99 休日
「体の具合はどうだ」
「あ、はい、とても…………軽いです。どこも痛みません」
あの「治療」のおかげだろうか。
本当に腕はいいのだろう。死ぬほど痛かったが。もう二度とごめんだが。またやると聞かされたらこの屋敷からの逃走を本気で考えるが。
朝食が運ばれてきた。
あの四人組のうち、三人。
彼女たちはいつも四人一組で行動していたので、妙な感じだ。
(あの人がいませんね)
四人の中で、ひとりだけ才能が突出していた少女。
彼女だけ「色」が明確に違うので印象に残っていた。
夜番についてずっと起きていたため、今は休んでいるのかもしれない。
今度はちゃんと、フィンも同じテーブルについてくれた。
まぶしいほどに真っ白なパンと新鮮なバター。これまでは毎朝食べていて、焼き加減の違いをどうこう言っていたそれが、ただ白いパンというだけでこんなに感動するようになるとは。
小さな角切りにした燻製肉や野菜がたっぷり入った、透き通ったスープ。香りがすばらしい。
厚切りにしてほどよく火を通したハム。白い酸味あるソースが文字を描くようにかけられていて美しい。
卵焼き。溶いた卵に芋か何かを摺りおろして混ぜたものを、形良く焼いて、赤いソースをかけた絶品。
果物が多めのサラダ。
品数はそれほど多くないが、活力を呼び起こしてくれる朝食だ。
そして、その香り、醤はあまり使わない、塩と素材を優先した味つけは……。
いつも口にしていたもの。
すなわち――。
(王宮風…………このタランドン、西の味じゃなく、中央の…………王都の!)
恐らく、自分のために工夫してくれたのだろう。
懐かしく感じられる味わいに、泣きそうになった。
――城の、あの離れでも、王都風の食事を出されたはずなのだが、味の記憶がまったくない。
一緒に食べる者と状況により、こんなにも変わるものなのか。
フィンも食べている。
相変わらずほとんど動かず、給仕についた子が差し出すものをぼろ布の中へ吸いこむ食事方法だが、少なくとも「あーん」はさせなかったので、カルナリアは安心して自分の食事を楽しむことができた。
「美味いか」
「はい、とっても!」
心からカルナリアは言った。
自分の明るい顔を見て、フィンも笑ってくれた。
布に隠されているのに、なぜかそれがはっきりとわかった。
口に入れるものが、さらに美味になった。
昨日の様々な、黒々としたことの全てが遠ざかってゆく。
幸せだけになる。
ひとは、これでいいのだ。こういう幸せがあればいい。
自分が何者かなどは、まずこれがあって、その次に考えること。
「それで、今日の予定だが」
食後の、豊かな香りの立つ草茶をぼろ布の中に吸いこみつつ、フィンが言ってきた。
「まず、お前の、寸法を測る。
服を仕立ててもらう」
「……私の服、ですか?」
「あのような真似をした以上、もうこの領にはいられないからな。旅支度を整える必要がある。今までのものではだめだ、きちんとしたものを用意する。私も、色々そろえ直す」
「ここを離れるのなら…………前におっしゃっていた、お隣の国へ、ですか?」
「ああ」
カルナリアは喉を鳴らした。
ついに。
祖国を離れ、隣国バルカニアへ。
「だが、今日はまだ動けない。服にしろ道具にしろ、一日でそろうものではないからな」
「あら…………」
逃避行を始めて以来、毎日どこかに移動していたので、同じ場所に居続けるというのは不思議な感じだ。
それに、不安でもある。
「大丈夫なのですか、追いかけてくる人たちとか……」
「ああ、ここにかくまわれている分には、問題ない。むしろ、いま外に出て移動する方が危ない。すごいことになってしまっているそうだからな」
「すごいこと…………とは?」
「剣聖祭りです!」
と、控えている少女たちが勝手に言ってきた。
言わずにはいられない、と目がきらきらしている。
「ま、祭り!?」
「フィン様の大活躍を、見ていた者はもちろん、耳にした人たちも、ものすごく盛り上がって、今はもうどこもかしこも、剣聖様を称える声ばかりなんです!」
「みな、この機会を逃すなと、商売に飛び出していきました」
「商売…………」
「ラーバイが燃えてしまってお店が営業できませんから、それで稼がなければなりません。剣聖様を称える歌、詩、活躍を伝える語り、剣聖様の人形、姿絵、お守り、お好きな食べ物、救出に向かう前に飲んだという飲み物…………お名前を書いた板きれですら売れているんです」
「朝からもう、並べるはしから売れていて、ここは静かですけれど、作業場は戦場も同然だそうですよ」
「『人魚』の方々も、剣聖様に扮して芝居を演じたり剣舞を見せたり客を取ったりする準備に大わらわ、私たちも午後からはそちらの手伝いに駆り出されることになっています」
「………………」
カルナリアはフィンを見た。
名前を広めたくない、めんどくさいとあんな山の中に引きこもっていたのが、そんな大騒ぎになっていいのだろうか。
ビチッ。
おでこを弾かれた。
「あうっ」
山でもやられた、制裁。
意味はよくわかった。
誰を助けるためにフィンが人前に姿を見せたのか。
助けられた身であるカルナリアには、騒ぎになっていいのかなどということを気にする資格は皆無である。
「それらの売り上げの一部を、私がもらうことになっているから、文句も言えん」
そういう形での金稼ぎというのは、カルナリアにとって驚きだった。
「なので、私は外に出ないが…………お前は退屈だろう。きちんと顔を隠し、ひとの言うことを聞けるなら、外に出ていいぞ」
「え…………」
フィンを見て、窓の外を見て、またフィンを見た。
離れたくないが――持ち前の好奇心も湧き起こる。
それにカルナリアの耳は、少女たちの言葉から聞き捨てならないものを拾い上げていた。
フィンの、人形や姿絵。
それを見れば、このぼろ布の中身がわかる!
「行ってきます」
採寸の後、支度を整え、出かけた。
同行してくれるのは――朝食の時にはいなかった、あの才能ある『若魚』の少女。起きてきたのだろうか。
カルナリアは、首輪はそのままだが、服装はこざっぱりとしたスカート姿になった。懐にレントの短剣とエリーレアの身分証はきちんと入れてある。彼らは常に自分と一緒だ。
フードをかぶり、「主人」である少女に連れられているように見せかける。
顔に一切の偽装はしていないので、できるだけ見られないように、見せないように、気をつけねばならない。
いちおう、少女が化粧をしてくれた。失敗した風に、だという。鏡は見せてもらえなかった。
「マルガ、と申します。外ではあなた様を呼び捨てにすることをお許しください」
相手は丁重に告げたあと、ふてぶてしく笑った。
「まあ、今だけの名前ですが。すぐ別な名になります」
客を取るときに王女や有名な美女の名前にすると聞いた、あれなのかと思ったが。
「今、フィン様はもちろん、お手伝いをした私たちも、おたずね者にされておりますので」
市中の評判は最高でも、タランドン侯爵の面子を潰したということで、関わった者たちみなが罪に問われているとの話だった。
「お貴族様とはそんなものです。侯爵様ご本人にはそのおつもりはないそうですが、次男様はじめ、侯爵家に関わる方たちが、許してはならないと」
マルガが意味ありげにカルナリアを見た。
先日の、不敬罪には問わないから離しなさいとカルナリアがわめいた、あれへの皮肉なのはすぐわかった。
「う…………」
「全てわかってやったことですので、お気になさらずに。こちらも、こういう時のために、日頃からお金や女を使って役人とつながりを作り、弱みを握り、あるいは出頭させる者を用意したり、色々対策しておりますので」
「………………」
そんな者と一緒に外に出ていいのか、ものすごく不安になったが。
マルガは、平気な顔をして屋敷の裏口から外に出た。
周囲には塀が巡らされている、細長い裏庭。
「ここは、今の侯爵様の、おじいさまの弟君の血筋で、侯爵様のお嬢様を娶られた方のお屋敷です。川を使った商売をなさっておられるので、身分は高いのですが、川に近いところにあります」
確かに、青空にタランドン城の城壁や無数の塔が高くそびえているのを見上げる立地だった。
おたずね者である自分たちをかくまえるのも、侯爵の娘婿という立場だからか。
ともあれ、不安はあったが、屋外に出るのは心地良い。
「私は、ここのお屋敷の奥様の買い物を言いつけられた者で、あなたはそれについているという立場です」
「はい。大丈夫です。ご主人さまに付き従うのには慣れています。指示のないことを勝手にするような真似はしません」
警戒されているのを感じ、先回りして言う。
せっかく外に出たのに、用心され自由を制限されるのはいやだ。
「ではまず、歩いてみてください。そこの扉のところまで行って、戻ってきてください」
歩き方のチェックだ。貴族ではなく、奴隷らしくしなければならない。
カルナリアは燃えた。
あの「学校」で、平民や奴隷の女の子たちが歩き回り、働くところを沢山見た。どこが違うのかを研究した。その成果を今こそ。
言われた通りに、前を主人たるマルガが歩いている、それに付き従っているとイメージしながら、悠然とではなく逆に落ちつかない感じで、わざと周囲に視線を動かしながら……。
「…………まあ、川向こうではすぐばれますが、こちら側ならそれほど不審には思われないでしょう」
「もう一度!」
今度は、股に太縄を巻かれた、あれを思いだしてみた。
苦い記憶も付随してきたが今は無視。感覚だけを思い出し、あれがはさまっていた時のように……。
「わざとらしすぎます。それに、ずっとそれを続けることができるのですか?」
「あう…………」
「半日ほど練習すれば、それらしくできるようにはなると思いますが――さすがに時間がありませんね。お昼には戻るように言われていますし」
「何か予定が?」
「午後に、もう一度医師に診てもらうことになっています」
「!」
あの「拷問」が!
カルナリアはこのまま脱走したくなった。
ともあれ――歩き方については、片手に果物をいくつか入れた袋を持つことで誤魔化すことにした。やや重たいそれを持っていると、優雅きわまりない動作というのはやりづらくなる。
ようやく許可が出て、扉を抜け、塀の外に出た。
グリ川の北岸は、貴族街であり、水の街ではない。
石畳の街路と、到るところにある階段。
こちらは坂の街と言った方がいいつくり。
庭のある広めの一軒家が多い。
カルナリアが追われて逃げこんだようなわずかな隙間を空けただけの、建物がぎっしり立ち並んでいる下町とはまったく違う。
行き交う人々や馬車も、余裕ある生活を感じさせるものばかり。
王都でも時々「街」に出たことはあり、家のつくりや屋根瓦の色、建築様式などは違うのだが、雰囲気に共通したものがあった。
今思えば、あそこも貴族区域だったのだろう。
王都に住んでいたとはいえ、平民が暮らす下町のことは何も知らなかったことにカルナリアはようやく気づいた。
(いえ…………もう、知ることもできないでしょう)
王宮も王都も炎上し、略奪されたという。
戻っても、懐かしい光景はもうどこにもないだろう。
それを思うと、この歴史ある街の、なじみのある雰囲気が、たまらなく愛おしく感じられた。
そしてまた、落ちついた街並みの中にいることに、自分でも信じられないほどの安らぎをおぼえた。
(本当に…………疲れていたのですね…………)
逃避行のうちに、どんどんやつれていったエリーの姿を思い出した。
自分も、とんでもないことが連続したので気にしている余裕がなかったが、こうして自覚してみると、本当に疲れきっていたのだ。
体を休めるだけではなく、気持ちも――心を回復させるために、フィンは外出を許してくれたのかもしれない。
マルガに従って、カルナリアは貴族街を歩いていった。
水の街である下町ほどではないが、こちらはこちらでかなりの面積があり、住人も万単位で暮らしている。
広場があり店があり、かなりの人出がある。
さすがに貴族街には、あの薄汚い少年たちのような、人をさらって売り飛ばすことを平気でやるような者はおらず、女性だけで歩いている者たちを到るところで見かけた。
奴隷もいた。主人に付き従うだけでなく、奴隷だけで歩いている者、首輪をしていなければ奴隷とわからないようないい身なりの者すらいた。
(どこもかしこも、このようであればいいのですけど……そうすればご主人さまも、ずっととどまっていてくださる……)
しかしここに住む者たちが、状況によっては平民や奴隷を踏みにじり、ギリアやレンカのような怨念を抱く者を多く生み出してしまったのも事実。
川向こうの、あの水の街にも、こちら側の街を焼き住人たちを殺してやりたいと思っているものがいるかもしれない。
レイマールに『王の冠』を渡すことができたとして、レイマールが次の王となった後は、この国はどうなるのだろうか。
貴族がよりいっそう平民をしいたげるようになり、さらに多くのギリアやレンカが生まれてしまうのではないだろうか。そうなったら自分の責任でもある。しかしガルディスが今のまま「反乱」を成功させるよりは……。
カルナリアは色々と考えながら歩を進めた。
衛兵が立っていたので緊張したが、平然としたマルガの後についていくと、まったく気にされることはなかったので、カルナリアは安心して散策を続けた。
「ごめんください、頼んでいたものを受け取りに参りました」
マルガは本当に用事を言いつけられてもいたようで、ところどころの店に入っていく。
女性向けの小物を扱う店。布地を扱う店。金物屋。どこも実に興味深く、カルナリアはフードの下でめまぐるしく、そして楽しく見回した。
「あっ!」
そして、街路を歩いていると――見つけた。
「さあさあ、どうぞごらんあれ、いま話題の、『剣聖』様のお姿だよ! この絵を家に置くだけで、愛しい相手に助けてもらえる、つらいとこから救ってくれる! 美しく強い剣の神、強くなりたい人にもおすすめだよ!」
肩にかごを担いだ男が、声を張り上げていた。
どうやら板に描いた絵を売っているようだ。
「…………!」
あれを見たいと、指でマルガに激しく示した。
「ああ…………」
なぜかマルガは失笑した。
きゃあきゃあ言いながら、女性が次から次へと買っている。
「ごめんなさい、あれ、どんなの? 見せてもらえる?」
買ったばかりの女の子にマルガは声をかけた。
嬉しそうに見せてくれて、カルナリアにも見えた。
薄板に、筆一本で描いた、簡潔なもの。
長い髪の、麗しい――男性剣士が、美麗な姫君を抱きあげている姿の絵だった。
口髭もついていた。
その横に、剣聖フィン・シャンドレンと記してある。
「………………男?」
離れてから、他人に聞こえないようにマルガに訊ねた。
「あの者は、そういうものを扱っているのですね」
「そういうものって……」
「色々な種類のものが出回っているのですよ。フィン様が、女性であるもの、男性であるもの、貴族であるもの、そうではないもの、奴隷を助けたというもの、奴隷に化けていたお姫さまを助けたというもの…………さらには、男性が少女を助ける方が自然だという意見と、いや女性剣士だからこそ美しいと主張する者など、たくさんの派閥ができて、到る所で言い争いが始まっているそうです」
「………………」
別の売り手がいた。
確かに、そちらは女性剣士の絵姿を売っていた。
彼女が助けているのはみすぼらしい姿の奴隷。
「あの組み合わせは、下町で猛烈に売れているそうです。自分も救ってほしいという願望を抱く者が多いからではないかと」
「…………」
噂というものがいかにあてにならないかを、カルナリアは深く学んだ。
また、フィンの素顔については、まったく参考にならなかった。
「今は、とにかく早く描いたものしか出ておりません。細かく描きこんだ絵が出回るのは、もっと後でしょう。取り締まりもありますからひっそりと」
カルナリアは肩を落とした。
確かに性急に過ぎた。
自分も肖像画を描かれたことがあるので、ちゃんとした絵を仕上げるのにどのくらいかかるものかは大体わかっていたはずなのに。
「……あなたが、最も似ていると思うものはどれですか?」
「それを私から言うことは許されていません」
フィンの素顔を間違いなく知っているマルガも、だめだった。
それならせめて、何が起きたのかを詳しく知りたいと思った。
歌声が聞こえてきた。
食事を出す店が、店の前にも椅子を並べ――。
何本も色とりどりの羽根を立てて目立つ帽子をかぶった、五本弦の楽器をかき鳴らす歌手が、先日の大事件を甘い声で歌っており、多くの女性客が群がっていた。
(これなら!)
フィンの容姿について触れるのではないかと、カルナリアは耳をそばだてたが――。
「ぷっ」
マルガが小さく噴き出した。
騎士の中の騎士、テランス・コロンブと、美女剣士フィン・シャンドレン、鞭つかいの女マルシアの三角関係の歌だった。
(誰ですかマルシアって!)
フィンとテランスは以前からの恋人関係。しかし貴族令嬢であるフィンの領地ははるか東であり、なかなか会えないでいたところに王太子の反乱が起きて、フィンは危険が迫る中を何とか愛しいテランスが赴いているこのタランドン城にたどりついた。一方マルシアとはテランスをひそかに思っていた下働きの女。どのような女性にも優しいテランスが、自分を好いてくれていると思っていたのに、本当はテランスの心にはフィンという恋人がおり、それで怒って、フィンが可愛がっている少女を捕らえて鞭打とうとした――。
――という展開を、当人たちはひとことも言っていないし未来永劫言わないだろうというような甘ったるい台詞回しを重ねて歌い上げてゆく。
「ぷはっ! くひひっ! あ、あれは、あははっ、すごいです、あそこまでいくと、もうっ!」
一応店のそばでは遠慮していたらしいマルガは、離れるなり大笑いした。
カルナリアもあきれ果てて脱力した。
あれほどの怨念を宿していたのに、あのように扱われてしまうとは、ギリアのことが哀れにすら思えてくる。
「……あの設定で、私を助けた後にテランス様から逃げ出したことを、どのように理由づけするつもりなのでしょう?」
「そこには触れずに、フィン様が勝利したところで終わらせるのですよ。そして客がああだこうだ言い合ったところで、また最初から始める。受けが良かったところをふくらませて、新しく思いついたことを入れてみたりもして――人気のある物語というのはそうやって出来上がっていくのですよ」
「………………」
カルナリアはここでも大きく学んだ。
広場では、寸劇が演じられていた。
「我が名はダガル! 将軍ダガル・センダル・ドゥ・タランドン!
この地の騎士の、男の意地、見せてくれよう剣聖どの!」
大柄な男が作り物の大剣を振り回し、少し湾曲した棒を手にした細身の男性が、明らかにカツラとわかる長い髪を揺らして、その周囲をくるくると動き回っている。
「こら! フィン・シャンドレンは現在、侯爵家への侮辱罪に問われている! そのような者を賞賛するなど許されん!」
とがめてくる衛兵が現れたが、座長らしき年配の男は満面の笑みで言い返した。
「はい、よく存じております、ですから私どもは、犯罪者たる剣聖に立ち向かったタランドンの騎士さまをたたえるお芝居をみなに見せているのでありましてハイ!」
その一方で、かごを持った奴隷の子供が客の間を駆け回り、小銭が次から次へと投げこまれていった。
(あの決闘は、借金で縛った騎士に、事前の仕込みをした上で行ったもの……と、本当のことを知ったら、みながっかりするのでしょうね)
カルナリアは、フィンから聞かされた『真実』を元に、作り話に見物料を払う人々に生温い目を向けた。
そんな自分をマルガが妙な目で見ていた。
同情するような、嘲るような、見下すような。
あのオティリーもそうだったが、どうにもこの手の、理解できない感情というのは苦手だ。
「何でしょう?」
「いえ……」
「言いたいことがあるなら言ってください」
「今のお立場を忘れておられませんか?」
そうだった。今の自分はこのマルガ付きの奴隷。
気になることがあっても、こちらから主人を問い詰めるような真似はしてはならないのだった。
フィンがいないここで、衛兵におかしいと思われ捕まってしまうような真似をするわけにはいかない。
「……もう少し、色々見て回りたいのですが、よろしいでしょうか、マルガ様?」
「ええ、ご希望はできるだけかなえてさしあげるように仰せつかっております」
「では…………」
別な語り手がいたので、そちらを聞いてみた。
こちらは歌ではなく、木ぎれで台を叩いて調子をつけつつ、ちょっとした小道具も交えて事件を語って聞かせるもの。
自分と同じくらいかもっと年下の、子供が多く集まっていた。
それぞれ下級貴族や、貴族のもとで働く上民の家の子なので、服は小ぎれいで、態度も下品ではない。
それでも子供は子供、目をきらきらさせ感情豊かに、語り手のしゃべりにいちいち大きく反応している。
「そこで女は打つ! 打つ! 鞭を、ビシッ、バシッ! 二発、三発、かわいそうな女の子の背中がみるみる血まみれに!」
(う……)
もう治ってはいるのだが、背中が痛む感覚をカルナリアはおぼえた。
あれを二発、三発も受けていたらとっくに死んでいただろう。
「痛い、痛い、たすけて、ご主人さま! 女の子が祈り、願い、叫んだその時!
『フィン・シャンドレン参上』!
来た! 広場の、人々の中から、さっそうと、剣をたずさえ堂々と!」
(ああ、あれを採用したのですね……)
受ける展開を積み上げていくという手法を知ったので、実際に起きたことをどう組みこんだのかが理解できる。
「むやみやたらに殺しはせぬが、人道外れし相手には 無限に振るわん我が剣! 剣聖フィンの名にかけて、これより見せん、必殺の技!」
(大体合ってますね……この手の人たちは同じような言い回しをよく使うせいでしょうか)
「剣聖さま、優雅にひらりと宙に舞う! 高々飛んで、お城の上に!
鞭の女は怖い顔! 来たな、夫のかたき! そう、この女の夫が、剣聖さまに斬られていたのだ!
だが剣聖さまは悪くない、斬った男は残忍非道の弓つかい、到る所で旅人を殺し役人を殺し、もの、金、馬、命、なんでも奪う極悪非道の残虐夫婦! 退治なさった剣聖さまを、筋道とおらぬ逆恨み!」
(弓つかい…………ギリアの仲間にいましたね。ドルーの城からすごい矢を射てきた……下町でも……偶然の一致でしょうけど……)
「女は鞭を振り回す! 頭上でヒュンヒュン、目にも止まらぬ早業で、丸太も折れるその威力!
しかして剣聖、動揺もせず、さらりとかわして剣を一振り!
剣聖の持つは死神の剣、あらゆるものに死を与える絶対無敵の神の剣!」
(死神の剣…………あれが?)
ぬれねずみになっていたあの夜。簡易天幕の柱にされているのを目の当たりにした、色あせた布を巻きつけた鞘と、まったく魔力を感じなかった細剣…………フィンは切れないものはないとうそぶいていたが……。
「その剣の振るわれるところ、斬れぬものなし、斬られぬものも一人もおらず!
残虐非道の鞭女、哀れに迎えし終わりの時! その腕が落ち、首が落ち、悪行ついに報いを受けた!」
子供たちがわあわあ言い、拍手する。
(本当は数人がかりで倒したはずですが、この方が受けるからでしょうね。あのひとがひとりきりで戦ったなんて、そんな危ない、面倒なことをするわけがありません)
「ところが!
悪女の執念、それで終わらず!
首のない、腕もない体が、倒れない!
モヤモヤッ、ブワアアアッと、気持ちの悪い煙のようなものが立ちのぼる!
ぐっちゃり潰れた人の顔! 死霊だ! 死んだ者が、風に乗らず、この世に残ってしまった恐ろしいもの!
顔が言う……ころす、おまえを、いっしょに、つれていくぞぉぉぉぉぉ!」
語り手の声音と形相が恐ろしく、子供たちが悲鳴をあげた。
「死霊の恐怖に、闇に覆われ、まわりの騎士さま、魔導師さまたちも膝をつく!
死霊は人の命を吸う! 触れられたら終わり、近くにいるだけでもどんどん弱ってしまう! 盾でも魔法でもどうすることもできない!
それが、鞭打たれた女の子を助けようとしている剣聖さまの、背中に近づき、襲いかかる!」
「…………!」
思わずカルナリアも固唾を飲んだ。
「しかし、おお風神ナオラルよご照覧あれ、そこにいたのは死神ザグルのお力を、自在に操るがゆえの剣聖、聖なる剣士、恐ろしくも美しい、聖にして死を司る、神の刃の神業よ!
振り向きざまに神剣一閃!
びゅっ!
地から天へ、生から死へ、ふたつの世界を剣がつなぎ、狭間によどむ哀れな死霊、右と左にまっぷたつ!
…………暗雲晴れて、天にはまことの空が戻り、救われたるこのタランドン!
かくして剣聖フィン・シャンドレン、少女を救い、邪をはらい、この世に正義をもたらしたのでありました!」
……終わった。
子供たちが歓声をあげ拍手し、まわりの大人たちも興奮しながら見物料を語り手の帽子に投げこみ、ついでに売られる飴を次々と買っていった。
「面白かったです。聞いたのならお金を払うのですよね。お願いします」
カルナリアが言うと、マルガは小さく首を振って、貨幣をカルナリアに渡してきた。
奴隷が主人に払わせるのはありえない。
カルナリアは間違いに気づき、近づいていって、自分の手で500ギリアムの銅貨を袋に入れた。他の客が払うのよりずいぶん高額で、これでいいのか気になったが、自分の立場では訊ねることもできかねる。
その際にマルガが、語り手に何か言ったようだった。
「……何を言ったのですか?」
「あいさつですよ。前にラーバイに来たことのある人でしたので。
外に出してもらえない私たちにとって、ああいうお話をしてくれる人はとても大事で、よくおぼえているのです」
「そうでしたか」
「ところで、あのお話、どう思いました?」
「本当にあんなことが起きていたのなら、この目で見てみたかったです。
脚色するにしても、すごいことを考えますね。死霊だなんて。
本当にそんなものがわたく――私の側に出現していたのなら、侯爵様や、まわりの方たちも、無事ではすまなかったでしょう。
聞いた話では、前に出現した時には、剣も魔法も効かなくて、消えてくれるまでに沢山の犠牲者が出たそうですから。
そんな恐ろしいものを、真っ二つだなんて………………そんなことができる人がいたら、人というより神様ですし、そんなことのできる剣があるのなら、この世のものではないでしょう」
「……ええ、私もそう思います」
「剣聖、という呼び名も、こんな感じでどんどん脚色されて広まったのでしょうね。ご主人さまの苦労が少しわかった気がします」
マルガの目つきが、またこちらを馬鹿にしているようなものになった。
残念ながらフィンとのデートではなかったが、カルナリアは色々学んだ。事実以外は。次回、第100話「玩具」。少し性的表現あり。
ちなみに死霊の出現を、カルナリアも感知してはいました。第92話参照。鞭打たれた激痛の中で「痛い」に「怖い」が混じっています。




