エピローグ2
幾つかの季節が巡る――
五頭立ての高速軍用馬車に乗せられて、リーザはビシュマの街へと向かっていた。
ビジュマはハルムーニと王都の中間地点にある巨大な街で、その規模は東部地方最大といわれている。通常であれば馬車で二十日はかかる距離だったが、リーザの強い希望により強行軍がなされ、二週間ほどでたどり着くことができた。
街の大きさは、ハルムーニの三倍以上はあるだろうか。
まず最初に案内されたのは、中心部に位置する巨大な石造りの建造物で、それは軍の治療院とのことだった。
控え室らしき部屋で待機している間、リーザは案内役の隊士から、自分の夫のおかれた状況を詳しく教えられた。
国境を接するふたつの敵国による、秘密裏の軍事同盟。
北部地方への侵攻。
迎撃。陽動。
宝石型に配置された砦。
砦長の逃亡。
十人長による指揮。
奇跡的な防衛。
王太子殿下による、感謝の言葉――
たいそうな言葉が次々と並べられたが、話を理解するだけの心の余裕が、リーザにはなかった。
胸の前で両手を組み、ただひたすら夫の無事を祈り続ける。
それからどれくらいの時が過ぎただろうか。控え室の扉が開かれて、黒い軍服を身につけた人物が入ってきた。
内心、リーザは驚いた。
その人物が、小柄でほっそりとした初老の女性だったからである。
「はじめまして。わたくしは、地方軍東部地方統括本部長のスイと申します」
慌てて立ち上がり、リーザが自己紹介をすると、スイと名乗った女性は「あら、とてもすてきな方ね」と、口元に穏やかな微笑を浮かべた。
「ようこそビシュマへ。長旅で疲れているかもしれないけれど。休んでいる場合ではなさそうね」
焦燥感にかられているリーザの表情を読み取ったのか、スイはひとつ頷いた。
「心配しなくてもだいじょうぶよ。あなたのご主人が怪我をしたのは、ふた月近く前のことなの。今は包帯もとれて、歩く練習をしているわ」
「そう、ですか」
両手を胸に当てて、リーザはほっと吐息をつく。
しかし、この目で安全を確認したいという気持ちは変わらない。期待を込めて見つめていると、スイは微笑を浮かべながら「ついてらっしゃい」と踵を返した。
かつかつと規則正しい軍靴の音を響かせながら、初老の女性は廊下を歩いていく。やや斜め後方をリーザがついていく。
周囲にいた軍服姿の男たちが、慌てたように道をあけて敬礼する。
「あなたのご主人……」
ちらりとリーザを見て、スイは何かを思い出したように白い歯を見せた。
「面白い方ね」
リーザとしては元気でいてくれるだけで十分だったのだが、どうやらシャーロは戦で手柄を立てたらしい。
「ご褒美に何が欲しいって聞いたら。戦場で命を落とした仲間たちの、家族への金銭的な支援――ですって。それは、責任者であるわたくしの仕事なのだけれど」
シャーロが配属された砦は、圧倒的な敵軍の攻撃を受け、かなりの損害が出たという。死傷率が五割を超えたという話を聞き、今さらながらにリーザは顔を青ざめさせた。
「それ以外の望みはって聞いたら、あなたに会いたいって」
「……」
胸がいっぱいになり、リーザは溢れる想いをかみ締めた。
「ふふ。こんなに可愛らしい奥さまなら、しかたがないわね」
いくつかの角を曲がって、突き当りの部屋へたどり着く長い廊下で、軍服姿の男たちと鉢合わせになった。
「こ、これは――本部長閣下」
「あら、あなたたち。確か、シャーロ十人長の同期の子ね。お見舞いに来たのかしら?」
「は、はい」
全員が二十歳前後の若者である。敬礼してかしこまりながらも、男たちは不躾な視線で、じろじろとリーザを観察した。
「あの、本部長閣下」
「なにかしら?」
「そちらの方は、どなたでしょうか?」
一番体格のよい金髪の男が聞いてくる。
「ぜひとも、ご紹介いただきたいのですが」
「じ、自分は、恋人募集中であります!」
丸刈りの男がリーザに向かって敬礼する。
「あ、俺も――」
「この野郎! 俺が言おうと……」
「み、みんな。本部長の前だよ」
呆気にとられるリーザをよそに、スイはやや目を細める。
「ずいぶん元気な子たちね。こちらは――」
リーザの肩に手を置いて、はっきりとした発音で言った。
「シャーロ十人長の奥さまの、リーザさんよ」
「妻のリーザです。夫が、お世話になっています」
ぺこりと頭を下げると、男たちはそろってあんぐりと口を開け、硬直した。
てっきり自己紹介をしてくれると思ったのだが、あまりにも反応がないので、何か粗相でもしたのかと不安になってしまう。
「あなたたち……」
やがて、ため息交じりにスイが呟いた。
「英雄の奥さまに手を出したら、減給くらいでは済まないわよ。さ、リーザさん、行きましょう」
肩を押されて、リーザは男たちの間を進んでいく。
後ろのほうからひそひそと、怨嗟に満ちた声が聞こえてきた。
「あ、あいつ、結婚してたのか?」
「いいなぁ」
「あんな愛想なしに、あんな美人の――」
「世の中間違ってね?」
「そ、そうだ。見舞い品を回収しようぜ!」
どうやらシャーロの仕事仲間らしいが、結婚していたことは知らなかったらしい。
「ごめんなさいね、リーザさん。ばかな連中ばかりで」
「……い、いえ」
なんとも返答に困る会話である。
長い廊下の突き当たりで、スイは立ち止まった。
「ここが、シャーロ十人長――いえ、もうすぐ辞令が出るから、百人長ね。あなたのご主人の病室よ。ゆっくりとお話をなさってね」
気をきかせてくれたのだろう。リーザひとりを残して、スイは静かに立ち去っていった。
建物のかなり奥まったところに位置しているらしい。周囲には人影もなく、不気味なくらい静かだ。
目の前にあるのは、簡素な造りの木製の扉。飾りつけはなく、目線の位置に部屋番号を示す小さなプレートだけがはめ込まれている。
この先に、夢にまで会いたいと願ったひとがいる。
深呼吸をして扉をノックすると、中から返事が聞こえてきた。
どきんと、胸の鼓動が高鳴った。
落ち着いた響きを持つ、涼やかな声。
久しぶりに聞く、それは愛する夫の声だった。
唇を軽くかみ締め、震える手で扉を開くと――
室内には光が溢れていた。
南向きの部屋らしい。窓が少し開いていて、白いレースのカーテンが不規則に揺れている。壁の色もシーツの色も白。そして、部屋の奥に配置されているベッドの上、上半身を起すような体勢で、黒髪の青年が出迎えてくれた。
ふいに窓から強い風が入ってきて、青年の手元にあった本のページがぱらぱらと捲れる。
「……」
そのひとの顔をよく見ようと思ったのに、すぐに涙でぼやけてしまう。
部屋の入口で立ち尽くしたまま、口元を押さえていると、シーツが擦れる音が聞こえて、青年がこちらにやってくるのが分かった。
少しだけ、片足を引きずっているようだ。
やがて――そっと、抱きしめられた。
「……髪、伸びたね」
離れ離れになったときに肩にかかるくらいだった髪は、もう腰のあたりまで届こうとしている。
リーザはゆっくりと顔を上げて、青年を見つめた。
視線の位置が、少しだけ高い。背が伸びたのだろうか。
前髪は少し短くなっている。
でも、意志の強そうな黒い瞳は同じ。
リーザが大好きな微笑みも、同じ。
ゆっくりと顔が近づいてきて、再び涙で視界がぼやける。
「会いたかった――」
ごく自然に唇が重なり、ぎゅっと抱きしめられる。
息を吐くのも忘れて、その懐かしい温もりと力強さを、リーザは全身で感じていた。
みなさまのおかげをもちまして、ユニエの森の物語、完結です。
感想、お気に入り登録、評価ポイント等々、ありがとうございました。
ひょんなことから発掘され、皆様のご声援をいただかなければ、おそらく最後までたどり着けなかったと思います。
シャーロたちの今後については、まだぼんやりとしていて、頭の中で形になっていません。
もし書くことはあっても、題名が変わるかと思います。
○○の砦の物語、とか、そんな感じでしょうか。
ですので、ユニエの森の物語は、とりあえず完結とします。
感想、評価ポイント(ずうずうしい)等いただけましたら幸いです。
また、他の作品も読んでいただけると嬉しいです。
本当にありがとうございました。




