40 賊との遭遇
馬の支度ができました、と騎士ネレイド自らがフィンとカルナリアを案内して、母屋に隣接している厩に向かう。
従士と村長がその後からついてくる。
ちなみにフィンは、ぼろ布を少し持ち上げ意図的に靴を見せ足音を立てて、認識阻害を自分から破っている。
太陽がほぼ中天にかかっていた。
ようやく正午。
昨日に引き続き、色々なことが起きすぎて、半日なのにもう何日も経過したような気分。
厩からいきなり一騎、勢いよく駆けだしていった。
またがっていたのはネレイドの従士のひとり。
「本来なら城へ向かわせるべき村の者たちを、私の独断で山へ向けるのです。その報告と、増兵の必要があるかもしれない旨、そしてあなた様のことをしたためた手紙を持たせ、先触れとして伝えに行かせました」
もうひとりの従士がネレイドの馬を引いてきた。
名馬とまではいかないが、かなり立派な軍馬だ。
「すまぬ。借りるぞ」
「お気になさらず。私はこの後、村の者たちを率いて山に入りますゆえ、馬を使う状況にはなりません。あなた様に使っていただけるのならば、こいつも喜ぶかと」
乗り台が用意された。
カルナリアのためだと思うが……子供や女性が乗る時に使うものなので、貴族令嬢たるフィンのためかもしれない。
ランダルには荷物のように持ち上げられ小さくなって座っていたが、実のところカルナリアはちゃんと馬に乗れる。
小馬だが、王宮の庭で何度も練習して、遠乗りの経験もある。騎士たちから乗馬のコツを教わったり、軍馬の前に乗せてもらうこともあった。兄のランバロより上手に乗れるとひそかに勝ち誇ってもいた。
しかし、奴隷の身で、乗馬経験があるということを示すのはいいのだろうか。
ランダルが使っていた奴隷は、ずっと自分の足で駆けていた。
乗馬できる奴隷というものがいるのかどうか、乗馬できるのはおかしいと思われるのではないか、判断基準がない。
「あ、あの……私が、乗っても、いいのでしょうか?」
「お前は軽いからな」
そういう表現で許可されたが、欲しい返答はそれではない。
乗馬経験のない女子として横座りし荷物となるべきか、経験あるように鞍にまたがるべきか。
「場合によっては疾駆することになるかもしれん。ちゃんと乗れ」
カルナリアの逡巡を読んでくれたのか、フィンに言われて、ようやく安心できた。
台に登り、鞍にまたがる。
スカートではできないが、今の格好なら問題ない。
できるだけ鞍の前の方に位置を取り、フィンが座る場所を空けた。
ふぁさっ。
風と、布が軽くはためく音がした。
何かが宙に躍り、自分の真後ろに現れる。
いや、フィンが乗ってきたということはわかっている。
軽やかに馬上の人となった動きも、見なくても容易に想像できる。
問題は――。
「おお…………!」
周囲の男性たちが、賛美の顔をしていることだった。
村長までも。
フィンの体が鞍に収まった後から、ぼろ布がかぶさってきた。
すなわち、今、布を大きく跳ね上げて馬にまたがったのだ。
(服! 体!)
ぼろ布の中身をまたしても男たちに見せ、自分は見損ねた。
フードごと振り向いたが、真後ろに密着状態のフィンの体を見ることはできない。強引に首をねじれば何とか――。
「動くな。落ちつけ」
体の両側にフィンの腕が伸びて手綱をつかみ、余計なことができなくされてしまった。
しかも高い所を面白がる子供であるかのようにたしなめられて、周囲の大人たちにも微笑まれて、恥ずかしく思う。
(わたくし、王女なのですよ……エリーよりもずっと上の! この国に九人しかいない第一位貴族のひとり!)
もちろん、今のこの場では最下級であることはわかっているが、腹の中が熱くなるのはどうしようもなかった。
「この者、イルディンが、ドルーの街まで案内いたします」
先ほど馬を引いてきた従士が、自分の馬にまたがって進み出てきた。
ネレイドと共にフィンの顔を見た若者である。その頬は紅潮し、目はやたらときらきらしていた。
「よろしく頼む」
「はっ!」
「騎士ネレイド。村長どの。世話になった。この村とそなた達に良き風の吹かんことを」
カルナリアの頭上からする声が――肉声だ。
フィンは、布をずらし顔を出している。
カルナリアは反射的にあごを上げ目を限界まで上向けた。
しかし布に隙間を空けただけなので、ランダルの時と同じく、中身を見ることはできなかった。
「こら」
耳をつねられた。
「あなた様と、我が主、我が国に良き風の訪れあらんことを」
ネレイドが何も見なかったようにうやうやしく返礼をし、イルディンという従士が馬を進めて先導し始めた。
それに続いて自分たちの馬も動き始める。
フィンは身じろぎひとつしなかったのに、馬の方がフィンの意志を読んだかのように歩み始めた。
騎士ネレイドと村長が門扉の左右に立ち見送る。
下働きの老人が犬を抑えている。
門前の広場には誰もいなかった。
人の気配、ざわめきは山の方から聞こえる。
したがって謎の人物がまたがる馬に注目する者は誰もいなかった。
ネレイドも、自分たちを見送ったその足で山へ向かうのがちらりと見えた。
(みな、無事にすみますように)
カルナリアは首輪の中の『王の冠』を感じつつ祈った。
自分を追ってきている兵士たちと、ネレイドや村長の叔父たちは、あの山中でぶつかることになるだろう。
戦いになり、殺し合いになり、血が流れれば、それは間違いなく自分のせいだ。
自分が災厄を引き連れてきたのと同じだ。
その責任も引き受けて、自分は先へ進む。
『王の冠』を、この国の運命を運んでゆく。
……せめて、にらみ合いから膠着状態になってくれることを願うばかりだった。
「イルディン殿」
フィンが突然言った。
「はっ! あ、いえ、イルディンとお呼びください!」
「ではイルディン。ドルーの街まではどのくらいかかるのか」
「はっ、この並足で、夕刻までには到着いたします!」
「案外近いのだな」
「はいっ、徒歩で一日のうちに往復もできる距離であります! 先ほど集めた兵たちも、今夜はドルーの兵舎にて休ませる予定でありました!」
「なるほど。ではそれまでの間だが、よろしく頼む」
「はいっ!」
全身を誉れに輝かせる若者の、その様子には、カルナリアはなじみがあった。
自分に初めてつけられた親衛騎士が見せる顔と同じものだった。
すでに遠く、懐かしい記憶となってしまっている。
もっとも、この若者が忠誠を捧げているのは、自分ではなく背後の人物なのだが……。
(このひとの中身を知れば、その気持ちは全て崩れ去るでしょうね)
多少意地悪くカルナリアは思った。
教えてやりたくなった。
あなたをきれいな顔でたぶらかした女性は実は、めんどくさいが口癖で、しかも本当に面倒くさそうな声音で、放っておけばじっとして動かず、自分はできるだけ何もしないで他人をいいように使う方法ばかり考えている、どうしようもないぐうたら者ですよ、と。
「…………」
たっぷりなでてもらって回復した気分が、また曇ってくる。
自分はフィンの性格ばかりか、服の中の体、そのすばらしい肌の感触も、体温も素肌のいい匂いも知っているのに、肝心の顔も服装も知らないまま。
なのに顔を知っている者が、自分以外に何人もいる。
頬をふくらませつつ、体の力を抜き後ろに身を預けてみる。
しっかりした体躯と、持ち歩いている道具だろうちょっとした硬いもの、縦にして胴体にくっつけているらしい長剣と、ふんわりした女性のふくらみを背中や後頭部にそれぞれ感じる。
戸惑った反応はされなかった。
当然のように受け止められ、支えられた。
それも今はなんだか憎らしく感じる。
そんなことをあれこれ思っている間にも、二騎はのどかな風景の中を進んでいった。
道に沿って流れる川の水量は多く、昼の日差しにきらめいている。
初夏の緑は鮮やか、風はぬるく、食事をした後でこうして馬に揺られていると――。
(こんな時なのに……眠たくなりますね……)
今、この時にも、山の中では殺し合いが始まっているかもしれないのに。
人間とは常に緊張し続けることはできない。
常に悲しみ続けることも、怒り続けることも。
そういうものなのだ。
(気楽でいられるのは、このひとのせいも半分、いえほとんど、あると思いますけど)
背後の体のぬくもりに身を委ねつつ、唇を尖らせる。
こんなに甘やかすのが悪い。
顔も見せないのに、しっかり自分を支え、揺らがないのが悪い。
揺らがない――。
「……ご主人さま?」
返事はなかった。
いつものこと……のはずだが。
(もしかして…………寝てる?)
あり得た。
カルナリア以上に動き回り、川べりではつかれたと横たわってぐちぐち言っていたのだ。
ようやく自分で歩かなくてすむようになった途端に、一瞬で寝てしまっても、なにひとつ不思議はなかった。
なかったが……!
(だ、大丈夫なのでしょうか!?)
馬上から転げ落ちないか。
手綱を取り落とさないか。
ガクッ、となって馬が変な反応をしてしまわないか。
ろくでもない正体がばれるような、おかしな真似をしてしまうのでは……その場合、この先の街で、イルディンがどういう行動を取るか……。
自分が手綱を取った方がいいのではないかとカルナリアが考えた、まさにその時。
背後の体が、硬くなった。
「!?」
寝入りばなの震え――ではなかった。
背後の体から、甘いものが消え失せ、張り詰めた気配が取って代わった。
「イルディン」
緊迫した声音と気配。
カルナリアはこれを知っていた。
今日の朝、崖の上で、兵士の接近を察知した時と同じ。
「はっ!?」
「この領内、この先のドルーの街に、反乱軍は迫っているのか?」
「いえっ、このタランドン領に、他領の軍勢は一切踏みこませておりません!」
「平民が蜂起するような情報は?」
「いえっ、何も――いかがいたしましたか」
「この先で、戦いの気配がする。音と声がした」
道は、川が湾曲するのに合わせて大きく左へ曲がっている。
山の一部である岩場と木々で、曲がった先は見えない。
「様子を見て参ります!」
顔を険しくしたイルディンは馬を走らせ、先行した。
その姿が道を曲がって見えなくなり――。
「……戦いとは、どういうことでしょうか?」
「わからん。だがそれなりの人数の声と、血なまぐさい気配がする」
この人物は、そういうものを早めに感知することができると、ローツ村ですでに示している。
「私を追ってるやつらが、先回りしてきたというわけではないのなら――混乱に乗じた賊でも出たか、集められた兵士が貴族に牙を剥いたか……」
「…………」
総毛立ち、カルナリアは自分の腕をさすった。
と、その耳に。
人の声が聞こえてきた。
遠いが、男の、複数の声。
怒鳴る声。叫ぶ声。凶暴な罵声。ただならぬ響き。
甲高い音も聞こえた。
武器と武器が打ち合わされた音。
「これは…………めんどくさいことになるぞ」
フィンが低く言った。
ほどなくして、声は消えたが――今度は馬蹄の響きが、それも激しいものが、近づいてきた。
一頭ではない。数頭いる。
曲がり道の向こうから、イルディンとその馬が飛び出してきた。
「お逃げ下さい!」
必死の形相で叫ぶ、その口から血があふれている。
体の前面も血まみれだ。
背中に何かが生えていた。
矢。
いやもっと太く、長い。
投げ槍だ。
従士のイルディンは、鎧は身につけておらず、急所を補強した厚手の革の上着を羽織っている。
ある程度は防御力のあるそれを貫通して、槍の穂先は腹から突き出ていた。
こちらに警報を伝えたことで最後の糸が切れたか、イルディンの体が傾き、落馬した。
イルディンを追って、騎馬が現れる。
二騎。
それぞれ意匠の違う鎧、野卑な顔つき、片方は血のついた斧槍、もう片方は投擲用の短槍と丸盾を手にしている。
カルナリアの目には、悪い「色」に全身が染まっているように見えた。
傭兵か、地元の者が賊徒と化したか。
とにかく明らかに敵だ。
「おい、まだいたぜ!」
「女だな、ありゃ」
「やべえ、逃がすな! やっちまえ!」
カルナリアはうろたえた。
認識阻害の効果は――自分がその前に座っているから、意味がない!
「すまない、イルディン」
背後のフィンが静かに言った。
「命がけの知らせ、無駄にはしない」
なぜかその瞬間、カルナリアには、こちらに向かってくる賊たちよりも、背後の存在の方が恐ろしく感じられた。
フィン・シャンドレンは、剣士である。剣を使うのが本業である。自分ではそう言っている。ついにその真価を披露するのか。それとも。第41話「突破」。残酷なシーンあり。




