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52 河賊

カルナリア視点に戻ります。


 舟で追われながら、ドルー城にさしかかる。


 立ちのぼる煙はもうほとんど見られない。


 城側の船着き場には、がっしりした作りの軍船が数隻係留されており、それとは別に小船が数多くつながれている。


 そこをかなりの数の兵士が守っている。


 南門から入りこんできた数人は陽動で、本命の軍勢を河から攻めこませてドルー城を落とすのが狙い――城主はそう判断したのだろう。


 敵は城に突入してきた数人だけ、と考えるのは無理というもの。そんな賊は普通いない。いてもすぐ退治される。


 しかし、あの七人が入った後に城門が閉じられたのに、猫背の男と子供が街に現れたということは。


 城の騎士たちは、彼らを討ち取れなかったということだ。

 捕らえることすらできずに、逃げられた。


 もう間違いない、ガルディスが『王の冠』を奪うために差し向けてきた、とてつもない手練れたち。


 あの子供は、自分とそれほど変わらなく見えたのに、一瞬で二人の首を取った。騎士たちが待ち受ける城内に突っこんでいって大暴れして、生き延びて、出てきた。信じられない強さ。


 猫背の男も、「悪い色」というだけではなく、やはり強かった。衛兵が簡単に殺されてしまった。


 ということは、他の五人も同じか、それ以上に強いのだろう。


 フィンは――まだ一度も剣の腕を見たことのない、この自称女剣士は、あんな恐ろしい敵から自分を守ってくれるのだろうか。


 いやそもそも、生き残れるのだろうか。


 ましてここは河の上、水の上、舟の上。

 本当に剣士だったとしても、勝手が違いすぎるのでは。


「近づいてきてます!」


 カルナリアは後方から迫る舟が怖くてたまらず、何度も振り返り、状況を報告する。


「ちくしょう、ありゃナークとレンダンだ! 速ぇぞ!」

「脅されてんのか? 普通の漕ぎ方じゃねえ!」


 先ほどより距離が狭まり、カルナリアには見えるようになった。


 後ろの舟の「悪い色」。


 あの猫背の男が、舟に乗っていた。

 こちらを見ていた。

 狙っていた。


 悪い色が、腐った糸のように伸びてきて、自分に絡みついてくる心地がする。


「は、早く、早く、逃げてください! 追いつかれたら、殺されます、みんな、殺される!」


 たまらず声をあげてしまう。


「うるせえ! そのくらいわかる! ありゃろくでもねえ、絶対に捕まってたまるか!」

「俺ら、カルディスとディアランの兄弟漕ぎ、あんなやつらに負けるかよ!」


 兄弟であるらしい二人は、確かに息のあった漕ぎ方で、他の舟を何隻も追い抜いていったが――後ろの舟も同じかそれ以上の速度で、少しずつ距離を詰めてくる。


「城から離れろ!」


 フィンが指示を出した。

 聞いたことのない強い声だった。


「弓で狙ってるやつがいる!」


 カルナリアの知る弓矢の射程よりは離れていると思ったのだが。


 城壁の上に、ひとり、立っているのが見えた。


 逆光だが、弓を構えているのはかろうじてわかる。


 夕陽の中に立つその者が、矢を放った。


 届くはずがないと思ったのだが――矢が――宙高く――針のように見えていたのが――ぐんぐんと――こちらへ――(やじり)が鋭く輝きながら、迫り、迫り、迫って、降ってきて!


 ガツッ!


「ひゃあっ!」


 舟に突き立った。


 カルナリアと、前の方の男の中間あたりに突き刺さり、底板に食いこみ、矢羽根がブルブル揺れている。


 恐るべき飛距離、精度、威力。

 人間に当たれば確実に串刺しになっていただろう。


「危なかったな。舟を壊すのではなく、人を狙った(やじり)だ。恐らく漕ぎ手のお前たちを」


「あの距離で当ててくるのかよ! 冗談じゃねえぞ!」

「漕げ、兄貴、いいから漕げよ!」


 少し手が止まったので、後ろの舟はさらに接近していた。


「何か、こういう時に使えるものとか手口とか、ないんですか!?」

「用意はした。もうちょっと近づいたら使う」

「早くしてください!」


 舟は城から全力で離れたので、もう強弓といえども届かないだろう。


 しかし今度は後ろの舟から攻撃されるかもしれない。

 先ほど変な粉を投げこんできた猫背の男が、同じような何かをしてくるかも。


「ティアラン、でよかったか」


 フィンは後ろの男に声をかけた。

 振り向いたのだが、円錐形のままなので彼にはよくわからないだろう。


「お、おう!?」


「私が合図したら、目を閉じてくれ。少しくらい大丈夫だろう?」


「兄貴が、舟の向き、整えてくれるから、わかった、やる」


 激しく漕ぎながら答えるので、言葉は切れ切れになる。


「では――少し、速度を落としてくれ。近づけさせる」


 実際に疲れてもいるのだろう、すぐに兄弟の漕ぐ勢いが弱まり、速度が落ちた。


 後ろの舟が迫ってきた。


 猫背の男の、ぎらつく目と目が合ってしまい、カルナリアは震え上がる。


 カルナリアの正体に気づいている目だ。

 それだけではない、強い怒りを感じる。

 どうしてかはわからないが、相手はものすごく怒っている。個人として、とてつもなく腹を立てている。なぜ。


 隣にいるフィンは――自分にすら伝わる相手の怒りをどれほど、どのように感じているのか、舟の備品のように微動だにしない。


 猫背の男が動く。何かを取り出し、投げようと――舟の上からでは安定しないので遠投はしなかったが、この距離ならいけると判断したらしく――。


「今!」


 フィンが言った。

 弟が目を閉じた。


 猫背の男の顔面が突然輝いた。

 邪悪な顔つきが、真っ白になり、あらゆる影が消えた。

 強い光を浴びせられたのだ。


 相手がよろめき、手から何かが水面に落ちた。


 続いて相手の舟の、前で漕ぐ男の顔が同じように輝いた。


 漕ぎ手は顔を歪め、(さお)づかいが乱れ、舳先(へさき)があらぬ方へ向く。


「よし、漕げ! 思いきり! 全力で!」


 兄弟は猛然と漕ぎだして、後ろの舟と距離を開けた。


 後ろの舟は、こちらから見ると完全に横向きになって、猫背の男が何か怒鳴っていた。


「……何をしたんです?」


「鏡と、明かり。最大で」


 鏡で西日を反射させ、同時に照明の魔法具を最大出力で光らせたということか。


 突然の閃光で目をやられた猫背の男は投げようとしたものを取り落とし、漕ぎ手は方向を失った。


「…………追ってきません」


 あちらの漕ぎ手は、ここまでものすごい勢いで漕いできたせいで、一度乱れてしまうと、もう同じようには漕げなくなってしまったようだ。


「いくら脅しても、漕げないものは漕げない。もう大丈夫だろう」


「やった!」


 前の方の兄が、身をねじって、突き刺さった矢を抜き、尖っているのではなくU字状の、人体を切断するための鋭利な(やじり)に見入ってから、河に捨てた。


 自分たちを救ってくれた陽光が、ほとんど没して、最後のきらめきを残すのみとなった。


 兄弟は先ほどまでの勢いではないものの、それなりに速く舟を進め続ける。


 木立が川べりまで生えているところにさしかかり、それまでは見えていたドルー城の尖塔がまったく見えなくなった。


 つまりは向こうからもこちらが見えなくなったということ。


 兄弟は棹を止め、滝のような汗をぬぐい水を飲んだ。


「これでひとまずは大丈夫だ。追ってきても、もう俺らがどの舟かわかりゃしねえ」


「助かった。感謝する」


「おうよ!」


 陽が完全に消えて、空の残照だけになった。

 それを反射する水面が白い。


 河をゆく船が、舳先(へさき)に明かりを灯し始めた。


 明るいうちは聞こえなかった、接近した船の乗員同士がホーイホーイと警告しあう独特の声。


 水面にいくつもの光が灯り、流れてゆく光景は、危機を脱した安堵感もあって、カルナリアの心を深く打った。


「それで、何だったんだあいつら」

「ドルーの衛兵、殺してたよな。ナークのやつ大丈夫かな」

「城から撃ってきたありゃ、騎士か?」


 前後から話しかけられるフィンは、けだるげに答えた。


「私を追いかけてくる、めんどくさいやつらだ」


「ってこたあ…………あんた、おたずね者か?」


「悪いことはしてないつもりなのだが、私を狙う男が沢山いてな」


「ああ、そりゃあ…………()()()けどよ……」

「男心をもてあそんだなら、そりゃあ、追われるわな」

「けどよ、あんなヤバいやつらが狙ってくるなんて、あんた、おたずね者にしても、かなりまずいんじゃねえの?」


「追ってくるあいつらに聞いてくれ」


 フィンは――かなり眠そうだな、とカルナリアにはわかった。


 ドルーの街でも眠りかけていたし、先ほど食事もした。

 陽も落ちて、このまま寝入ってしまうかもしれない。


 この細長い舟の中で、体を伸ばして眠れるのだろうか。

 座席があるのでそれは難しそうだが、人運びが専門の舟なら、もしかすると何か横になれるような工夫がこらされているのかも。そうであればフィンも自分もようやくゆっくり休めるだろう。


 ……カルナリアは、猫背の男が強烈すぎて、忘れていた。

 自分たちの前後にいる男たちには、「悪い色」が見えていたということを。



 気がつけば、いつの間にか舟はエラルモ河の中央に出ていた。


 前後左右すべてが水面、陸は遠いというのは、この小舟ではかなり怖い。


 しかも空の明るさもほぼ失われて、周囲の船がかかげる明かりが反射しなければ、水面がどこかもよくわからなくなってきた。


「で……こんなところで悪いんだが、今のうちに、金と、この先の話をしておきたいんだがね」


「ああ……急がせたからな。よく詰めないで乗ってしまった。あの金貨で足りないということはないと思うんだが」


「姉さん、あんたの名前を聞いてねえんだ。一応これでもタランドンの役場に登録してる身でな。どこの誰かもわからんやつを乗せて運んだら、色々まずいんだ。そういうのはモグリの、()()()野郎のやることでな」


 線付き――犯罪者に施される首の刺青(いれずみ)だ。


「ふむ……言わないとまずいか?」


「いや、言わないなら言わないでいいぜ。ただし、料金がかなーり高くなっちまうけどな。俺らも危ないことやるわけだし」


 兄の目がスッと細くなった。


 カルナリアは背筋に寒気をおぼえた。

 この兄がひどく「悪い色」をしていたことを、今になって思い出した。


 だがもう遅い。

 ここは彼らの舟の上。逃げ場はない。


「ただな……払わなくてもいい方法も、あるんだぜ」


「ほう」


 背後で弟が動いた。

 兄も近づいてきた。


「あんたが、俺たちのものになってくれればな」


 兄の手に刃が現れた。

 斬るよりも刺すのに適した、まっすぐな剣。


 背後でも金属音がした。弟が、鋭く尖った爪が三本ついた、鉤爪(かぎづめ)を手にしている。


「ひっ!?」


 カルナリアは動揺して立ち上がったが、フィンに座席に引き戻された。

 その動きだけで細長い小舟は左右に大きく揺れる。


 座席に腰かけたまま、フィンは眠そうに言った。


「これは……もしかして、私たちは、襲われる寸前というやつか」


「寸前じゃねえな。言うことをきくか、逆らってこの河ん中に突き落とされるか、そのどっちかしか、もう道はなくなってるんだよ」


「何ということだ。海賊ならぬ河賊(かわぞく)か。いけると思ったんだが、めんどくさい舟を引き当ててしまったのか……」


「いきなり金貨よこす金持ち、おまけにあんたみたいな美人が、ひとりで悪いやつの舟に乗っちゃあいけねえなあ、くひひ」


「いや、弟よ、悪いことなんかしてないぜ? 船賃と、怖いやつらに襲われた分の危険手当を、払わなくてもいいって親切に言ってやってんだからな」


「確かにそうだな、兄貴よ、俺たちの女になる()()でいいんだからな、簡単な話だなあ」


「それとも魚の餌になるのがいいか? エラルモの(クイール)は有名だぜ? 溺れたやつ引き上げたら、そいつの目や口や腹ん中から()()()()出てくるってな!」


「……ルナ、この座席の隙間に身を隠せ」


「ほう、何か、俺たちと戦うつもりなのか? 剣士だって言ってたなそういや。でもなあ」


 兄は舟を左右に大きく揺らした。


「俺たちゃ平気だけど、こんなとこで、陸みたいにやれるのかな、女剣士さんよ?」


「はぁ……何でこんな、めんどくさいことが次々と……船なら、ただ寝ているだけで移動できて楽だと思ったのに……」


「あの、ご主人さま、どうすれば……!?」


「頭を出すな。この座面より上に出したものは全部切り取られる、という気持ちでいろ」


 カルナリアは言われた通りにできるだけ身を縮こまらせた。


 考えると、一番まずいのは、自分が捕まり、人質にされることだ。


 次が船が揺らされて自分が水に落ちること。


 それを防ぐには確かに、フィンの足下に小さくなっているのが最良だろう。


「持っていろ」


 ぼろ布の中から、フィンの荷物が滑り落ちてきた。

 カルナリアは背負い帯に腕を通してしっかり確保する。


 戦うつもりだ。


 今度こそ、この人物の、剣の腕前がわかる!


「おうおう、やる気だねえ姉ちゃん!」

「だがなあ、水の上で戦うってのは、つまり!」


 兄弟が息を合わせ、舟を前後に大きく揺らした。

 さらに横の動きも加えた。


 大きくかき回される。カルナリアは天地が逆転したような心地に陥る。振り回され上下左右がわからなくなる。

 こんな中では、フィンが本当に強いとしても、その実力を発揮できそうにない。


 こいつらは舟を横転させてフィンを水中へ落としてしまうかもしれない。そうなると弟の鉤爪が脅威となる。ぼろ布を引っかけられたらフィンは自由を奪われ何もできなくなってしまうだろう。


 ――しかし、カルナリアが最悪の想像とすさまじい揺れに真っ青になった、その時。


「おらああっ!」


 舟を揺らし続けるため、足に満身の力をこめた舳先(へさき)側の兄――その足が、舟の底板を、()()()()()


「なっ!?」


 あの強弓が打ちこまれた場所だった。

 板材に鋭い切れこみが刻まれた、まさにそこを、兄が踏んで、破ってしまったのだ。


 片足を取られた兄がつんのめる。

 兄の動きに合わせて舟を揺らそうとしていた弟が、揺らしすぎて、舟の前半分が水中から持ち上がった。


 ベキベキベキと激しい音がした。

 踏み抜いてしまった部分から、船体が大きく割れていったのだ。


「なっ!」

「うわあああ!」


「ありえん!」


 兄弟だけでなく、フィンまで慌てて叫んだ。


「息をいっぱいに吸って、止めろ! 動かずそのままで!」


 指示を出されて、カルナリアは水没を察し、思いきり息を吸い荷物袋を強く抱きしめた。


 水が来た。

 全身を冷たい水が包みこんだ。


 周りにあった舟の座席が離れていった。


 水練の授業でやったようにカルナリアは泳ぎかけたが、フィンの指示を思いだし動きを止める。


 その腰に腕を巻かれた。

 フィンの腕だとすぐわかった。

 安堵した。


 だが、浮かび上がらない。

 むしろ沈んでゆく!


(え、え、えっ!?)


 水圧が上がる。耳が痛む。まだ沈む。恐怖。


 ようやく沈下が止まり、動き出した。

 力強く、カルナリアの体はぐいぐいと引っ張られてゆく。

 しかし水の中で、進みは遅い。

 目を開けてみた。何も見えない。痛みが走って閉じる。

 息が苦しくなってくる。


 突然、水がものすごい勢いで押し寄せてきた。


 急流。違う、こちらの動きがものすごく速くなったのだ。


 魔力を感じた。

 あれだ。『流星』。


 宙を飛び崖も飛び越える身体超強化の魔法具、あれを使って、恐らく河の底を突き進んでいる!


 しかし息苦しさはさらに激しくなってきた。

 河の中央から岸まで、自分とフィンの息はもつのか……?


「っ……!」


 進む方向が変わった。

 斜め上。つまりフィンが河底を蹴り水面を目指した。


「ぷはっ!」


 水から飛び出た。勢いがあり、ほとんど全身が出た。

 カルナリアは即座に息を吸った。

 岸は――まだ距離がある。


「も、もうちょっとだ……また潜るぞ!」


 初めて聞いた息切れするフィンの声。カルナリアは息を止め、水中へ、また沈んで、『流星』の魔力と、何か別な魔法具の作動も感じて、粘っこいものの中を動いているような水中高速移動……。


 ……顔が水面から出た。


 岸がすぐそこにあった。フィンの体が安定した。足がついたのだ。


 そこで、飛んだ。


 水辺から飛び出し、空中を……大ジャンプではないが、普通の人間には不可能な幅跳び……地面に着地し、手放され、荷物袋と一緒になって草の上を転がる。


 岩にぶつかり停止した。受け身の技術と背中の荷物がカルナリアを守ってくれた。


「ぶはぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」


 カルナリアは自分の無事を確認すると、かかえていたフィンの荷物袋を横に置き、仰向けになって息をついた。


「ぜはっ、ぜひっ、ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……」


 その隣に、濡れた塊が潰れていた。


 ほとんど闇の中だが、わずかに輪郭が見える。

 灯っていた赤い光が消えた。


「うう、あれは、ない……なぜ、こんなに、はたらかされる……呪われているぞ、これは……」


 フィンが、初めて、本当にへたばっていた。


フィン・シャンドレン最大の危機。暗闇の中でカルナリアにできることは。次回、第53話「ぬれねずみ」。性的な表現あり。

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