48 「緑の鈴」亭
久しぶりにカルナリア視点に戻ります。
周囲に、人の気配が満ちた。
ざわめきに包まれた。
「…………?」
カルナリアはしがみついていたフィンの体から顔をあげた。
「え…………あの、ここは……?」
周囲は、建物が並び、人々であふれかえっている――街の中、だった。
「ドルーの、街の方だ」
「ええええっ!?」
城門前で人が殺され、城の中に怖い者たちが突入していって大騒ぎになっているのだから、城からまっしぐらに離れたのだと思っていたのに。
実際、西日を浴びる城からは鐘どころか黒煙すら上がり始めていて、街の人々も異変を察知して、逃げ出す者、家に閉じこもる者、駆け回る者――大混乱に陥っている。
「どうしてですか!?」
「この馬は借り物だから、返さないと、私の賞金額が増えてしまうし…………歩くのはいやだから、河を行く船に乗りたいが、船着き場も、船を見つけるのも、この街でないと」
「………………」
「それに、今日は、色々あって、疲れた」
「…………」
「あの熊の爪と牙、ここで売って、路銀を手に入れておきたい。金貨も両替しないとな。お前がやってくれるとありがたいのだが」
「……」
「城に凶悪な連中が押しこんでいったようだが、まあ多勢に無勢、いずれ退治されるだろう。軍勢が近づいている気配はないのだから、街はどうということもないだろう。慌てず、落ちついて、のんびり、楽に行けば、楽ができる……」
「わかりました……もういいです……休みましょう」
フィンが怒濤のようにしゃべり、しかも支離滅裂だということは、本当に、相当に、疲れているのだ。
確かにそれだけのことが色々起きていた。
カルナリアが原因のこともいくつかあるのだから、文句は言えない。
しかし、すぐそこで人が殺され、殺したあの連中は川向こうにいるのだ。
カルナリアを追って山を越えてきたのは間違いない。
たまたま城門の外に出ていたのは本当に幸運だった。
城があの様子ということは、どこかにカルナリアが隠れていると思って、城内で暴れているのだろう。
あの恐ろしい「色」をした者たちが七人も。
正直言って、今すぐ逃げ出したい。この街を離れたい。
だがフィンにしがみつく手をゆるめることができない。
今、ひとりきりにされたら、すぐに刃が飛んできて首が飛ばされそうな気がしてならない。
どうしようもなく怖い。
今日だけでも、知り合った人が死体になったところを何度も見てしまった。怖い。恐ろしい。
動じないフィンにしがみつくことで、カルナリアは何とか正気を保ち続ける。
……人の首が飛んだところはフィンも見ていたはずなのに――やはり場数の違いなのか。
怖いことも繰り返すうちに慣れるとレントは言っていたが、痛みはともかく、この怖さに慣れることができるとは、とても思えなかった。
罪人の処刑を見届けることも、王族の役目としてこなさなければならない時が来ますとは教わっていたが――。
人が殺されるところを見て平然とし続ける人間に、自分がなれるとは全然思えない。
「…………」
震えていることに気づかれたか、馬の上で、背中を撫でられた。
悔しいけれども、その手の感触がとてつもなく心地いい。
恐怖を遠くへ追いやってくれる。
このひとがいなくなったら、自分はひとりきりで西へ向かえるだろうか。
その想像はまったくできなかった。
「でも……今のこの街で、宿は、私たちを泊めてくれるのでしょうか?」
「危険が迫っていると思って金持ちが逃げ出してくれれば、いい宿が空く。そこに泊まれる」
「………………」
これまではフィンの状況認識や説明を受け入れてきたカルナリアだったが、いま初めて、それはないんじゃないかという疑念を抱いた。
このドルーの街は、カルナリアがこれまで通ってきたどの平民の街よりも古い建物が多く、落ちついたたたずまいだ。石畳もかなりすり減っている。
内戦に一切参加せず、したがって荒れたことがないタランドン領だからこそだろうと、カルナリアは教えられた王国の歴史をもとに考える。
戦で蹂躙されたことがない歴史のおかげか、人々は、まだぎりぎりのところで恐慌状態には陥っていない。
「落ちつけ! みな、落ちつけ!」
不安そうな人々がひしめく広場で、一段高いところから、男が大声で叫んでいた。
「町長のグラインだ! みな、落ちつけ! 確かに城に何かが起きてはいるが、敵軍が攻めてきたということはない! その場合、東にあるこっちの方に先に敵兵が来るはずだろう? そんな軍勢、見た者はいるか? 河を船で来れば城を直接攻められるだと? ではそんな船を見かけた者は!? 心配なら自分で見に行ってみろ! 軍勢を見かけたなどという報告はどこからも来ていないんだ!」
言っていることはきわめて理性的だが、その背後の城が、さらに黒煙が太くなり、叫び声、女性の悲鳴なども聞こえてくるようになっていては、説得力に欠ける。
「いいか、みな、ひとまず家に戻れ! 城は燃えているし賊でも入ったのかもしれないが、城門は閉じられ橋も上げられて、こっちには誰も来ていない! わかるか、街はまだ何ともないんだ! 慌てて騒ぐ方が面倒なことになるぞ! 衛兵隊は全員持ち場につけ! 火事、騒ぎ、盗み、一切起こさせるな!」
騎士たちほど恵まれた装備ではないが、たくましい体格に防具を身につけた男たちが野太い声を上げ武器を示して、その存在をアピールする。
それにより、人の流れは二種類に大別された。
元々の街の住民。これは家に戻ろうとする。店を営んでいる者は閉店作業に取りかかる。
街を訪れていた者。通過しようとしていた傭兵、商人などは、移動し始める。街を出ようと東か南の街道へ、あるいは北側の船着き場へ流れてゆく。
そんな中、城の方へ――広場を横切り西へ移動する者は少数派だった。
「おい、嬢ちゃん、なに運んでるんだ」
「え、あ、はい……」
二人組の衛兵が、その少数派であるカルナリアに声をかけてきた。
怪訝そうに見上げてくる。
「藁か? どっかに納品か?」
認識阻害の効果は出ていても、鐙に足の届いていない奴隷の女の子が、ひとりで馬を操っていると見るのはさすがに無理で――つまり後ろに何か乗っていると思って目を向けるので、魔法の効果は破れている。
「おい、でも、この馬……」
衛兵たちは、馬が立派で、鞍は騎士のものだということにすぐ気づいた。
目がスッと鋭くなる。馬盗人の可能性があると判断したようだ。
「すまない、お訊ねするが」
フィンが自分から声をかけ、衛兵たちは仰天した。
「しゃ、しゃべった!?」
「女ぁ!?」
「旅の者だ。宿を探している。金はある。この街で一番いい宿を教えてもらえないか」
「あ、ああ、それなら『緑の鈴』亭だ、この道を行った右側……だけど、あんた、この馬は……?」
「城の騎士殿に借りた。返そうと思ってやってきたのだが、城に入れなくてな」
「なるほど……名前を聞いていいか?」
「騎士ネレイド・フォウサル・キトン殿」
「失礼いたしました」
よく訓練されており、身分が上の者への対応もしっかりしている。
「それで、あなたのお名前は」
「すまないが、事情があって名乗れない。騎士ネレイド殿が保証してくださっているので、気になるならのちほど照会してくれ。今はワグル村というところに赴いているはずだ」
「……わかりました」
名を告げず、関わった人を持ち出してごまかしている。
フィンの事情はある程度わかっているが、その上でやり口を見ていると、このひとは本当にずるいと思うしかないカルナリアだった。
――どの街でもそうだが、城に近い所ほど高級な区画となる。
今はできるだけ城には近づきたくなかったが、衛兵に付き添われて、そちらに向かっていった。
他の街と共通した、宿屋であることを示す看板をいくつも見かける。
普段ならば客引きが路上にぞろぞろ立って、旅人を引きこもうと積極的に声をかけてくるのだろうが、今は誰も見当たらず、配置につく衛兵がせわしなく行き交うばかり。
しかしどの建物の窓からも人の顔がのぞいて、城の様子をこわごわとうかがっていた。
通りの先に川と城、橋が見えた。
しっかりしたつくりの石橋、その向こうは閉ざされている城門。
橋の途中からは木製になっていて、非常時には引き上げられるように作られており――それが今まさに持ち上がり裏面を見せていた。
城からはなお鐘が打ち鳴らされ、幾筋もの黒煙が上がっている。
人が戦っているらしい物音や悲鳴も聞こえ続けている。
だが城壁の上に、兵はひとりも見えなかった。
外から攻められているのならそれはありえない。
衛兵の一団がこちら側の橋を固めているが、城から出てくる者、街に情報を伝えてくれる者はいないまま。
街の住民たちは、何が起きたのかまったくわからず、不安にかられるばかりだ。
そんな中――。
「ここです」
衛兵は、「緑の鈴亭」という名前通りの、深い緑色の鈴が軒先につるされている建物まで付き添ってくれた。
城へ入るための橋の、すぐ側。
歴史と格式を感じさせる三階建ての宿屋。
立地から見ても、この街では最も高級な宿であることは間違いない。
もちろん、王女のカルナリアがこの街を訪れたとしても、城に入りきれない従者が利用する可能性がある、程度であって、王女本人が宿泊するなど決してありえないが。
「案内、感謝する」
フィンが尊大に言った。
だが衛兵たちには、この宿に泊まるのが当然の、城の騎士に関わる人物、すなわち貴族の態度と思われたようで――。
「はっ!」
任務をきちんと果たせたことを喜び、誇らしげに敬礼して、去っていった。
フィンが馬を下りる。
カルナリアもかかえられて地面に立たされた。
「支度をしなければな……」
宿に入る支度とは?
とカルナリアが不思議に思った目の前で、ぼろ布の形状が変化した。
頭頂部まですっぽり覆う円錐形だった布が、丸みを帯び、人体とわかるようになり――すなわち、普通のフード付きマントのようになったのだ。
それなら、顔が見える!
「!」
「お前は私の後ろだ」
のぞきこもうとして、手で追いやられた。
主人より前に出る奴隷というのがあり得ないのはその通り。
「かっ、顔っ、お顔はっ!?」
「……それを聞いてどうする?」
衛兵がいなくなった途端にけだるげになった声音は、布越しのものだった。
異国の者がやるように、目だけ出して、顔の下半分を布で覆っている状態だろうとカルナリアは推測した。
それでも目は出しているということだし、それさえ見えれば、自分には「色」も同時に見える。
あの怖い者たちも、顔を出していたから濃厚な「悪い色」が見えたわけだし。
しかしカルナリアを前に出すことを許してくれないまま、フィンは宿の敷地に入っていった。
「ごめん。休ませてもらいたい。部屋は空いているか」
すぐに従業員だろう女性が出てきた。
フィンを見て目を見開く。固まる。見つめる。
みるみる瞳が潤んできて…………肌が紅潮し……。
「部屋は?」
涼やかな声が飛んで、女性は我に返った。
「は、はいっ、すぐにっ、確かめますっ!」
「『緑の鈴』亭へようこそ……………………っ!」
亭主だろう初老の男性が出てきて、フィンを見て、これもまた絶句した。
「旅の者だ。城へ赴くつもりだったが、今は無理なようだ。部屋が空いていれば、休ませてもらいたい。頼めるか?」
澄んだ美声で言う。
主人もみるみる陶酔した顔つきになってゆく。
顔の良さをこういうところで使いまくり、いい部屋を確保してのんびりするつもりだろう。
カルナリアはきわめてモヤモヤした。
「は、はいっ、その、最も良い部屋が空いておりますが……今、お城で何がどうなってるか、私どもにもわかっておらず、何か起きた場合の責任は取りかねますが、よろしいでしょうか」
「構わん。異変が起きた時、知らせてくれればそれでいい。ある程度は腕におぼえもある。この宿を守るぐらいのことはさせてもらおう」
「はいっ、それでしたら、お部屋はただちに用意いたします! 馬のお世話はいかがいたしましょう」
「城の騎士どのの馬を借りたものだ、万全に頼む」
馬丁が出てきて手綱を受け取った。鞍を見てハッとした。うやうやしく礼をされた。
建物の中へ案内される。
亭主は受付台の向こうに回って宿帳を開いた。
「お食事とお湯は」
「どちらも頼む。湯浴みはできるか」
「共用ですが、浴室がございます。お部屋でということでしたら、別途道具をご用意させていただきますが」
「ふむ」
やりとりに興味を引かれ、耳を澄ませる。
湯浴みという言葉に強く惹かれる。
自分の体を清めるだけではない、今度こそフィンが無防備な姿となり、それを世話するのは自分で……。
死の恐怖を押しやる熱いものが内から湧き上がる。
これがあれば、恐ろしいものも乗り越えられるような気がする。
「ではこれが前金で……そうだ、訊ねたいのだが、これを加工できる職人は――ルナ」
促され、前に出た。
フィンは受付台の上に銀貨を置いている。
さらに何かを出すという流れ。
ここで自分に求められているものは。
思い当たった。
首から下げさせられていた掌。
熊のものは、あれだけではなく、他のものも持たされていた。
牙と爪を取り出し、台に置いた。
「ほう! これはこれは……」
「途中の山で手に入れたものだ。職人を探して持ちこむつもりだったが、今の状況では、あまりこの街に長居できないかもしれない。それならお前たちにこれをまかせて、職人なり商人なりに売ってもらうということで、宿代の足しにしたいのだが、どうだろう」
「はい、これは、実に素晴らしいもので、これでしたらこの街の職人よりも商人に売った方が……このくらいでいかがでしょうか」
亭主が算盤で金額を提示し、フィンが麗しい指で高めに修正する。
フィンに見とれていたはずなのに、亭主の目には油断ならないものが色濃く表れていた。
悪人というわけではない。悪い「色」は見えない。だが金がからむとこうなる。これもまた人間というものの一面。
(…………あっ、今なら!?)
つい目の前の駆け引きに気を取られたが、それよりもずっと重要なこと。
前に出された今、振り向けば――フィンの顔が見えるはず!
カルナリアは気がついた次の瞬間に、やっていた。
振り向いた。
仰ぎ見た。
「失礼、よろしいですかな」
…………後ろから声がかけられ、フィンがそちらを振り向いていた。
だから顔は見えなかった。
身なりのいい――腰に剣を携えている、優美な髭をたくわえた男性がいた。
その後ろに、渦巻くような豪奢な髪をした少女が続いていた。
「我が家のお嬢様が、宿をご所望にございます。クレブルヴァ郡主が姪、六位貴族、リセナ・ファスタル・レッセの名をもって、部屋の提供を命じます」
「な……!」
亭主が顔色を変えた。
貴族が平民よりも優先される。
『反乱』が及んでいないこのタランドン領では、その『常識』は保たれたままだった。
「お客様、その…………おうかがいいたしますが、ご身分は……」
亭主がフィンに訊ねてくる。
「この国の者ではないので、この国における身分は……どうなるのだ?」
「なら平民ってことね!」
後ろからいきなり、結い上げた髪をゆらゆらさせて、貴族の少女が言い放った。
年齢は十五、六ぐらいだろうか。成人していてもおかしくない。
ドレスではなく歩きやすい旅装だが、良く育っていて、出るところはしっかり出ている。
――カルナリアから見れば、その年齢で相手の素性を確かめることもしないそのような振る舞いというのは、まともな教育を受けていない田舎娘そのものだ。
そしてその田舎貴族の娘は、ぼろ布というだけで見下したらしく、フィンの顔をまともに見なかったようだった。
「みすぼらしい、さっさとどきなさい! まったく、城に入れないってどういうこと!? こんな所しかないのは仕方ないけど、とにかく早くしなさい、足が痛いわ!」
「はい、お嬢様、ただちに。……おい、どかせろ」
貴族娘の背後に、女の子がいた。
(奴隷…………今のわたくしと同じ……!)
本物の、というと語弊があるが、粗末な首輪をつけた、細っこい女の子が近づいてきた。
一枚きりの貫頭衣。裸足。清潔ではあるが、一目でろくな扱いを受けていないとわかるやせ細った子供。
それが、生気のない目をして、両方の手の平を広げて、フィンに近づいてくる。
「どいてください。ごめんなさい。どいてください」
抑揚なく繰り返しながら、ゆっくりぼろ布に迫ってきた。
殴られたり蹴飛ばされても構わない。むしろ望まれている。どんなかたちであれフィンが触れたら、貴族の持ち物に手をつけたということで衛兵を呼ぶつもりなのは、貴族娘とお付きの男のにやつき顔で明白だ。
「めんどくさい……」
フィンはつぶやき、一切触れさせることのないまま、スルスルと後退した。
「他をあたろう」
「……は、はいっ」
「回収」
言われてカルナリアは、受付台に置いた熊の牙と爪、およびフィンが置いた前払いの銀貨を回収しようとしたが。
なくなっていた。
亭主を見上げると、フンと鼻を鳴らされ、にらまれた。
(…………!)
腹がカッと熱くなり、怒鳴りつけそうになった。
「行くぞ」
フィンの声で、ぎりぎり踏みとどまる。
奴隷が平民に怒鳴るのは、罪となってしまう。
主人たるフィンが動かないかぎり、『ルナ』は何もしてはならないのだ。
「いやあ! なにこいつ! 汚い! わたくしに近づけないで!」
『ルナ』の顔面を見た貴族娘が、甲高くわめいた。
カルナリアの胸に、さらに熱いものがふくらみ爆発しそうになって――。
奴隷の少女が、『ご主人様』と自分の間に割って入った。
その頬のこけた顔には、何の感情も浮かんでいなかった。
「…………!」
怒りが急速にしぼんでいった。
代わりに、恐怖とも戦慄ともつかない感情が湧いてくる。
これほどに生きている感じがしない人間というものを、カルナリアは初めて目の当たりにした。
顔かたちとは別に「色」はちゃんと見えている。
飛び抜けたものはないがきちんと育てればそれなりに伸びそうな能力がいくつか見える。
しかし伸びることはない、伸ばしてもらえる機会は訪れないし、本人も伸ばそうと考えることもないだろう……そう確信してしまえるほどに、何一つ、自分の意志というものが感じられない存在だった。
王宮の下働きで使っている奴隷はもちろん、ランダルのところで荷物をかついでいた奴隷たちも、ちゃんと生きていた。
だがこれは……。
こうなってしまう、どれほど悲惨な扱いを繰り返されてきたのだろう。
それとも、これが一般的な、標準的な奴隷というものなのか。
「馬を」
奴隷同士の対峙には一切関知せず、フィンが宿の者に言った。
「待て。立派な馬がいたが、お前のものか」
お付きの男が呼び止める。
「借り物だ。この城の騎士のものだ」
「そうか。ならばもらい受ける。お嬢様を歩かせるわけにはいかぬからな」
「な!」
カルナリアは、つい声をあげてしまった。
「なんだ、奴隷? 貴族のものを貴族が使うのは当然だろう?」
「…………」
憤るカルナリアを、フィンが止めた。
布越しに腕を動かしただけで、麗しい手指はあらわしていない。
「しかし、取り上げられると困るな。西へ行きたいのだが」
「船に乗れ。北側の船着き場には、夜の間も河を下る船がいくつもある」
「ふむ。いいだろう」
「ええっ!?」
「元々私の馬ではないのだから仕方あるまい。ちゃんと城へ返してもらいたい。騎士ネレイド・フォウサル・キトン殿の馬だ」
「ああ」
さっさと出ていけ、とばかりの態度を男は取って、フィンたちに背を向けた。
外に出たフィンは厩に寄り、すでに所有者が変わったとして馬丁が警戒する中、馬の首を麗しい手で直接撫でて、言葉をかけた。
「お別れだな。お前はよく走ってくれた。怖い思いもさせてすまなかった」
馬は鼻を鳴らしたが、少し悲しそうに聞こえた。
カルナリアも、半日の間ではあるが、身を預けたっぷり走ってもらった馬との別れは悲しくなった。
「……何ですか、あれは!」
夕暮れが近づく路上で、馬で来た道を徒歩で戻りつつ、カルナリアは憤然とする。
金も、牙と爪も、馬も、休める部屋も、全部取られた。
取られっぱなしで、取った者たちに何の罰もない。
「あんなものだろう。よくあることだ」
フィンは、あの奴隷の子とは別な意味で一切の感情を示さず言う。
「馬は借り物。爪は拾い物。金は、まあ、巡り物だ。めんどくさいことには関わらず、気にせず、さっさと休める場所を探そう」
「そんな! あれは! 理不尽です! 許していいんですか!?」
「貴族というのはどこでも大抵、あんなものだ」
「………………」
「何人か言っているのが聞こえたが、この国の王子は、ああいう貴族の傲慢さを許せなくて、平民を率いて立ち上がったそうだ。それならいずれ、その王子様が、あの連中に罰を与えてくれるさ」
「それは!」
カルナリアは戦慄した。
フィンが、ガルディスに理解を示してしまったら!?
それは、それだけは、受け入れられない。
たとえ大恩人で唯一の頼れる相手でご主人さまであっても、どうしても、それだけは!
「……しかしまあ、平民を率いて勝ったとしても、今度はそいつらが新しい貴族になるだけなんだよなあ。めんどくさいことをいっぱいやっても、結局は大して変わらない。人の世とは、まあ大体そんなものだ」
何十年も生きた老人、いや何百年も生きている長命種族のように、しみじみとフィンは言った。
縦ロールお嬢様の登場。これまで貴族が襲われるところばかり目にしていたカルナリアが、初めて貴族の横暴に触れた。この経験がどう影響を及ぼすか。次回、第49話「はじめてのかいもの」。




