじゃない』
……うん。そうよね、マダム。わたしはフローランさんに抗いがたい魅力を感じているんだもの。だったら、彼と二度目の恋に落ちることもできるはずだわ。
思い切って、隣を歩くフローランさんにそっと寄りかかってみる。夫は優しい手つきでわたしの肩を撫でた。
「何も覚えていないからといって、気に病む必要はない。全部忘れたままだって一向に構わないさ。僕はマルグリットが傍にいてくれるだけで嬉しいんだから」
フローランさんが囁く。左胸の奥で鼓動が早まるのを感じた。
やっぱりわたしたち、相性のいい夫婦みたいだわ。




