23 収納の達人
フィン・シャンドレン。
不思議な響きの名前だった。
この国では聞いたことのない名前。
男性か、女性かもわからない。
どちらだと言われても納得できる。
「フィン、さま……で、よろしいですか? シャンドレンさま?」
「どちらもだめだ。ご主人様、だ」
「はい」
「よそでも、できるだけ言わないように。ろくなことがない」
「……どうして、ですか?」
「知ってるやつは、大体めんどくさいやつだ。関わりたくない」
その言葉に、驚き、かつ安心した。
この、フィンという存在は、間違いなくひとだ。
どういう形であれ、他者とのつながりを持っている。
これは人間ではない存在で、その所有物となった自分は人間とは違う世界へ連れていかれてしまう――そんなこともカルナリアは想像していたのだった。
「けんせい、っていうのは何ですか?」
「あー……教えておかないと、その方がめんどくさいか」
「ご主人さまのことは、知っておいた方が、お役に立てると思うんです」
「……私は、人よりは剣を使うのが上手い」
誇るでも謙遜するでもなく、ごく当たり前のこととして、さらりと言った。
「だから剣で身を立てているが――同じように剣の上手い者というのは、強い相手を倒して名をあげたい、いっぱい稼ぎたい、いい暮らしがしたい、自分の城を持ちたい……大体そんなことを考え、そのために人を斬り、報酬や名声を求める」
カルナリアはうなずいた。
自分が王宮で見てきた剣士というのも、そういう存在だった。華美に飾り立て、優雅に振る舞い、素晴らしい剣技を披露して、美姫たちから熱いまなざしを向けられ、そしていい待遇でどこかの領地に迎え入れられることを狙っている。
「でも私は、そういうのがめんどくさい。そもそも剣を使うのもめんどくさい。
だから、できるだけ早く片づけて、余計なことに巻きこまれないうちに立ち去るようにしていた。
するといつの間にか、名利も金銭も求めずただ剣を振るい、人々の嘆きに応えて悪いやつを斬って、静かに去ってゆく……剣の聖人、剣聖と呼ばれるようになっていた。
私は一度もそんな風に名乗ったことがないし、悪人を選んで斬っていたわけでもないし、もらえるものはもらえる限りもらっていくことにしているのだが」
「はあ……」
カルナリアとしてはとにかく適当なあいづちを打つしかできない。
「ここは、いいところだった。ランダルは、私がそう呼ばれている者だと知りつつ、他の者には知らせないでいてくれた。おかげで余計なやつらがやってくることもなく、のんびり過ごせた」
(…………過去形……!)
カルナリアはすぐに気づいた。
自分を買う、自分という奴隷を所有することで、この怪人の生活が大きく変わってしまうことになったのだ。
フィンはランダルと意味のよくわからないやりとりをしていた。
あれはそのことを言い合っていたのだろうか。
「あの……もしかして…………わたし、お邪魔なのですか?」
「いや。私は、この国では許されている奴隷というものを、一度は持ってみたかったのだ」
先ほどの冷気の逆――温かなものがふわりと立ちのぼるのをカルナリアは感じた。
しかしそこから伝わってくる感情は、優しくも甘くもなく、ろくでもないものだった。
「自分が何もしなくても、全部やってくれる! 奴隷とは、何とすばらしいものか。いくらでものんびりできるではないか!」
これまでで一番、強い声だった。
「………………」
目が細くなっていることを自覚した。
買われた者、主人の所有物としては許されない目つきをしているということはわかる。
だがどうすることもできなかった。
この人物ならば、と思った自分の選択もそこに至る思考も、すべてが台無しにされた心地に包まれる。
「では、さっそく、働いてもらおう」
ぼろぼろ――フィン・シャンドレンとかいうらしいご主人様は、カルナリアの気持ちなど一切気づいていない様子で、小屋に誘導した。
カルナリアはあらゆるものに対するむなしさに浸りながら、むしろをめくってかがんで入りこむ。
「その、大きな背負い袋はわかるな」
後から入りこんできたフィンは、指示だけ出してきた。
「はい、これですね」
「そこに、残していったらまずいものを入れておけ。ここはもうじき引き払うからな」
指示だけすると、するりと、出ていってしまった。
「………………え」
取り残されたカルナリアは、しばし固まっていた。
本当に、自分は何もせず、奴隷に全てやらせるつもりだ。
それは間違っていない、主人としては何一つ間違ってはいないのだけど!
(と、とにかく、今の私の立場では、期待どおりに働くしかない……!)
だが。
(あれだけの指示で、何をしろと!)
キレつつも、抗うわけにもいかないので、必死で考えた。
ここは引き払うと言った。
カルナリアという同居人が増えたことで、別な住処に移るのかもしれない。ランダルはフィンを村に連れてきた時、家を提供しようとしたが断られたとも言っていた。それを受けることにして、村のどこかに住むことになるのかも。
(いや、あるいは……村を出るのかも……)
ランダルとまるでお別れのようなことを言い合っていた。
(それなら、山を越えて、西へ!?)
胸が高鳴って、それからぐっとこらえた。
(……想像はあと! 奴隷の心得、ご主人さまの指示が最優先!)
都合のいい未来を期待してしまうのは良くない。
とにかく、この小屋にはもう住まないということ、それだけが確実な話。
移住するから荷物を整理しろと、その作業を求められているということで間違いないだろう。確かにそれは奴隷の役目だ。
問題は――。
「残していったら、まずいもの……」
胸がいやな鼓動を打った。
どう考えても、数々の魔法具は、残していってはいけないもの。
しかし、見た目は同じようなただの日用品は残し、適切に魔法具だけを収納するのは――自分に見抜く目があり、魔法具についての知識があるとわざわざぶちまけるのと同じ。
認識阻害の魔法を見破ったことは、子供なら時々いると言っていたので、ごまかしの効く範囲だろうが。
魔法具の知識となると、奴隷にしてはどう考えてもおかしい。
これは、試されているということか。
自分の正体を、能力を、探ろうと。
そのための曖昧な指示。
だからといって、何も気づかないふりをして、いくつもの魔道具を放置し、不要であろうものを荷物に詰めこんでみせるのは――。
(役立たず、と思われるのも……よくないですよね……)
フィン・シャンドレンは、自分が西へ向かうにあたって、どうしても協力してもらいたい相手だ。
その相手から無能と判定されるのは避けたい。
最悪、やっぱり使えないからいらないと、村の共有財産に戻されてしまう可能性だってあるのだ。
カルナリアはとりあえず、あちこちにある「小物」を、貴重品とは扱わず、鍋や食器類、布などとまとめて袋に入れることにした。
王女として育てられたカルナリアだが、袋や箱、鞄にものをしまう作業は、割と得意だ。
幼い頃、子供の突然の好奇心で、服や布、おもちゃなどをどれだけ箱に詰めこめるか挑戦し始めたことがあった。
大抵のことは止める侍女たちも、それは止めずに、むしろきちんとしたたたみ方や整然と並べた方がより沢山入るなど、積極的にコツを伝授してくれた。
自分たちの仕事が楽になるからという身も蓋もない理由を理解したのはそれなりに大きくなってからだが、その頃にはもう、脱いだものをきちんとたたむ、細々したものを整頓するというのは、カルナリアの身にしみついた技術となっていた。
それが今、こんな所で、役に立つ。
フィンは定住者ではなく旅人だけあって、魔法具以外のものはどれもこれも、持ち運びしやすいように、軽く、あるいは小さく、また重ねやすいようになっている。そうと気づくとカルナリアの作業はさらにはかどった。
衣類――小さめの四角い袋に最初からしっかり収められている。微妙な魔力を感じる。例の下着のような、何かの魔法的仕掛けが施されたものが入っていそうだが、引っ張り出して確かめるのは我慢。
お金――貨幣の入った、ずっしりした財布があった。奴隷に扱わせていいのだろうか。いや本当の貴重品は身につけているに違いない。ここで盗むような真似をすれば、一発で不合格、放逐だろう。中身は見ないで、背負い袋の中にいくつか作られているポケットのひとつに入れた。
(こんなところ、かな……)
けっこう熱中してしまった。
一度納めたものを、全部出して、もう一度納め直すこともした。
かなり見事なまとまり具合になったと思う。
こんなところに、自分にできることがあった。
カルナリアは達成感に笑みを浮かべる。
魔法具はほとんど背負い袋に入れた。
だがすべてではなく、天井の照明板や、奥の方の見ただけでは魔法具と気づけそうにない地味な袋など、三つ残した。
これならごまかせるだろう。
「ふむ」
「わぁっ!」
例によって、気がついたらぼろぼろが小屋の中にいた。
カルナリアは床の上を転がってしまう。
「こっ、これからっ、ご一緒ですからっ、もうしあげますけどっ! そのっ、いきなりあらわれるのっ、心臓に悪いですっ、こわいです!」
つい本音をぶちまけてしまった。
「むう。わかった。少し考慮しよう。
ただ――お前にも、気をつけてもらいたいことがある」
「なんでしょうか」
「私の居場所がわかっても、露骨に見るな。目を動かすな。
私のいどころを探りたいやつが、いいやつとは限らん。普段から気をつけて、慣れてくれ」
「……はい」
納得の指示だった。
認識阻害の布。これは、剣士――戦いを生業とする者に、とてつもない有利を与えてくれるものだ。
その利点を、自分が台無しにしてはならない。
「それより――ふむ」
フィンは、カルナリアが見事(自賛)に荷造りした背負い袋を検分したようだった。
「いい出来だ。ただ、奥にある袋と、水壺の下の丸い敷物、あと天井の光っているやつも入れてくれ」
的確に指摘された。
カルナリアの意図的な入れ忘れと気づいたかどうかはわからない。
つくづく、「色」を見るのを阻み、顔も体も全部隠してしまう、このぼろ布は厄介すぎた。
「あの、これ、多分、村長さまから、お薬の、お金……私が持っていては、いけないと思います……」
エリーレアの財布の、中身だけを、差し出した。
「ふむ。なるほど。確かに。わかった、これは預かろう。だが……そうだな、これは、どこかに隠し持っておけ」
金貨二枚と宝石がひとつ、残された。
隠し場所を工夫しなければならない。
ここまでの旅路でレントが苦労しているのを見てカルナリアは理解していた。
金貨というのは、平民にとっては、高価すぎるのだ。
エリーレアはまったく気がつかないままだったようだが、レントが乗合馬車はじめ色々な交渉をする時、差し出すのはいつも銀貨か、見たことのないくすんだ色の貨幣だった。銅貨というらしい。
奴隷であるという自分が金貨を持っていると、疑われ、怪しまれ、貴族かもと推察されてしまうだろう。下着に縫いつけたり、靴に隠したりして、人に見られないようにしなければ。
「そちらの背負い袋に、お前の荷物を入れろ。背負って走れるように、詰めこみすぎるな。外で試してみた方がいいな」
「はい」
「ランダルが回収するだろうから、置いていくものについてはあまり気にする必要はない――が、服や布の予備を持っておけ。あと余裕があれば、上のカゴの中の食べ物の、好きなものを入れておいていい」
「はい」
胸が高鳴った。
着替えを持たせる、背負って走れるように、そして食料も持たせるということは、村の中の別な場所に引っ越すわけではなさそうだ。
「マントはそれでいいが、顔を隠すのは――自分でやれるか?」
「はいっ!」
ぼろ布の合わせ目からまた何かが出てきた。
絨毯に置かれたそれは、小さな板で、はめこまれたものがきらりと光る――鏡、だった。
これで確認しながら調整しろということだ。
「わあ……!」
素の声が出てしまった。
金属を磨いただけの歪んだものではない、ちゃんとした手鏡。
木製の縁は優美に彫刻されていて、魔法具を除いては、この小屋で見たうちでは最も高価なものかもしれない。
「では――ああ、私は外で、あちこちに置いたものを回収してくる。少ししたら戻る。戻ったら移動するから、そのつもりで」
フィンはするすると外に出ていった。
――いきなり出てくるのはやめてくれ、とお願いしたから、気をつかって行動を事前に説明してくれたようだ。
奴隷の言うことなど、と無下にされることなくそれなりに真摯に対応してもらえて、嬉しくなった。
それはともかく。
カルナリアは鏡をのぞきこむ。
自分の顔を久しぶりに見た。
(うわあ……)
わずか数日で、かなり痩せた上に肌は荒れて、髪はつやを失い、目つきは鋭く、何とも野生的になっているなと、自分では思った。
だがこれでも、ランダルは見とれたのだ。
ということは。
(わたくしは、どれだけひどい顔にされていたのですか!?)
治してもらう前は、誰ひとりとしてカルナリアの顔に見とれるということはなかった。
良くも悪くも素直な子供たちも、同情の目を向けこそすれ、かわいいとかきれいという表現を一度もしなかった。
必要なことだったから痛みも怖さも何もかも許してはいるが、レントをあの世から呼び出して文句を言いたくなった。
顔を隠すフードは、移動中もかぶせられていたし、貴族でも平民でも普段から使う者は少なくないので、用意するのに苦労はない。
ランダルがよこした荷物の中の布で、今着ている服と、自分の背丈に合っている子供用のマントに合うものを選べば、さほどの時間もかけずにいい感じに頭を覆うことができた。
フードをかぶり、マントをまきつけ、袋を背負い、外に出る。
(あ…………)
入り口のむしろをめくる時に、魔力を何も感じなかった。
侵入防止の魔法が解除されている。
つまり、これから先は、この小屋は誰にでも見える。
忘れられない一夜を過ごしたここは、なくなってしまうのだ。
少し寂しい。
荷物整理にけっこう時間を使っていたらしく、太陽がもう西の山陰に引っかかっている。
「よい、しょっ、と……!」
荷物の具合を確認し、その場で飛び跳ね、斜面を駆け上がり、戻って、動きやすくなるように調整する。
視界の隅に、引っかかるものがあらわれた。
「…………」
目を向けないように、見ていると気づかれないように。
山肌の茂みと区別のつかないぼろぼろが、相変わらず上下動に乏しい滑るような動きで近づいてきた。
「今度は逆に、気づいていないぞと装っているのが見え見えすぎる。もうちょっとがんばれ」
ダメだった。
それはともかく、戻ってきたフィンは、一度立ち止まった場所からするりと横に移動する。
その後に、地面に置かれたいくつもの袋や箱があらわれた。
「採集して干しておいた薬草や、陽にあてていた茸、獣の肝など、要するに薬だ」
本当に、薬師でもあったのだ。
ただ、山中を駆け回ってこれらの材料を集め、それぞれを加工する作業をするフィンというものが、どうしても想像できなかった。
本人はじっとしていて、魔法ひとつで材料の方から飛んでくる方が、よほど想像しやすい。
それぞれ種類ごとに収納できる、専用の袋が用意されていて、それに順番に詰めてゆく作業をさせられる。ものによっては指ににおいがつくので直接は触らないようにとも言われた。
「持ち歩くのではなく、餞別にする――『が』」
フィンが首をめぐらせ――ぼろ布の動きで何となくだがわかった――冷え冷えとした気配を発した。
「思っていたより早い。めんどくさいのが来た。すぐ出るぞ」
王女だった奴隷少女と、剣士と名乗る謎の女性の、スローライフのはじまり……なんてことはなかった。即座に移住のいいつけ。なぜフィンはこれまでの住処を捨てて移動しようとするのか。何が来るのか。
次回、第24話「逃亡」。




