2.get back the taste.―19
そんな龍二に勝利宣言をするかの如く、高笑い混じりの女の甲高い声が廊下の方から聞こえてきた。
「一つだけ教えて上げる。性別不明って教えたけど、私は女よ!」
だから何だ、と吐き捨てて返してやりたい所だったが、そんな事をしている暇はなかった。龍二は即座にキッチンの影に身を寄せた。
アトリエに春風がいる。だが、音は完全にシャットアウトされていて、今この家の中で起こっている出来事を春風が知る事は出来ないだろう。逆からの侵入を防ぎ、アトリエの存在を隠すためにアトリエからこちらの様子を除く事もできなくなっている。春風の助けを願うなんて事に賭ける理由はなかった。当然外への音漏れもしないように設計してある。今この場では、龍二自身の力だけが頼りとなっていた。
龍二は右手に拳銃を持ったまま、左手でキッチンをあさり、調理用の包丁を取り出して左手に逆手に構えた。何もないよりはましだろう、という考えからの行動だった。
カメレオンも馬鹿ではない。むしろ賢い部類の殺し屋だろう。リビングに一歩侵入すれば龍二がキッチンの影に隠れている事等すぐに把握し、対策を練って龍二を追い詰めるだろう。そうなってしまえば最後だ。
足音はしない。殺気、敵意、身なり、声、全てを自在に操るような殺し屋、それがカメレオンだ。その存在を感知すればある程度の居場所を把握する事も不可能ではなかろうが、時間的余裕もなければ、カメレオンは存在すらも極力消している。もしかすれば、体温すら隠しているのではなかろうか。
と、なれば龍二は行動にでなければならない。生き残るために、だ。
龍二はキッチンを再びあさり、何かの調味料が入った箱を取り出した。手のひらから僅かにはみ出す程度の大きさのプラスチックの箱だが、ナイフを持った手を起用に使ってそれを手にした龍二はリビングの奥へとそれを見ないで放った。放ったと同時、即座に立ち上がる。と、投げられたそれに一瞬だが目を奪われていたエッツァの姿をした――カメレオンと、目があった。
迷わず龍二は右手の拳銃の引き金を引く。今回は龍二が早かった。龍二が三回引き金を引いた分だけ銃弾がカメレオンに向かう。カメレオンは即座に反応して身を引き、廊下へと隠れて銃弾は避けた。
外れた銃弾は一発がリビングの壁へと衝突し、残りの二発は廊下の向こうに見える階段の側面に当たって壁を穿つ。
が、今はこれで十分だった。追い詰められては問答無用で殺されてしまう。それくらいの状況判断は龍二でなくとも出来た。そんな状況だ。そのため、カメレオンを下がらせる事に集中した行動だった。
龍二はそのまま、激痛に耐え、意識をなんとか保ちながら左手の包丁を投げた。狙って投げたわけでもない包丁はくるくると回転しながら廊下へと飛び出す。そのため、一度攻撃を仕掛けなおそうとリビングの中を覗き込んできたカメレオンを再び引っ込ませる事が出来た。
その隙に進みながら拳銃の中に詰まったありったけの銃弾を廊下に向けて放つ龍二。銃声が轟き続けた。耳をつんざく様な音だが、鼓膜の心配をしている場合ではない。
龍二のその発砲でカメレオンは廊下から動けなくなっていた。その間に龍二はなんとかリビングの入口側の壁にたどり着く事が出来た。
――が、弾切れだった。
正確に言えば二発残ってはいるが、予備を持ち合わせていない。窮地だと気づく必要すらなく、感じ取った。
どうする。と龍二は限られた時間で、直感を働かせる。恐らくだが、カメレオンは『攻め』の姿勢でいる。このタイミングで奇襲をかけてきた事を想定すれば彼女が攻めてきている事はすぐに分かる。もしかしたら、春風がこのタイミングでカメレオンの情報を掴んだのもカメレオンの策略だったのかもしれない。
出来る女だ、と龍二は思った。
と、思っている間に廊下側からリビング内に黒い塊が伸びてきた。銃口が見えた。カメレオンは龍二がまだ武器を持っているだろう、と最悪の想定をしているのだろう。
常に最悪の想定をして行動するのが殺し屋だ。当然といえば当然だが、この状況ではそれは不確定要素だ。
手だけ伸ばして龍二がいるであろうと思った位置に向けて銃弾をばらまくカメレオン。だが、見ていなければ流石に当たらないか。無数の銃弾はリビング内のあちこちに突き刺さるが、龍二に当る事はなかった。
銃弾の数を数えて弾切れを起こしたと同時に突っ込もうかとも龍二は考えたが、自身の右手に収まる拳銃を見てそれは諦めた。龍二の持つ武器は美羽によって改造された特殊なものだ。そのため、似たようなモノや通常モデルの拳銃とは弾倉に入る銃弾の数も違う。もし、カメレオンが持つ銃もそうだったら、と考えての事だった。
だが、動かないわけにもいかない。弾倉に残るは二発。リビング内にもいくつか武器を潜ませてあるが、取りに手を伸ばす余裕はないと思った。
動けなかった。
だが、それはカメレオンも同様だったようだ。
「はっ、まさか刺したのに態勢を立て直すとわね! 流石は神代の血を継ぐものって所かしら!!」
廊下の向こうから声が聞こえる。声の位置から察するに、壁一枚を挟んで反対側の所に彼女はいるな、と龍二は推測した。
「あの一撃で仕留められると、……思ったのか? 殺し屋が殺し屋を相手するってのに、力を、過信……してんじゃねぇよ……」
負けじと龍二も言葉を返すが、言葉を放つ度に痛む腹部が気になってどうしても声は途切れ途切れになってしまった。今の言葉から察するに、カメレオンはあの奇襲で方を付ける予定だったらしい。もし、咄嗟の判断が間違っていたら、龍二は既に殺されていた可能性もあったという事だ。
胸元に視線を落とす。血は止まりそうにない。いや、確実に止まらないだろう。あれだけの深い傷だ。自然回復では追いつけないだろう。
「苦しそうだねぇ! その調子でどれだけ持つかなぁ!?」
カメレオンは煽る。だが、その通りだった。胸元から溢れ出す鮮血を見れば意識を保つ事が出来る時間は限られていると把握出来る。それどころか、命もそう長くないだろう。
止血をするか、早めに片付けるかの二択に縛られた。
(すぐに終わらせるしかない!)
龍二は当然後者を選ぶ。




