66 水の街
本編です。カルナリア視点に戻ります。
東から西へ流れる大河、エラルモ河。
その雄大な流れを、堅く広い台地が受け止める。
それにより流れは北へ向きを変える。
エラルモに削られない、堅牢な台地の上に築かれたのが、初期のタランドン城である。
西のグライル山脈から流れてくるグリ川、南から北流してくるミラン川もここで合流する、おおむね「十」のような地形の、左上。
台地に最初のタランドン城が築かれ、その周囲に街ができた。
次に街を囲む城壁が築かれた。
タランドン領の発展と共に、城は拡張され、街も広がった。
台地の上は、巨大な城郭を中心に、長大な城壁に囲まれた、安全な貴族街となり。
グリ川に橋をかけてつながった、「十」の左下に、庶民の街がふくらんでいった。
大河の流れは変えられないが、それ以外に人の力でどうにかできるものは可能な限り整理され掘削され、庶民街は、網の目のような水路がはしる、水の街となった。
四方の流通の一大拠点、王国西方の中心都市にして商業都市でもあるタランドンは、今もなお膨張し続けている。
(…………見えました!)
平原を疾走し続けるカルナリアの前方に、「山」が浮かび上がってきた。
違う。
都市だ。
無数の尖塔。
重厚な城郭。
長大な城壁。
裾野のように広がる家々。
カラント王国最大の都市はもちろん王都だが、それに次ぐ、王国西部の大都市。
見覚えのある光景だ。
カルナリアは十歳で『お披露目の儀』をすませた後、顔見せと見聞を広めるために王国をひととおり回った。その際に立ち寄っている。
馬車の長旅にうんざりしていたところに、見えましたという声を聞いて、すぐに窓を開けて身を乗り出し、ひどく叱られたものだったが――。
その時に見たものと同じ。
(まさか、こんな形で、再び訪れることになるなんて……!)
前の時は、見え始めてからも、到着するまでにかなりかかったものだが。
疾走している今は、ぐんぐん大きくなってくる。
『足場』の下を行き交う人が増える。
最初の建物が現れる。
王国西部でよく使われている、青い色の屋根瓦。
タランドンが「水の街」と言われるゆえんの、いくつもの水路が足の下できらめく。
城はまだ遠いが――。
幅広い、南から北流してくるミラン川を、一歩だけで飛び越えて――。
(とうとう、着きました!)
カルナリアは、第一の目的地に到着した感動に浸った。
前に来た時には見られなかった、上からのタランドン。
青い屋根の建物がほとんどの市街。
そのあちこちに石造りの塔が建てられている。頂は尖っておらず、王の色、橙色で塗られている。『流星伝令』は庶民の家屋を踏むな、ここを足場にして行き来しろ、という意図なのが容易に見て取れた。
橙色は広い市街地のあちこちに見える。
自分たちの場合、あれとあれとあれを踏めば城に着く、というルートがすぐにわかった。
つまりあと数歩で、この空中疾走も、フィンとの旅も、終わる……。
(…………え…………でも……)
しかし、はたと思い出す。
(わたくしの本当の身分も、目的も、伝えていませんから……もしかして!?)
その気づきとほぼ同時に、フィンは速度を落とした。
明らかに、城に入るつもりがない動き。
フィンには城に入る理由も侯爵に会う理由もないのだから当然ではある……が!
(あああああっ!)
無数に連なる青い屋根や網の目のような水路を飛び越え、ふたつ目の足場までは踏んだ。
しかし三つ目の塔ではなく、見下ろした先にある広場を目指した。
グリ川の向こうの城でも貴族街でもない。
その手前の、庶民街。
人はそれなりにいるが、混雑というほどではなく空間が沢山ある石畳の広い場所、一面は水路に面している、そこへ。
(城へ! お城へ行ってくださってよいのです!)
カルナリアの心の悲鳴などまったく無視して、着地してしまった。
ぼろ布が慣性で前側にふくらむ。
両足がしっかり地面を踏む。そのまま滑って石畳に四本の線が引かれる。もっとも『流星』の魔力に守られて、足首も靴も何ともない。
完全に停止してから、『流星』が止められた。
ふたりの足首の光が消えた。
「二人の体は離れても、熱い気持ちは忘れない」
カルナリアの口がフィンと同時に動いて宣言する。
次の瞬間、体の支配権が戻ってきた。
「わ…………!」
つながっていた手が離れ、自分ひとりになる。
少し寂しい。
「……私が決めた言葉ではないからな。文句は開発者に言え」
フィンが冷ややかなものを漂わせて言ってきた。今の、終了の宣言についてだろう。
しかしカルナリアは――。
「すばらしかったです!」
熱い気持ちのまま、フィンに飛びついた。
城へ行けなかったことは残念だ。
だが、『流星』の使い方を体がおぼえた今では、大した問題ではない。フィンを説得し、ここからまた飛べばいいだけのこと。
それよりも、「飛んだ」感動の方が大事だった。
風になり、空を舞い、城を飛び越え、雲を突き抜け、鳥よりも速く飛んだ!
一生忘れることはないだろう。
それを経験させてくれたフィンに、ぼろ布に、感謝と感動ととにかく盛り上がる感情のままにしがみつき――。
「逃げるぞ」
かかえられて、走り出した。
広場中の人間がこちらを見ていた。
当然だ。まばゆい光を放つ『流星伝令』が突然降りてきたのだから。
前に子供たちの突進を軽やかにかわしたフィンが、自分の抱擁から逃げなかったのは、かかえ上げるためだったのだ。
最初から見込みをつけていたらしく、広場の端から街路に駆けこみ、さらに建物と建物の間の路地に入りこむ。
誰もいないそこでカルナリアを下ろした。
一度視界から外れてしまえば、認識阻害の機能が発揮され、後を追ってきた者に見つかることもなくなる。
「もう少ししたら、さっきの広場に戻るぞ」
カルナリアはきつめに巻いていたマントをゆるめ、フードをかぶり直した。
これも認識阻害機能がある。前の持ち主を思うといささか気持ち悪いが、何かとフィンの陰に隠れなくてもよくなるというのはありがたいことなので、便利さを優先して我慢した。
複数の足音が追いかけてきた。
「くっそ、いねえ!」
「どこいった!?」
人相の悪い、「色」も悪い男が二人、姿を見せる。
その後ろから、これもいかにもすばしっこそうな少年がついてくる。身なりはみすぼらしい。
さらに何人も続いて街路に駆けこんできた。
どれもこれも、「悪い色」をした者ばかりだった。
路地にひそむ自分たちに気づくことなく、彼らは通り過ぎていったが――。
「……油断ならない街だな」
「はい……」
『流星伝令』は高位貴族が使うものなのに、降りてきた途端に群がってくるとは、判断力も行動力もある意味大したもの。
「まず何か食べて、それから宿を探そう、今日こそゆっくり休みたい――む?」
妙な気配がした。
ざわめき。大勢の人の動き。感情。
カルナリアでもわかるほどに、はっきりと、異変が起きた。
広場の方だ。
「また来たぞ!」
声がした。
カルナリアは広場に戻りかけて、後ろからフィンに服をつままれ止められた。
認識阻害のマントをつけていても、油断してはならない。
片目だけ出して様子をうかがう。
「!!」
緑色の、まばゆい星が。
『流星』が。
広場に降りてきたところだった。
先に自分たちが降りたことで、広場中の人が視線を向け、広場を囲む建物の中の人たちも窓という窓から顔を出している。
その注目されるど真ん中に、人が立っていた。
フードをかぶっているが遠目にも女性とわかる体型。
立っているその足首に、緑色が輝いていて。
そのせいで効果は破れているが、体にまきつけているマントが、自分がまとっているものと同じものだった。
地面に輝く緑星を目印にして、次の緑星が。
さらに次が。
次々と、複数、降りてきた。
みな、同じマントに身を包んでいた。
(あ、ありえないですっ!)
この国に二十二個しかない、とてつもない貴重品。
自分がひとつつけているそれが――七つも!
そのことに愕然としたが、次の瞬間、背筋が凍った。
七つの、緑星。
遠巻きにされているその者たちは、みな頭も包みこんで、顔をまったく見せていないのだが。
その中に、ひとりだけ。
布地が違うマントをまとっている者がいて。
その男は、着地した途端に、上半身を前に大きく傾け、ひどい猫背になったのだ。
その傍らには、自分と大差ない、ひどく小さな姿もあった。
「ひぃぃっ!」
思わず恐怖の声をあげた。
あの七人が追ってきた!
『流星』を、全員が使って!
はるか後方へ置き去りにしてきたと思っていたのに。
やっと安心できたというのに。
ガルディスの強い意志を感じた。
各地で貴族軍と戦い始めている今、『流星』は何よりも貴重だろうに、それを七つも――自分がつけているこれも含めると八つも、彼らに持たせていたのだ。
すべては、カルナリアが持つこの『王の冠』を手に入れるため。
手に入れないと破滅しかないのだから。
……その理屈は、頭ではわかるが、だからといってこれほどまでに大盤振る舞いをしてくるとは思いもよらなかった。
逆に言えば、あの七人は、ガルディスが自分の運命を託すほどに、強く、優秀な追っ手だということだ……!
「……む。あいつらか。同じものを持っていたとは……ここまで追ってくるとは、まったくもってめんどくさい奴らだ」
フィンも気づいたようで、すぐにカルナリアを引っ張り、移動し始めた。
道などまったくわからないが、とにかく広場から離れたい一心でひたすら足を動かす。
そして、自分の足の遅さ、動きの悪さにぎょっとした。
先ほどまでの軽やかな動きが全然できない。
今までよりずっとなめらかに動いて、速く走れていることはわかるのだが、理想と合致しない。身長が、体格が、筋力が、脚の長さが違うせいだ。
そのせいで、後から追ってくる七人に追いつかれてしまいそうな気がしてならない。
(大丈夫です、ここは大きな街です、人もたくさんいます、まぎれこめば、そうは見つからない………………っ!?)
カルナリアの体を、妙な感覚が貫いた。
魔力。
一瞬だけ、魔力が風のように通り過ぎていった。
(今のは……?)
体には何の変調もない。
呪いというかたちで経験した、精神への影響も――怖い、逃げたいという気持ちはそのままで、変化した感じはしない。
何だろう。
いや、どこかで経験したことがある。
走りながらカルナリアは記憶を探った。
目の前を、このタランドンの特徴でもある、水路が流れていた。
そこにかけられた細い橋を駆け抜ける。
橋の下を、荷物を積んだ、一人で操る細長い舟が通り過ぎてゆく。
(橋……)
思い出した。
巡行の途中で経験していた。
橋を渡る前に、館に入る前に、部屋に入る前に。
同行していた魔導師が、王女の行く先に『透過』や『盗聴』はじめ何らかの魔法具、魔法の仕掛けが施されていないかを調べるため、魔力を放っていた。
人でも物でも、とにかく魔力あるものを見つけ出す魔法。
確か『検索』と言ったはず。
王宮ではカルナリアのいない間に行われていたが、旅先となるとそうはいかないために、カルナリアの前で行われ――波のように周囲一面に放たれる魔力を感じとったものだった。
(それって……!)
意味がわかり――走るカルナリアの全身に恐怖の鳥肌が浮いた。
あの七人の中には魔導師がいる。
その魔導師が、大規模な『検索』魔法を使ったのが今の感覚だ。
自分の足には強い魔力を宿す『流星』がついている。
自分の首輪の中には、『流星』よりもはるかに強い魔力を秘めた魔法具――この国で最も強大な魔法具がある!
ということは……!
「みつけたーーーーーーっ!!」
甲高い、子供の声がした。
その声をカルナリアは知っていた。
目の前で耳にしたことがあった。
思わず振り向くと。
駆け抜けてきた路地ではなく、建物の屋根の上に、小柄な姿が――足首を緑色に輝かせている、あの子供がいた。
今、自分たちがいるのは水路沿い。
丸見えだ。
認識阻害の布地も、それを使っている者だからこそ、見破る方法を持っていると考えるべきだった。
甲高い――ドルーで聞いた、あの七人が使う笛が吹き鳴らされた。
別な緑の星が宙に現れた。
ひとつ、ふたつ、みっつ。屋根も水路も飛び越えて、走る自分たちの、先の方へ回りこむ。
(先回りされた!)
思わずたたらを踏んで、うろたえる。
これでは、『流星』で飛び上がっても、取り囲まれ捕まってしまうだけだ。
地上にも、現れた。
後方――今渡った橋の向こうに、七人のひとり、巨漢が姿を見せていた。
前に傭兵が持っていたのと同じような、投擲用の槍を手にしている。
体を貫かれて目の前で死んでいったイルディンの姿がよみがえってしまい、カルナリアは硬直する。
「狭いところへ潜りこめ!」
フィンの声に背中を叩かれ、動けるようになった。
確かに、自分たち細身の女なら入れても、後ろの巨漢は入れない狭い路地なら!
カルナリアは建物と建物の間にいけそうな隙間を見つけた。
――風切り音が鳴った。
槍ではない。
ビュンビュンビュンビュンと、異様な響きが連続して。
ガツッと、壁に食いこむ激しい音がひとつ。
その音は、自分のすぐ後ろからした。
「あ………………ああああああっ!」
フィンが――ぼろ布が、太い矢によって、壁に縫い止められていた。
ついに追いつかれた。敵はフィンの戦い方を知っているために飛び道具で狙ってきた。はたして生き延びられるのか。次回、第67話「身代わり」。暴力描写あり。
※本編で説明されることのない裏設定
前にドルー城で『5』が「検索」を使わなかったのは、軍事施設には当然「検索よけ」の魔法がかけられているからです。じっくり攻略していけば破ることのできる能力を持ってはいますが、周囲が敵だらけの所でその余裕はさすがにありませんでした。
また『風』の七人は認識阻害魔法を破る魔法具を持っていますが、常時発動させておくのはさすがに非効率的なので、ドルーの街では宿を特定するまでは使っておらず、そのせいで広場でフィンに気づけませんでした。追われている王女が屋台飯を路上で食べていることを想定する方が無理というものです。




