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2.get back the taste.―21

「…………、」

 そこで、振り返ったところで龍二は足を止めた。背後を見せれば、取らせれば、カメレオンも仕掛けてくると踏んだからだ。いくらカメレオンが優秀な殺し屋であろうが、龍二の実力を見た人間だ。チャンスがあれば慎重に、だが大胆に、迅速に仕掛けてくるはずだと龍二は思ったのだ。カメレオンが気配を消す事のプロフェッショナルだとしても、この距離なれば龍二なら気付ける。

 だが、動きはなかった。龍二の武器は腰の後ろにも隠してある。それを奪う事すら容易いであろう状況だ。だが、日和は動かない。

 本物なのか、と龍二は思った。このまま足を止めていて、日和に何かを感づかれてもしかたないと考え、龍二は部屋をあとにするのだった。

 背後で扉が閉まり、龍二は嘆息した。廊下には気配がない。存在という存在がかき消されたかの如く静謐だった。当然これは龍二の家の日常であるが、今はこの静謐さが妙に思えた。

(カメレオン……)

 残るは二部屋。今の龍二にはそのどちらからも存在を感じ取れない。龍二の詮索能力が低いのと、カメレオンの姿を隠す能力が高いせいである。必ずどこかにカメレオンはいる。

 ――だが、龍二はカメレオンの居場所に『気付いていた』。

 そうだ。龍二は馬鹿ではない。それどころか神代家というそれなりに知られた殺し屋の一人だ。最後の、一人だ。現存する、一人だ。そんな龍二が気づかないはずがなかった。だが事実、カメレオンの身を隠す能力は龍二の詮索能力よりも高い。そのため、龍二はカメレオンの気配に気付けていない。

 だが、龍二は日和の事には異常に詳しい。何せ幼少の頃から隣で過ごしてきた幼馴染だ。『微かな違いすら見逃しはしない』。

 龍二はあの日和が本物ではないと見抜いていた。簡単だった。龍二にとって何の造作もない程度の事だった。

 コントローラーの持ち方。それが、違った。龍二の自宅に置いてあったゲーム機に付属するコントローラーは上部に左右二つ計四つのボタンを備えている。そのボタンに添える指の違いだった。龍二はそこに気付いたのだった。基本形として人差し指と中指をそれぞれのボタンに備える様になってはいるのだが、指の置きづらさからあまりゲームをしない人間は人差し指のみでその全てのボタンをカバーするかの如く、人差し指のみを添える場合が多い。が、日和はゲームで龍二に負けたくない、とわざわざ人差し指と中指を添えるように持つようになったのだ。日和は自宅にゲームを置いてない。そのため、龍二の家へ押しかけてゲームをする。だから、龍二がそれを知らないはずがなかった。

(それにしても、すごかったな)

 龍二は素直に感心した。コントローラーの持ち方なんて些細な事だがそれに気づけなかったら、龍二は完全に騙されていた。それほど、素晴らしい変装だった。

 だが、敵である以上、戦う以外に選択はない。

 龍二は僅かに横にずれ、自室の扉のすぐ横に張り付いた。そして先ほど補充して置いた手榴弾を一つ手に取り、――ピンを抜き、自室の扉を僅かに開け、その中に手榴弾を放り投げた。即座に扉を締める。一瞬だけだが、悲鳴が聞こえた気がした。

 恐ろしい程の衝撃が走った。音はある程度が封じられたが、それでも、この防壁のような家でも、それなりに響いた。龍二は外に聞こえなければいいがな、とは思った。幸いにも扉は壊れなかったようだ。が、爆発の衝撃でそれなりに震え、枠から外れてしまいそうだった。恐らく、中の家財一式は全滅だろう。が、命に変える程のモノではない。ゲームのセーブデータはネット上にバックアップを自動で取られているから本体さえ買い換えれば問題ない。

 耳鳴りが止むよりも前に、龍二は僅かに振動していた扉のドアノブに手を伸ばした。そして、ゆっくりと回し、開く。中は爆発の影響なのか白煙に覆われていて、目視ではどうにも確認しづらい状況だった。それだけの爆発をして吹き飛ばない部屋もまた異様だが、浩二と美羽の遺産である。これくらいの異様は当たり前なのかもしれない。白煙が捌けるまでにはそれなりの時間が掛かった。その中から、カメレオンが飛び出してくる事がなく、龍二はまさか本物の日和を殺してしまったのではないか、と一瞬不安を覚えたが、それはないと自身で改めて確認しなおした。

 白煙が捌け、視界は徐々に明瞭になる。

 手榴弾を投げ込んだ部屋だ。やはり部屋の中は滅茶苦茶で悲惨な状態だった。壁が壊れたり欠損する事はなかったが、壁紙は剥がれ、家財一式は全滅である。ある意味予想通りの光景に龍二は僅かにだが肩を落とした。

 が、一瞬溶けた緊張もすぐに戻ってきた。

 死体がないのだ。手榴弾の爆発を近距離で受けたはずだ。飛び散る破片によって吹き飛ばされてバラバラになったとしても、その肉片や血痕は残っていても不思議ではないはずだ。だが、部屋は『やけに綺麗な状態』だった。

「逃がしたってのか!?」

 思わず吐き出した。そして、顔を上げると――窓から身を乗り出し、龍二に飛びかかろうとしている見た事のない女と目があった。

「!?」

 そうだ。この家の窓のほとんどが全開にはならない様になっているが、この部屋の日和の部屋へと通じるあの窓だけは別だ。だが、あの一瞬でそこまでの判断、行動をしたというのか。

 龍二は驚愕した。思わず判断を一瞬鈍らせた。それもそうだ。部屋に入った時には窓は開いていなかった。開いていればすぐに気付いたはずだ。それに、女の向こうに見えた日和の部屋へと通じる窓は無傷だと確認出来る。つまりそれは、カメレオンはあの部屋から出て、窓を締め、窓の下にでも張り付いてまた戻ってきたという事。龍二の判断を一瞬でも遅らせるための策略だろうか。だが、あの一瞬でそこまでの判断が出来るものなのだろうか。神代家の殺し屋である龍二でさえ、そこまでの自信はモテなかった。

 その策略通り、龍二の判断は一瞬遅れた。

 女が飛びかかってくる前に撃ち殺す事ができれば良かったが、トリガーを引くのは間に合わなかった。華奢だが勢いのある体が龍二に飛びかかってきた。龍二はなんとか受け流そうとするが、判断はおいつけど行動が間に合わない。そのため、龍二と女は絡み合う様にして後ろに転がった。

 静止出来たのは龍二が女に馬乗りにされた状態になってからだった。

 綺麗な女だった。大人びた妖艶な雰囲気が印象的で、ミディアムヘアーの肩まである艶めかしい黒髪がその雰囲気を演出していた。

 そんな女が、カメレオンの正体だった。爆発のせいで変装メイクが吹き飛んだのか、それとも自信であの短時間で素早く拭ったのかは分からない。が、落ち着いて落とす時間はなかったようで、日和に変装していた時にまとっていたであろう服装の欠片やメイクの違いが見て分かる程度に残っていた。

 馬乗りになったカメレオンは龍二を殴ろうとするが、龍二も対応する。右の拳が顔面めがけて落とされるが、龍二はそれを左手で受け止める。続いて左も同様。お互いが互いを押し合う形となった。

 綺麗な顔がもったいない程に、カメレオンは表情を歪ませて龍二に迫った。そして、大音声で叫ぶ。

「流石は神代家の男! まだまだガキだってのにいい判断をするじゃないの! えぇ!!」

 窓は開いている。外にその声は漏れているだろう。誰も聞いてなければ良いが。

「うっせぇよ。お前こそなんで俺が背を向けた所で仕掛けなかった? まだ余裕ぶってんのか?」

 対照的に龍二は囁くような小さな声で返した。彼の声まで響けば彼の家で何か問題が起こっていると近所の人間の不安を煽るだろう、と推測しての事だった。

 互いがつばぜり合いの様に押し合う中で、龍二は上手いこと彼女を蹴飛ばし、距離を取る事が出来た。蹴られたカメレオンは後ろに吹き飛び、窓のすぐ下の壁に頭を打って短い悲鳴を上げた。が、すぐに立ち上がる。龍二も即座に態勢を立て直した。手に持っていた銃の銃口をカメレオンへと向けようとするが、突っ込んできたカメレオンにそれは阻まれた。それに窓が開いている状態だ。サイレンサーをつけていない今の銃を放つ事はどちらにせよ出来なかっただろう。

 突進してきたカメレオンのうまい動きにより、龍二の手から銃が飛び、床転がった。が、まだナイフは所持している。すぐに彼女の首に突き立てようとするが、今度はカメレオンが龍二を突き放す様に押し、それを避けた。突き飛ばされた龍二は僅かによろめきながら後退するが、尻餅を付くような失態はしなかった。

「殺す。絶対に殺す!」

 カメレオンはそんな事を呟きながら再度龍二へと突進してきた。互いの間にある距離は一メートル強。龍二はナイフで対処できると踏んでナイフを構えた。だが、カメレオンもそれなりの実力を保持する殺し屋だ。龍二のひと振りを巧な動きで交わすと、彼の下に潜り込む様にして懐に入り、右手で龍二の腹部に一撃を叩き込み、左手で彼の手中に収まるナイフを殴った。

「がっ!」

 龍二から苦しげな嗚咽が漏れた。止血剤を塗り固めただけの傷跡を殴られたのだ、全身を引き裂く様な痛みが溢れ出し、体の力が一瞬だが抜けてしまった。そのため、手にしていたナイフも手から離れ、宙を舞、ボロボロのか壁紙を僅かに裂いて床に落ちてしまった。

 一瞬体の動きを痛みに支配されてしまった龍二にカメレオンの追撃が叩き込まれる。

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