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禁断症状が出たようです

「アニエス様ぁー!」


 王宮内の一室に案内されて扉が開いた瞬間、絶叫と共に黒髪の少女が突進してくる。

 シモーヌだと認識する頃には衝突は避けられない位置だったので、とにかく怪我をしないように受け止めなければと体に力を入れた。


 だが次の瞬間、背後から伸びてきた手がアニエスを包み込む。

 ポンという破裂音が耳に届くと同時に、何かがぶつかる衝撃だけが少し伝わった。


「シモーヌ嬢、危ないでしょう。アニエスが怪我をしたらいけない。アカヤマドーリがクッションになってくれたから、良かったものの」


 クロードの腰には、黄褐色のひび割れのある傘のキノコが生えている。

 シモーヌの頭から腰付近まであるその大きな傘が、どうやら緩衝材の役割をしたようだった。


「あら失礼。アニエス様にお会いできる喜びが体を突き動かしました。キノコさんもありがとうございます。……ところで殿下、今日は公務があるのですよね。どうぞ遠慮なく、さっさと、いってらっしゃいませ!」


 アニエスを腕の中に収めたクロードはため息をつくと、そっと力を緩める。



「アニエス。帰りは送れないから、何かあれば使用人に言付けて。ゼナイド様がいるから大丈夫だとは思うけれど、嫌なことは嫌だと言っていいからね」


 一体何を想定しているのかわからないが、公務中のクロードに連絡するようなことがお茶会で起こるとも思えないのだが。


「私は大丈夫ですから、もう行ってください。それから、公務があるのでしたら私の送迎をする必要はありません。というか、毎回送迎自体必要ないと思います」


 以前にワトー公爵邸から攫われたので心配してくれているのだろうが、ここは王宮だ。

 そもそもクロードは近くにいるわけだし、別に送迎する必要などないのに。


「少しでもアニエスに会いたいから」


 髪を一筋すくい取られて微笑まれれば、その美しさと色気に思わず息をのむ。

 たとえ腰に巨大キノコを生やしていても、格好いいものは格好いいのだ。


「そ、それは……ありがとう、ございます……?」

 混乱して謎の返答をするアニエスを見て目を細めると、クロードはそのまま桃花色の髪に唇を落とした。


「それでは、ゼナイド姉上。失礼いたします」


 非の打ちどころのない綺麗な礼をして去る後姿を、頬を染めながら見送る。

 颯爽と腰のキノコをむしると肩に担いでいるが、何かの戦利品のようで妙に勇ましい。


 それにしても、何もゼナイドとシモーヌの前であんなことをしなくてもいいのに。

 複数の使用人の目もあるのに、何故平気でいられるのだ。

 恥ずかしくてどうしたらいいかわからないアニエスの手を、シモーヌがそっと握りしめた。



「何ですか、あれ。ちょーっと、偶然を装ってアニエス様に抱きついて満喫しようとしただけなのに!」


「あれは抱きつくというよりも衝突事故という勢いでしたよ。クロードとキノコが庇わなかったら、アニエスが怪我をしていたかもしれません。きちんと謝罪なさい、シモーヌ」


 シモーヌの謎の思惑をゼナイドが窘めているが、満喫とは一体何のことだろう。


「アニエス様、すみませんでした……」


 しょんぼりと肩を落とすシモーヌは、控えめに言っても可愛らしい。

 時々変なことを言うが、アニエスを嫌わずに接してくれるだけでもありがたい存在である。


「いいえ。シモーヌ様もお怪我はありませんか?」


 クロードに庇われてなおあの衝撃ということは、シモーヌだってそれなりにダメージを受けているはず。

 そう思って尋ねたのだが、シモーヌの瞳がキラキラと星のように輝き始めた。


「アニエス様が、私の心配を! ああ、何て尊いのでしょう。美しい髪と瞳に優しい心遣い。妖精? 女神? やっぱり、私は男性に生まれたかった……!」


 急に頭を抱えて叫び始めたシモーヌに少し怯えていると、ゼナイドが大きなため息をついた。


「ごめんなさいね、アニエス。久しぶりだから、アニエスの禁断症状が出ているみたいで」

「禁断症状」


 そもそもたいして接していないのに、何故そんなことになるのかわからない。

 嫌われていないのはわかるのだが、シモーヌの思いはちょっとアニエスの想像の斜め上を突き抜けている気がする。



 ようやく着席すると、紅茶が用意された。

 王宮のティーカップは繊細な透かし彫りのような細工が施されていて、見ているだけでも楽しい。


 一口飲み込めば甘い果実の香りが鼻をくすぐり、思わず口元が綻ぶ。

 するとお茶も飲まずにこちらを見ていたシモーヌが、深いため息をついた。


「ああ。紅茶を飲む姿だけでも、まるで絵画のような美しさ。その動きと共に揺れる桃花色の髪は光を受けて輝き……」


「シモーヌ、少し黙りなさい」

 ゼナイドに注意されたシモーヌは、渋々と言ったていでティーカップを口に運ぶ。


「今日は王宮に招いてしまいましたが、大丈夫ですか?」


 もともと王宮に招待するのは緊張するだろうと心を砕いて、公爵邸に招いてくれたのだ。

 運悪く誘拐という事件が起きてしまったので、さすがに再び公爵邸でお茶会を開くわけにはいかなかったのだろう。


「緊張しないとは言いませんが、お二人とお会いするのは楽しみでしたので」


 これは嘘ではない。

 社交界で無視され馬鹿にされていたアニエスにとって、普通に接してくれる同世代の女性というのは貴重な存在だ。


 あんな事件があったから招待されることなどないだろうと思っていたので、とても嬉しかった。

 もしかするとクロードが頼み込んだのかもしれないが、それでも断らずに会ってくれるのだから、この二人はとても優しいと思う。



 ガシャンという激しい音を立てて、ティーカップがソーサーに着地する。

 驚いて目を向ければ、シモーヌがふるふると震えながらこちらを見ていた。


 もしかして、不愉快だっただろうか。

 だが謝罪しようとするアニエスよりも先に、室内にシモーヌの甲高い悲鳴が響き渡った。



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【今日のキノコ】

アカヤマドリ(赤山鳥)

黄褐色~橙褐色の傘が直径30cmになることもある、大きなキノコ。

成長すると傘にひび割れができ、焼き立てのパンのようにも見える。

巨大メロンパンという感じで、毒はないが虫がつきやすいらしい。

アニエスを衝突事故から守ろうと急いで生えて、緩衝材の役割を果たした。

シモーヌの謝罪を受け入れ「これからは気をつけな」と菌糸の余裕を見せて諭したが、キノコなので伝わっていない。



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― 新着の感想 ―
[一言] アカヤマドリさんはエアークッションという実用性を磨いてますね。 この調子で行くとアニエスの有能な護衛になりそうです。
[一言] アカヤマドリさんは素敵なんだけど、腰に生えてるところに激突してるのとか、むしられて担がれる姿とかどうしても笑ってしまいます 物理的障壁gjなのです
[一言] そんなでかいキノコに体当たりとか胞子が凄そう、と思うけどきっと胞子の時期じゃないのが生えたんだろうな
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