第二章 (2)
その店は“玉ねぎ娘”という名前だった。
四十人ほどの客が入る大きな店で、昼も夜も行列ができるほど盛況である。
店主は三十台後半くらいの女性で、ミサキと名乗った。
彼女の趣味は、店員たちに自分のデザインした制服を着せて、観賞すること。その趣味を実現させるために店を経営しているという噂もあるくらいだ。
「――うん、合格! で、いつから入れるの?」
「自由市場の手伝いがありますので、そのあとにでも」
「むふふ」
個性的な美人、というべきだろうか。鼻が高く、くっきりとした目鼻立ちのミサキは、シャーロの隣に行儀よく座るリーザを観察しつつ、含み笑いを漏らした。
まるで、か弱い獲物を前に舌なめずりをする猫科の動物のように。
「シャーロ君の妹っていうから、てっきりちょっとツンとした感じの、それでいて芯の強そうな女の子を想像してたんだけど、予想が外れちゃったな」
「俺たちは、戦争孤児なんです。血は繋がってません」
「え? そうなの?」
シャーロは自分たちの置かれた状況を簡単に説明してから、隣でかしこまっている妹に謝った。
「すまない、リーザ。俺にもう少し力があれば、住み慣れた家を出ることも、幼い妹たちと離れ離れになることもなかったのに。……でも、俺たちが生きていくには、この方法しかないんだ。ここでしっかり働いて、家族の支えになって欲しい」
「シャ、シャーロ兄さん」
突然のことに、リーザは驚いてしまった。兄がこのような弱音を吐いたことなど、今まで一度もなかったのだ。
心の中に大きな決意を固めて、リーザはミサキに頭を下げた。
「わたしは、世間知らずでなんの特技もありません。しばらくは、みなさんにご迷惑をおかけするかもしれません。でも、お仕事を教えていただければ、なんでもします。頑張って働きますから、その――よろしくお願いします!」
「……うっ」
昼と夜の営業時間の切れ目。三人の他は誰もいないがらんとした店内に、さめざめとした泣き声が染み渡った。
感極まって泣き出したのは、ミサキである。
異変を感じとったのか、休憩室らしき部屋からウェイトレスたちが顔を覗かせたが、シャーロと目が合うと、慌てたように引っ込んだ。
「二人とも……苦労、してきたのね」
ミサキは涙をぬぐうと、大きく息をつき、どんと胸を叩いた。
「シャーロ君。リーザさんのことは、私にまかせておきなさい」
「ありがとうございます」
しかしシャーロは、リーザのことを特別扱いしないで欲しいと注文をつけた。自分たちは確かに戦争孤児だが、これまで不幸だと思ったことはないし、同情されたくもないのだと。
「あのね、シャーロ君。私を見損なわないでくれる? お給金を出すからには、リーザさんにはしっかりと働いてもらうわよ。でも、それ以外のことでなにか困ったことがあったら、遠慮なく相談してちょうだい。できる限りのことはするつもり」
とても頼りがいのある店長さんだと、リーザは思った。
住み慣れない都会の街。初めて就労することに対して、リーザは大きな不安を感じていたが、このひとの元でならやっていけるかもしれない。
いや、家族のために――全力で頑張ってみせる。
「じゃあ、みんなに紹介するから、ちょっと来てくれるかしら。……あ、シャーロ君はダメよ。男子禁制だから」
ミサキはリーザを立たせると、肩を抱くようにして別室へと案内した。
そこは休憩室のようで、テーブルの上にはお茶と焼き菓子があり、四人のウエイトレスがひそひそ話をしていた。全員が頭にカチューシャをつけ、フリルのついた服を着ている。部屋の奥にはソファーがひとつあり、男物の服を身に着けた女性がひとり、仰向けに寝転がっていた。
「みんなに紹介するわね。これから一緒に仕事をすることになる、リーザさんよ」
「よろしくお願いします」
ウェイトレスたちはリーザよりも少し年上だが、全員が十代のようだ。歓声を上げながらリーザを取り囲んで、じろじろと観察し、ついでに触ってくる。
「うわっ、かわいいー!」
「髪もまっすぐで、さらさら。いいなー」
「ねえねえ、あなた、何歳?」
「じゅ、十五歳です」
「年下じゃん」
「腰、ほっそ!」
目を丸くしてしまうリーザに苦笑して、ミサキはパンパンと手を叩いた。
「ほら、散った散った。服のサイズ、測るんだから」
ミサキはポケットからメジャー紐とメモ用紙を取り出すと、リーザの身体の様々な部分を測り、記録していく。
「あ、あの……」
「動かない」
「は、はい」
「うちで働く娘は、私の作った制服を着てもらう決まりになっているの。自由市場が終わるまでには仕上げてみせるから、楽しみに待っていてね」
最後に頭の大きさまで計測して、ようやくミサキは満足したようだ。
「リーザさんには調理場にも入ってもらう予定だから、可愛らしくて、しかも動きが邪魔にならないデザインを考えないとね。腕が鳴るわぁ」
「……なに?」
それまで興味なさそうにソファーで寝ていた女性が起き上がり、近づいてきた。ズボンのポケットに片手を突っ込みながら、もう片方の手で頭をかいている。
「あら、やっと起きたわね、王子さま」
年齢は二十歳くらいだろうか。ずば抜けた長身で、飾り気のないシャツとズボンを身につけている。化粧をしておらず、髪を短くしているが、ミサキとはまた違った意味で個性的な、どこか中世的な美人だった。
エルミナが成長したら、こういう感じの女性になるのかしらと、リーザはやや場違いなことを考えた。
長身の女性はやや腰をかがめて、リーザの顔を覗き込む。切れ長の薄い灰色の目は、まるで孤高の狼を連想させた。
「女の子じゃないか」
「当たり前でしょう。男の子雇ってどうするのよ」
「調理場は、か弱いお嬢さんに務まるような場所じゃない。これまで何人辞めたと思ってるんだ。ったく、こんだけかわいいなら、普通、ウエイトレスだろ? 料理人は、がたいのいい、無口で器用な男を雇ってくれよ」
「絶対にいや」
「勘弁してよ、サキさん」
ため息をつく姿が、実に様になる。
シャーロに連れられてこの店にやってきたリーザだったが、どのような仕事をするのか正確には聞いていなかった。飲食店であるからには、接客や給仕かと予想していたのだが、どうやら調理を担当するらしい。
養育者である老神父が亡くなってから四年間、リーザは毎日、六人家族の料理を作ってきた。しかし、しょせんは田舎の家庭料理である。見栄えのする盛り付け方など知らないし、短時間で大人数の料理を作る技術もない。
ふいに、胸の奥から不安感が押し寄せてきた。
「私はここの料理人だよ。名前はレイ。……えっと、リーザ、だっけ?」
「はい」
「こっち来て」
休憩室の隣は調理場だった。かまどが三つもあり、いろいろな種類のフライパンが壁にかけられている。
「これ、むいてみて」
渡されたのは、やや形の歪んでいる水芋と包丁だった。
「ちょっとレイ、いきなりなにをやらせる気?」
「包丁の握り方から教えるとか、私はごめんだからね。ちょっとしたテストだよ」
テストという言葉に一瞬緊張したものの、リーザは拍子抜けしていた。ユニエの森には水芋も自生しており、シャーロたちが掘り起こした、芸術的なまでに捻じ曲がったものを調理してきたのである。
渡された水芋は、農家のひとが栽培したもの。食べやすいように、つまり、調理しやすいように育てられている。
リーザは袖をまくり、桶の水を使って両手を洗った。包丁はやや厚く重かったが、さすがにプロが使うものだけあって、手入れが行き届いている。
呼吸を整えつつ、丁寧に水芋の皮をむいていく。
「……遅くない?」
ウェイトレスの誰かがぼそりと呟いたが、リーザは気にしなかった。水芋はその名の通り水分を大量に含んでおり、皮が硬く身がやわらかい。そしてリーザが育った環境は、食材を無駄にするような行為など許されてはいないのだ。
皮はできる限り薄く、そして身を崩さないように。
ユニエの森の教会の台所、自分の仕事場にいるつもりで、リーザは水芋の皮をむいて、最後にやや傷みのある部分をくりぬいた。
「できました」
「……」
レイと名乗った女性はむき終えた皮をつまみ上げて、少し悔しそうに唸った。舌打ちを我慢するように口を歪めて、リーザをちょっと睨む。
「はっきりいうけど、この仕事は、きついよ?」
「はい!」
もとより覚悟はしている。それよりも、働かせてくれることを認められたことが嬉しかった。
にこにこ顔の少女を呆気にとられたように見つめてから、レイは今度こそ舌打ちをして、ぷいとそっぽを向いた。
「もう好きにしなよ。私は知らん」
休憩室に戻ると、ふてくされたようにソファーに寝転がってしまう。その様子を見て、ミサキがおかしそうに笑った。
「あの子があんな態度をとるのは、珍しいわね。ぶっきらぼうなところはあるけれど、あれで優しいところもあるの。仲よくしてね」
どうやら無事、テストを乗り越えられたようである。
それからリーザは、店と隣接している住み込みの部屋に案内された。
「ここが、あなたの住む部屋よ。レイといっしょだから、ちょっと狭いかもしれないけれど――」
扉を開いた瞬間、ミサキの表情が固まった。
ベッドがふたつあるその部屋は、埃まみれで散らかし放題だった。
シーツはめちゃくちゃ。枕は見つからない。出窓に飾られた鉢植えは、中の植物が枯れている。床の上には本や調理器具、脱ぎっぱなしの服や下着などが散乱しており、おそらくリーザが使うことになるであろうベッドには、木箱が山のように積まれていた。
勢いよく扉を閉めると、ミサキは自制心を保ちつつ、頬をひくつかせた。
「……あ、あなたが来るまでには、きちんと掃除させておくから、心配しないでね」
「は、はい」
それで、職場の紹介は終わりだった。
ずいぶん待たせてしまったシャーロとともに、もう一度ミサキにお礼を言って、二人は”玉ねぎ娘”をあとにした。
明日からは、いよいよ春の自由市場が始まる。
一週間ほどシャーロを手伝って、それから――お別れをしなくてはならない。
寂しさは消えないが、リーザにはとある目標ができた。
この街で、あのすてきな店でしっかりと働いて、ユニエの森に住む家族を助けること。
「シャーロ兄さん」
「うん?」
「わたし、頑張るから!」
シャーロの正面に立ち、両手を胸の前で握りしめる。
「いっぱい働いて、お給金がもらえたら、家に仕送りをするわ」
「仕送り?」
シャーロの反応は、リーザの予想したものではなかった。
「仕送りなんて、する必要ないよ」
「え? だって……」
先ほど店の中で、「家族を支えて欲しい」とお願いされたはず。いや、「家族の支えになって欲しい」だったか。
混乱するリーザに、シャーロは淡々と説明した。
“玉ねぎ娘”の店長であるミサキは、情の厚い女性である。自分たちの境遇を話せば、都会暮らしに慣れないリーザのことを、いろいろと助けてくれるだろう。だから、あえて話をした。
しかし、リーザだけが特別扱いされたら、他の従業員たちはいい顔をしないはず。逆に、やっかみの対象となるかもしれない。だから、そのようなことはしないで欲しいと注文をつけた。
「それに、俺は嘘をついてはいないよ」
安定した収入と十分な財力があれば、家族全員でハルムーニに引越しするという選択肢もあっただろう。リーザがエルミナやメグと離れ離れになることもなかった。
「そもそも、うちはそんなに貧乏じゃない」
「……」
食料の多くは森の恵みから得ているし、商売も順調である。実は先ほど“玉ねぎ娘”にも、秋に収穫したキノコを卸したばかりだ。ワインを取り扱ってくれる店も複数あるし、今回の自由市場でもかなりの利益が見込まれている。
「前にも話したと思うけれど、わざわざハルムーニまでリーザを連れてきたのは、いろいろなことを経験して欲しかったから。だからもし、お金に余裕ができたなら、自分のために使うこと。それで家に帰ってきたとき、たくさんの土産話をしてくれたなら、みんなも喜ぶし、俺も嬉しいな」
兄の強さとしたたかさを、リーザは分かっていた。
分かっていたつもりだったが、実際は想像以上だったらしい。




