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エピローグ

 チムニ村に、春が訪れようとしていた。

 木陰にはまだ雪が残っているが、畑を区切る畦道あぜみちには、春の草花が芽吹いている。

 むせ返るような土の匂いと、小鳥たちのさえずり。

 それは、農作業の開始を告げる緩やかな合図でもあった。

 その日の午後、チムニ村の村長宅に二人の聖職員が訪れていた。

 中年の男性と若手の女性である。身につけている制服は教会のものだが、デザインと色彩が大きく違っていた。

 左半身が白、そして右半身が灰色。そして詰襟の部分に銀色に輝く三角形の紋章が光っている。

 “五十人審判会”に属する調査員だった。

 彼らは教会内部での不正や事件を担当しており、普段は人前に姿を表すことはない。

 怪訝な顔で村長が客室に招き入れると、中年の調査員が用件を切り出した。


「我々は、神の養い子に対する不正を調査するため、この地に来ました」

「どういうことでございましょう」


 疑問を口にしたのは村長ではなく、その妻、タミル夫人である。長期間に渡る不摂生のせいか、目の下にはくまができ、無理やり化粧で隠しているようだ。

 村長の他には息子のヤドニもいて、不安そうな表情で母親を見つめていた。


「村の外れにあるユニエの森。そこに孤児院があることはご存知でしょうか」

「ええ、もちろん」

「元院生から、“告発状”が提出されています」

「……“告発状”?」

「はい。告発者は、シャーロ元院生。現在は、地方軍の見習い隊士になっているようです」

「あの、クソガキッ」


 歯をむき出しにして、タミル夫人は嫌悪感を表した。調査員の前だというのに、息子に命令して、戸棚からワインとグラスを出させる。


「一杯いかがかしら?」

「いえ、仕事中ですので」

「あら、残念」


 なみなみとグラスに注いて一気に煽る。


「くふぅ。わたくしたちが、孤児院にいた子どもたちに、不利になるようなことをしたとでも?」

「“告発状”によると、そうなっています」

「もしかして、自由市場の件かしら?」

「ええと……」 


 もうひとりの若い女性調査員が資料をめくりだした。


「これですね。夏の自由市場で、“森緑屋”の出店権を、強引に奪われたとあります」

「その通りよ。村の発展のためなのだから、しかたがないわ」


 あっさりと認めたタミル夫人は、「他には?」と問いかけてきた。


「その後の“調停会議”で、売上金横領の疑いをかけられたと」

「ふん、あつかましい」


 鼻で笑ってから、タミル夫人は再びワインをひと口。


「……で?」

「はい?」

「その書類に書かれていることが事実だったとして、あなた方はどうするつもりなのかしら? “政教分離の法”を逸脱しているのではなくて?」


 商工会の寄り合いや“調停会議”は、村の行政行為の一部である。たとえ“五十人審判会”といえども、いや、だからこそ口を出すことはできない。

 若い女性調査員はさらに資料をめくった。


「では、地方軍の強制徴兵で、シャーロ元院生が選ばれた理由は?」

「厳正なる選考の結果よ」

「国からの命令書には、被推薦者の要件が添付されていたはずです。未成年である彼が、選ばれる必然性がありません。なにか、恣意的なものが働いたのでは?」

「繰り返しになるけれど、たとえそうだったとしても、あなた方にわたくしを裁く権利はないわね」

「“軍教分離の法”、ですね?」

「その通りよ」


 同席している村長は無表情のままだったが、息子のヤドニは少し余裕ができたようだ。にやにやと笑いながら、母親と二人の調査員のやり取りを見守っている。

 苦々しいため息をついたのは、中年の調査員だった。


「確かに、あなたのおっしゃる通り、我々には村の取り決めに関することで、口を出す権限はありません。この村で子どもたちがどのような扱いをされていたのか、その確認をしたかっただけですよ」

「あら、そう」

「そして、我々の制度に関することであれば、当然、我々に審判権がある」


 中年の調査員は説明した。

 今から五年前、モズ神父が亡くなったことで、ユニエの森の教会は廃止された。しかし孤児院としての機能は残ることになり、その管理は村へ委譲された。

 チムニ村の村長に、である。


「生活に関する物資の管理、面談による院生たちの精神面の管理。そして、建物の修繕などの環境管理。それらの義務が生じる代わりに、教会から村へ管理費が出されています。そうですね?」

「……」


 タミル夫人の顔が震えた。

 笑顔を作ろうとして、失敗したのだ。


「告発者――シャーロ元院生からは、証拠品として、過去五年分の家計簿と、食糧庫の在庫帳が提出されています。私も実際に確認しましたが、いやはや驚きました。最初の年など、六人の子どもたち全員が、よく無事で生き残れたものだと思います」


 家計はマイナスが続き、食糧庫も在庫が減る一方。収入といえば、森の動物や果実や木の実を村で換金したもののみ。


「逆に、雨漏りの修理用の資材が、経費として計上されていました。本来であれば必要のない出費が発生していたわけです。教会からこの村に支払われていた管理費は、いったいどこに消えたのでしょうか?」


 チムニ村の村長は、微動だにしなかった。自分の置かれた状況をまるで理解していないかのように、涼しい顔をしていた。


「二年目以降については、さらに驚かされました。“森緑屋”なる店を立ち上げて、自由市場では大きな利益を上げ、それは年を追うごとに増えていく。ついには、ハルムーニに支店を出すまでに至った。元手のない子どもたちが、生き抜くだけで精一杯だった子どもたちが、たった数年でここまでの実績を上げるとは――恐れながら“奇跡”と呼んでも差し支えのない出来事かもしれません」


 これだけ安定した収入があるのであれば、孤児院の“管理費”は必要ない。

 しかし、返還された形跡はないと、中年の調査員は断言した。


「我々の上層部は、今回の件を特に重くみています。組織の縮小にともなう外部委託の拡大。しかし、その監査についてはなおざりになっていた。特に孤児院の管理は、子どもたちの生命や成長に関わる重大事項です。今後、徹底的に調査するつもりですよ」


 教会の運営は、おもに信者からの寄付金によってまかなわれている。支出される際には、“神の恩恵”と呼び換えられ、正しきことに使われる“義務”が生じる。もし横領などの罪が発覚した場合、通常よりも一段階重い罰則が科せられるのだ。

 もっとも、“嘆願書”があれば、罪を軽減することも可能なのだが、その場合、村の人口の七割を越える署名が必要となる。


「――ぐっ」


 タミル夫人の顔が歪んだ。


「マ、ママ……」


 母親の表情から、不吉な影を感じたのだろう。ヤドニが心配そうな声をかけると、タミル夫人は息子をぎろりと睨みつけた。


「少し黙ってらっしゃい! 今、考え事をしているのよ!」


 今の状況で嘆願書の署名を集めるだけの実力を、タミル夫人は兼ね備えていない。かつては可能だったが、度重なる不義により、村人たちの信用を完全に失墜していたのである。


「いかがですか、リド・チムニ村長。調査にご協力いただけますか?」


 今後の展開について考えをめぐらせている夫人の隣で、まるで置物のように鎮座していた老人は、こくりと頷いた。


「すべて、妻がやりました」


 しんと、客室内が静まり返った。

 調査員たちも度肝を抜かれたようで、ただ呆然と老人を見返している。

 壊れかけた人形のように、タミル夫人が首を傾げた。


「……あーた。なにを、言ってるの?」


 老人は、笑顔を浮かべていた。

 幸せそうな、長年の夢が叶ったかのような、それは満足そうな笑顔だった。


「管理費は、妻が横領しました。わたくしめは一切関知しておりません」

「あーたっ!」


 若かりしころの彼は、行動派の村長と呼ばれていた。

 能力の是非はともかく、チムニ村に貢献することに対して、並々ならぬ情熱を抱いていたという。

 しかし、とある豪商の娘と結婚することになり、彼の役目は終わりを告げた。

 すべての行動は否定され、考えは論破され、自信を喪失し、ついには妻の操り人形へと成り果てた。

 唯一の希望だった息子は、わがまま放題に育ち、村人たちに迷惑をかけ続け、父親をばかにした。

 この二十数年の間に、老人の心の中に何が溜まり続けていたのかは、誰にも分からない。

 しかし、今この瞬間、老人は何かから解き放たれたのだ。


「こ、後悔することになるわよっ!」

「――黙れ、このメス豚が」


 無邪気に笑う老人と、鬼の形相で喚き散らす夫人。

 あまりの出来事に恐れおののき、がたがたと震え出す息子。

 村長宅は修羅場となり、調査員が慌てて仲裁に入ることになったという。

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