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90 大舞台

視点変わります。客観視点。


 大河エラルモの西、グリ川の北、「十」の左上の台地にそびえるタランドン城。


 広大な領地を統治する行政府でもあり、領内各地に配置された軍の総合司令所でもあり、さらにはカラント王国西方文化を伝承する古宮でもある、圧倒的な巨大城塞だ。


 その大城塞の南側には、出入りするための堅牢な門とは別に、露台(バルコニー)が大きく張りだしている。


 新年や、風神を祀る祝祭、収穫祭、王の代替わりや侯爵家に慶事があった時などに、侯爵や貴人たちが姿を見せ、民に直接声をかけるための場所である。


 その下は、民が集うための広場となっている。

 噴水がひとつ設けられている以外は何もない、広々とした空間。


 端には点々と旗竿が立てられており、タランドン家の紋章旗や、(だいだい)色の国王旗がそよ風にゆらめく。


 午後になって、そこに、人が流れこんできた。


 城塞の周囲は、貴族階級に属する者や、貴族を相手にする商家、城に勤める者たちの家が建ち並ぶ、いわば上級市民の区域、貴族街である。


 普段は、グリ川南岸の「水の街」に暮らす庶民は、この貴族街には入れない。

 入りこんだとしても、到るところに立っている衛兵により幾度となく誰何(すいか)され、執拗に目的地や用がある相手の名前を聞かれ、居心地悪い思いばかりさせられ、追い返される。

 そもそも平民はグリ川にかけられた橋を渡る際に通行料を払う必要があるので、本当に必要な時でなければ南の民は北側へ行こうとしないものだった。


 しかし今、その橋の通行制限が解除され、誰もがその広場まで入りこむことができるようにされていた。

 民に見せたいものがあるから、という理由で。


 南側の庶民たちは、洪水が逆流するように、橋を渡りゆるやかな登り道を突き進み、突き当たりである広場に流れこみ、埋め尽くした。


 みな、()()()と、街に広められた布告、それによって起きる事件に多大な興味を持っている。


「東で、国王が討たれるという大事件が起きたが、第四王女カルナリアがそれを逃れて、可憐な少女の身でありながら、このタランドン市までたどり着いた」

「しかし、タランドン侯爵は、ようやくたどり着いた王女を受け入れるどころか、国王殺し、父親殺し、悪逆非道のガルディスの元へ突き返して、ガルディスの機嫌を取るつもりらしい」

「ひどい弱腰、臆病者」

「歓楽街ラーバイが炎上したのも、そのことで城の者と平民が大喧嘩を始めたのがきっかけらしい」


 ――これが、市内に流れた噂。


 一方で、市内に広められた、城からの布告。


『フィン・シャンドレンなる剣士に告ぐ。騒ぎの中ではぐれた(なんじ)の奴隷を保護している。直ちに城へ出頭せよ』


 朝、割と早いうちに市中に流れた穏やかなそれが、昼になって――。


『フィン・シャンドレンに告ぐ。直ちに出頭せよ。日没までに出頭するならば罪には問わぬが、それを過ぎた場合は、汝の奴隷に罰を与える』


 という高圧的なものに変わって。


『奴隷は城の南側にてさらし、鞭打つ』


 という過酷なものが追加された。


 布告に合わせて噂も変化した。


「その剣士は、カルナリア王女を守っていた護衛の者だ」

「美貌の剣士だという」

「ものすごい美形」

「ひと目見ただけで恋に落ちる美しさ」

「この国の者ではないのに、可憐な少女を見捨てるわけにはいかないと、幾度となく追っ手と戦い、献身的に守り続けてきた」

「それが、このようなことになって、激怒している」

「とてつもない使い手が、城に暴れこむかもしれない」

「逃避行の間に、剣士は王女を愛して、王女も剣士を愛した」

「愛のために、巨大な城にただひとり乗りこんでゆくのだ」


 尾ひれが何十枚もつき、妄想が強力に加味され、民衆の想像と期待はとてつもなくふくれ上がっていった。


 ものすごいことが起きる。

 ()()()()()()


 好奇心に突き動かされた人々は、ラーバイという楽しみを与えてくれる場所が消滅してしまったということもあって、橋の通行制限が解除された途端に、まさに洪水のように押しかけてきたのだった。


「どけ! 道を開けろ! 十人以上まとまってはならん! そういう決まりだ!」


 広場を、衛兵たちが怒鳴りながら歩き回る。


「そこ! それ以上前に出るな!」

「スリだ! 捕まえろ!」

「そちらのお方、この辺りは危のうございます。あちらに移動なさることをおすすめいたします」


 広場に流れこんできたのは、タランドンの街の者だけではない。


「悪逆なる侯爵に対して義憤の刃を振るおうとは、見上げた武人! 我、『赤熱』のブルンド、助太刀いたす!」


 まだ何も起きていないのに大声でわめき、槍を振り回してアピールする流れの戦士らしき者がいる。


「『剣聖』というのは、東の、ブルンタークの者で、死神(ザグル)の力を宿した剣を持ち、様々な変わったものを持っているらしい。ぜひとも捕らえて研究してみたい」

「せめて見るだけでも」


 ひそひそ言い交わす魔導師たちがいる。


「もし我が主君に万が一のことがあったら……よいな、皆の者」


 人数の問題で城には入ることを許されなかったどこかの貴族の私兵らしき集団が、ひとかたまりになって不穏にたたずんでおり。

 その一団を、これもひとかたまりの、タランドン領の兵士たちが警戒している。


「フィン・シャンドレン……まさかこの街にいたのか。捕らえれば賞金がっぽりだぞ」

「やれるのか。この空気だと、俺たちが袋叩きにされねえか?」

「むう……」

 賞金稼ぎたちもあれこれ目論んでいる。


 大道芸人、飲食の屋台、王都を逃れる王女と護衛剣士の物語を創作して歌い語る吟遊詩人、その場で関係人物の似顔絵を描いて売る絵師などもぞろぞろ現れる。

 誰も姿を見たことのないはずなのに、麗しい男性剣士の絵が女性に飛ぶように売れていた。


 祭も同然の状態で、群衆の立てる喧噪が、波濤のように城に打ち寄せる。


 日が西へぐんぐん傾いてゆき――。


「来たぞ!」


 誰かが叫ぶと、群衆が大きく揺れ動き、時には悲鳴もあがる。


 しかし実際には何事もなく、衛兵たちは大汗をかきながら人の波を強引に割り、秩序を取り戻そうとする。


 それが何度か繰り返され、日はさらに傾き……。


「…………おおおおっ!」


 どよめきが上がった。


 バルコニーの方に、動きがあった。


 人が出てきたのだ。


 設営が始まった。


 椅子やテーブルを運びこむ、そろいの制服を身につけた者たち。


 いかつい重武装の騎士たちも姿を見せ、事前点検と周囲の警戒を行ってから、所定の位置に槍や旗を掲げて立つ。


 中央に貴賓(きひん)席。

 その後方に随員たちの席。


 次いで、ぞろぞろと、特に宣告されることもなく、下級貴族が入ってきた。

 この場の記録をつける秘書官や、求めに応じて身分の高い招待客に飲食物を差し出す給仕たちなどだ。


 ラッパが吹き鳴らされ、露台上の全員がびしりと直立した。


 バルコニーの出入り口の上に、タランドン侯爵旗とカラント王国旗が交差して掲げられた。


 美声の侍従が、登場する貴族の位階と名前を声高に宣言する。


 呼ばれるたびに、第四位貴族が順々に出てくる。


 バルコニーに近いところにいる下級貴族や裕福な市民から拍手が送られる。

 もっとも大半の平民は見物し、あれこれ言い合うだけである。


 主賓(しゅひん)クラスの登場が始まった。


「第三位貴族、カンプエール領領主、北方の雄、『無敵の防壁』、海神レーアの申し子、フィルマン・ファスタル・ファス・カンプエール侯爵閣下!」


 大歓声があがった。

 いや、この貴族の場合、本人よりも、随行している騎士の方に人気があった。


「テランスさまぁぁぁぁ!」

「お顔を見せて!」

「きゃああああああ!」


 カンプエール侯爵家筆頭騎士、騎士の中の騎士、テランス・コロンブは女性からの人気がきわめて高く、長身美形の彼に対して黄色い声が猛烈に飛んだ。


「ちょっと待って、テランス様の()()()()は誰!?」

「まさか、奥様?」

「うそ、テランス様は独身のはずよ!」

「恋人!?」

「いやああああああ!」


 テランスと並んで、割と長身の、ズボン姿で、ベールをつけて顔を隠している女性が入ってきた。


 色の濃い生地に銀糸の刺繍をほどこされた優美な衣服ではあるが、動きやすさの方を重視している、いかにもつい先ほど到着したばかりという風の旅装だ。

 細く長い剣を体に沿わせるようにして携えている。テランスと同じ、護衛騎士か。


 あのバルコニーに、侯爵の随員として現れ、筆頭騎士の隣を歩くということは、十分に身分のある令嬢であろうが……。


「ありゃあ、美人だ!」

「間違いない!」


 めざとい男たちは、顔を見せていない相手に対してそう断言した。

 実際、歩みにつれて浮かぶその女性のスタイルはすばらしい。歩き方も、貴婦人というより女騎士、武人のそれであるが、実に優雅。ベールの縁からわずかにのぞくあごや口元の滑らかなつくり。見る者が見ればそれだけで顔全体の美しさを容易に想像できる。


 テランスと並ぶと、長身の美男美女で実に良い感じである。

 見事な男女を従えるカンプエール侯爵も、本人は横幅の方が広い男だが、十分に貫禄ある、大人物に見えてくる。


 カンプエール侯爵が最前列の椅子の前に、美男美女がその背後の座席の前に立つ。


 この後の、タランドン侯爵の登場と着席までは起立したままだ。


 ――そのタランドン侯爵および侯爵家の者たちが入ってくる前に。


 何の宣告がなされることもなく、出遅れた侍従のようにするりと、優男と、胸の大きなメガネの女性が現れて、賓客(ひんきゃく)たちと大きく離れた、端の方の席についた。


 あれは誰だと気にする者もわずかにいたが、大多数は完全に無視した。

 いよいよ、主役が登場するからだ。

 たとえ悪役であっても、主役は主役。


 タランドン侯爵、その人。


「第三位貴族、我らが貴きカラント王国、西の守護神――」


 宣告が始まるなり、大歓声、いや大喚声(かんせい)が湧き起こった。


「くそじじい!」

「王さまのかたき討ちも考えない腰抜け!」

「わざわざ俺たちを頼ってきてくださった王女さまを差し出す卑怯者!」


 普段は堂々たるたたずまいの領主として、王国草創期以前からこの地の長としてあり続けた一族の末裔(まつえい)として、尊敬され賞賛されていたものだったが。


 広められた噂とその内容は、十分に評価をひっくり返すに値するみっともないものだった。


 沸き立つ群衆、無数に浴びせられる罵声に、広場の衛兵やバルコニーの騎士たちが動揺する。気色ばむ。武器に手をかける。

 やれるもんならやってみろ、と血の気の多い連中が挑発する。


 タランドン侯爵は、何も聞こえていないかのように妻や子供たちを連れて登場し、周囲の貴顕(きけん)の礼を受けてから着席したが――。


 その姿は、これまでの、遠目にもすぐそれとわかる威風堂々たる大領主とはまるで違った、頼りない老人でしかなかった。


 その変貌ぶりも、大多数の人々にとっては、自分の悪行が広まったせいでの心痛と見えた。


 噂は正しいのだ。

 侯爵は本当に、王女を見捨てガルディスに尻尾を振るつもりだ。

 あんな風に老いさらばえているのがその証拠。もはや王家を支えこの領を守り続ける気概がなくなっているのだ。


 近くにいて、侯爵の姿をしっかり見ることのできる層の間に、そのような認識が広がっていって。


 背後の、小さくしか貴族たちの姿が見えない民衆にも、その空気は伝わっていって。


 広場は完全に、タランドン侯爵の裁判、断罪の場のような雰囲気に支配された。


 これを払拭(ふっしょく)するには――噂を、事実で否定するしかない。


「タランドンの民よ!」


 侯爵本人ではなく、その息子、次男がバルコニーの端に進み出て、若き日の侯爵はこうであったと推察される、力強い声を張り上げた。


 その声は、かたわらに控える魔導師が使う拡声の魔法具により、広場中に響き渡る。


「いま、この街に、何の根拠もない、でたらめな噂が流れている! そのようなものに惑わされてはならない! 第四王女殿下がこの地に逃れてこられたというような事実はない! 噂で言われている少女というのは――この者だ!」


 おおおおお、と地鳴りのような声が広場に満ちた。


 バルコニーの上に、華奢な、貫頭衣一枚きりの少女が引き出されてきた。


 分厚い、武骨な首輪をはめられ、そこから縄が伸びて、刑吏(けいり)であろう、剣ではなく棒を携えた男に引っ張られてよたよたと歩いてくる。


 何の高貴さも感じさせない足取りと、それなりに整ってはいるがこれが王女だと見るには無理がある顔かたち。ぼさぼさの髪、重たいものを背負わされているかのようなだらしない姿勢。生気を感じさせないうつろな表情。


 貴賓席でぐひひっという笑い声が起きた。異性の好みがきわめて特殊であるタランドン侯爵の三男だった。


「見よ! この、ルナという奴隷が、お前たちが無責任に言い立てた、第四王女殿下に見えるのか!?」


 次男の問いに、ざわざわざわ……と、広場に困惑の波が広がった。


「この者は、『剣聖』とたいそうな名で呼ばれている剣士の、持ち物にすぎない!」


 言葉の内容が群衆に理解されるだけの時間がたっぷりと空けられてから、また大声が放たれた。


「この者の主である『剣聖』と呼ばれし者には、とある事件で罪を犯した重大な疑いがある! フィン・シャンドレンなる者よ、ただちに姿を現し、真実を語れ! さもなければお前を罪人と確定し、お前の持ち物であるこの奴隷に、お前に代わって罰を与える! お前が真に剣聖の名に値する者であることを、我らに示してみよ!」


 宣言に続いて、バルコニーの縁に、柱が立てられた。


 大人の背丈ほどの丸太。

 それに、『ルナ』という少女奴隷はしがみつくかたちにされ、両腕を縛られる。


 いちおう刑吏ふたりで警戒していたが、ルナは暴れることも騒ぐこともなく、何もかもあきらめたような、おとなしいものだった。


「もうじき、陽が沈む! あの塔に当たる陽光が消えると共に、この奴隷を鞭で打つ! お前が犯したとされる罪に相当する数、二十を打つものである!」


 ざわわっと、海鳴りのような声が湧き起こった。


 犯罪者への鞭打ちは、一発でも大の男が絶叫し痛みに泣き叫ぶひどさである。打たれているうちに死んでしまう者も少なくない。

 それを、奴隷とはいえ、あのような小さな女の子に!


 ――非難の声は、ほとんど上がらなかった。


 ひどい、何てことを、かわいそうと、口々に言いはするものの、これまでのような強い声を上げる者は出てこない。


 人間は残酷なもので、王女ではなかったという落胆が即座に、残酷なショーを待ち受ける昂揚感にとって代わったのである。


 ふひひっと、バルコニーの上でも嗜虐(しぎゃく)的な喜びの声を上げた者がいた。


「さあ、いさぎよく現れよ、この者の主人よ! あの光が消える前に!」


 侯爵次男が示す、城のあちこちに立っている尖塔のうちのひとつ。


 今はぎりぎり西日が当たり、最上部が輝いて見えているが、あと少しでそれも消えるというのが誰の目にも明らかだ。


 それきり声は放たれなくなり、無数の視線がじりじり明るさを失って行く尖塔に集中し――。


 ビュゥッ。


 まるで、何かが始まることを告げるように、それまでとは違う強い風が吹いて、広場のそこら中に立っている旗竿の先、紋章旗や国王旗が大きく広がりたなびいた。


「…………()()っす」


 バルコニーの上で、メガネの魔導師がささやいた。


「認識阻害の布をかぶったやつ。魔法具持ち。広場の、右の方から、人にまぎれてじわじわと近づいてきてるっす。『流星』で一気にここへ飛びこんでくるつもりじゃないっすかね」


 彼女のメガネは、魔法具でもあった。

『検索』と同じように、魔導師が体内に宿す魔力や所持する魔法具を見抜くことができる。


「あの様子だと、見つかってるとは思ってないっすね。

 さあ、私たちみんなで、『剣聖さん』をやっつけるっすよ」


 ついに尖塔から輝きが消えた。


 刻限が来た。




万全の準備を整えてフィン・シャンドレンを待ち受ける『風』の者たち。これまで大いに役立ってくれた認識阻害はもはや通用しない。だがぼろ布の中の者はそれに気づいているのか。次回、第91話「剣聖登場」。残酷な表現あり。


※本編では説明されない設定

タランドン侯爵の長男は、国境城塞もしくはその背後の補給基地におり、この場にはおりません。

また少女を鞭打つという残酷な場に立ち会うため、孫などの若い者、幼い者もおりません。

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