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素が出ました

 ぱちんと何かが爆ぜる音が聞こえ、同時にアニエスの視界が暗くなる。

 荷馬車に詰まれていた木箱が燃えながら落ちてくるのが、やけにゆっくりと見えた。


 この量の箱が崩れてきたら無事では済まないな、と他人事の様に思った途端、強い力で押された体は後ろに吹き飛ぶ。

 わけがわからないままゴロゴロと勢いよく石畳の上を転がると、やがて止まった。

 石畳に打ち付けられた上に転がったせいで、全身が痛くてうつ伏せのまま動くことができない。



「――クロード様! アニエス様!」


 聞いたことのある声……モーリスの声だ。

 そう言えばクロードが最初にルフォール邸に来た時に、モーリスと数名の護衛がいると言っていた。

 今日も恐らく同様に護衛がついていたのだろう。


 今まで出てこなかったのは、クロードなら大丈夫ということなのか、あるいは単純にまだ到着していなかったのか。

 普段モーリスはクロードのことを殿下と呼ぶが、敬称を使っていないのは、街中だからか。

 痛みから気を逸らすために色々考えていると、誰かに体を起こされた。


「アニエス様、ご無事ですか?」

 モーリスの朽葉色の瞳に心配と焦りの色が見え、それがこちらに向けられているのだと気付き、自身の体を見下ろしてみる。

 ワンピースは土埃で汚れ、腕と脚には擦り傷がいくつか見えるが、大きな傷はなさそうだ。

「……大丈夫、です」


「――切り捨てられたくなければ、箱を早くどかせ。急げ!」

 男性の怒声に驚いて顔を向けると、辺りには土埃がたちこめ、荷馬車から崩れた木箱が瓦礫の山のようになっていた。


 炎はすぐに消し止められたようだが、崩れた木箱はそうもいかない。

 護衛と思しき男性二人が、キノコ帽子の男達に指示して懸命に木箱をどかそうとしているが、中身が重いのかてこずっている。

 アニエスの背筋にぞくりと悪寒が走った。



「……クロード様は?」

 ぽつりと呟く声は震えていた。


「あの方は大丈夫です。それよりも、アニエス様の怪我を……」

「――嘘!」


 散乱する荷物、たちこめる土埃、壊れた馬車、流れる血、冷たくなる体。

 アニエスの脳裏に次々とよみがえる光景に、がくがくと体が震える。

 馬車の、荷物の下敷きになったらどうなってしまうのか、アニエスは知っている。


 ――知っているのだ。



「助け、ないと」

 アニエスは頭を振って、震える体を抑えるように自身を抱きしめる。

 馬車が倒れたわけではないのだから、木箱をどかして助け出せばまだ可能性はある。

 そうは思うのに、立ち上がるだけでもよろよろとふらついてしまい、モーリスに支えられた。

 体の痛み以上に、恐怖が心を支配して、上手く動かせない。


 キノコ帽子の男達と護衛の男性達が木箱をどかしているが、数が多すぎる。

 しかも箱の中には林檎がぎっしり詰まっているらしく、重くてなかなか作業が進んでいないようだった。


 ――その時、木箱にポンと赤いキノコが生えた。


 燃え上がる炎のように上に伸びたキノコは、カエンターケだ。

 さっきクロードが弾いた炎よりもなお赤い姿に、目を奪われる。


 アニエスがそれを認識したのを皮切りに、ポンポンポンと木箱にとめどなくキノコが生え続ける。

 シイターケ、ヒイロターケ、タモギターケ、ナメーコ。

 黄褐色の傘に鱗片があるのは、マツオウージか。

 際限なく生え続けるキノコが、あっという間に木箱の山を覆っていく。


 そうして木箱の山がキノコの山になった頃、キノコの増殖は止まり、途端に砂の様に崩れ落ち始めた。

 木箱が腐っただけでなく、中身の林檎も同じようになったのだと分かる頃には、木箱の山の高さは半分以下になっていた。

 突然の事態に、理解が追いつかない。


「クロード様!」


 護衛の声に応えるように、木箱の残骸を押しのけて花紺青の髪の青年が姿を現した。

 土埃をかぶり、木箱の砂もかぶったはずなのに、その美貌に翳りは見られない。

 何よりも、木箱の下敷きになったはずなのに自力で歩いているどころか、大きな怪我も見られなかった。


 クロードは護衛に何か声をかけると、キノコの山に歓喜の表情を浮かべたが、すぐにアニエスの元に駆け寄ってきた。

 気が付けばアニエスはモーリスの腕にしがみつく形だったのだが、動くクロードを見て力が抜け、ずるずると座り込んでしまった。



「――アニエス、大丈夫か?」

「……それ、こっちのセリフ」

 弱々しく答えるアニエスをじっと見つめると、ひざまずいてそっと手をすくい取った。


「怖い思いをさせたな。それに、怪我もしている。……ごめん」

「擦り傷よ、大したことないわ。おかげで、下敷きにならなかったし。それで、クロード様は大丈夫なの?」

「俺は大丈夫だよ。……それより、その言葉遣い」

 指摘されてそれに気付いたアニエスは、頬に熱が集まってくるのがわかった。


「――す、すみませんでした!」

 アニエスは慌てて頭を下げる。

 伯爵令嬢として恥ずかしくないようにと色々学んだが、こうして突発的なことがあるとどうしても平民育ちの素が出てしまう。


 更に今回は相手が王族だ。

 礼を失した罪と恥に加え、取り繕ったところで本質は伯爵令嬢に相応しくないのだと知らしめられたようで、情けなくなってきた。


「アニエス」

 頭を優しく撫でる感触にゆっくりと顔を上げると、鈍色の瞳は優しくアニエスを見つめている。

「元々、そういう言葉遣いだったのか?」

「はい……」


「そうか。なら、嬉しい」

「……はい?」

 満面の笑みを浮かべるクロードの意図がよくわからず首を傾げると、体に痛みが走った。


「素のアニエスということだろう? それを見られたのは、嬉しいさ」

 こんな時まで『ひとめぼれに首ったけ』を貫くとは、あっぱれすぎる。

 それとも……本当に、そう思っているのだろうか。

 笑顔を向けられているだけでは、判断がつかない。


「……あの」

「何だ?」

「……キノコ、いらないのですか?」

「そうだった!」


 慌てて踵を返そうとして苦渋の表情で踏みとどまっているが、視線がキノコの山への執着を惜しみなく伝えてくれる。


 ……良かった。

 今日もキノコの変態はキノコの変態のままだ。


緊急招集、キノコ祭りです。


【今日のキノコ】

カエンタケ(火炎茸)

燃え上がる炎や鹿の角の様な形の、赤いキノコ。

致死量は数グラムで、触れるだけでも毒素が吸収されるという、猛毒キノコ。

ササクレシロオニタケの緊急通報と、アニエスの恐怖に反応して生えてきた、毒キノコ界の重鎮。


シイタケ(「無関係です」参照)

茶褐色の傘を持ち、煮ても焼いても干しても美味しい、愛され食用キノコ。

カエンタケの招集に応じて、木箱を腐食させるべく増殖した「木材腐朽菌倶楽部」の一員。


ヒイロタケ(「もはや、ただのキノコです」参照)

半円球で扁平な、全身錆びついたサルノコシカケ的キノコ。

「木材腐朽菌倶楽部」の一員。

いつもはオトメノカサのブレーキ役だが、今日はノーブレーキで増殖中。


タモギタケ(「無関係です」参照)

鮮やかな黄色の傘を持つ、群生が得意な食用キノコ。

「木材腐朽菌倶楽部」の一員

全力で群生して木箱と林檎を腐敗させつつ、キノコの山に彩りを添えている。


ナメコ(「可愛いという、心のない言葉」参照)

赤褐色の傘とヌメリを持った、群生が得意な食用キノコ。

「木材腐朽菌倶楽部」の一員。

男の靴に完全勝利した次は、木箱と林檎に挑む。


マツオウジ(松旺子)

黄褐色の傘に鱗片を持つ食用キノコ。

体質によって中毒症状が出るので、生で食べるのは厳禁……何故生で食べたのか、キノコの勇者を問い正したい。

「木材腐朽菌倶楽部」の一員。

カエンタケ指揮の元、木箱と林檎からクロードを救うべく増殖中。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 満を持して(菌を持して?)カエンタケ大先生登場! というか、アニエスとクロード様の恋愛模様が少し進展したかな。と思った直後に謎の組織を形成して明後日の方向にその勢力を拡大してるキノコ達に笑…
[一言] 「木材腐朽菌倶楽部」なんて作ってたんですね。 今回木箱の腐食に頑張ってたみたいでしたが、 それ以上にクロード殿下のご褒美になりそうな予感です。
[良い点] 木材腐朽菌倶楽部! そんな倶楽部があったのか!(笑) キノコたちの活躍ぶりのインパクトが強すぎて、モーリスや他の護衛たちの存在がお空の彼方に飛んで行ってしまいそうです。 ごめん、モーリス…
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