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第六章 (12)

 それからふた月ほど。

 シャーロはこれまで以上に忙しい日々を過ごすことになった。

 朝食後、リーザを“白馬車”の駅まで送ってから、エルミナとメグに勉強を教える。

 昼食をとり、午後からは“怠け箱”の組み立てと調整作業である。

 夕方にリーザが帰ってくると、食事ができるまでの間に、エルミナとお風呂の準備をする。

 裏口の先にある井戸から水を汲み上げて、風呂桶に入れるわけだが、水車のあるユニエの森の教会と比べると、作業量が半端ではない。せめて水の運搬だけは楽にしようと思い、樋竹といだけで水道を作ることにした。

 夕食後、シャーロはひとりで風呂に入る。

 リーザはエルミナとメグと一緒だ。

 季節が季節なので、すぐに湯冷めをしてしまう。メグをトイレに行かせて、妹二人がベッドに入ったことを見届けてから、新妻とともに寝室に入り、しっかりと鍵をかける。

 それから、夫婦の営みの時間である。

 神より許された関係となり、また別れの日が近いこともあって、愛の行為はよりいっそう深く、情熱的なものになっていた。

 互いのぬくもりを感じながら眠り、朝は起し合って、一緒に食事の準備をする。

 おおまかにいうとそんな日々の繰り返しだが、決して単調というわけではなかった。

 中央区の教会の事務所を何度も訪れて、様々な手続きを行う必要があったし、“海味屋”のハルムーニ支店の準備をしているパキが、ときおり相談にやってきたりもした。


「魚屋ちゅうても鮮魚店やないからな。乾物となると、商品の質はどこも似たり寄ったりや。どこかで差をつけんといかん」

「値段を安くすればいいだろう。地元がある利点を活かせばいい」

「薄利多売か。どうも性に合わんわ」

「先に言っておくが“ドロソコ”のようなうまい話を期待するのは間違いだぞ。“森緑屋”の伝手つても当てにするな」

「……」


 春の自由市場のとき、シャーロは“ドロソコ”という深海魚の肝を高級レストラン“黄昏の宴”に持ち込んで、大きな利益を上げたのである。

 図星をさされたパキは、弱々しい声でずうずうしい頼みごとをしてきた。


「そ、そんな冷たいこと言わんと。なぁ、シャーロ。一緒に儲け話を考えようや」

「地道に働け。親父さんを見習え」


 あまりにもしつこく食い下がってくるので、シャーロはひとつだけアイディアを出した。

 それは、鮮魚をハルムーニに運び込む方法だった。

 樽の中に海水を入れて、生きたまま運ぶやり方が一般的なのだが、それだと大量の魚を持ち込むことはできないし、途中で魚が死んだ場合、大損になる。しかし、わらと雪で層を作り、その間に新鮮な魚を並べれば、解決するかもしれない。


「どのみち、冬の間しか使えない方法だが……」

「輸送するだけでも十日やぞ。ほんまにもつんかいな」

「さあな。大切なことは、誰も挑戦していないということだ」

「お、おう。せやな」


 パキは上機嫌で、口笛交じりに帰っていった。


「お魚、売れるといいですね」


 にこにこしているリーザに向かって、シャーロはひとのわるい笑みを浮かべた。


「たとえうまくいったとしても、店頭で販売するにはリスクがありすぎる」


 大きな労力をかけるわけだから、安売りはできない。最初はともかく、物珍しさが薄れてしまえば、売れ残りも出てくるだろう。その分は必要経費となり、商品の価格に上乗せする必要が出てくる。


「だから鮮魚を扱う場合は、小売りじゃなく卸売りがいいと思う。注文制にできれば文句のつけようがない。俺だったら、直接料理屋に掛け合うだろうね。でも、“海味屋”にはそういったルートがないから、また頼ってくるさ」


 そのときは“森緑屋”の商品として販売してもいいし、“海味屋”から紹介料をとってもいい。どちらにしろ“森緑屋”の利益になる。

 したたかな夫の腹の内を聞いて、リーザのにこにこ顔は微妙な笑顔に変化した。

 また、家の前の持ち主である老夫婦を招いて食事会をした。

 家具職人だった老人の作品は有効活用しており、大いに喜ばれたものである。


「しかし、君たちの結婚式には驚いたものだ!」

「ほんとに。御聖堂にあれだけひとが集まったのは、前の領主さまのお葬式以来かねぇ」


 当初、結婚式はこの家で執り行う予定だったので、この老夫婦を正式に招待していたのである。場所が変わって大騒ぎになってしまったが、冥土のいい土産になったと大笑いされた。

 老婆が持参したキノコと鶏肉のパイ包みは絶品で、エルミナとメグがぺろりと平らげた。食欲旺盛な子どもたち以上に、その姿を見ている老夫婦が嬉しそうだった。


「もしよかったら、作り方を教えてあげるわよ。みんなでうちにいらっしゃいな」

「うむ、それはいい。シャーロ君や、料理ができるまでの間、我々は“騎士遊戯”でもして時間を潰そうかね。なにしろわしは、結婚生活五十年だからな。夫婦円満の秘訣を教えてあげよう」


 リーザの仕事が休みの日に、お伺いすることになった。

 “怠け箱”の残りの部品については、シャーロが完成させ、“瑪瑙商会”に納品することになった。

 どうやら“唸火てんか”――“瑪瑙商会”での商品名である――は、ちまたでも噂となっており、問い合わせが殺到している状態だという。

 営業の責任者であるニサは浮かれることなく、今後の提案をしてきた。


「いずれ、類似の商品が出回るかもしれません。対策を練る必要があるでしょう」

「“特産品認定”ですか?」

「ああ、ご存知でしたか。私どもの店でもいくつか登録した実績がありますので、手配はこちらで行おうと思うのですが、いかがでしょうか?」


 それは、“唸火”をハルムーニの特産品として登録するというものであった。

 行政に対しては売上げの一部を“特産品税”として治める必要があるが、その代わり粗悪な類似品を販売する業者を見つけた場合、登録業者には警告を行う権限が与えられる。

 警告を受けた側が反論したい場合は、行政に対して“反論申請”を行うが、“特産品税”を納めていることもあり、よほどのことがない限り反論申請は通らないという。

 つまり、公の機関によって商品の独自性が保障されるというわけだ。

 デメリットとしては、必然的に“森緑屋”は“瑪瑙商会”以外の店と“怠け箱”の取引きができなくなるということ。

 それは取りも直さず“瑪瑙商会”のメリットにも繋がる。

 そこまでの事情を見越した上で、シャーロは了承することにした。

 ニサはやり手の営業である。しかしこちらを出し抜こうという意図は、今のところ感じられなかった。地方軍からの緊急発注の対応で、おそらく余裕がないのだろう。“森緑屋”が商品の改良を怠らず、納期を遅延させず、実績を示し続ければ、少なくとも短中期的には良好な関係を築けるかもしれない。

 それに、“特産品認定”は、あくまでもハルムーニの中だけに適用される制度である。今後の営業展開しだいだが、この取り決めが足を引っ張る可能性は低いと判断した。 

 こうして“森緑屋”としての仕事が終わると、シャーロはふたつのことに取りかかった。

 ひとつは、ハルムーニの店舗地図の作製である。

 市庁舎で、道路と区画のみ記された“白地図はくちず”を購入すると、それを手に街の中を歩き回って、お得意さまや競合相手になりそうな店の情報を書き込んでいくのだ。自分がいなくなった後、ハルムーニで商売をすることになるマルコへの置き土産である。

 そしてもうひとつは、地方軍の訓練に対応するための、体力づくりだった。にわか仕込みで剣術を習っても意味はないので、おもに筋力と持久力をつけることに集中した。

 重い荷物を担いで走る。

 腕立て伏せや腹筋、背筋をする。

 木刀を振る。

 そして食事の量を増やす。


「シャロ兄、あたしもやりたい!」


 エルミナまで加わって、庭先で黙々と木刀を振り続ける。

 短い期間ではあったが、少しずつ身体が変化しているようだ。

 そのことに気づいたのはリーザである。


「腕や胸もちょっと固くなりましたし、お腹の筋肉が少しごつごつしています。それに――」


 はっとしたように口を閉ざし、リーザは真っ赤になって俯いてしまう。

 その様子を見て、エルミナとメグが不思議そうな顔をする。

 リーザが飲み込んだ言葉の続きを、シャーロは想像で補完した。

 ようするに、体力がついたということなのだろう。 

 忙しく、そして充実した日々は、しかし終わりを告げようとしていた。




 シャーロが旅立つ前日の夜。

 トイレを済ませてベッドに入ったメグは、しばらくしてむくりと起き上がった。


「……エルお姉ちゃん?」


 隣のベッドに声をかけるが返事はない。

 もともとエルミナは寝つきがいい。しかも最近はシャーロと訓練をしているので、すぐに寝入ってしまうのだ。

 明日、シャーロが遠いところに行ってしまうことを、メグは理解していた。

 ここではない別の場所で働くのだという。

 春の自由市場のとき、リーザがいなくなると言われたのと、同じだった。

 あのときはエルミナとリーザのベッドに潜り込んで、いっぱい泣いた。

 でも、こうしてまた一緒に住むことができた。

 だから、きっとだいじょうぶ。

 それよりも、気になることがひとつあった。

 明日までにこの問題を解決しなくてはならない。

 もうすぐ学校に通うのだから、ひとりで眠れるようにならないといけないと、シャーロに言われていたが、質問をしにいくのだから、怒られることはないはずだ。

 メグはエルミナを起さないようにそっと部屋を抜け出すと、廊下の一番突き当たりにあるシャーロとリーザの部屋へ向かった。

 とんとんと扉をノックをすると、しばらく反応はなかった。

 扉に耳を当ててみると、かさかさとシーツが擦れるような音がする。この部屋の扉はとても分厚いので、よく聞こえなかった。

 もう一度ノックしようとしたところで、ようやく扉が開いた。

 出てきたのはリーザだった。

 よく見ると髪が乱れていたり、服のボタンがひとつ外れていたり、顔が真っ赤だったりするのだが、メグは気がつかなかった。


「ど、どうしたのメグ。眠れないの?」

「うん、お話ししたい」


 リーザはベッドのほうに目をやると、ひとつ頷いてメグを招き入れた。

 嬉しくなって、メグはシャーロのいるベッドに潜り込んだ。

 この部屋にあるベッドは大きくてやわらかくて、寝心地がいい。こっそりとお昼寝をしたことがあるメグは知っていたのだ。

 リーザもベッドに入り、間に挟まれる形になる。


「あのね、シャロお兄ちゃんに聞きたいことがあるの」

「なんだい?」


 こうしてシャーロと一緒に寝るのは初めてかもしれない。


「シャロお兄ちゃんは、パパなの?」

「……うん?」

「リザお姉ちゃんは、ママ?」


 これがずっと気になっていたことである。

 ふた月くらい前、家族全員がそろったリビングで、シャーロはそのようなことを言ったのだ。

 でも、それから何も変わっていない。

 呼び方は同じだし、接し方も変わらない。

 だから不思議だったのだ。

 シャーロはリーザと顔を見合わせて、苦笑した。


「そうか。ごめんな、メグ。ちょっと分かりづらかったかな」


 そう言ってシャーロは説明した。

 メグには父親も母親もいない。それはシャーロもリーザもみんな同じだ。


「どこに行ったの?」

「分からない。たぶん、もう会えない」


 シャーロ、リーザ、ダン、マルコ、そしてエルミナの両親は、八年前に起こった東部地方の戦争による被害者だが、そのときメグはまだ生まれていなかった。メグが孤児院に預けられた経緯については、不明である。ひょっとすると両親は存命かもしれないが、再会の望みは薄い。

 それは、メグ自身も知らない事実であった。


「でもね、お父さんとお母さんは、あとからできることもあるんだ」

「ほんとう?」

「うん。たとえばメグが結婚すると、その相手の両親は、メグのお父さんとお母さんになる」

「……」

「それに、この前俺が言ったみたいに、“養子”になれば、新しくお父さんとお母さんができる」

「シャロお兄ちゃんと、リザお姉ちゃん!」

「うん。もうすぐ、そうなるよ」


 メグはそれがいつなのかを知りたがったが、まだ分からないとのことだった。しかし、認められる可能性は大きいとのこと。


「じゃあ、もうすぐパパとママ?」

「……」


 期待を込めた眼差しを向けると、シャーロは少し戸惑ったようだ。

 代わりにリーザがメグを抱きしめて、少し泣き出しそうな声で断言した。


「そうよ、メグ。わたしがママ。シャーロ兄さんがパパよ」

「そうだな。メグがよかったら、今からそう呼んでいいよ」


 興奮したメグが寝つくまでには、少し時間がかかった。


「お仕事……はやく帰ってきてね、シャロパパ」

「うん、分かってる」


 こうして、最後の夜は終わりを迎えたのである。

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