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41 突破


「しっかりつかまっていろ。私が合図したら、馬の()()()()()


「は、はいっ!」


 カルナリアは体を前に倒して首にしがみついた。

 耳をふさげ、と言う指示で何をするつもりかわかった。


 フィンの腕と脚が動いた。

 手綱がうねり鞭となって馬体を叩いた。


 馬が走り始める。

 速度を増す。疾駆(しっく)となる。


 こちらが慌てて馬首を返すだろうから、それに追いすがって……と想定していたらしい賊ふたりはぎょっとする。


 だが素人ではなく、すぐに頭を切り換え馬上で身構えた。


「おんなぁぁぁぁぁぁ!」

「やる気かオルァァァァァァァァ!?」


 威嚇(いかく)の罵声。見えているのは恐らくカルナリアだけ。したがって大して警戒もしていない。馬がぶつかってくることの方が彼らにとっては脅威だろう。


「……今!」


 フィンの声に、カルナリアは両手を伸ばして馬の耳を手でふさいだ。

 同時に、自分の耳がしばらく使い物にならなくなることを覚悟した。


「!?」


 いきなり世界が真っ暗になった。

 ぼろ布をかぶせられたのだ。


「ホオォォォォォォォォォォォォォォォォォ!」


 ものすごく甲高い、鋭い声が放たれた。


 どんな獣かわからないが、聞いただけで怖気(おぞけ)がはしる。

 それが大音量で。


 ぼろ布のおかげで、少しだけ、カルナリアの耳は守られた。

 それでもキンとなった。


 周囲で、馬の激しいいななきや男の苦鳴が聞こえ――横に、後ろへ……遠ざかってゆく。


 馬が驚いて暴れたところをすり抜けたようだ。


(と、突破した……?)


 馬脚が少し緩められる。


 ぼろ布が引いてゆき、カルナリアの視界も回復した。


 振り向くと、いつもと違う――あちこちはためき、形もいびつなぼろ布姿。

 かぶり直したばかりなので円錐形を作れないでいるようだ。

 体の線が少しわかる。豊かな胸。


 背後にしてきた賊たちは、曲がり道を突き進んでいるので地形に隠れて、どうなったのかわからない。


「前を向け。あれだけのはずがない。まだいるぞ」


「!」


 道を曲がり終えると――見えた。


 今度は逆の、右側へ道が曲がっており、向こう側まで全部見える。


 木々の合間を伸びる道の上に……。


「二十五人、というところか。傭兵団だな」


 武装した男たちが点在していた。


 こちらに進んできている。

 馬に乗った、団長だろう堂々とした者の姿も見える。


 どう見てもどう考えても、善良な連中ではない。


「戦が起きると見てタランドン領に入りこんできた傭兵団が、周囲の略奪に出てきたというところか。村からは戦える男がいなくなっているから、狩り放題というわけだ」


「そ、それじゃ、あの村が!?」


 騎士ネレイドの到着と招集が遅れたのか、ワグル村にはまだ男たちが残っている。

 しかし……今は、その大半が山へ向かってしまっている!


 このままでは確実に、戦い慣れた集団が、女子供、老人しかいない村に襲いかかり食い散らかす。


「も、戻って、知らせなければ……まずいのでは……!?」


 しかし。


「戻って知らせ、村を守り通したとしても、こいつらは逃げるだけ」


 フィンは冷徹な判断を下した。


「最初に駆けていったネレイドの従士も、恐らく殺されているだろう。誰もこいつらのことを知らなければ、村が手強いとみればすぐ逃げ戻って、素知らぬ顔でドルーの街に戻るか、他のところへ移動するだけだ。そうさせないためには――私たちが城に知らせなければならない」


 そうすればネレイドの主君、郡主は討伐隊を出して、この不埒(ふらち)な連中を一網打尽にしてくれるだろう。


 ワグル村に犠牲が出るかもしれない。だがこの連中が今後も同様の行為を繰り返すことを思えば――フィンの判断は正しいと、カルナリアも納得することはできた。


 納得はしたが…………壺入りシチューの味が、腹を見せた犬が、(バール)(てのひら)に感嘆していた初老の男が、頭をよぎる。


「それに、戻ろうとしても、もう遅い」


 傭兵たちは、こちらに気づいていた。


 すさまじく甲高い奇声をあげたのだ、当然すぎる話。

 距離も詰まっている。


 まだこちらの正体がわからず戸惑っているが――。


「さっきの声は、村の者たちにも聞こえただろう。あれは、出てきたら大変なことになる獣の声だからな。男たちを呼び戻して警戒するはずだ」


 村の犠牲が気になるカルナリアの心中を察してくれたのか、フィンはそんなことを教えてくれた。


 あの叫びにはそういう意図もあったのか。


「さあ、今度が本番だ。しっかりつかまって、絶対に頭をあげるな」


 馬がまた速度を上げ始めた。

 木々の間を疾駆する。


「また鳴き真似をするぞ。今度は馬に聞かせる」

「は、はいっ!」


 前方の男たちが、武器を構え、怒鳴り始めた。

 止まれとか何とか言っている様子。


「ブォッ」


 小さく、獣の声がした。

 低い、野太い――年配の男性がうめくような。


「ブオッ、ブフッ! ウガアァァ!」


 (バール)の声だ。

 それが、後ろから追いかけてきているように、大きくなってくる。


 馬が激しくいなないた。

 恐怖をおぼえたようだ。


 乗り手の指示以上に猛然と走り出す。

 カルナリアはまた馬の首にしがみついて、必死に耐えた。


「ウガアアァァァァァァ!」


 あの凄絶な怒号が放たれた。


 馬は狂乱して傭兵たちの列に突っこんでいった。


「うわああっ!」


 男の声。金属音。左右に逃れた様子。そこを突っ切る。


 だが――傭兵たちは、整然と列を作っていたわけではなく、ばらばらに村へ向かっていた。


 いま突破したのは最初の数人だけ。

 その先にまた一団がいる。


 騎乗している団長だろう者と、副長だろう同じく騎乗の者がもうひとり。


 団の中核を成す腕利きだろう、体格も装備も他の者と違う者たちが数人。


 それがみな、先の連中の様子を見て、こちらに対処する準備をしている。


 狂奔している馬を止めようなどしない。

 左右に分かれ、道を開ける。


 弓や槍、投石器など飛び道具を持つ者は木々の陰から狙う態勢。

 長柄(ながえ)武器を持つ者たちが道の端で構える。

 騎乗の二騎は余裕の表情で馬を横の樹間に移動させた。

 どの表情にも余裕がたっぷり。


(これっ、まずいのでは……!?)


 戦闘の専門家ではないカルナリアでも、このまま突き進めば左右から馬が容赦なくズタズタにされ、倒れ、地べたに落ちた自分たちが取り囲まれるとわかる。


 だが馬はもう止められない。

 手綱を引いたとしても止まらない。


(どうするんですか!?)


「……後から追いつく。絶対に戻るな、進み続けろ」


 背中を叩かれた。


 次の瞬間、背後の気配が――消えた。


「えっ!?」


 ぼろ布の(かたまり)が、馬上から消えていた。


(飛び降りた……!?)


 それはわかったが、馬の揺れがすさまじすぎて、振り向くこともできない。しがみついているのが精一杯だ。


 周囲で、人の怒号、動き、叫び……は聞こえたが、何がどうなったのか知る方法がない。甲高い獣の声も混じっていたような。


 カルナリアはひたすら馬にしがみつき続けて、また何度か人の声がして、後ろへ流れていって……。


「…………ぶるるるるるる」


 馬が速度を落とし、首を振っていなないた。

 激しく汗をかいている。


 カルナリアは顔を上げた。


 周囲はそれまでと大して違いのない、左右とも木々が立ち並ぶ道の上。

 木立の向こうに、灌木(かんぼく)の茂みと輝く川面が見えている。


 まわりに、誰もいない。


 いや…………馬が止まったのには、理由があった。


「ひっ……!」


 道をふさぐように、人が倒れていた。


 その格好には見覚えがある。


 騎士ネレイドの従士のひとり。

 先に駆けだしていった者だ。アシルといっただろうか。


 全身、真っ赤に染まっている。

 まだ血が固まりきっていない。殺されてそれほど経っていない、無惨な死体だ。


「……どう、どう、どう……!」


 カルナリアは半ば逃避で、手綱をとって馬をなだめた。


 だが、馬が落ちつくと、死体を直視せざるを得ない。


 (バール)の死骸も恐ろしかった。

 しかし人の死体は、比べものにならない恐怖を呼び起こす。


 レントが、エリーが、倒れて、赤いものを流し出し、動かなくなり、生き物ではなくなっていく……。

 あの光景、あの時の底なしの喪失感がよみがえってしまう。


 倒れているのが、わずかとはいえ同じ場所にいて、生きている姿を知っている相手だということも影響した。


「ひ……!」


 カルナリアは馬上で固まり、何もできなくなってしまった。


 進み続けろというフィンの声を思い出す。

 まだ傭兵たちからそれほど離れたわけではないだろう。

 あの死体を越えて先へ行くべきだということは、頭ではわかる。


 わかるのだが。


「む……無理です……!」


 カルナリアは、馬にすら、その指示を出すことができなかった。


 フィンはどうなったのだろう。


 自分と馬を無傷で通すために、飛び降りて、目を引いてくれたということはわかる。


 降りてしまえば、林の中、認識阻害の布が最大限に効力を発揮する場所だ。


 だが相手も、戦いに慣れている、人殺しを何とも思っていない連中だ。

 見抜かれてしまえば、女性ひとりきりで凶暴な男たちの中――本当に剣士だったとしても……。


「ひぃっ……!」


 大丈夫なのだろうか。

 追いついてきてくれるのだろうか。


 またしても、守ってくれる者を失ってしまうのではないだろうか。


「あ、あのひとは、大丈夫、大丈夫です、きっと、きっと……!」


 首輪の、喉のところを両手で押さえ、カルナリアは自分に言い聞かせた。


「何を考えてるかも、何ができるのかも、全然わからない、わけのわからない、おかしな人だからこそ、何かおかしな手を使って、あんな連中を振り回して、隠れて、逃げてくるはずです……!」


 戻るな、とは言われた。


 しかし待つなとは言われていない。


 だからカルナリアは待った。

 死体を前に、馬の上で、ひたすらに、待ち続けた。


「…………ブルルルル」


 馬が小さくいななき首を振り――動き出した。


「えっ、あっ、待って、待ちなさいっ!」


 慌てて手綱を取ろうとしたが、もう馬は前進し、死体のところに――。


「いやあああっ!」


 またぎ越えた。


「………………!」


 カルナリアは顔を手で覆って、その瞬間を見ないようにした。


 馬はなおも歩を進め……。


「……いつまでそうしている」


 けだるげな声がかけられた。


「!?」


 手綱が、鞍の上ではなく、馬の前方へ。


 その先に、目では認識できない、でも魔力でわかる、円錐形の存在が。


「…………!」


 木の葉や土くれにまみれたぼろぼろが、手綱を引いていた。


 カルナリアは飛びつこうとして、蹴るべき地面がなく、あぶみにも足が届いていなかったので、上半身だけ傾いて、転げ落ちた。


 抱きとめられた。


「何をしている」


 返事より先にしがみつこうとして、避けられ、草の上に転がされた。




何が起こったのかはわからないが、危ないところを切り抜けたことは間違いない。次回、第42話「ドルー城」。カルナリアが上様に。もしくは水戸のご老公様に。残酷なシーンあり。



※カルナリアが気づいていない所でフィンが何をやっていたのかの答え合わせは、のちに出てきます。

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