第六章 (13)
翌日は、雪の降りしきる寒い朝だった。
玄関から門扉までは石畳の道が続いている。その先の路地裏に、一台の“黒馬車”が待機していた。
シャーロは新しく支給された黒い軍服の上に、やはり黒いコートを羽織り、背中には大きな荷物を背負っていた。
まだ帯剣は許可されていない。
軍帽を目深に被り、相変わらず意思の強い眼差しで家族たちを見つめている。
あまり好きではない軍服姿ではあるが、贔屓目ではなく、とても似合っているとリーザは思った。
「少し、スカーフが曲がっています」
指先を胸元にのばして、白いスカーフの位置を調整する。
泣き叫んだりはしなかったものの、メグはシャーロの足にしがみついていた。始めて見る雪に興奮したのか、三人の周囲をハルが駆け回っていて、そしてエルミナだけが、少し離れた位置で俯いていた。
「エル――」
シャーロが声をかけると、エルミナは顔を上げて駆け寄ってきた。
「シャロ兄、お願いがあるんだ」
「いいタイミングだな」
確かに、別れ際のお願いであれば、断られることは少ないかもしれない。これまでの実績からして、エルミナのお願いは無茶なものが多いが、シャーロは面白がっているようだ。
「近所の子に聞いたんだけど、近くに、剣術道場があってさ」
「へぇ」
「それでさ、通って……みたいんだ」
自信がなさそうにしているのは、月謝がかかることを心配しているのだろう。
何しろぎりぎりの生活から始まった家族である。生活に必要でないものにお金を使うことに対して、後ろめたさを感じているに違いない。
「どうして、剣術を習いたいんだ?」
シャーロは逆に問いかけた。
ときおりこうして、シャーロは家族を試すことがある。特に正解があるわけではなく、自分の中の答えを口に出し、説明することが大切なのだ。その結果が間違ったものであったとしても、シャーロは怒ったりはしない。
心の中で、リーザはエルミナを応援した。
「メグとリザ姉を――守るため!」
エルミナの目に、力が宿る。
ユニエの森でも、エルミナはメグを守ると言って、木の棒を振り回していた。
その対象に、自分も追加されたらしい。
これまで、シャーロもリーザも、それぞれの方法で家族を守り、導いてきた。経験則からいうならば、実際に剣術で守れるものは、それほど多くはないのだと思う。
いつかそのことを、エルミナも知るときがくるかもしれない。
「今の言葉を忘れないなら、通ってもいいよ」
「う、うん!」
「勉強も、頑張れ」
シャーロが微笑むと、エルミナは顔をくしゃくしゃにして抱きついた。
「絶対に、帰ってきてよ。頼むから、さ……」
あとは言葉にもならず、呻くような声を押し付けるだけ。
「シャロパパ……」
メグも大きな目に涙を溜めてしがみついている。
シャーロは短い赤髪とやわらかな金髪を撫でて、それから、優しげな眼差しをリーザに向けた。
「二人を頼む。それと、身体に気をつけて」
「はい。あなたも」
結婚してからふた月。
今後のことについては、何度も話し合ってきた。
お互いの心も、分かり合えている。
だから、特別な注意事項もないし、別れの言葉も陳腐なもの。
それで十分だと、リーザは思った。
「じゃ、行ってくる」
エルミナとメグをリーザが引き受け、シャーロがくるりと背を向けた瞬間――
「あ……」
頬を伝わる冷たいものに、我知らず声を漏らしていた。
これまでリーザは、悲しみの涙を家族に見せたことはなかった。
それは、シャーロとの大切な約束。
養育者であるモズ神父が亡くなった日の夜、リーザはシャーロにお願いされたのである。
「みんなが不安がってる。だからリーザ、君だけはいつも笑顔でいて欲しい」
君が笑っている限り、エルもメグもきっとだいじょうぶだから。
「――」
両手で顔を覆い、リーザは必死に泣き声をかみ殺していた。
「リザ姉」
「ママ」
「……ごめん……ごめんな、さい」
しゃくり上げるような声を止めたのは、愛する夫の両腕だった。
「リーザ」
力強く抱きしめられて、リーザはびくんと身体を震わせた。
「わ、わたし……約束、したのに……」
「泣いて、いいよ」
耳元で囁くように、シャーロは言った。
「あのときは、エルもメグも小さかった。ダンもマルコもまだ頼りなかったし、みんなの心を無理やりひとつにする必要があったんだ」
でも、今は違う。
「みんな強くなった。だからもう、泣いてもだいじょうぶ。みんなを頼っていいんだよ」
「――っ」
とんと背中を叩かれた瞬間、リーザは堰を切ったように泣き出した。
しんしんと降り積もる雪の中、シャーロの服を強くつかみ、大声を上げて、リーザは幼い子どものように泣き続けた。




