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24 逃亡


 カルナリアの成果である背負い袋が、ぼろ布の中に飲みこまれた。

 割と平べったく、肩かけベルトは幅広いが近接している。持ち主の、背は高いが肩幅は広くない、女性の体格に合わせて作られたものだろう。

 背負っているらしく、もぞもぞ揺れ動く。

 動きが止まると、少しだけぼろ布が盛り上がっていて、初めてこの怪人の前後を判別できるようになった。


 カルナリアも、自分の背負い袋と別に、薬草類を入れた(かばん)をたすき掛けにする。


「先に行け」


 言われて、山道を下りはじめたが。


 振り向くと、フィンは小屋の側にたたずんで、何かやって、あるいは言っていた。


 こちらではなく小屋を向いている。


 少しして、動き出して、追いついてきた。


「あの…………何をなさっていたのですか?」

「これまで住まわせてもらっていた家と、恵みをもらっていた山に、感謝と別れを告げていた」

「家と、山に、ですか」

「私のところの風習だ。お前は気にしなくていい」


 外国のこと、カラント王国の四方にそれぞれどんな国がありどんな神を信じているのかは勉強させられたものだが、山に感謝するというものは思い出せない。思い出せればフィンの出身地がわかるのに、と悔しかった。


 木々の間を下りてゆく。


 さすがにフィンの動きにも上下動があらわれた。


「……ご主人さまが歩いているのって、なんだか不思議な感じです」

「めんどくさい。こちらは動かずに、目的地の方からやってきてくれれば楽なのだがな」


 冗談なのだろうが、本気の可能性が高かった。


「私が強くて大きな男の奴隷だったら、楽ができるよう、背負わせていましたか?」

「足をつかまれるのはいやだから、上に立つ」


 ランダルが使っているあの奴隷の、肩の上にこのぼろぼろが直立しているところを想像すると、奇妙という言葉ではすまない異様さだった。

 その姿で村に降りていったら、怪物が出たと大騒ぎになるのではないだろうか。


 話しているうちにも、山道の終わりが近づき、木々の向こうに村が見えてきた。


「ところで……面倒くさいのが来た、というのは……?」

「静かに。隠れろ」


 問いを発したタイミングで言われる。

 戸惑うカルナリアをよそに、フィンはするりと太い木の陰に移動した。


 カルナリアも後を追い、しゃがみこんだ。

 後ろから軽く頭を押さえられたので、さらに小さくなる。


(……え、今、もしかして?)


 ぼろ布から、あの手が出てきたのか。

 見上げたが、フィンは相変わらずのぼろぼろ姿である。


「くそっ、くそっ、くそっ……くそ親父……どいつもこいつも……くっそぅ、いてえ、いてえよ、くそぉぉ……!」


 姿を見るまでもなくわかる、ランケンのうなり声が、山道の下から近づいてきた。


 これか。

 確かに面倒くさい。


「やめようぜ、なあ、あんな村長さん見たことねえよ、いい加減にしようぜ、なあ。みんな動けねーし、お前だって、脚さあ……」


 取り巻きはひとりだけだ。


「うるせえ、うるせえ、うるせえ……ぜってー、ゆるさねー、あのガキ、女、どいつもこいつも、馬鹿にしやがって……!」


 怨念のこもった声だが、動きが遅い。

 通り過ぎるどころか、聞こえ始めてからあまり移動していない。じわじわとしか迫ってこない。


 やっと、隠れている木の近くまで来た。


「ころしてやる、ぶっころしてやる、ぼろぼろさんとやら、剣士だか何だかしらねー、親父なんか知ったこっちゃねえ、ぶっころして、全部ひっぺがして、おかしてやる!」

「だからもうやめろって、今度こそ殺されるか、追放されるぞ! お前、足、折れてんだろ!? もうやめとけよ!」

「うるせえ! てめえからぶっ殺してやるぞ!」

「あーそうかい! もうついてけねーよ! 知らねえぞ! 俺、知らねえからな!」


 取り巻きがランケンから離れて、道を下っていった。


 ランケンはひとりになり、ぶつぶつ言いながら、構わずのろのろと登り続けた。


 ようやく通り過ぎて、カルナリアはちょっとだけ顔をあげてのぞき見た。


 大柄な子供の後ろ姿は、片脚に()え木と包帯を巻かれ杖をつき、よたよたとしか動けない状態だった。


 父親のランダルに散々ぶちのめされ、取り巻きともども寝こんでいたのが、気力だけは大したもので、抜け出してここまで来たというところか。


 あれが、逆恨みにしてもあの調子で小屋まで来たら。


 さらに叩きのめさなければならなくなり、動けなくしたらしたで、村へ伝えてあの大きな体を回収してもらわなければならない。


 確かに面倒だった。


 ――しかし、カルナリアは納得できなかった。


 あれが面倒くさいものだとしても、旅支度をしなければならないほどとは思えない。


「……よし」


 充分離れた、と判断したらしいフィンが動いたので、訊ねてみた。


「あの……()()から逃げるために、家を出たのですか」


「いや」


 フィンからまた、あの冷え冷えとした気配がした。


「あんなのはどうでもいい。もっと厄介な気配が近づいてきている。こういう生き方をしていると、そういうのは割と早くわかるようになってな…………()()の気配だ」


「えっ……!?」


「私の陰に隠れながら動け。誰にも姿を見られないようにしろ」


 山が終わり、整然とした果樹園や畑が広がる、村の敷地の端に来た。


 夕暮れが近づいている。

 そろそろ農作業をしている者たちも帰宅する頃合い――だが。


 騒然とした気配が伝わってきた。


 昨日に続いて、田舎の村に何か事件が起きた。


 いや――事件どころではなく。


 カンカンカンカンと、木の板を激しく叩く甲高い音がした。


 よそ者のカルナリアが行き倒れ、殺し合いをした者たちの死体が運ばれてきたときですら鳴らされなかったもの。

 それが、猛然と打ち鳴らされている!


 非常事態。


 人が見えた。みな畑を放り出して村の中央へ走ってゆく。

 逆の動きもあった。子供たちを母親が探し、抱きかかえて、家へ転がりこむ。次々と戸や窓が閉ざされてゆく。


 フィンは畑の縁に沿って、村を迂回するようにするすると移動していった。

 カルナリアも身を低くして追随(ついずい)する。


「……あ!」


 小さいが、つい声を漏らしてしまった。


 見えたのだ。


 ローツ村は三方を山に囲まれているが、南側が開いていて、道が延びている。


 カルナリアも先日()い進んできたその道の先に。

 その辺りにはまだ射しこんでいる西日で、きらきらと。


 刃物や、鎧や、金具に反射する光が、無数に。


 ――兵士だった。


 ()()だった。


 騎馬、歩兵、合わせて百人にもなろうかという完全武装の集団が、村に迫っていたのだった。


 村側は、入り口の柵を閉ざし、男たちを集めている。

 みなに指示を出しているランダルの姿が見えた。


 カルナリアの血の気が引いた。


 自分の所在がつかまれたのか。

 あの数では、ランダルでもどうすることもできない。

 王女をかくまったということで村人全員が処刑されても不思議はない。それが十分に可能な数だ。


 だがフィンがぼそっと言った。


()()捕まえに来たようだな」

「え」


 小声で訊ねた。


「……ご主人さまは、()()()()方だったのですか」


「流れ者というだけで罪になる国もある……剣士のはたらきの結果、私を恨んでいる相手もいる……私や私の持ち物を研究したいと狙っている魔導師もいる……私の身柄に賞金をかけている王子というのも……」

「王子さまに、悪いことをしたのですか!?」

「妻にしたいと。あちらこちらに、三人ほど。すでに妻がいて、その妻が私の首に賞金をかけたという者がその中にひとり」

「…………」


 新しいご主人様は、『おたずね者』だった。


「名を呼ぶな」「自分を知っている相手はろくなものではない」と言っていた理由もよくわかった。かたくなに顔を見せない理由も。


 自分のことを誤魔化せると喜ぶべきかどうか、カルナリアにはわからない。

 これはこれで、厄介事を呼びこむ予感しかしない。


 フィンはさらに移動し続け、カルナリアも必死について行った。

 厄介だと思っていた認識阻害の布は、今はカルナリアの命も村人たちもこの村も、すべてを守る唯一の盾だった。


「いい村だったが、お別れだ」


 畑が途切れ、大きな木と、その周囲に木の板が何本も立てられた――墓地に来た。

 お別れという言葉が胸に染みる。

 ()()墓標、最も新しいものはすぐに見つけられた。


 フィンは、そこも迂回するかと思ったが、墓地に踏みこんでいった。


 レントとエリーに別れを告げさせてくれるのか。

 いや、フィンは埋葬のことは知らないはずだ。


「薬の袋を、そこに置け」


 墓標の中では新しい方だが、レントとエリーの真新しいものに比べると季節をいくつか過ごした感じのものが立っている。

 裏側の文字が見えた。

『我が慈母。孫を愛し続けた優しき祖母。安らかに旅立つ』

 何となく察した。


「もしかして……村長さまの?」

「ああ。去年な。病気だったが、苦しみをやわらげる薬の作り方を知っていたし、材料は山の奥に生えていたので、いくらか処方した」


 ランダルの母の墓に薬を置いていくのは、ランダルならこれが誰の餞別(せんべつ)なのか、そして中身の有効な使い方もわかるからということなのだろう。


「……ここにいたいのなら、いいぞ」


 一度だけ、訊ねられた。


 返事は決まっている。


「ぜひとも、ご一緒に。わたしはご主人さまの持ち物なのですから」

「そうか。ではしっかり()()()()()ぞ」


 カルナリアは喉に手をやりながら、最後にレントとエリーの墓標を振り向き、祈った。


 自分を助けてくれたランダルにも、この村にも、心の中で礼を言い、どうかよき風をと神に祈った。



 墓地の奥から、小さな水流をまたぎ越え、茂みを縫って移動し続ける。

 下生えが多いと、虫が湧く、獣がひそむ、畑に雑草の種が飛ぶとろくなことがないので、割とよく刈りこまれていて、移動に苦労はない。


 完全に村を出たようだ。


 ふと視界がひらけると、村の入り口を横から見る位置にいた。


「…………ふむ」


 状況を観察しているらしいフィンの、ぼろ布の陰からカルナリアものぞき見た。


 村側は、男たちが集まって入り口をふさぎ、ランダルがひとり柵の外に出て、道の中央に立っている。


 兵士の側は、騎乗したままの指揮官、その周囲に同じく騎乗の部下が五騎、後ろに歩兵がぞろぞろ。時々混じっている騎乗の者はそれぞれの小隊長だろう。百人に少し足りないくらい。


「年寄りが多い。精鋭ではないな。この辺りの村に、支配者が変わったことを告げに来て、ついでに食料と兵士を供出させる、宣伝部隊というところか――だが、犬がいるな」


 カルナリアも「見」た。

 息をのみ、いやな鼓動に襲われた。


 兵士の隊列、それぞれの者たちの色。


 最も武の才ある者は――村の側の、ランダル。

 それに対面している指揮官は、ランダルほどではないが、なかなかの戦士。直属の騎兵たちも、武人としては割と優秀。ただし年をとっていて、もう最盛期の力は出せないだろう。

 槍や弓、盾を持つ歩兵は、ほとんどが並か下。山中で自分たちを襲ってきた連中と大差ない雑兵だ。


 問題は、隊列の半ばあたりにいる、犬およびそれを連れている者たちだった。


 猛々しい犬が三匹。

 それぞれを綱で引く者たち。


()()は…………普通のやつじゃないな」


 剣士の観察力か、フィンは、カルナリアと同じことを見抜いたようだ。


 カルナリアには()()()いた。


 革鎧すら身につけていない、一見軍属(ぐんぞく)の庶民のように見えるその犬使いたち。

 だが彼らは、兵士たちとはまったく違う、禍々しい「色」をしており。


 その三人の後ろに、マントを身に巻きつけた男がいる。

 老人というわけでもないのにやたらと背中を丸めた、ひどい猫背の、這いつくばっているような姿勢で歩いている。


 その人物に、カルナリアは最も大きな才の色を見た。

 すばらしく輝いていた――が。


 とてつもない「悪い色」をしていた。


 きわめて高い能力を持っているが、質の悪い兵士以上に残忍で冷酷な、どんなえげつないことも平気でやってのける、闇の仕事を専門にする人間に間違いなかった。




怪人の判断の早さのおかげでぎりぎり逃れた二人。一方で残された者は。

次回、第25話「ローツ村の終焉」。残酷なシーンあり。

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