第六章 (8)
「シャーロさん、すごいです! これこそ男の甲斐性です」
式が終わり、二次会の会場である“玉ねぎ娘”へ移動すると、身体全体で興奮を表して、クミがシャーロに詰め寄った。
「支店の庭先で結婚式をするって言ってたのに。これはサプライズですよね?」
「いや、ちょっとした成り行きでね」
あるいは、神のいたずらか。そうとしか表現のしようがない事情である。
「感動した。泣けた。私も、あんな結婚式を挙げてみたい」
片足を夢の世界に突っ込んだかのように、うっとりとベラが呟く。
「はい。いっしょに頑張りましょう、ベラさん」
「――こら、炊きつけるんじゃないの」
そう言ってクミの頭に軽い手刀を入れたのは、サナである。
「あんなすごいところで式を挙げられるわけないでしょう。常識で考えなさい」
モモが同意した。
「そうそう。ベラさんも夢から覚めたほうがいいですよぉ」
「なんで? お金なら、家の全財産を処分すれば、なんとか……」
「なりませんよ」
恐ろしいことをさらりと言ってのけるベラに向かって、盛大にため息をつくモモ。
「あんなところを使えるなんて、貴族かよっぽどの豪商くらいでしょう。シャーロさんは、教会に強力なコネがあったから実現したんです。そうですよね?」
たとえ事実だったとしても、軽々しく口にすべきことではない。
教会の権力者が、私事で大聖堂を独占したなどという噂が広がったら、枢機卿であるデュナに迷惑がかかる。
そう考え、あいまいな返事に留めたシャーロだったが、少し離れたテーブルから、自慢げな中年男の声とウェイトレスの歓声が聞こえてきた。
「そうなんだ。大聖堂を使えるように、僕が手配したんだよ。なにしろ、恩師が大切に育んだ子どもたちのことだからね」
「デュナさま、お優しいんですね」
「ふふん、式の最後にキスさせたのも、僕のアイディアさ。あのとき僕は、神の声を聞いたような気がしたね」
「あ、あれ、とってもすてきでした!」
「うんうん。私、泣いちゃった」
「いいなぁ、リーザちゃん」
「君たちのときも、担当の神父さんにお願いするといいよ。なにしろ、枢機卿たるこの僕が執り行った形式だからね。頭の固い神父でも、強くは反対できないはずさ」
デュナの顔は真っ赤になっている。
どうやら食前酒である“彼の森”を一杯口にしただけで、もう出来上がってしまったようだ。神に対する不遜な言葉が出たような気もするが、めでたい席なので誰も突っ込んだりはしない。
しかし、お供や護衛も連れずにふらりと出歩く枢機卿も珍しいだろう。
「――はいはい、注目! お待たせしました。主役の登場よ」
奥の休憩室から姿を現したのは、華やかなドレス姿のリーザと、ミサキ、そしてリーザの友人であるミリィとマスだった。
式のときから一変して、淡い菫色のドレス。いたるところに大小様々なフリルがついており、まるで花の妖精のようだ。
外出用とはいえ既製品の服を着ているシャーロとは釣り合いがとれない。
「ほら、新郎さん、どうぞ」
そう言ってミサキたリーザを押しやると、シャーロは立ち上がって初々しい妻を迎えた。
「どう、ご感想は?」
目の下にクマらしきものを浮かべながら、ミリィとマスが凄みのある笑みを浮かべた。
徹夜で仕上げたんだから、下手打ったら承知しないわよ、という心の声が聞こえてきそうだ。
“森緑屋”のメンバーであるベラ、サナ、モモ、クミ。“玉ねぎ娘”のミサキとレイ、そしてリーザの同僚であるウェイトレスたち。
そのすべての視線が、期待というよりも失敗は許さないぞという圧力を浴びせてくる。
肝心のリーザといえば、こちらは緊張したように畏まり、やや伏し目がちに夫の言葉を待っているようだ。
シャーロは期待に答えた。
「きれいだよ、リーザ。そのドレスも、君自身も」
「おおー!」
限りなく満点に近い回答。
「真顔で言った」
「強心臓!」
「……お約束」
純粋な驚きと賞賛、そしてただひとりベラが発したやっかみの声。
ともかく、通過儀礼を済ませたシャーロは、リーザと並んでお礼の挨拶をした。
盛大な拍手の中に、中年男の鳴き声が混じる。
「うう、立派になったね二人とも。モズ先生も、きっとお喜びだよ」
「わっ、デュナさま、泣き上戸?」
「元気だそうよ。せっかくのおめでたい席だよ」
「う、うん。そうだね」
どんどん普通のおじさんになっていく。
つられて、ウェイトレスたちの扱いも軽くなっていく。
「ほら、料理できたよ。みんな運ぶの手伝って」
「はーい」
調理場に戻ったレイがカウンターから声をかけると、仕事場に慣れたウェイトレスたちはいっせいに立ち上がり、てきぱきと食事の準備を開始した。
貸切となった“玉ねぎ娘”は、歓声が飛び交うほど騒々しい宴会場になった。
ウェイトレスたちが初々しい夫婦の周囲に集まり、結婚式の様子やリーザのドレス姿を褒め称え、「シャーロさんはどう思いますか?」と、厳しい質問を投げかけてくるのだ。
シャーロとしても、今日一日は“添え物”であることを自覚していた。嘘をつく必要もないので、あくまでも真面目に答えていく。そのたびにリーザは頬を赤らめ、周囲からは「きゃー」と甲高い声が上がった。
デュナは、ダン、マルコ、エルミナ、メグの四人をテーブルに呼びつけて、これまでの生活の様子を聞いていた。
モズ神父が亡くなってからは家族が一致団結して生きてきたことを知ると、再びめそめそと泣き出して、メグに慰められる。
「おじちゃん、だいじょうぶ?」
「あ、ありがとう、メグちゃん」
五歳の少女に頭を撫でられる枢機卿は、おそらく他にいないだろう。
本当にこれでいいのだろうかという様子で、ダンとマルコが戸惑っている。エルミナは面白がって、自分たちの苦労話を聞かせ続けたが、少し離れたところからシャーロに睨まれて、慌てたように目を逸らした。
今回もっとも活躍したのは、ミリィとマスだろう。
シャーロがドレスの礼を言うと、徹夜明けの変なテンションで、二人は自分たちの仕事ぶりを自画自賛した。
「胸の縁のカットの部分。あれ、すごいでしょ? 滑らかな曲線を出すのに苦労したんだから」
「ああ。それと、スカートの形状だな。しわが寄らないように、微妙に重ねるのが、うまくいったと思う。裏側はかなりやばいけど」
「そうそう。でも、“表よければすべてよし”っていうし」
「“裏地にこだわるのが紳士”とも言うけどな」
「えー、そうだっけ?」
技術屋と呼ばれる人種は、喜ぶポイントが通常とは異なるようだ。そのことを察して、シャーロは相槌を打つだけに留めた。
「材料費も払わなくて、本当にいいのかい?」
心配していたことを聞くと、ミリィとマスは顔を見合わせた。
「どうせ、卒業の課題だったし、ね?」
「菫色のドレスも、その前の課題のやつ。リーザには縫製も手伝ってもらったし、無理言ってモデルもやってもらったから、金なんて受け取れないよ」
「そう。リーザちゃんのおかげで、私たち三人は、無事に卒業できるのだ!」
「そうだ、ミリィ。私たちも乾杯しよう。そして幸せになろう」
「おー」
「シャーロ君? 花嫁をほうっておいて、他の女の子とおしゃべりなんていい度胸ね。ちょっとこっちに来なさい」
“彼の森”で酔っ払ったミサキが絡んでくる。こちらも酒癖がわるそうだ。
「経営者同士、情報交換しましょう。そう、共有の悩みを――」
「店長、なにか悩んでるんですか?」
「そうなの、聞いてよリーザちゃん。レイがいっつも冷たくてさ」
やっかいごとに巻き込まれたくないレイは、カウンターの影で休憩し、店内の様子をぼんやりと眺めていた。
今出て行ったら、間違いなくミサキにつかまる。絡み癖のあるミサキは、酔っ払うと面倒くさいのだ。
「……ん?」
視線の先、窓の向こう側で何かが動いたような気がした。
「ふ~ん」
裏口から外に出ると、レイは店を半周してその人物を見つけた。
「なにしてる?」
「あ……」
「招待されてるんだろう? 中に入ったらいい」
「レ、レイ……さん」
壁に張り付くようにして身を隠していたのは、ミサキのひとり息子であるサムジだった。
ミリィとマスと組んで、ウェディングドレスを仕上げた功労者である。
おもにデザインを担当している。
数ヶ月前、サムジがリーザにフラれたという噂を、レイはウェイトレスたちから聞いていた。実際に、しばらくの間サムジは魂の抜け殻のような状態になり、奇抜だが隙のない服装にも乱れが生じたほどだ。
しかし彼は、いつしか自力で立ち直り、がむしゃらに課題へと取り組み出したのである。
以前のように“玉ねぎ娘”へ来てウェイトレスにちょっかいを出すこともなくなり、母親であるミサキから「なんだか、うちの息子じゃないみたい。どうしよう」という微妙な相談をされたこともあった。
大聖堂の中を舞う純白のウェディングドレスを見て、レイは初めて、サムジのことを見直すことにした。
明らかにあれは、リーザのためのドレスだった。
フラれた女のために、ひいては恋敵である男のために、あれだけのドレスが作れるのだから、これは精神的に成長したのだろう。
まったく期待はしていなかっただけに、驚いたものである。
だからレイは、サムジに言った。
「レイでいい」
「……え?」
「そんなことより、早く中に入れ。寒いだろう」
「い、いや、オレは……」
まごまごしているサムジに若干イラつきながらも、レイは言葉を続けた。
「リーザにおめでとうって言ってやれ」
「え?」
「幸せな顔を見たら、きっぱり忘れられるぞ」
「……」
「あー、レイさま、何やってるんですか?」
窓が開いて顔を出したのはミリィである。
「なんだ、サムジじゃん。来てたの?」
彼女たちはすでに自分たちことを“異名”で呼び合うことはなくなっていた。ごく自然に廃れてしまったのである。
「早くしないと、料理なくなっちゃうよ?」
「……今、行くよ」
とぼとぼと、しかし一大決心をしたように店の入口へと向かうサムジの肩を、レイが押さえた。
「おい、ひとつだけ忠告しておく」
「な、なんだよ」
レイはサムジに耳打ちした。
「リーザの前で、しょぼくれた顔をするんじゃないぞ。みっともなく泣きごとなんて言ってみろ」
灰色の瞳をかっと見開く。
「お前を、こ――」
「レイぃ。やっと見つけたわ」
店の出入口の扉が開いて、甲高い鈴の音が響いた。
「あらぁ、サムジも。遅かったじゃない」
酔っ払ったミサキである。
面倒くさいことになったと顔をしかめるレイと、ただならぬ緊張感に表情を硬くするサムジ。
そんな心情などお構いなしに、ミサキは二人の肩を抱きながら、騒がしい店の中へと連れ込んだ。




