第六章 (10)
結婚式から二日後。再びシャーロは、大聖堂の隣にある教会の事務所を訪れていた。
大聖堂で結婚式を挙げた一般市民ということで、ちょっとした有名人になっているようだ。さらに、枢機卿と知己があることもあり、がらりと扱いが変わった。
すぐさま応接室に案内され、高級そうなお茶が出される。
本日の用向きは、デュナへのお礼と別れの挨拶であった。
本来であればリーザもいっしょに来るべきところだが、彼女はもう“玉ねぎ娘”で料理人として働いている。
新婚とはいえ、何日も休みをとってミサキやレイに迷惑をかけたくないということもあるが、妻の前で利己的な自分を曝け出したくないという理由もあった。
「やあ、シャーロ君、いらっしゃい」
相変わらず軽い感じで、お供も連れずにデュナがやってきた。
枢機卿といえば紫色の聖礼服を身につけているものだが、今日はえんじ色のセーターに茶色のベストという格好。ひとのよい町内会長といった風体である。
シャーロは型通りの挨拶を述べて、結婚式のお礼にとワインを差し出した。
「あ、これ、“玉娘”で飲んだやつだよね。いやぁ、僕はお酒の味はよく分からないんだけど、すごくいいワインだってことだけは分かったよ。ありがとう」
「こちらこそ。おかげさまをもちまして、立派すぎるほどの式を挙げることができました」
「リーザ君、きれいだったねぇ。白いドレスがすごく似合っていた。街のひとたちも喜んでくれたし、僕もこれまでの無念を晴らせて嬉しかったよ」
デュナはしみじみと昔のことを語りだした。
彼は神学校の学生だったころ、モズ神父の教えを受けたことで、公正したのだという。
「当時の僕は、やんちゃでね。しょっちゅう学校を抜け出しては、モズ先生に怒られていた。とっても怖い先生だったよ」
シャーロの知るモズ神父は、いつも穏やかな笑みを浮かべている好々爺だった。デュナの話が本当であれば、年を取ってずいぶん丸くなったということだろう。
「僕には父親がいなくてね。一時期とても荒れていたんだ。今思えば、誰かにかまってもらいたくて、反抗していたんだろうね」
そして、ほとんどの教師が匙を投げるなか、モズ神父だけがデュナが卒業するまでずっと、正面から向き合ってくれたのだという。
「学校を卒業してからも、僕はちょくちょくモズ神父のところに通って、悩みごとを聞いてもらっていた。残念ながら、僕は中央から異動になっちゃって、それからはほとんど手紙でのやりとりになってしまったけれど……」
中央というのは、王都にある教会の本庁のことである。
それからデュナは地方の都市を巡り、そこでたくさんの人々を助け、勇気づけて、今の地位を得たのだという。
「先生は徹底した現場主義者でね。昇進などには、まるで興味を持たれていなかった。生涯一教師でありたい――そう願っておられたよ。でも、残念ながら十年ほど前に身体を壊されて、ユニエの森の教会へ移られたんだ。ようするに隠居だね。最初のころはずいぶん意気消沈されて、心配していたんだけれど、君たちが来てからの先生は、まるで現役時代に戻られたかのようだった。君たちの性格も、すごいところも、すべて細かく手紙に書いて送ってくださった。小さな子どもの世話をした経験がなかったらしくて、シャーロ君やリーザ君がエルミナちゃんとメグちゃんの面倒をみてくれたことを、とても感謝していたよ」
文章を書くのが好きな老人だった。遺品の整理をしたときに、膨大な日記が出てきたことをシャーロは覚えている。
今は亡き恩師を偲び、デュナは神に祈りを捧げた。
「僕はもうすぐビシュマに戻るつもりだけれど、また手紙を送ってくれるかい? 君たちは、本当に素晴らしい家族だと思う。血の繋がりを越えるほどにね。先日、“玉娘”でみんなと話をして、僕は確信したよ。ダン君もマルコ君も、しっかりと自分というものを持っていた。エルミナちゃんも、メグちゃんも、まっすぐで元気だ。そして、君とリーザ君に対する強い信頼の心を感じることができた。君たちの活躍を知らせてくれると、僕も元気をもらうことができる。見栄えはいいけれど、教会の中は陰気で冷たくてね」
掛け値なしの本気の言葉なのだろう。これほどの地位を得てなお、あるがままの自分でいられることは、ある意味すごいことなのかもしれない。
ひとのよさそうな中年の聖職者に対する認識を、シャーロは今さらながらに改めた。
「私から家族の近況を報告することはできませんので、リーザに書かせます」
「……え?」
意表を突かれたのだろう。ぽかんと口を開けて、デュナが怪訝そうに聞いてくる。
「どういうことだい?」
「私はもうすぐ、地方軍に召集されることになっています」
「……!」
シャーロは包み隠さず、自分たちの事情を説明した。
「まさか! でも、強制徴兵には、一応の要件があったはずだよ。未成年の、しかも家長の徴兵を許すなんて、常識的にありえないだろう?」
「もう、決まったことです」
シャーロは“召集令状”をデュナに渡した。
「……」
王国と教会は密接な関わりを持つが、互いに不干渉が原則である。こと軍事に関しては、特に厳しい法律が定められていた。
“軍教分離の法”と呼ばれているものだ。
枢機卿といえども、地方軍の人事に対して意見を述べることはできない。
どれくらいのときが過ぎただろうか。
沈痛な面持ちで、デュナは大きなため息をついた。
「それを承知で、君は――君とリーザ君は、結婚したのかい?」
「はい。二人で話し合って決めました」
「残された家族は、どうなる?」
「商売に関しては、マルコが引き継ぎます」
ダンは鍛冶屋の技術を身につけて、独立を目指す。リーザは料理屋の仕事があるし、シャーロには地方軍から給金が出る。エルミナとメグは学校に通う。
「幸いなことに、大口の注文が入りましたので、しばらくは生活も安定すると思います」
「……そうか」
それからシャーロは、エルミナとメグを養子にするための申請を行う予定であることを告げた。
「万が一、私が戻れなかった場合、扶養家族に対しては、軍から“遺族年金”が支給されます。しかし今の状態では、リーザの分しか出ません」
「……」
あまりにも明け透けな物言いに、デュナは絶句した。
「それに、これは学校の教頭先生に言われたことですが、親のいない孤児院出身の生徒は、偏見で見られることが多く、いろいろと不利になる場面があるそうです。エルミナとメグには、そんな思いをさせたくはありませんから」
「リーザ君は、承知しているのかい?」
「はい。エルミナとメグは、これから説得するつもりです」
「……」
再びデュナは神に祈りを捧げて、シャーロに申し出た。
「よし。僕が、“推薦状”を書こう」
「……え?」
教会の事務所で調べた養子縁組の要綱にはないものだった。
「以前、知り合いに頼まれて、勉強したことがあるんだ。家庭の中に父親と母親がそろっていないと、養子縁組は認められないことが多いと思う。でも、“推薦状”があれば、審査も通りやすくなる。幸いなことに、ここの組織は上に対して従順みたいだからね」
シャーロにしてみれば、思いもよらぬ幸運だった。
彼は、別のことをお願いしようとしていたのである。
シャーロはデュナに、自分が作為的に徴兵対象として選ばれたことを告げた。そして、今後の地方軍の状況如何では、ダンやマルコにも、その役割が課せられる可能性があることも。
「そ、そんなバカな!」
「推薦状を出したひとに直接確認しましたから、間違いありません。マルコはハルムーニへ住所を移すこともできますが、ダンはしばらく身動きがとれません。ですから――」
落ち着き払った様子で、淡々と、シャーロは自分の行動予定を口にした。
「私は、チムニ村の村長――リド・チムニを、告発します」




