58 包囲網
「なっ…………なにっ…………いまっ……なっ、なにっ……!?」
歯の根が合わないままカルナリアはとにかく訊ねる。
歯に続いて腕も震え始めた。
地べたに座っていたので足は震えずにすんだが、腰は完全に抜けて、立ち上がれそうにない。
「この先に備えて、ちょっとした挨拶と、お守りと、仕掛けを施した」
「あっ……おっ……しっ……!?」
まったく理解できない。
だが説明終了とばかりにフィンは黙りこみ、動かなくなる。
「わっ、わたくしっ、なにっ、なにかっ、わるいことっ、おこらせることっ、しましたかっ!?」
「……いや」
「じゃっ、じゃあっ、いまっ、すごくっ、こわくてっ、こわいっ、こわかった! です!」
涙があふれてきた。
止まらない。
「ああ、この前よりわかるようになっていたのか……悪かった」
ぼろぼろが近づいてきた。
カルナリアは反射的に逃げようとしたが、腰が抜けているのでどうすることもできずに、飲みこまれた。
「よし、よし」
透過の効果で周囲が「見える」中、フィンに包みこまれる。
やわらかく、暖かい。
「悪かったな。今回の呪いがお前にもかかっていたから、そういう攻撃に対処できるようにと、な」
「ぐすっ、そっ、それならっ、先にっ! 言って! めんどくさいの、いやでしょうけど、言葉、足りないです! 足りなさすぎます!」
フィンの胸に顔を埋めて、カルナリアはしばらく泣きじゃくった。
フィンはカルナリアが泣き止むまで、悪かったと繰り返し、背中をさすり続けてくれた。
――そのせいで出発は少し遅れた。
「……あの辺り、です」
エラルモ河に背を向けて、岩の上からカルナリアは荒れ地の向こう側を射す。
まだ目は赤いし鼻もぐすぐす言わせている。
「道が…………あ」
説明するまでもなかった。
数騎の騎馬が、左から右へ、猛然と駆けていったのだ。
恐らくドルー城から、タランドンあるいはその手前の各地への伝令。
移動するうちにも、今度は逆方向からかなりの数の兵士が徒歩でやってきて、急ぎ足で通過していった。
西から東、東から西。
ひっきりなしに――軍人ばかりが通過してゆく。
「近づきすぎてはいけないな」
「はい……」
荒れ地の、まだ濡れている岩の間を縫ってじわじわと道に迫っていった。
雨の後なので足下がぬかるんでいたり、滑ったりもする。
山と違って高低差がそれほどないのが救いだ。
認識阻害の布があるフィンと違い、カルナリアは目撃されないよう気をつけなければならない。
奴隷の少女がこんな所をひとりで歩いているのは注目される。
悪いやつにとっては襲ってくれさらってくれと主張しているのも同然。
また何もされなくとも、自分の存在があの追っ手たちに伝わったら非常にまずい。
道へ近づいてゆく間に、カルナリアの気持ちも整理されて――疑問が湧いてきた。
「あの…………さっき…………私は、何をされたのですか?」
「呪い、その他の危険に対する処置」
あれだけ泣いて文句を言ったせいか、フィンは真っ当に答えてくれる。
「それは、どういうものですか。何であんなに怖かったのですか」
今はもうわかる。
あれは、殺気というものだ。
人が人を殺すという覚悟、意志を、本能が感じ取るもの。
「ああ…………怖がらせたのは……どう言うか……副産物だ」
「副産物?」
「私の持っている道具に、お前を、登録させた…………だが、名簿に名前を書いたら登録、というようなわけにはいかん……道具と言ってもまあ、精霊みたいなもので……お前も一緒に守ってくれと私がきちんと頼まなければ、守りの中に入れてくれない…………だから、少しだけ、本気を出した」
「…………」
挨拶と、お守りと、仕掛け。
それがあの殺気だったというのか。
殺気を放つのが必要だという道具とは。
いや、本気を出したら殺気を感じさせるというのは。
もしかして、このフィン・シャンドレンという人物は……詐欺師でも何でもなく、本当に剣士、剣聖、すごい人なのではないか。
そして、怖い人なのでは…………。
「…………どんな道具なのですか」
「秘密だ。知らない方がいいものだ」
その表現をされると追及できない。
恐怖の理由はわかったが、謎が逆に増えた。
(本当に、このひとは、一体…………何者……)
見ているだけだと、ずるずると岩場や地面を這いずってゆく謎のぼろぼろなのだが。
中身は、すばらしく魅力的な体をした、凄腕の女剣士。
とにかくぐうたらしたがっているが、そうするためにものすごく動き回る、本末転倒にしか見えないひと。
怖いけれども優しい。
強そうだけどそれらしいところが見えない。
わけがわからない。
なのに、このひとから離れられない……。
――いよいよ、道の路面が見えるほどになってきた。
何度も人馬が往来しているため、よく踏み固められ、雨の後でもそれほど通行に支障はなさそうだ。
あちこちに水たまりができて、空の色を反射して輝いている。
道に出ると前後から兵士が現れた時にどうしようもなくなるので、身を隠しつつ道に沿って荒れ地を西へ移動していった。
「……まずいな」
「たくさん、いますね」
声をひそめて言い合った。
小川が道を遮り、並べた丸木が渡されているところの左右が、程よい広さの平地になっており、そこからわいわいと人の声がしていた。
大勢の男。
兵士が、百人近く。
一個中隊。馬も何頭かいる。
西からやってきて、小休止中のようだ。
迂回すべきだが――。
「情報を得たい。近づくぞ」
カルナリアはフィンの後ろに隠れてついていった。
後ろからぼろ布のすそをつかむ。
すぐ円錐形の中に転がりこめるように、そうすることを許してくれた。
少しめくり上げて、目の前で動くフィンの靴を見つつ、『流星』が装着されていることも見て取りつつ、カルナリアは身をかがめて兵士に接近していった。
先ほどの感情爆発で何かが吹っ切れたのか、兵士の集団に近づくことをあまり怖いと感じない。
「……本当かよ」
兵士たちのおしゃべりが聞こえてきた。
「ドルーが落ちたって?」
「城主様と騎士団長がそろってやられたとか」
「嘘だろ、敵が来てるのかよ」
「そうじゃないらしい。数人の賊が入ってきて暴れて、今はもういないそうだ」
「ありえねえ。何やってんだドルーのやつら」
「めちゃくちゃにやられたらしいぞ」
「やっぱり王太子派か?」
「すげえなあ」
「シッ。隊長に聞かれたらやばい」
カルナリアは総毛立った。
騎士団長に直接会い、そのたたずまいも、武の「色」も見ている。
それが、討たれた?
飛んできたあの子供に?
あるいはその後から駆けこんでいった猫背の男たち、「悪い色」の者たちに……城主まで?
こういうことで虚偽の情報を口にしたら罰せられるのが軍隊だ。
まして城主と騎士団長というまぎれもない貴族の死を言い立てるなど、即座に処刑されてもおかしくない。
だが事実のように語られているということは……。
(そんな……!)
街から見たドルー城の異様な気配も当然だった。
あの七人は、城に殴りこんで、討たれずに逃れ出たどころではなかったのか。
たった七人で、そこまでやれるほどの者たち。
(そんな者たちが、わたくしを追っている……!)
今、ここで兵士たちの前に姿を現し、偽装を解いてわたくしは第四王女カルナリアですと正体を明かしたとして――。
この兵士たちはタランドン領の者だから、これまでの王国のあり方通り、王女に平伏し、全力で守ってくれるだろうが……。
それでもあの七人に対抗できる気がまったくしない。
あの強そうだったドルーの騎士団長や城の騎士たちがかなわなかった相手に、普通の兵士がどれだけいても……間近に迫ってきた猫背の男や飛んできた子供、とてつもない距離から矢を当ててきた射手――あの者たちの恐ろしい気配やものすごい技量と比べると……。
ぼろ布の端を強くつかむ。
自分を守ってくれそうなのは、謎ばかりの、このひとだけだ。
「おい、伝令だ」
兵士たちの目がいっせいに西を向いた。
二頭の騎馬が猛然と走ってきて、休憩中の一団を見つけて速度を緩めた。明らかに何かを伝えようとしてやってきた者だ。
隊長と話し――。
「全員、集合!」
大声が飛んだ。
「ドルー城を襲撃し城主どのを殺したやつらの人相書きが回ってきた! これより我が隊は、この付近の捜索任務につくこととなる!」
似顔絵の描かれた板きれを、隊長が高々とかかげた。
「……なんすか、それ?」
「藁、もしくは草の束のように見える布を頭からかぶって偽装しているが、背の高い、女だ!」
「!?」
耳にしたカルナリアはぎょっとした。
「いつもこういうものをかぶっていて、まったく顔を見せたことはないが、凶悪きわまりない、他の国でも暴れ回っていた賊徒の長、賞金首とのこと! 名は、フィン・シャンドレン! 殺してもかまわん! 報賞は金貨十枚の年金と望むままの場所に住む権利、貴族籍!」
おおおお! と兵士たちが野太い声をあげた。
従来の制度が残っているこの領では、普通に働いていたのでは一生かけても得られない報酬だ。
「…………」
一方で、カルナリアは口を開けたまま固まる。
「そしてもう一人、お気に入りらしい、十二歳ぐらいの女の奴隷を連れている! 名はルナ! 右の目の上から頬にかけて、火傷の痕がある! こちらは、色々聞き出す必要があり、絶対に殺してはならないと厳重な指示が出ている!」
「…………!」
後ろの方にいた兵士たちに人相書きが回されてゆく。
「……上手い。けっこう似てる」
深刻さを感じさせずにフィンがつぶやいた。
背が高いので、兵士たちが回覧しているそれが「見える」らしい。
ぼろ布の端を引っ張り首を振って、それどころじゃないでしょうと伝えた。
「逃げないと!」
「静かに」
しゃがんでいるカルナリアの頭から、ぼろ布がかぶせられた。
カルナリアは入りこんで、フィンの下半身にしがみつく。
すばらしいお尻。
……その大ボリュームのふくらみに、緊張や、力の入っている感じは、まったくなかった。
布があるので気づかれないと確信しているリラックスぶり。
そのやわらかさに、カルナリアも何とか冷静さを取り戻す。
兵士たちは、小隊ごとに分散して近隣の村や河べりの荒れ地を探す手はずを指示され、動き出し、いなくなった。
「し……指名手配……私たちが、悪者にされてしまいました……」
しがみついたままのカルナリアは、フィンのお尻から震える声を漏らした。
今の自分の顔を正確に絵にして手配したということは、間違いなく、あの飛んできた子供か猫背の男が伝えたものだ。
あいつらが、タランドン領の軍を動かした。
動かせる身分か、立場を持っているということだ。
しかも、それを伝える伝令は西から来た。
先回りされている。
これから向かう西側に、捜索の網が広げられている。
「この国の貴族とつながりのあるやつがいたのだろうな。自分たちがやったことを私たちに押しつけたか。呪いに続いてこれとは……何と悪辣なやつらだ」
けだるげだが、内心の怒りを示して、フィンのお尻に力がこもって硬くなった。
それでもたっぷり弾力はあって、むしろ心地よくすら感じた。
「どうしましょう……これでは、近くの村で、食べ物をわけてもらうのも……休むのも……」
フィンに背負ってもらって『流星』で逃れるにしても、あれは目立ちすぎる。たちまち周囲の軍勢が群がってくるだろう。きわめて貴重な魔法具を持っているというのは、賊の首領だという手配書の内容に信憑性を与えてしまうだけだ。
「ふむ」
フィンが思案を始め――カルナリアは、ある可能性に思い至って慄然とした。
フィンは、追ってきたあの七人を、フィン自身を狙う賞金稼ぎだと思いこんだままでいる。
彼らの本当の狙いがカルナリア王女および『王の冠』だとは知らない。
それならば……今まさに、「ルナ」は危害を加えられないということが明言され……。
「ルナ」に本当に大事なことは教えていないから――。
自分自身の安寧のためにも、「ルナ」のためにも、自分ひとりで『流星』で逃げて身を隠した方がいいと考えるのでは!?
カルナリアはフィンのお尻に全力でしがみついた。
「おっ、置いていかないでくださいっ、捨てないで! あの人たち、殺さないなんて言ってましたけど、拷問とか、もっとひどいこと、いくらでもやります! 怖いです、いやですっ!」
「……ああ」
フィンの体がくねり――真後ろにいるカルナリアをどうやって撫でるか困っているらしい――優しい声がかけられた。
「捨てたりはしない」
「……!」
何も見えない布の中だが、光が射した心地がした。
「ここまで、ほとんど私の持ち出しだ。ここで捨てたら大損だ。お前には、色々おぼえてもらい、私を楽にさせてくれるまで――元が取れるまで、手放すつもりなどないぞ」
「………………」
カルナリアはフィンのお尻を引っぱたいて外に出た。
「何をする」
「いいところにあったものですから」
とにかくそうしたい気分だった。
仕返しするならどうぞ、と顔を離して小さな胸を張った。
「めんどくさいやつめ」
それだけだった。
相手にされないのも、それはそれで腹立たしい。
頬がぷっくりふくらんだ。
「それで……どうなさるのですか」
「人里にはしばらく入れなくなったから、このまま隠れて、夜になってから移動するしかないな。これ以上賞金を増やされたくないから、盗みはやらないつもりだが、腹が減りすぎたら何か考えなければならないかもしれん。悪いやつらが都合良く通りかかってくれれば、遠慮なく馬や持ち物をいただくのだがな」
「………………」
後半は聞かなかったことにした。
「暗くなるまでここで待つ。体を休めておけ。一晩中、歩いて……走ったり、這ったりもしなければならないかもしれないからな」
「はい……」
「……一晩中か…………まったく……本当に、めんどくさい……!」
一瞬、殺気がぼろ布から漂ってきた。
雨をしのいでいる間に、敵は勤勉に動き続けて態勢を整えた。そして当然、後ろから追ってくる者がいる。次回、第59話「はたらく殺戮者」。




