その葡萄は間接キスです
「あれ、苺がないね」
手を繋いだまま街に到着すると、どうやらクロードの中で定番になったらしい果物串のお店に向かう。
「苺の季節が終わったのでしょう。今は葡萄みたいですね」
旬の果物を安価で食べやすい形にして売っているので、果物が変わるのもいつものことだ。
それはつまり、それだけの時間をクロードと過ごしているという証明。
たいしたことではないのだろうが、アニエスにとっては嬉しかった。
ポンという破裂音と共にクロードの腕に生えたのは、ブドウニガイグーチだ。
その名の通り葡萄のような赤紫褐色の傘を見て、クロードはうなずく。
「なるほど。キノコも葡萄を勧めてくれたし、食べてみようか」
何故かキノコのおすすめのような形になったが、ずっと手を繋いで緊張して喉が渇いた。
葡萄を食べたいアニエスは特に突っ込むこともなく、一緒にお店に向かう。
購入した後に早速ベンチに座ると、葡萄を頬張る。
皮ごと食べられる種類なので、食べやすいのも魅力だ。
口の中に甘い香りと果汁が広がり、喉を潤していく。
ジュースもいいが、やはり果実から溢れる果汁は格別だ。
夢中で食べていると、ふと隣から視線が注がれているのに気が付いた。
もしかして、勢いよく食べるアニエスに引いているのだろうか。
果汁を垂らしたりはしていないが、お世辞にも品がある食べ方とは言えない。
フィリップのように文句を言うとは思えないが、幻滅されるのはちょっと切なかった。
恐る恐る顔を向けると、そこにはにこにこと微笑む美貌の青年がいる。
どうやら気分を害したわけではないようで一安心だが、それなら何故食べずにこちらを見ているのだろう。
「この葡萄はそのまま食べられますよ」
「ああ、わかっている」
「それなら、何故食べないのですか?」
「葡萄を食べているアニエスが、可愛いから」
当然とばかりに告げられたので一瞬納得しそうになるが、おかしい。
「わ、私は普通に食べているだけです!」
そんなことを言われたら、残りの葡萄を食べるのが恥ずかしい。
あと一粒なのに、何てことをしてくれるのだ。
「それ、食べないの?」
「食べません!」
本当は食べたいけれど、あんな風に言われたらとても食べられない。
するとクロードの手が伸びてきて、葡萄串を持つアニエスの手に重なる。
何だろうと思う間もなく引き寄せられ、串に残っていた葡萄をクロードが食べた。
少し齧るようにして串から外す様も、咀嚼してぺろりと舌で唇についた果汁を舐めとる仕草も色っぽくて、ただ茫然と見ることしかできない。
「うん? 食べたかった? はい、これ」
そう言って差し出されたのはクロードの葡萄串。
ひとつ減っているのはクロードが食べたのだろうから、この葡萄を食べるということは間接キス。
それどころかアニエスの葡萄串をクロードが食べたのだから、既に立派な間接キスが成立している。
「た、食べません!」
クロードとは一度だけ実際にキスしたことがあるが、それとこれとは別問題。
衝撃の事実に頬が熱を持っていくが、クロードは楽しそうに笑うばかりだ。
モーリスが言っていた、恥ずかしがるアニエスを見て喜ぶというのは、これだろうか。
わざとやっているのだとしたら、少し悔しい。
顔を背けるアニエスに気付いたらしく、それ以上は追求してこない。
もぐもぐと葡萄をあっという間に平らげたクロードは、アニエスの手に残った串も一緒に捨てに行ってくれる。
基本的に優しいし、大切にしてくれているのはわかっている。
だが、やはりまだアニエスには刺激が強いのだ。
クロードに葡萄串を差し出された場合の正解は未だにわからないし、今度ゼナイドに聞いてみればいいだろうか。
いや、王太子妃に対してする質問ではないのでやめておこう。
戻ってきたクロードの唇が少し紫色に染まっているのを見つけたアニエスは、ハンカチを取り出す。
隣に座ったクロードに手を伸ばして、そこでようやく護衛の目があることを思い出した。
苺串事件の過ちを繰り返すところだったし、先程既に間接キスを見られている。
これ以上の羞恥には耐えられないとハンカチを差し出すと、クロードが寂しそうにこちらを見つめてきた。
「今日は拭いてくれないの?」
「人目があるのですよ」
「それなら、人目がなかったら拭いてくれるんだ」
「そういう意味では」
楽しそうに笑うクロードを見て、からかわれたのだと気付き、アニエスは頬を染める。
こういう時ばかりは、クロードのことが少し憎たらしい。
「今日も店主にワンピースを褒められたね」
「そう、ですね」
店主は元々アニエスに好意的な方だったし、以前ピンクの化身と化した時にも褒めてくれた。
今日もワンピースを見て可愛いと言ってくれたが、あれがお世辞だとしても嬉しいことには違いない。
「ワンピースにも慣れてきた?」
「そうですね。……可愛い服は、嫌いではありません」
今まで地味を極めた服を着ていたのは、フィリップの影響によるものだ。
可愛らしい服を着たいという欲求は特になかったが、疎まれることはないとわかった今では少しそのあたりの感覚が変化していた。
何気なく言った言葉に、クロードは花が綻ぶような笑みを浮かべる。
美青年はその笑みで、背に幻の花を背負うこともできる。
アニエスはキノコの変態のキノコ以外の特技に、素直に感心した。
「それはよかった。もっと色々な服を着ようね。アニエスは可愛いから、何でも似合うよ」
褒めてくれるのも喜んでくれるのも嬉しいが、これはちょっとおかしな方向に向かってはいないだろうか。
「ええと、あの」
「お金なら心配ないよ。ピンク色もいずれは着こなしてもらえると嬉しいけれど、まずは少しずつだね。ああ、楽しみだな」
「は……はい」
あまりにも幸せそうに訴えられるので、肯定する以外に道がない。
手を引かれるままに歩き出すが、その速度もアニエスに合わせてくれている。
クロードは押しが強い時もあるけれど、無理をさせたり、アニエスを否定するようなことはしない。
だからこそ信頼している部分もあるし、喜んでくれるのならこちらも嬉しいのだ。
「ああ! そこのキノコのお二人さん!」
まさかの言葉に足を止めると、そこにいたのはアクセサリー店の店主だった。
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本当にありがとうございます!
ぽぽるちゃ先生の美麗イラスト&キノコだけでも一見の価値ありです。
英語版には書き下ろし「竜の世界が変わる時」もついていますよ!
もちろん、「今日のキノコ」もありますよ。
(/ω\)キャッ、キノコ可愛い☆
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こちらも是非ご予約くださいませ。
m(_ _)m
【今日のキノコ】
ブドウニガイグチ(葡萄苦猪口)
赤紫褐色の傘を持ち、見た目と名前の通り葡萄色で苦いキノコ。
当然食べられないが、毒はないらしい。
綺麗な色だが、雨で退色しやすい。
「葡萄はいいよ! 見て、この葡萄ボディ!」と自慢の傘を揺らしている。
その後、まさか葡萄でいちゃいちゃされるとは思わず、照れたせいで傘の赤みが少し濃くなった照れ屋キノコ。








