悪役令嬢、パン屋になる ~身分を捨てて破滅ルートを回避したのに、隣国のヤンデレわんこ王子が求愛してくる~
階段から転げ落ちて頭部を強打した瞬間、私は前世の記憶を思い出した。
この世界が乙女ゲームに酷似していること、そして自分が悪役令嬢エルザだと知った。
(嘘っ!? 異世界転生じゃん!)
私が仰天していると、メイドと執事が血相を変えて駆け付けてきた。
「エリザ様っ! お怪我はありませんか!?」
「あっ、大丈夫です……」
私は頭に触れて応じる。
少し腫れている気がするけど、大した痛みじゃない。
冷やしておけば問題ないだろう。
ところが使用人達は凍り付いていた。
彼らはひそひそと小声で話し出す。
「エ、エリザ様が敬語を……!?」
「頭を打たれた影響かもしれん。すぐに医者を呼ぼう」
ゲーム上の悪役令嬢エリザは、とにかく性格が悪い。
高飛車で傲慢、誰に対しても偉そうな上にワガママである。
それはこの世界でも同様だった。
(いきなり態度が変わったんだし、驚くのも当然か)
私は狼狽するメイドと執事に会釈して、その場を足早に離れた。
記憶が蘇ったことで、最優先でやるべきことができたのだ。
ここが本当に乙女ゲームの世界なら、数年後にエリザは破滅する。
ゲームの主人公をいじめたことで、他の攻略対象から反撃されるのだ。
具体的にどういった末路を辿るのかはルートによるが、いずれも悲惨な最期には違いない。
(あんな風になるのは嫌だ。ここで運命を変えるしかないんだ……!)
決心した私は、父の書斎に突入した。
そこで開口一番に宣言する。
「お父様! 私、学園をやめます! ついでに勘当してください!」
「な、何を言っているのだ!?」
「それでは失礼しますっ!」
戸惑う父をよそに、私は荷物をまとめて実家を飛び出した。
◆
私は紙袋に入れたパンを手渡す。
それを受け取った近所のおばさんは嬉しそうに言った。
「また明日も買いに来るわね」
「はい! ありがとうございましたー!」
おばさんを見送った私は店内を見回す。
決して広くないが、内装にはこだわっている。
陳列したパンの種類も多い。
王都でもここまでレパートリーは豊富ではないだろう。
私は椅子に座り、余ったパンをサクサクと齧る。
「うん、今日もバッチリ!」
前世の記憶を取り戻してから一年が経過した。
私は辺境の村でパン屋になっていた。
なぜパン屋なのかと言えば、前世の夢だったからだ。
しかも乙女ゲームのルートからも完全に外れており、地理的にも立場的にもシナリオに巻き込まれる心配がない。
色々と好都合なのがパン屋だった。
ちなみに開店までの資金は父が出してくれた。
私が独り立ちすると聞いて、感動して大金を押し付けてきたのである。
親子の縁は切ったものの、定期的にパンの注文をしてくれる。
(ゲームでは名前しか出てこなかったけど、娘に甘い父親って感じだったなぁ)
良いお父さんだと思う反面、あれだけ甘やかすからエリザが性悪になったのかもしれない。
まあ、たった一年でパン屋が営業できたのは父のおかげである。
その点については素直に感謝していた。
「これで破滅ルートは回避できた! 私は平和な人生を送るんだ!」
私は身分を捨ててパン屋になった。
乙女ゲームのシナリオとは無縁のこの村で、のんびりと生活しようと思う。
その日の夜、急に雨が降ってきた。
閉店準備をしつつ、私は窓の外を見つめる。
「明日までに止んでくれるといいけど……」
その時、店の外で物音がした。
私は恐る恐る様子を窺う。
ぬかるんだ地面に鎧を着た男が倒れていた。
「えっ、ちょっと、大丈夫ですか!?」
私は慌てて駆け寄り、その顔を見てぎょっとした。
艶やかな黒髪に色白の肌、そして赤い瞳。
前世の記憶が刺激された私は思わず叫ぶ。
「猟犬アイク!?」
アイクは乙女ゲームの登場人物だ。
ただし攻略対象ではなく、私と同じ悪役ポジションである。
正体は隣国の皇太子で、戦いを愛する危険人物だった。
シナリオ上でも主人公の命を狙う刺客として登場することが多かった。
そんなアイクが、なぜか私の店の前にいる。
(関わるのはマズい。早く逃げなきゃ……)
私は咄嗟に離れようとする。
しかしその前に手を掴まれて押し倒された。
「えっ、あっ……」
土砂降りの雨の中、真紅の瞳が私を凝視する。
死の予感を覚えた瞬間、アイクが呟く。
「……た」
「へ?」
「腹が……空いた……」
生気のない声で呟いた後、アイクはふらりと倒れた。
◆
翌朝。
アイクはベッドで目覚めた。
彼はぼんやりとした顔で室内を見回す。
「ここは……」
「私のお店の中です」
ベッドから離れた位置で私は答える。
そしてテーブルに置いた山積みのパンを恐る恐る指し示した。
「あの、よければどうぞ。廃棄予定のパンです」
「……いいのか?」
「はい。その代わり暴れないでほしいなぁと……」
私の要望を無視し、アイクはパンを勢いよく貪り始めた。
休憩する間もなく食べ進めてあっという間に平らげる。
コップの水を飲み干した後、彼はようやく私に視線を戻した。
「お前、名前は?」
「佐藤……じゃなくてエリザです」
「俺はアイク。隣国の騎士だ」
アイクはベッドから立ち上がった。
私は距離を取ったまま尋ねた。
「アイク様はどうして倒れていたんですか?」
「戦場帰りに、部下に裏切られて殺されかけた。返り討ちにしたが森で遭難した。飲まず食わずで何日も彷徨った末、この村に辿り着いた」
事情を語ったアイクは私の前まで歩み寄ってくる。
一瞬、攻撃されるのではないかと警戒したが、彼は何もしてこなかった。
代わりに真剣な口ぶりで言う。
「命を救ってくれて感謝する。この恩は必ず返させてもらおう」
「お気になさらず! 私が勝手にやったことですから!」
「しかしそれでは騎士の名折れ……」
「大丈夫ですって! アイク様がご無事で何よりです! それが一番ですからねっ!」
猟犬アイクに関わりすぎたら、破滅ルートに戻されるかもしれない。
お礼なんていらないから早く出て行ってほしいのが本音だった。
こちらの言動をどう感じたのか、アイクがおもむろに顔を寄せてくる。
私は怯えて動けなくなる。
「な、何ですか」
「…………なんでもない。邪魔をしたな」
アイクは装備類を持って部屋を出て行った。
私は腰を抜かしてその場に座り込む。
「よくわかんないけど、もう二度と会うこともないでしょ……」
ところがそれから三日後、アイクは平然と店に戻ってきた。
しかも今度は大量の宝石と金貨を持っていた。
私は呆然としたまま彼に問う。
「ア、アイク様……何ですかこれ……」
「この前の礼だ。受け取ってほしい」
「いやいや! 無理ですよ!」
「そこを頼む」
「うわっ!? 頭を上げてください!」
なぜかアイクが懇願してきたせいで、私は半ばパニックになる。
たまたまその場にいた客も驚いて固まっている。
それはそうだろう。
騎士が庶民の娘に頭を下げているのだから。
とんでもない異常事態である。
私の説得でなんとか頭を上げてくれたアイクは、宝石と金貨を持って確認してくる。
「どうしても受け取れないのか?」
「そうですね……恐れ多すぎるので……」
「ではパンを買わせてくれ。代金は宝石と金貨で払う」
「それお釣りの方が多くなっちゃいますから!」
結局、私はアイクから金貨一枚を受け取り、山盛りのパンを差し出した。
これでもやはりお釣りの方が多いが、他に妥協のしようがなかったのである。
「お代はこれで十分です。他のお客さんも来られるので、今日は帰っていただけますか」
「……わかった」
なぜかしゅんとしたアイクは、パンを齧りながら店を去った。
その後ろ姿を見送り、私は首を傾げる。
(アイクってあんなキャラだったっけ……?)
それから毎日、アイクは私の店に来た。
彼は金貨一枚でパンをすべて買っていく。
最初は黙認していたが、五日目に私はとうとう苦言を呈した。
「……アイク様」
「何だ」
「あなたがパンを買い占めたら、他の人が買えなくなります」
「金ならいくらでも払う。他人なんてどうでもいい」
アイクは真剣な目で述べる。
対する私は少し強めに言い返した。
「いくら騎士様でもルールはルールです。店主の私に従ってください。守れないならパンを買わせませんよ」
「なんだと。それは困る」
「じゃあ買い占めは控えてください」
「わかった」
アイクは紙袋に収まる量のパンを購入した。
支払いはやはり金貨一枚だ。
退店の際、アイクは私の顔を見て言う。
「他人に叱られるのは初めてだ」
「そうなんですね」
「俺が怖くないのか?」
「恐怖よりパン屋の矜持が大切ですから」
「……そういうものなのか」
何か考え込む様子でアイクは大人しく去った。
◆
アイクはすっかりパン屋の常連客になった。
彼は購入するパンの量を控えるようになったが、今度は私に貢ぎ始めた。
花束やアクセサリー、ドレス、酒等……いずれも庶民では決して手が届かないものばかりだった。
家の中がプレゼントで埋まり始めた頃、私は遠慮がちに話しかける。
「あの……アイク様」
「何だ」
「他のお客さんがあなたの来店を怖がっています。あの夜の恩返しはもう十分です。私のことはお気になさらず、職務を全うしてください」
私は努めて優しく伝える。
アイクは驚愕と悲しみを見せた後、肩を落として退店した。
「……申し訳ない」
それきりアイクはパン屋に来なくなった。
退屈だけど平和な日常が戻ってきて、私は安堵する。
(これでいいんだ。私は平穏な生活を送るんだから)
私には私の人生がある。
アイクにもアイクの人生がある。
心の片隅に残る罪悪感は、考えないようにした。
そして二週間後。
店の開店準備をしていると、外から悲鳴が聞こえてきた。
私は扉を開けて様子を確かめる。
馬に乗った粗暴な男達が、村人達を襲っていた。
彼らは武器を振り回し、家屋から物を盗んでいる。
(盗賊!?)
店の扉を閉めようとした瞬間、二人の盗賊が侵入してきた。
突き飛ばされた私は相手を睨む。
盗賊達は下卑た笑みを浮かべていた。
「へっへっへ、えらい美人がいるじゃねえか!」
「ちょうどいいや。持って帰ろうぜ」
私は急いで店の奥まで逃げる。
盗賊達はゲラゲラと笑って追いかけてきた。
「だ、誰か助けて……」
「はっはっは! パン屋の娘を助ける奴なんかいねえよ!」
盗賊の一人が私に触れようとした瞬間、白目を剥いて崩れ落ちた。
その背後にはアイクが立っていた。
アイクはもう一人の盗賊を殴り飛ばして昏倒させると、すぐさま私に駆け寄ってくる。
「すまない、遅くなった」
「アイク様……」
「迂闊だった。まさか不在の間に盗賊団が来るとは……」
「外の盗賊は……」
「既に処理した」
私は窓越しに外を窺う。
あれだけ騒がしかった盗賊達が残らず倒れていた。
今の一瞬でアイクが全滅させたのだろう。
猟犬の二つ名に恥じない凄まじい実力だった。
私は気まずい表情でアイクに謝る。
「ありがとうございます。私はあなたを拒絶したのに、助けに来てくれるなんて」
「気にするな。エリザが何と言おうと離れるつもりはなかった。村に不在だったのはこれを用意するためだ」
そう言ってアイクが差し出してきたのは、白銀に輝く指輪だった。
アイクは私の前に跪く。
「えっ……」
「俺の本当の名はアイク・フォン・リンデクシオン。隣国の皇太子だ。エリザ、俺の妻になってくれ」
「つまり……婚約ってことですか?」
「そうだ」
アイクが私の手を握って指輪を着けた。
彼は私の目を凝視しながら、いきなり詰め寄ってくる。
「俺は君だけを愛する。だから君も俺だけを愛してくれ。もう二度と危険な目に遭わないよう、俺の城で暮らしてもらう」
「いや、ちょっと……」
「生活の不自由はさせない。なんでも言ってほしい。すべて俺が手配しよう。君を幸せにしてみせる」
「あの、アイク様」
「心配するな。君が王妃となることに反対する者もいるだろうが、俺が黙らせる。我々の愛を邪魔する者は決して――」
「ストーップ!」
私はアイクの口にパンを突っ込んだ。
アイクは予想外の事態に硬直する。
その間に私は彼の胸倉を掴み、ぎろりと睨みつけた。
「アイク様」
「もが」
「一旦、私の話を聞いてくれますか」
「もがが」
パンが詰まって喋れないアイクは困惑気味に頷く。
その姿に庇護欲、愉悦を感じた。
様々なストレスが重なったことで、本来のエリザの人格がぶり返したのかもしれない。
私はアイクにビシッと言い放つ。
「まずヤンデレ発言はやめてください。不愉快です」
「……ッ!?」
「私の人生は私で決めます。勝手に話を進めないでください」
「もが……」
「言い訳をしないッ!」
私が強く告げた途端、アイクは背筋を伸ばして直立した。
ふと閃いた私は指を差して命じる。
「おすわり!」
「もがもが」
アイクは犬のように座った。
彼はパンを食べながら上目遣いで見つめてくる。
私はその頭を撫でてやりながら告げた。
「今日から私が飼い主です。婚約については……まあ検討しておきます。わかりましたね?」
「もが!」
アイクはたいそう満足そうに笑った。
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