第一章 (4)
春の自由市場の開催は、目前に迫っていた。
仕切人に提出する“商品目録”が完成したところで、商品の仕分けと梱包作業に取りかかる。
木の実や果実、乾燥させたキノコ、燻製肉、革製品、“森の雫”とよばれる蘭の鉢植え等々……。
「毎回、売り物が増えてるね」
まだ売れてもいないのに、マルコはほくほく顔だ。
山のような商品の中に、リーザは見慣れたものを発見した。彼女が毎朝使っている“怠け箱”である。二台目を作ったらしい。
「シャーロ兄さん。これも売りに出すんですか?」
「いや、今回は飾るだけ。売り物にはしないけれど、市場調査をしようと思う。店頭で実演して評判がよければ、量産も考えるよ」
なんともたくましい商売魂である。
商品の梱包が完了すると、リビングで家族会議を開いて、自由市場で購入するものを洗い出す。それぞれが必要と思うものを挙げ、シャーロがメモをとっていくのだ。
真っ先に手を上げたのはメグである。
「メグ、ぱてぃえ!」
「メグは、パティエと」
これは砂糖と小麦粉と木の実を練って焼いたものに、水あめを塗ったお菓子で、特に贅沢品というわけでもない。安くて保存もきく。メグのリクエストはいつも「ぱてぃえ!」だった。
「砂糖とお塩とお茶の葉が、残り少ないです」
「砂糖、塩、お茶の葉……。マルコ、商売道具は?」
「あ、インクと紙がないよ」
「インク、紙……ダンは?」
「う~ん。あるにはあるけど、自分で作るからいいや」
「遠慮しなくていいんだぞ。エルは?」
「――犬」
シャーロの手がぴたりと止まった。
眉根を寄せて、噛み締めるように聞き返す。
「……い、ぬ?」
「おっきくて、よく走る犬がいい。ちゃんと面倒みるから、シャロ兄、お願いっ!」
エルミナはシャーロに懇願した。
毎回、エルミナは無茶な要求をして、あっさりとシャーロに却下される。今回の交渉も難航が予想されたが、意外にもシャーロはくるりとペンを回して、購入リストに書き加えた。
「エルミナは、大きくてよく走る犬……と」
「え? いいの?」
これにはエルミナのほうが驚いてしまった。信じられないといった顔で、まじまじと見つめ返してしまう。それは他の家族も同様で、いったい兄はどうしたのだろうかと、互いに視線を交し合った。
苦笑を隠しつつ、シャーロは現実的な説明をした。
「最近、うちの鶏を狙って、狐なんかが来たりするだろう? 番犬がいると便利だなって思っていたんだ。それに、鼻が効くんだから、キノコ探しに使えるかもしれない」
ユニエの森には希少価値の高いキノコも存在する。だが、地面や落ち葉に埋もれている場合が多く、ひとの目で見つけることは難しい。犬を使ってキノコ探しをする話は聞かないが、キノコの香りには特徴があるので期待はできるだろう。
それと、口に出さない理由がもうひとつ。
「世話係りは、エルとメグで決定だな」
幼い妹たちの寂しさを、少しでも軽くしてやろうという意図もあった。
これまで世話をされる側だった二人は、降って沸いたような話に戸惑いながらも、まだ見ぬ新しい家族を想像して、歓喜の声を上げた。
「メグ、いぬにのるー!」
「その前に、名前考えなくちゃ。どうする?」
家族会議はいつも以上の盛り上がりをみせ、すべての準備が終わったところで、シャーロはリーザの件を全員に話した。
今回の自由市場には、シャーロとリーザの二人で出かける。
そして、自由市場が終わったあとも、リーザだけはハルムーニの街に留まり、料理屋のお手伝いとして住み込みで働くことになる。
「先方との話はついているけれど、その後、状況が変わったかもしれないから、確実とは言えないけどね。たぶん、そうなると思う」
返ってきた反応は――絶句。
息の詰まるような沈黙だった。
これまでシャーロ、ダン、マルコが、比較的自由に行動することができたのは、リーザが家の仕事を一手に引き受け、完璧にこなしていたからだ。
実務的な役割だけではない。エルミナやメグにとっては、三人の兄以上に精神的なよりどころにもなっていた。
そのリーザが、突然いなくなるという。
「……ハルムーニで、働くの?」
呆気にとられたように、マルコが問いかけた。
マルコはシャーロの仕事の補佐的な役割を担っている。今回の自由市場も、てっきり自分が同行するものと思っていたのだ。
リーザは何も言わずに、こくりと頷いた。
「い、いつまで?」
リーザは答えられない。
家族全員が見守る中、シャーロは落ち着いた口調できっぱりと言った。
「期限は、ない」
「……!」
事前に心構えをしていたリーザは動揺することはなかったが、他の家族たちはそうはいかなかった。シャーロとリーザの表情を窺い、それから互いに視線を交し合う。ただひとりメグだけが、兄の言葉を理解できなかったようで、それでも不吉な雰囲気を感じ取ったのか、不安そうにリーザを見上げていた。
「ど、どうしてだよ!」
テーブルの上に両手をついて、エルミナが叫んだ。
「なんで、リザ姉が、ハルムーニで働くのさ? わけわかんないよ!」
「理由は、今から説明する」
シャーロは先日の夜、リーザに伝えた内容を、家族全員に話した。
「俺は、人生を悟るほど歳はとっていないけれど、それでも、いくつか分かったことはある。そのひとつが、若いうちにいろいろな経験を積む必要があるってこと。もちろん、経験といっても、楽しいことばかりじゃない。悲しいことや、つらいことだってあると思う。それでも、たくさんのひとと出会い、交わることで、ひとには様々な選択肢が生まれてくるんだ」
みなが考え込むように押し黙った。
これまでこの家では、シャーロがすべての方針を定め、指示を出し、実行されてきた。その言葉に反論するのは、容易なことではない。
やや遠慮がちにマルコが問いかけた。
「でも、シャーロ兄さん。リーザ姉さんがいなくなっちゃったら、家の仕事はどうするの?」
「俺とマルコで分担する」
「あんちゃん、オレも手伝うよ」
ダンがぼそりと発言する。
「ダンは鍛冶屋の仕事が増えるだろうから、そちらに集中してくれ。掃除と洗濯は当番制にするとして、料理は……そうだな。俺が作ろうと思っているけれど、エルも挑戦してみないか?」
「……」
赤髪の少女は小さな拳を握り締めながら、肩を震わせていた。
「みんな、なに言ってるんだよ!」
涙を溜めた目できっとシャーロを睨み、怒りにまかせて叫ぶ。
「リザ姉がいなくなるんだよ! そんなの絶対におかしい! 家族が――みんなが一緒の場所にいて、なにがわるいのさ!」
幼いエルミナには、シャーロの考えを理解することができなかった。いや、理解はしたとしても、感情がついていかなかったのだろう。
そしてシャーロ自身、自分の決断が本当に正しいかどうかの判断はつきかねていた。
いくつかの選択肢とその先の予測を天秤にかけ、比較的傾いたほうを選んだに過ぎない。ただし、一度決めたことに対して、躊躇するようなことはなかった。
感情的になっているエルミナは時間をかけて説得することにし、この場ではあえて冷たい回答を口にする。
「もう、決めたことだ」
「そんな――横暴だ!」
「エル」
リーザが困ったように妹を嗜めたが、シャーロは「難しい言葉、知ってるな」と感心したように頷いて、その発言を認めた。
「俺は、昔から横暴だよ」
暴力をつかったことはないが、独断専行でなかった例などない。自分たちが生きていくためには、そうせざるを得なかったのだ。
「でも今回は、さすがに強引かなと思ってる。いくら家族とはいえ、リーザの人生に口を出すようなものだからね。だからもし、俺以外の全員が反対するなら、考え直すよ」
思わぬ妥協案を出されて、今度はエルミナが押し黙る。
「出発まであと二日ある。よく考えてみてくれ」
誰も、何も言えなかった。




