4.we cry down.―21
アトリエに入ると、春風はしっかりと入口を締めた。ここの戸締りは固い。そもそも登録がなければリビングからの入口も開きはしないし、アトリエへと入る扉も開かない。それにそうそうの武器では壊せない程に頑丈だ。心配は必要ないだろうが、念を押しておくに越した事はない。相手は常識の通じない者であるという事だけがハッキリとしている。
初めてアトリエに足を踏み入れた連中は物珍しそうに辺りをキョロキョロと見回す。そこいら中にある武器にやはり視線は集中するが、誰一人として触れようとはしなかった。そんな光景を見て、連中は改めて殺し屋という存在を確認したのだった。
春風は溜息を吐き出す。一安心、といった様子だった。そんな春風に近づいてくるのは日和だった。日和は不敵な笑みを浮かべつつ、春風の耳元に口を寄せて、彼女だけに聞こえる様に呟いた。
「灯台下暗し。そこまで見つけたみたいだから、答えを教えて上げる」
42
「やっぱりアンタの体は異常だよ」
医者は椅子に深く腰掛けて、すぐ側でベッドの上に横たわり、たった今、意識を戻したその少年に向けてそう吐き出した。少年は、薄く目を開けて、辺りを見まわす。
当然、龍二だった。彼が医者の下にたどり着いてすぐに手術が始まった。だが、それからったの四時間。たったの四時間で彼は意識を取り戻したのだ。バケモノか、と医者は眉を顰めた。
酸素マスク越しのこもった声が響く。
「……、一応くっつきはしたのか。すげぇな。流石だ」
龍二の視線は左に向いていた。その先には、元の通りにしっかりと体とくっついていた左腕の形があった。龍二はもしかすると医者でも治せないかもな、と思っていたため、その光景を見て心から安堵した。
龍二がそうやって安堵の溜息を吐き出していると、医者が視界の外から話し出す。
「そりゃアンタからは相当な金をもらってるし、ツテも作ってもらったからね。最善は尽くすさ。でもね、恐らくだが……、」龍二が振り返る。「暫くまともに左腕は使えないと思いな」
「暫くってのはどれくらいだ」
今回の襲撃の件もある。出来る限り素早く、最善の状態で構えておきたかった。だが、医者は首を横に振った。
「さぁね。言ったろ。最善は尽くした。私の腕でも限界があるってんだよ。大体、吹き飛ばされて元の形に戻せた事自体が奇跡だと思いな。神経の一本一本から全て元通り、でも、」
「時間が知りたい」
龍二は急かす。この情報さえ聞ければ、すぐにでも自宅に戻って春風達と合流するつもりだった。
だが、
「さぁね、一生動かないかもしれないし。数秒後には動くようになっているかもしれない」
絶句するしかなかった。が、龍二は耐えた。呼吸が荒れる事も、動悸が激しくなってしまう事も、表情を変えてしまう事も、全て意図的に隠蔽した。してみせた。動揺している場合ではない、と自身に必死に言い聞かせた。
そんな龍二を医者はただ黙って見下ろしていた。彼の考えは自分には関係ないと。だが、患者を見守り、意思を尊重する義務はある、と。
暫く沈黙が続いて、龍二は医者の指示を聞く前に、上体を起こして酸素マスクやら電極のような何やら、と体につながっていた余計なモノを全部はがした。そして、やっと訊く。
「帰っていいか?」
「ダメに決まってるだろ。寝ときな」
「そうか。わかった。ありがとう。世話になったな」
龍二は無理矢理に起き上がり、医者の疎ましげな視線を無視して側にあった着てきた服装一式を取って部屋を出た。最後まで背後に医者の視線を感じたが、敢えて無視して、手を肩ごしにひらひらと振って龍二はその場をあとにした。
扉が背後でしまり、無機質なコンクリートの印象が強いこの『病院』の廊下へと出た。龍二にとってはあまり見慣れない場所だったが懐かしさは感じた。外には人影が三つあった。ここはそういう場所だが、その三人も、龍二も基本的には顔を隠してはいなかった。ただ一人、龍二から見て左にいた男と思われる人影はフードを目深かにかぶっていたが、特別意識して隠しているようには思えなかった。
龍二が右へと進むと、その先にいた二人は僅かに反応をみせたが、構える事はなかった。この中での殺しは禁止だ。文字でそう示されているわけではないが、マナー、暗黙の了解としてそうなっている。
龍二がその二人の前を通り過ぎた頃、左奥にいた男が医者のいる部屋へと入っていった。
誰もが、特別気にしやしなかった。
だが、直後、誰もが気にする事となった。
サイレンサーで抑えられた銃声が聞こえた。そして、その銃声に連続するようにして人が倒れる音が、医者のいた部屋の中から聞こえてきた。
龍二も足を止めたし、廊下にいた二人も思わず顔を上げて視線をそちらへとやった。
嫌な予感しかしなかった。動きを止め、龍二は動く右手を武器を詰め込んだコートの中へと突っ込んで、その中で銃を握って待機した。振り返った龍二のすぐ前にいる二人も警戒はしていたが、武器を手にした様子はなかった。
静寂が支配する場に響いたのは、二人の殺し屋のどちらかが生唾を飲み込み、喉を鳴らした音。そしてその直後に、医者がいるはずの部屋の扉が開いた音。
そこから出てきたのは、フードを目深くかぶった男だった。
戦慄が走った。医者が撃たれたのだ、とすぐに気付いた。
龍二は即座に銃口をフードの男へと向けて、銃弾を放った。動きは素早い。左腕が使えなかろうが、使わなければ意味はない。
と、思っていた龍二だったが、そう上手くはいかなかった。左腕一本使えないだけで、『バランス』が崩壊する。龍二のような、今までほぼ無傷で生きてきた人間にはその経験があまりない。尚更だった。いくら恐ろしい程の技術を持っていようが、知識がなければ最初から上手くいくはずがなかった。
銃弾は外れたようだった。男を通り越し、遥か遠くの廊下の先の壁を穿った。
龍二はすぐにその事実に気付いて修正し、もう一度の銃撃を浴びせようとするが、相手もすでに動いていた。龍二に向かって、駆け出して来ていた。
龍二はすぐに銃口の向きを修正。発砲しようとするが、目の前にいた殺し屋二人が向かって来た男に飛びかかってしまったため、トリガーを引き絞る事は出来なかった。
龍二のすぐ目の前で、三人の男がもつれ合う。先にいた二人の男もそれなりの殺し屋であるようで、三つ巴の争いの状態だったが、フードの男が取り出そうとしていたナイフを弾くくらいはしていたようだった。
二人の殺し屋がフードの男をどうにかして抑えているようだったが、フードの男は見た目以上の筋力でもあるのか、二人がかかりでも抑えきれるとは言い切れないようだった。そんな最中、二人の内の一人が龍二を見て叫ぶ。
「医者の様子を見てきてくれ!」
「おう。そのまま耐えててくれ!」
龍二は銃を持ったまま、そのまま三つ巴の三人を飛び越して医者の部屋へと走った。嫌な予感は拭えなかった。フードの男が出てきてから、医者が姿を見せていない。その事実だけで真実は明瞭だった。
龍二が医者の部屋の中を覗く。と、やはり、か。額に真っ赤な風穴を開けた医者が倒れている光景が見えてきてしまった。
「医者……」
絶命しているのは見てすぐにわかった。助けられない人間に構っている暇等ない。龍二はすぐに廊下へ戻って三つ巴の三人へと視線を向ける。が、
「おい」
龍二は思わずそう漏らしてしまった。たった、たったの数秒しか経っていないはずだった。だが、先にみたはずの光景は、まるで最初から違うモノだったと言わんばかりに変わってしまっていた。
灰色のコンクリートに真っ赤なペンキでもぶっかけたかのような光景が広がっていた。そして、両脇に死体が二つ。その二つの間に屹立する、ナイフを両手に構えた男が一人。最悪だ、と直感で感じた。
一瞬、一瞬だけ、時間が止まったように思えた。だが、気のせいだとばかりに時は動き出していた。
フードの男は即座に駆け出し、龍二へと迫った。龍二も銃で対応しようとするが、間に合わない。龍二がトリガーを引いたその瞬間、男はすでに龍二の懐へと潜り、龍二の右手を下から上にお仕上げていた。強制的に上を向かされた銃口から放たれた銃弾は天井へと突き刺さり、僅かに欠片を床に撒いた。
龍二は即座にプラン変更、銃を手放さない様に意識したまま、後ろに飛び退くように跳び、そして、目の前の男の腹部を狙って思いっきり蹴りを放った。足の裏で付き押すような蹴りで、それは確かに男にヒットして、男を吹き飛ばした。龍二もそのまま後ろに跳び、二メートル程飛んで、背中から着地して一メートル程背中で床を滑った。左手が使えない事が影響しているのか、上手く受身が取れず、思った以上の痛みが背中に走るが、龍二は耐え、すぐに起き上がった。ハンドスプリングの要領で素早く起き上がるが、相手もそこまで怯んでいなかったようで、龍二とほぼ同じタイミングで起き上がってきていた。
龍二は即座に銃口を上げるが、またしても相手が早かった。ナイフが一つ、真っ直ぐに飛んできていた。そのナイフは真っ直ぐに龍二の右手首を狙ってきていて、かすめ、龍二の頬のすぐ横を通って飛んでいった。銃を手放す事にはならなかったが、その瞬間にトリガーを引き絞る事は出来なかった。
「ッ、」
相手は『奇襲に』慣れているな、と龍二は思った。が、深く考えている時間はなかった。相手は装備を補充する事なく、ナイフ一つを右手に携えたまま、龍二の方へと踏み出してきていた。もはや、銃で対応出来る距離ではなくなっていた。
不本意だが、仕方なしに龍二は銃を捨てた。自身の後方に投げ捨てるように捨てた。そのまま右腕をコートの中に突っ込むが、間に合わない。
二人が衝突した。そのまま、龍二は再び背中から床に落ちる事となった。




