第六章 (11)
村には帰りたくないと、散々ベラが駄々をこねたが、「新婚さんの邪魔をしちゃわるいですよ」というもっともなクミの意見によって説得された。
ハルムーニに滞在したのは十日ほど。ベラ、サナ、モモ、クミの四人だけでなく、ダンとマルコもチムニ村に戻ることになった。
雪が降り出すと、街道はともかく、村へと続く細道は通行不能となる恐れがある。
そして一度積もった雪は、春まで溶けることはない。
当初、マルコはハルムーニに残る予定だったが、千台という“怠け箱”の大型注文が発生したため、ダンとともに対応する必要が出てきたのだ。
また、同時進行で春の自由市場の準備も行わなくてはならない。
出発の日、“森緑屋”の荷車には、保存食や消耗品、道具類が山のように積み込まれていた。
チムニ村のひとたちの要望を取りまとめ、購入した物資だった。
これまでは家族に必要なものしか持ち帰っていなかったが、今後はハルムーニからチムニ村への物資輸送も手がけることにしたのである。
シャーロの発案による村への貢献活動の一環だが、その裏には多くの馬車を管理するタミル夫人の独占事業の一角を切り崩すという狙いもあった。
「ダン君がまた無茶をしたら、私ががつんと言ってあげるから、任しておいて!」
出発前、そう言ってサナは片目を閉じた。
娘というのは、多少なりとも父親に影響を受けるもの。明るく闊達なサナと寡黙な職人気質のダンはお似合いだと判断し、シャーロはぼそっとダンに耳打ちした。
「サナを、ものにしろ」
「……!」
鍛冶屋の弟子になるよう命じられたときよりも、顔が真っ青になる。
「じょ、冗談だろ、あんちゃん」
「……」
じろりと睨まれて、ダンはごくりと唾を飲み込む。
ダンは十五歳になった。結婚を考えてもおかしくない年齢だし、田舎の村では手に職を持つ男は、よい“物件”とみなされる。
「真剣に考えておくように」
「わ、わかった」
まるで鉄で馬を作れと命じられた鍛冶師のように、ダンは頬を引きつらせた。
モモに関しては、相変わらずひょうひょうとしており、つかみどころがなかった。
「代表さん、早く帰ってきてくださいね。次にお会いするときには、秘書くらい務まるようになってますから」
シャーロの手をとってにこりと笑い、それを見ていたリーザが身じろぎする。
「握手が、長いです!」
間に割って入ったのはクミである。
初めて目の当たりにした大都会にいたく感動した少女は、春の自由市場では売り子として参加することを宣言しており、冬の間中をかけて母親を説得するという。
父親はいいのかとシャーロが聞くと、うちでは母親のほうが偉いので必要ないとのこと。
「将来的には、リーザさんのように、この街で働きたいと思っています」
そう言ってぺこりとお辞儀した。
ベラは最後の最後までぶつぶつと暗い言葉を呟いていた。
家に帰ると、早く嫁に行けという親からのプレッシャーが厳しいらしい。この期に及んで、住み込みで働かせて欲しいとシャーロに泣きついたが、現状、支店にはあまり仕事がない。
それにベラは、料理や洗濯といった家事が苦手だった。実力的にはエルミナとどっこいどっこいである。
本を読むのは得意らしいが、それではお金を稼げない。どう考えても穀潰しになる可能性が大だったので、とにかく帰ってもらうことになった。
「やっぱりやだ! 帰りたくない、ここに残る」
「ベラお姉ちゃん、わがまま言ったら、めっだよ。みんなこまるから」
「……」
五歳のメグに注意されて、さすがにがっくりと肩を落とす。サナに慰められながら、のそりのそりと馬車に乗り込んだ。
家族であるダンやマルコとの別れは、それほどしんみりしたものではなかった。
男同士ということもある。それぞれの役割は心得ているし、口に出さなくても伝わるものはある。
「二人とも、身体には気をつけてな」
「あんちゃんも」
「住む場所が決まったら、手紙を送ってよ」
マルコへの細かな引継ぎは完了していたが、今後の“森緑屋”の方針などについては手紙で相談し合うことになっていた。
シャーロが配属される場所によっては、情報の伝達に数ヶ月の時間差が出る場合もあるが、それはしかたがない。
もっとも、世情が大きく変わらなければ、家族が暮らしていく分には問題はないだろうと、シャーロは予測していた。
「まずは、剣か槍を作るから」
鼻息を荒くして、ダンが宣言した。
地方軍の武器防具は、粗悪な鉄を使っているものが多い。軍からの注文書についていた仕様書を見て、ダンはそのことを知った。
戦場での生存率を高めるには、大量生産品ではない“一品もの”が必要だと確信したのである。
また、ダンの作った鉄製品を“森緑屋”の商品とすることも決まっていた。手始めに春の自由市場に出品する予定である。
といっても、鍛冶士見習いの作る商品なので、ほぼ原価で売り払い、次の作品を作るための資金に充てる手はずだ。
「分かった。飾りつけはいらないから、実用的なものを頼むぞ」
「うん!」
シャーロはダンとマルコと抱き合って、それから互いに別れの挨拶を交わした。
二台の馬車が道路の角を曲がり見えなくなる。
残されたのは、シャーロ、リーザ、エルミナ、メグの四人だ。
「あなた……」
シャーロの腕に手をからませて、リーザが身体を寄せた。
「風邪をひくといけない。早く家に入ろう」
子づくり宣言をしてから、すでにふた月が経過している。今のところリーザの体調に変化はないが、注意するに越したことはないだろう。
玄関へと向かう新婚夫婦と、そのあとを追うメグ。
「……」
そして最後に残ったエルミナは、ぼりぼりと頭をかいて小さなため息をついた。
珍しく元気がないのには、わけがあった。
昨夜、最後の家族会議で衝撃的な提案、というか決定がなされたのだ。
――エルミナとメグを、シャーロとリーザの養子にする。
確実ではないが、そうなる可能性が高い。
つまり、エルミナからすれば、シャーロが父に、そしてリーザが母になるということだった。
これまでシャーロの発言には度々驚かされ続けてきたエルミナだったが、今回は極めつけだった。リーザがユニエの森の教会を出ることになったときに匹敵するほどの衝撃を受けた。
もちろん、理由についてもシャーロはきちんと説明した。
地方軍の給金が支給されるときには、税金が差し引かれるのだが、法律上の家族がいると、その税金が安くなるのだという。
また、学校では父や母が参加する行事もあるため、自信を持って父母を呼べることは、わるくないらしい。
「シャロ兄はさ、あたしとメグを、子どもにしたいの?」
エルミナの問いかけに対し、シャーロは肯定も否定もしなかった。
「そんなことをしなくたって、俺たちは家族だろう? だから、たとえ養子になったとしても、呼び方を変える必要はないよ。ようするに、書類上の問題さ」
だが、単純に割り切れないものをエルミナは感じていた。
それは形のない、どこかぼんやりとした不明瞭な感情。身を任せても問題はないのだろう。頭の中では理解しているのに、まるでつっかえ棒が立っているかのように、心の扉を開くことができないのだ。
「どうしても嫌ならこの話はなかったことにするけれど、できれば納得して欲しい」
同じ話を聞いたはずのメグは、不思議そうに首を傾げただけだった。
兄が父、姉が母。しかし呼び方はそのままでもいい。実態がそのままなのに、形式が変わることについて、理解が追いつかなかったのだろう。
その後シャーロは、村長とタミル夫人についての、何やら難しい話を始めたが、エルミナはまったく覚えていなかった。
もうひとつ、エルミナが憂鬱になる理由があった。
それは、シャーロ曰く、勉強づけの充実した日々の始まりだった。エルミナの認識では、気楽な休日の終わりである。
ハルムーニに来てリーザと三人暮らしを始めてから、エルミナは少々はめを外しすぎた。
朝食を食べ終えると、リーザは昼食の作り置きをして、“玉ねぎ娘”の仕事に出かけてしまう。その間、エルミナとメグの行動は自主性に任されていた。
しかも、シャーロがいない。
エルミナはメグとともに北区の探検に出かけ、近くの公園で遊んでいた子どもたちを見つけて、仲間に入れてもらったのだ。
新しい遊びを教えてもらい、明日の約束をして、また約束をして……。
それが、シャーロにバレた。
本来、メグに対してお手本を示さなくてはならない立場だったのに、入学までの間、シャーロから課題を与えられていたのに、メグを連れまわして遊び呆けてしまった。シャーロ、ダン、マルコ、そして“森緑屋”のメンバーの出迎えに間に合わなかったのが、致命傷だった。
一番辛かったのは、みなが寝静まった後、リーザといっしょに怒られたことである。
「外で遊ぶのはいい。新しい街で友だちができたのも、素晴らしいと思う。でも、きちんと課題は済ませたのかい?」
「……いや、そのぉ」
「毎日課題をチェックしていれば分かることだよ、リーザ」
「ごめんなさい」
さすがにリーザに罰を与えることはなかったが、エルミナには掃除や洗濯、庭の手入れ、そしてお風呂の水汲みが課せられた。
午前中は勉強、午後からは家の仕事。しばらくは“木守鬼”で活躍することはできないだろう。
しかも、これからしばらくは鬼の監視つきである。
「エル、勉強の時間だぞ!」
「……へ~い」
くるりと振り返ったシャーロの目が据わっている。
「は、はい、お兄さま!」
慌てて姿勢を正すと、エルミナは全速力で兄の背中を追った。




