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第一章 (5)

 翌日から、さっそくエルミナは行動を開始した。

 自分たちは戦争孤児だが、本物の家族以上に結束して、生活している。そのかなめとなるのが、シャーロとリーザ。父親と母親のような存在だ。

 母親が、父親に追い出されるなんて、あり得ない!

 リーザは美人で優しくて、料理が上手で、エルミナの目から見ても、非の打ち所がない姉だった。自分では逆立ちをしても真似はできないだろうと考えたこともある。本人は自覚していなかったが、エルミナが活発で男まさりの言動をとるようになったのも、リーザの影響が大きかったのである。

 それは、憧れの裏返しでもあった。


「メグ、リザ姉と離れ離れになるの、嫌だろ?」

「やだ! やだ、やだ!」

「よし。じゃあ、一緒にみんなを説得しよう」


 幼い妹を味方につけて、作業場で馬車の修理をしているダンの元に向かったが、交渉は最初から頓挫とんざした。

 作業の手を休めないままに、ダンはエルミナの話を聞き、そしてひと言。


「オレは、あんちゃんを信じる」


 この兄は熊のような身体に似合わず、性格はウサギのように大人しい。だが、とても頑固な一面を持っていることを、エルミナは知っていた。

 こうなってしまっては、テコでも動きそうにない。

 ダン兄は冷たいだの、リザ姉がかわいそうだの、さんざんまくし立てたものの、すべてが聞き流されて、「もうダン兄には頼まない!」と、自ら啖呵たんかを切ってしまった。

 交渉人としては失格である。

 憤慨冷めやらぬまま、二人はマルコの部屋に向かった。

 仕切人に払う出店料や市場税といった難しい計算をしていたマルコは、ダンよりはまともだった。

 エルミナの話を聞き、一応の理解を示してくれたのである。


「確かに、リーザ姉さんがいなくなったら寂しいし、困るよ」

「だろう? だったら――」

「でもぼくは、シャーロ兄さんの言うことも一理あると思うんだ」


 伊達眼鏡の奥で、マルコは遠くを見るような目をした。


「ハルムーニは大きな街だよ。市場の賑わいもすごいし、ひとの数も多い。見たこともないような商品がいっぱい並んでいる。都会の生活に慣れるまでは大変かもしれないけれど、きっと楽しいこともたくさんある」


 マルコは眼鏡の位置をずらして、「それに」と付け加えた。


「リーザ姉さんが街の物価や売れ筋を調べて、事前に手紙で知らせてくれたら、こちらも商品の準備や価格設定がしやすくなる」

「この、商売バカ!」

「ばかー!」


 二人の妹に連呼され、マルコは傷ついたように肩を落とした。

 まったくもって頼りにならない兄たちだ。

 しかし、癇癪を起こしたところで事態は好転しない。結局、何も成果を得られないまま、自由市場へ出発する前日を迎えてしまう。

 そして、最後の夜。リーザのベッドに潜り込んだエルミナとメグは、左右から姉の身体に顔を押しつけて大泣きした。


「みんな、ひどいよ! リザ姉を追い出すなんて!」


 メグにいたっては、この二日間でようやく姉がいなくなることを理解したようで、言葉もなくしがみついている。

 リーザは二人の髪を撫でながら、「ありがとう」と呟いた。


「わたしはだいじょうぶ。シャーロ兄さんが、きちんとしたお仕事を見つけてくれたし、ちょっと不安はあるけれど、頑張るわ」


 自分のことよりも、残される妹たちのことが心配なのだろう。「外から帰ってきたら、ちゃんと手を洗うのよ」とか、「野菜は残しちゃだめよ」とか、日ごろ口にしていることをお願いしてくる。

 エルミナは悔しかった。そんな場合じゃないだろうと、叫びたかった。


「リザ姉、嫌じゃ、ないの?」

「……ええ」

「嘘だ!」


 決めつけられて、リーザは沈黙した。


「だってもう、シャロ兄のそばにいられなくなるんだよ?」

「……」


 エルミナは知っていた。いつも穏やかな笑顔を絶やさないこの姉が、一番光り輝く瞬間――それは、シャーロに仕事を頼まれたとき。ふたつ返事で引き受けて、「助かるよ、リーザ」と、感謝されたとき。そのときの姉の表情といったら、それはもう、見ているこちらが眩しく感じるほどなのである。


「リザ姉、シャロ兄のこと好きなんだろ? ずっとそばにいたいんだろ? だったら、この家を出たくないって、ちゃんと言おうよ」


 薄暗闇の中、リーザはかすかに身じろいだ。


「エ、エル、なにを言うの?」

「わかるよ。だってリザ姉、シャロ兄と話してるとき、嬉しそうだもん」


 陰気で、厳しくて、偉そうで、ケチくさい兄。どこがいいのか、エルミナにはさっぱり分からなかったが、ひとの好みとはそういうものなのかもしれない。


「シャロお兄ちゃん、すき?」


 ようやく泣き止んだのか、メグが涙を拭いながら聞く。

 リーザは困り果てたように考え込んでいたが、やがて、小さな吐息をついた。


「……うん」

「メグは?」

「もちろん、メグも大好きよ」


 こちらは即答である。


「エルも、ダンもマルコも、みんな好き。……でも、シャーロ兄さんのことは、ちょっと違う“好き”なの」

「……ちがう?」

「そう。メグも、もう少し大きくなったら分かるわ」


 そう言って、柔らかな金色の髪を優しく撫でる。


「リザ姉……」


 好きなひとがいるのに離れてしまうのはおかしい。家族が別々に暮らすのは間違っている。理屈では分かっているのに、リーザの声を聞いていると、何故かエルミナは、それ以上何も言えなくなってしまった。


「シャーロ兄さんは、わたしに“外の世界を見てきて欲しい”って言ったわ。だから、見てくるつもり」

「シャロ兄に、言われたから?」

「違うわ。それが、シャーロ兄さんの望みだから」


 どこが違うというのだろうか。

 リーザは天井を見上げ、そっと目を閉じた。


「向こうに着いたら、すぐに手紙を書くわ。エルもメグも、返事を書いてくれる?」

「……うん」

「それから。自由市場のときでもいいから、シャーロ兄さんにお願いして、遊びにいらっしゃい」


 その言葉に、メグが反応する。


「あそび、いく?」

「ええ。ハルムーニは、ずいぶん大きな街らしいから。それまでに、いろいろな場所を案内できるように、なれると、いいのだけれど……」

「メグ、いく!」


 くすりと笑って、リーザはぼんやりと、誰かに語りかけるように呟く。


「……外の世界で暮らして、たくさんのひとに出会って。それでも、わたしの気持ちが、変わらなかったら……」


 エルミナは耳を澄まして続く言葉を待ったが、穏やかな寝息以外は何も聞こえてはこなかった。

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