64 流れ星ふたつ
「何でも…………ううむ」
自分から切り出したのに、フィンは言いよどんだ。
「どうなさいました?」
「使うのが久しぶりなのと――使い方が、な」
「道具ですか? 危ないものだったりします?」
「そうではないが…………同調の――『傀儡息吹』というものだ」
「傀儡っ!?」
奴隷には難しい語彙のはずだが、理解できたのでつい反応してしまった。
「お前の体を、私と完全に同じように動く状態にする。お前の意志とは関係なく、勝手に、私と同じ動きをするようになる」
「ご主人さまと……」
理解はできた。
確かにそれなら、カルナリアだけがひき肉になる可能性は軽減されるだろう。
「……そんなものがあるのなら、最初から使ってくださればよかったのでは?」
「使われる側、つまりお前の、心の問題だ。これは、使われる側が、自分の体を支配されることを受け入れてくれなければ、効果が発揮できない。何をするのか、どんな動きをするのかまったくわからないというのと、こういうことをすると先に知っているのとでは、抵抗感が違うだろう」
「それは……そうですけど……命令してくだされば……私は、奴隷なのですから……」
「あいにく、人間の心は、そう簡単にはいかないからな。私としても、抵抗されてやり直すのは避けたい。めんどくさい。今後のこともある。使わずにどうにかなるならその方がよかった」
「…………」
「私の方の問題もある。お前がどのくらい動けるのかを先に確かめておかないと、私の動きと同じことをしたお前の体が壊れる可能性もあった」
ぼろ布が、潰れた。
地面に落ちた円錐形から、片脚の靴が出てきて――ほぼ反対側に、やはり靴が出てきた。
ほぼ百八十度の、柔軟な開脚。
「これをやって、股関節を脱臼されても、な」
「…………よくわかりました」
円錐形は元の高さに戻った。
「それでまず――あの『流星』を使うために、私に体を支配されるのを、受け入れることはできるか?」
「……はいっ!」
確かに、自分の体を他人に動かされるというのは、怖い。
だが今の――自分たちがおたずね者にされ、包囲網を敷かれている現状では、『流星』で突破するしかなく……。
自分の目的のためにも、受け入れるのが最も良い方法だった。
フィンも、こちらが体を壊さないように配慮してくれているのだから、拒む理由はない。
「そうか…………ううむ」
しかし、いい返事をしたはずなのに、フィンはまた困ったようにうなった。
「他に何か問題が? そういえば使い方がどうとか……」
「ああ、そこだ……前科がな……」
「前科、ですか?」
「まあいい。やってみれば」
「待ってください! 先に説明を!」
フィンはさらにうなり、ためらった。
「…………これを使い、支配を受け入れる時――自分の体を明け渡す、その瞬間はな」
「はい」
「とてつもなく、気持ちいい」
「……………………はい!?」
カルナリアが目を白黒させた次の瞬間、フィンの手が布から出てきて、カルナリアの顔をはさみこんでいた。
「ひゃ!?」
「お前には、前科がある。したがって、これにもはまり、くせになってしまうかもしれない――だが、受け入れると言ったし、ここまで説明してからやめるのも、もうめんどくさい……したがって、このまま、やる」
「ひゃひっ!?」
しゃべりながらフィンの指がうごめいて、カルナリアの頬や首筋、耳の後ろなどを甘やかに刺激してきた。
それと共に痺れが全身にはしり、別な意味でカルナリアは硬直してしまう。前科という意味を理解する。
あの妖しい、いけない、危険な感覚……それを自分はすでに知ってしまっている!
「まっ、おっ、お待ちをっ……!」
「本当にいやなら、逃げていいからな。『彫刻神の指輪』は使わない」
恐らくあの麻痺の指輪の正式名なのだろう――だが今は、それどころではなく。
「『傀儡息吹』、発動」
フィンの体に魔力がはしった。
腕から手へ、指へ、カルナリアの体へ、伝わってきた。
「!」
カルナリアはびくっとし、鳥肌を立てる――が、支配を奪われた感じはしない。動こうと思えばまだ動ける。
緊張と――期待で、胸が激しく打つ。
「落ちつけ。まだだ。深呼吸しろ。楽にしろ。深く吸って、深く吐け……」
「すぅぅ…………はぁぁ……」
確かに、ひどくドキドキして体がおかしくなっている状態では、受け入れるというのは難しいだろう。
カルナリアは言われるままに深い呼吸を始めた。
「もっと、いっぱいに、吸って……すべて、吐く……」
その通りに、大きく吸って、大きく吐く。
徐々に動悸が、体の火照りが、落ちついてくる。
「そのまま……続けろ……」
フィンの手が動いて、カルナリアの目を覆った。
一瞬ゾクッとなり、体が震えた。
もう片方の手があごから首の後ろに回り、そこを支えつつ、やんわりと額の手に力がこめられて、顔が上向きにされる。
その状態でさらにカルナリアは深呼吸を繰り返す。
一度固まった体がまたゆるんでくる。
確かにこれは気持ちいい。
体に魔力がはしったが何もおかしなことは起こらず、フィンの手はただただ心地よく、こちらの深呼吸に合わせて微妙に力をこめたり体を揺らしたりしてくれて、心が落ちついてきて、ただ深呼吸したのと違う、体が浮き上がるような感覚が広がってくる。
緊張や興奮とは別種類の――寝入りばなに体がピンと張るような、手足のぴくぴくした震えも起きた。
「………………」
何かが動く気配を感じた。
感じただけで、カルナリアは眠りこむ寸前のような、うっとりした心地で深呼吸を繰り返すだけで――。
そこに、突然、何かが押しつけられた。
唇をふさがれた。
限界まで吸って、吐こうとした、その瞬間だった。
「んむっ!?」
唇がやわらかなものにふさがれた。
(くちびるっ!?)
ふさぐものの正体を、稲妻のように、察した。
ひとの、唇だ。
つまりは――フィンの!
強い魔力を感じる。
魔法具。発動した。
一瞬だけ反発した。
しかし――それ以上の、圧倒的な、ぬめりと熱さとやわらかさと――快感がやってきた。
「すぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……」
吸われる。
吐気を吸われる。
それと共に、あらゆるものが吸い出されてゆく。
自分の息を、体の中身を、頭の中を、心を、すべて、吸いとられる。
それが、気持ちいい。
何もかもなくなるのが、たまらなく、いい。
(だめっ!)
人としての本能で、自我を失う恐怖に抗う。
しかし、舌先にぬるりとした熱いものが触れて。
(!!!!!!)
白い光が炸裂して――。
すべてが溶け崩れ、何もわからなくなった。
カルナリアは空っぽになる。
真っ白になる。
「ふううううぅぅぅぅぅぅぅぅぅ…………」
そこに、今度は熱いものが流しこまれてきた。
カルナリアの空っぽの頭の中に、体の中に、支配の魔力が。
自分の中に相手が満ちる。
自分のすべてが、相手のものにされる。
それがわかって……新しい自分になったという感覚が――。
(ほわああぁぁぁぁぁぁ……………………しあわせぇぇぇぇ…………!)
嬉しかった。
もうどうしようもなく、幸せで、気持ちよくて、たまらなかった。
気がつけばカルナリアは崩れ落ちて、地面の上で、ぐねぐねと体をのたうたせていた。
もう何も考えなくていい、気にしなくていい、すべてはご主人さまのものという陶酔にどっぷり浸かり、体が勝手に痙攣して止まらない。
「起きろ」
「……はい……」
カルナリアは声に引っ張られるように起き上がる。体はまだ熱さに満ち、気持ちよさの波が打ち寄せ続けている。何もかもふわふわする。どんなことを言われても受け入れ、信じ、その通りにしてしまう。何でも言うことをきく。
「しっかりしろ。これで、同調の準備は整った」
「は…………はいぃ…………」
カルナリアの目は朦朧として、ぼろ布を見上げる瞳は熱く潤んだままだ。
もっとしてほしい。自然と顔が上がり目を閉じ唇を突き出し――。
額を弾かれた。
「きゃうんっ!」
まだ少し残るこぶの痛みで、カルナリアは何とか我にかえった。
何をされたのか、自分がどう反応したのかを理解して、真っ赤になって顔を覆った。口に指をあてがった。先ほどの感触が口の中でよみがえった。腰が熱くなった。
「こうしないと使えないものだったからな。すまなかった」
「い、いえ、謝ることは、なにひとつ……わたくしの方こそ、もうしわけありません……その…………すごかった……ですから……」
フィンをまともに見られない。
両脚を擦り合わせてもじもじとしてしまう。
「やっぱりそうなるか。お前ぐらいの歳でこれを経験させると、はまってしまうから、危険なのだが……まあ仕方ない。二度とはやらないからあきらめろ」
言われてショックを受けた――が、別なことにも気づく。
「……あの、私、まだ、体、普通に動きますけど……」
「この段階から同調したら、同じ方向へ動けないだろう。……製作者は、最初はその失敗をやってな。同調させた者同士が、向かい合ったところから完全に同じ動きをするものだから、並べて立たせることができなかった。だから修正した。お前の体は、この後、私が宣言した時から同じように動くことになる」
前後を慎重にうかがい、誰もいないことを確認しながら、街道に向かった。
「製作者の方と、お知り合いなのですか?」
「昔、私の動きを他の者に伝えさせたいと頼まれてな。私も、剣が上手くなる者が増えるなら楽ができそうだと協力したのだが――」
「じゃ、じゃあ、他の方と――殿方とも、今みたいに!?」
カルナリアの目が危険な色に染まる。
「――最初は、息を通す、筒だった。それをお互いにくわえた」
「……それならそのままでよかったのでは?」
「却下された。体を明け渡すという大事をするのだから、それだけの覚悟を示すやり方でなければと。直接肉体を触れ合わせる方が効率もいいと。
まあ本音は、年配の騎士が騎士見習いの少年に、という光景を見たかったからだと、今のこれが完成した後で白状したが」
「…………騎士さまと、見習いは、どちらも男性ですよね?」
「そうだが」
「………………」
世の中は広く、様々な者がいる。カルナリアは学んだ。
「さて」
東西にはしる街道。
いよいよ太陽が姿を見せて、まだ湿っているが草の生えていない道が地平の向こうへ延びてゆく、雄大な風景が見えるようになってくる。
「これを目につけろ」
薄い、恐らくガラスだろう、楕円形の板がふたつ並んだもの。
「私はいいが、お前は、これをつけておかないと、目が乾いてつらいことになる。口元も布で覆っておけ」
足首の『流星』はもちろん、背負い袋や衣服のゆるみなどもしっかり確認されてから――。
路上に、ふたりは並んで立った。
大小ふたつの、長い影が伸びた。
フィンは円錐形。
カルナリアも、首から下は例のマントをしっかり巻きつけた、円筒型になっている。
「さあ、行くぞ。タランドンまで、一気に駆け抜ける」
「はい」
お互いに手を握り合えるくらいの距離で。
「お前の体は、私の体。お前の全ては、私のもの」
発動の呪文だろう言葉をフィンが口にした。
次の瞬間、カルナリアは体の制御を失った。
感覚はあるのだが、自分の意志ではまったく動かせなくなる。
ぼろ布がわずかに動いた。
カルナリアの右腕が勝手に上がった。
操り人形のように、体に糸がついて引っ張られ――などという生やさしいものではなかった。違和感は皆無で、そうするものとして当たり前のように動いたのだ。
ぼろ布がへこんだ。
カルナリアは両脚を交差させて腰を落とし、交差させた脚を使ってしゃがんだままぐるりと反対側を向いた。朝日が目に突き刺さってきた。
飛び上がりつつ体をひねり、西側を向いて着地する。
「よし」
「よし」
フィンと一緒に、カルナリアの口も勝手に動いて声を発した。
動作のすべてがフィンと完全に同じにされていることを、カルナリアはよく理解した。
自分はまるで、フィンの体の中に入った、精神だけの存在にされてしまったよう。
それでいて動作の結果、すなわち感触はそのまま来るのだから不思議なものだ。
同時に、驚愕した。
王女として、幼い頃から日常的に優雅な身のこなし方を教えこまれてきた身だからこそわかる、フィンの体の動かし方の、とてつもない洗練ぶり。
腕を上げる、しゃがむ、飛び跳ねる――それだけでも、体の使い方が自分とまったく違う。極限まで無駄を省いた、達人の動作だ。
それが、自分の体で実現される。
こう動くのだ、という実例が自分の体そのもので示される。
確かにこれは、様々な動作が、技が、簡単に伝授できそう。
……体に、ある意志が流れた。
両手が広がる。
ふたりの手と手が、布から出る。
触れ合う。
フィンは手首を曲げ、指を開いた。左右少し違うかたち。
カルナリアの腕先も同じようになり、そのまま接近すると、重なって、指の間に相手の指が入り、それから静かに閉じていった。
ふたりの手はしっかりつながった。
足首の『流星』が――ふたり同時に、発動し、輝き始めた。
いよいよだ。
「行くぞ」
フィンの宣言と同時に、カルナリアも口にした。
前に出た。
赤と緑、横に並ぶふたつの星が、飛翔した。
――早朝の大地を疾るふたつの星の後ろから、七つの、緑の星が追尾していった。
トロトロのメロメロにされたカルナリア。瞳は完全にハートマーク。追跡者たちが死体を埋めている間にこんなことを。そしていよいよ西へ一気に。高速チェイスのはじまり。次回、第65話「西へ、西へ、西へ」。
本編に出て来ない裏設定。麻痺の指輪の正式名「インクラトス」というのは個人名です。彫刻の天才。




