2.get back the taste.―1
とてもじゃないが信じる事が出来なかった。これだけ、龍二の第六感がざわめいて警告しているというのに、自分が、自分を信じる事が出来そうになかった。
「学校に入れる事だけは出来ないよな……」
龍二が静かに吐き出した。その隣で、春風が頷く。そこまでして、更に予測は加速した。
最初から龍二達をおびき出しているのではないか、と。そうだ。ここまでの考えが導かれるのは当然だった。龍二は一流の殺し屋で、何か異変――今回の一般人がいる状態での襲撃を予期できる状況――があればすぐにでも察知する。連中は、そこまで考えて、龍二を誘い出しているのかもしれない、と予測出来た。
「私も行くよ」
春風が呟く。二人の会話は周りに聞こえない様に声を極小にまで下げたモノだ。だが、二人は確かに意思疎通が出来ている。小さな会話ですら聞き逃さない様に訓練されているからこそできる芸当だ。こんな些細な事にも、殺しの技術が生きている。
事実、今の時代の殺し屋はただ殺せば良いというわけにはいかない。今のこの状況の様に、相手をおびき出すための作戦を立てたり、と様々な事がこなせないと、成り立たないモノとなってきている。
「いや、一人で良い」
龍二は静かに返す。視線は窓越しの遥か先に見えるウルフ連中を捉えたまま。
連中はまだ、龍二達を見ていた。嘲る様に、こっちに来いよ、と挑発するかの様に。
と、そこで教室の扉が開く音が教室内に響いた。見れば、小太りの担任が入ってきていた。朝のちょっとした集会が始まる所だった。
仕方なしに春風は席へと戻る。が、龍二はすぐに「体調悪いので保健室に行ってきます」と在り来たりな言い訳を一方的に吐き出し、担任の声も聞かずに教室から飛び出した。教室内が龍二の突然の行動に驚き、僅かに喧騒を生み出すが、そんな事に構っている暇は龍二にはなかった。多少の疑惑をもたれようが、早急に行動しなければならない状況だった。
夏の学生服はどうしても薄手のモノになってしまう。厚着をしてしまうのはどうしても不自然に見える。そのため、制服の下に隠せる武器は数少なくなってしまう。鞄にも僅かに隠す事ができるが、肌身離さず持っているわけではないため、そんなに多くのモノは入れていない。そのため、教室を飛び出した今、龍二が持っている武器はほんの僅かだ。正確に言えば、小型のナイフが二つのみ。
龍二は廊下をできるだけ早く進み、下駄箱まで降りる。
(ふざけた行為にでやがって!)
苛立ち、焦る気持ちを抑えつつ龍二が靴を履こうと自分の下駄箱の前に立ったその時だった。
第六感が、反応した。
刹那、背後に気配。今の今まで、いや、今現在も隠した状態である気配。
「ッ」
即座に龍二は反応する。振り返ると同時に一気に態勢を低くし、自身を地に落とす様にしゃがみこむ。と、同時、頭上、つい先ほどまで自身の首があったであろう位置を、銀色に鈍く輝く鋭利な刃が通り過ぎた。ほんの一瞬の出来事だった。
龍二の目の前には男の影。顔を確認している暇はなかった。
一連の動作の流れのまま、龍二は目の前に見えた足に向かって足払いをする。龍二の反応の速さに追いつけていないのか、男の足は龍二の横から迫る足に見事に払われ、一気に態勢を崩して落ちた。そのまま振り上げる様に態勢を立て直した龍二は男の首筋に穿つ様な手刀を叩き劣る。
ぐぇ、と短い悲鳴が男から聞こえる。
気絶したのか、死んでしまったのかどうかは定かではない。だが、龍二の手刀をもろに受けてしまった男はその短い蛙の鳴き声の様な悲鳴のすぐ直後から、動かなくなってしまった。
「もう入ってきやがったか……」
男の右手に握られていたナイフを奪い取り、龍二は悔しさから下唇を噛み締めた。
まだ、一般人には目撃されていない。それぞれのクラスでこれから授業が始まる所だ。教師も生徒もそのほとんどが教室から出る事はないだろう。だが、安心は出来ない。絶対にだ。
人のいない下駄箱一帯はとてもどんよりとした雰囲気を醸し出していた。夏の暑さからくる湿っぽさも相まってどこかの路地裏にいるかの様な雰囲気を覚える。
龍二は辺りを見回す。第六感を動かし殺気や気配を察知する。
だが、近くに何かの存在を感じ取る事が出来ない。気配を消して静かに身を潜めている可能性もある。龍二は逆手に構えたナイフを持つ右手に力を込め、ゆっくりと歩き出した。
図書館の本棚の様に並ぶ綺麗な下駄箱の列を一つずつ確認して行く。
全部確認したが、人影は見つける事が出来なかった。
「くっそ」
龍二は忌々しく吐き出す。
連中は恐らく、龍二の首を狙っているのだろう。更に、オプションとして春風の身柄も、だろう。故に、彼らが手段を選ばない、という可能性は十分にある。神代家の首だ。一般人を巻き込み、協会から粛清を受けようが、協会所属以上の価値を持つ事になる。これくらいの犠牲は連中にとって何の問題にもならないのだ。
(誰一人として学校に入れるわけにはいかねぇからな)
龍二はポケットから携帯電話を取り出す。そのまま110を押し、警察に通報。神崎高校に不審者数名が入っていった、と伝え、自己紹介はなしに切る。
一般人を多少巻き込んでも構わない、という状態ではあるが、ウルフの連中も警察、という表立った権力を持つ存在にはどうしても弱くなってしまう。当然、力は殺し屋であるウルフの方が持つが、警察を殺せば世間一般を大きく騒がす問題になってしまう。それが暗殺であれば別だが、この様な状況となればそうはいかない。だから、龍二は敢えて警察を読んだのだ。
(警察が来るまでの勝負だ)
緊張の生唾を飲み込む。
ウルフ達は警察が来れば嫌でも撤退し、身を隠さなければならない。龍二もまた、無関係を装わなければならないが、それはどうとでもなる。
とにかく龍二は、警察が来るまでの間、ウルフ連中を抑えれば良いのだ。
辺りをもう一度確認して、龍二は校庭に数歩分飛び出す。
見回すが、ウルフ連中の姿はない。体育の授業もないのか、人が校舎から出てくる様子もなかった。夏の暑さで乾ききった砂が風に煽られてさらさらと宙を舞う。
足元がそんな砂だという事もあり、そこに何者かがいて、僅かにでも動けば存在を隠していようが認知できる。が、龍二はそこに存在を認知出来なかった。本当に誰も、いないのだろう。
嫌な予感がした。
一人は既に、龍二を下駄箱で襲撃したのだ。他のメンバーが既に校舎に侵入している可能性は十二分にあった。
でも、まさか、と疑う。
一般人を『進んで』巻き込む、という姿勢はここまで理解している龍二でも理解出来なかった。
(本当に何を考えてやがる)
外で見つけられないなら中だ、と龍二は踵を返してすぐに校内を進む。表側校舎を回る際は、教室内で授業を受けている生徒や教師にバレないように進まなければならなかったが、龍二は極力廊下を進まず、気配の察知等で詮索をするため、上手いこと事は進んだ。
だが、表側の校舎の全ての階を回っても、誰一人見つける事が出来なかった。
続いて裏の校舎も回るが、結果は同様。仕方なしに龍二は下駄箱へと戻る。
と、そこで異変に気付いた。先ほど、龍二が倒した男の体が――なくなっていたのだ。
「…………、」
龍二の警戒はピークに達した。恐ろしい程の索敵能力が開放され、埃が風に煽られて動く事すら感じ取る事ができるような状態にまでセンスが研ぎ澄まされる。
ゆっくりと、辺りを恐ろしいまでに警戒しながら、龍二は男が倒れていたはずの場所まで近づく。自分の足音にまで敏感になっている様な状態だ。ものすごい精神的な負荷が掛かるが、龍二は顔色一つ変えずにいた。
あの男は打撃の一撃で打倒した。そのため、血は出ていない。いなかった。
だから、あの男の体を運ぶだけでこの状態は出来上がる。誰かが、運び去ったという事だった。
やはり、近くに、校舎の中に、ウルフ連中は入り込んでいるのだ。龍二がそう確信した瞬間だった。
ふと、視界の隅で異変を感じ取った龍二は顔を上げる。と、目に入ったのは何故か蓋が開きっぱなしの自身の下駄箱。そして、そこからちらりと見える白い紙切れの端。
最大限の警戒を払い、龍二はそれを取る。




