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第六章 (5)

 北区基礎教育学校。通称“北校”の生徒数は、六百三名。

 一回生から六回生まで、それぞれ三つずつクラスがある。

 エルミナが教職員用の会議室でテストを受けている間、シャーロとリーザとメグは、別室で面談を受けることになった。


「この街にも孤児院がありましてね。以前、本校でも何人かを生徒として受け入れたことがあるのです」


 固い表情と口調でそう語ったのは、五十代くらいの神経質そうな女性で、タイナー教頭という。


「基礎学校も孤児院も、教会が運営しておりますので、積極的に受け入れるような措置がとられていたのですが……」


 問題を起す、あるいはクラスに溶け込めない生徒たちが多かったのだという。


「心に大きな傷を負った子どもたちを導くことは、とても難しい。警戒心、あるいは猜疑心が強く、自ら心を開くことをよしとしないのです」


 テーブルに出されたお茶をこくこく飲んで、メグが満足そうな吐息をついた。見知らぬ場所で見知らぬ人物を前にしているが、まったく警戒していないようだ。

 シャーロがメグに問いかけた。


「メグ、みんなと仲よくできるかい?」

「みんなって、おともだち?」

「そう。これからいっしょに勉強するクラスメイトだ」

「うん、メグがんばる――がんばります!」


 勉強が大好きなメグは、大きな緑石色の瞳に期待を込めて、きらきらと輝かせる。

 まっすぐ見つめられて、タイナー教頭はこほんと咳払いをした。手元の用紙に目を落とし、怪訝そうに尋ねてくる。


「ところで。保護者の欄のお名前ですが、ここは孤児院の責任者、あるいは管理者になります。書き直していただけますか?」

「責任者だったモズ神父は、四年半ほど前に他界しています」

「……え?」


 教会の維持管理については村に移管されたが、すでにエルミナとメグは住民登録をハルムーニに移している。となれば、一緒に住んでいる家族の年長者が保護者となるべきだろう。

 タイナー教頭は納得した表情を見せなかった。


「あなたがたは、まだ未成年でしょう?」

「それぞれが手に職を持ち、自立した生活を営んでいます。それに――」


 シャーロはリーザと視線を合わせて、さらりと宣言した。


「もうすぐ私たちは、結婚する予定です」


 少々特殊な家庭環境に、タイナー教頭は面食らったようだ。

 その後、それぞれの仕事のことから“森緑屋”の経営状態にまで質問が及んだ。エルミナやメグの普段の生活の様子について聞かれると思っていたシャーロは、内心呆れてしまったが、そのことに気づいたのはリーザだけだった。

 子どもの素養は親で決まる。相手がそう考えているのであれば、自分たちが隙を見せなければよいだけのこと。そう考え、愛想よく質問に答えていく。


「しかし、あなたたちは便宜上の兄と姉であって、親ではないのでしょう? 血の繋がりというものは、本人たちが自覚している以上に、大きな影響を与えるのです。親がいないというだけで不利になるケースが、学校にはあるのですよ」


 ちくちくと相手の弱みを攻撃するかのように、教頭の話は続いた。

 ようやく開放されたのは、午前の授業の終わりを知らせる鐘が鳴ってからである。


「……やれやれ、まいったな」


 窮屈なスカーフを緩めて待機していると、テストを終えたエルミナが戻ってきた。

 やや俯き加減で「やってしまった」という顔をしているが、すぐに演技だとシャーロは見抜いた。


「さあ、帰って食事にしようか」

「テストの出来とか、聞かないの?」

「お前は本番に強い。心配なんかしてないよ」

「ちぇ」


 心配したのはリーザである。まるで遠出から戻ってきた子どもを出迎えるように、ぎゅっとエルミナを抱きしめた。


「お疲れさま、エル」


 そうそうこれこれという感じで、エルミナが甘える。


「エルお姉ちゃんだけずるい。メグも頑張ったんだよ」


 教頭先生の難しい話を、メグも大人しく聞いていた。抱きついてくるメグの頭を、リーザが優しく撫でる。


「それで、テストはどうだったの?」

「余裕余裕。シャロ兄やルコ兄の作った問題のほうが、ぜんぜん難しかった」

「そりゃそうさ。一学年上の勉強をさせたんだから」

「……へ?」


 ユニエの森の教会にも基礎教育の古い教科書があった。時代が変わったとしても、教科書の内容にそれほど変化はない。とはいえ、素人が教える勉強には限界があると考えたシャーロは、中途入学の試験を確実にパスするため、そして入学後の授業で遅れを取らないために、やや強引な教育方針をとったのである。

 メグにしても、すでに一年生で履修する内容の大半を習得している。

 突然告げられた事実にエルミナがあ然としていると、部屋の扉が開いて、再びタイナー教頭が姿を現した。


「さあ次は、大食堂を案内しましょう。よろしければ、ごいっしょに昼食をいかがですか?」


 できれば遠慮したいところだが、断るわけにもいかない。

 全校生徒が一度に食事ができる巨大な食堂は、紺色の制服を着た生徒たちの雑談の声で溢れ返っていた。

 タイナー教頭の思惑は、エルミナとメグの食事の様子を確かめることにあるようだ。

 どれだけ取り繕ったとしても、食事中は家での行動が滲み出るもの。じっくりと観察されて居心地はわるかったが、シャーロもリーザも、そのあたりのテーブルマナーに関しては、徹底して教え込んでいる。周囲の様子に気を取られつつも、エルミナとメグは大きな失敗をすることもなく、昼食は終了した。

 入学までのスケジュールと必要な物品などを確認して、ようやく開放される。


「シャーロ兄さん、お疲れさまでした」


 学校からの帰り道、腕を絡ませてくるリーザに、シャーロはまったくだとぼやいた。


「自分でテストを受けたほうが、はるかにましだよ」

「でも、エルもメグもちゃんとしてましたね」

「うん。しかし、教頭先生があれほど疑い深いとはなぁ」


 過去によほど痛い目にあったに違いない。

 親の愛を受けられず育ってしまうのは、子どもたちのせいではない。ようはその後の保護者の問題なのだろうか、凝り固まった先入観を覆すのは、容易なことではなかった。

 いっそのこと、エルミナとメグを養子にしようか。

 ふと頭に浮かんだその考えを、シャーロは真剣に検討した。

 法的にも親になることができれば、タイナー教頭の言う今後の学校生活で不利になる場面とやらを、減らせるかもしれない。

 問題は、養子縁組に関する制度的な知識がないことだ。

 まずは孤児院を管轄している教会に相談すべきだろうか。いや、ひょっとすると、軍隊にもよく似た制度があるかもしれない。

 テストが終わって清々した様子のエルミナと、元気に歩いているメグの様子を窺いながら、今夜にでもリーザに相談してみようとシャーロは心に決めた。




 結論からいえば、養子縁組には複雑な手続きが必要になる、らしい。

 複数回の面談と、多くの書類、そして教会による審査。

 何年も一緒に住んでいるので、面談については問題ないだろうが、教会の審査が厳しい。特に父親になろうという男が徴兵されて戦地に赴くとなれば、その事実をもって却下される可能性が高いだろう。

 一方の軍隊には“戦争孤児育成法”なる法律があり、通常よりも短期間で養子を迎えることができるようだ。

 しかし、こちらにも問題があった。

 ある程度の年齢と、階級が必要とされるのである。

 大きな戦功を立てて出世することができれば可能かもしれないが、それには死と隣り合わせの危険が伴う。


「とりあえずは、保留だな」


 リーザたちに別れを告げて、ひとりユニエの森に戻ってきたシャーロを出迎えたのは、マルコとサナである。


「お帰り、兄さん。エルのテストはどうだった?」

「合格したよ。制服も注文したし、教科書もそろえた。春からは二人とも“北校”の生徒だ」

「なんか、変な感じだね。エルとメグが学校に通うだなんて」


 正直、この教会も寂しくなるだろう。

 だが、多くの出会いと経験は、きっと二人を大きく成長させるはずだった。


「“怠け箱”の生産はどうだ?」

「順調だよ。今日はみんなお休みだけど」


 シャーロが首を傾げたのは、休みだというのにサナがいて、無言のまま暗い顔で俯いていたからである。

 最近サナは鍛冶屋でパリィ親方とダンの手伝いをしていたはずだ。

 事情を聞いてみると、ダンの様子がおかしいのだという。


「お父ちゃんが休めって言っても聞かないし、いつもはシチューを三杯は食べるのに、最近は二杯しか食べないし、ちょっとだけ痩せたみたい」


 後頭部で結い上げた髪を揺らして、サナは涙目で訴えかけた。


「あんな無茶ばかりしてたら、いつか身体を壊しちゃうよ。なにを聞いても、だいじょうぶばっかり。絶対にだいじょうぶなんかじゃない。だからお願い。シャーロ君から、休むように言ってあげて」


 気が強く、強面の父親を叱りつけるほどの少女が、珍しく動揺している。


「やっぱり、シャーロ君じゃないとダメなの……」


 “怠け箱”の部品と地方軍から緊急発注されたの武具の製作が忙しいらしく、最近ダンは鍛冶屋に泊まることが多い。シャーロにしても、“怠け箱”の組み立て作業や引越しの準備で大忙しだ。

 最後にダンとまともに会話をしたのは、いつだったろうか。

 秋の自由市場の前――もうひと月以上になる。


「分かった。今から様子を見に行こう」


 シャーロとサナが鍛冶屋を訪れたとき、すでに夕暮れに差しかかっていた。

 仕事を終えていたパリィ親方は、リビングで麦酒を飲んでいた。


「お父ちゃん、連れてきた」

「ったく」


 焼いたキチの実を摘んで、親方は不機嫌そうに口に放り込む。


「おおげさなんだよ、お前は」

「そんなこと言って! ダン君がお兄ちゃんみたいになったら、どうするつもり?」

「あいつは、逃げ出したりしねぇさ」


 サナの兄は鍛冶屋の修行に耐えかねて、数年前に家を出て行った。

 以来、音沙汰はないという。


「でもまあ、普通、気絶するまで鉄を打ったりはしねぇわな。久しぶりにぶっとんだやつを見たぜ」


 娘に睨まれて、パリィ親方はいかつい肩をすくめた。

 思っていたよりも深刻なようである。


「ダンは仕事場ですか?」

「ああ」

「私も行く!」


 煌々と燃え盛る炉の前で、ダンは黙々と作業をしていた。

 鋳型の中に鉄を流し込んでいるが、その形状から、槍の穂先を作っているのだろうとシャーロは推測した。

 地方軍から発注された武具だろう。

 ダンがパリィ親方の弟子になってから、約半年。すでに単独で仕事を任されているようだ。


「たいしたものだな」


 仕事の切れ目に声をかけると、ようやくダンが気づいたようだ。


「あ、あんちゃん」

「話がある。ちょっと表へ出てくれ」


 秋も終わりに近づき、肌寒い風が木の葉を舞い上げている。すっかり寂しくなった木々の枝から影が伸びて、地面の上に不気味な模様を描いていた。

 シャーロはダンの様子を観察した。

 サナが言うように少し痩せたような気もするが、その瞳には強い意思の光を宿していた。

 ぎらついている――そう表現してもよさそうな目つきだ。


「エルが、合格したよ」

「……」


 意表を突かれたように、ダンはぱちりと瞬きをする。

 それから肩の力を抜いて、ほっと息をついた。


「メグの入学も、問題ない」

「そう、よかった」


 家族の大事を忘れるほど、作業に没頭していたのだろうか。

 せっかくなので、ここひと月ほどの状況を、シャーロはダンに伝えることにした。

 “怠け箱”の一回目の納品が完了したこと。そのときに、マルコとともにお得意さまを回って引き継ぎをしたこと。

 リーザ、エルミナ、メグの引越しと、学校での試験と面談。そして、疑い深い教頭先生のこと。

 淡々と家族の近況を告げるシャーロ。

 黙って聞きながら、ダンはときおり相槌を打つ。


「エルもメグも、新しい生活にすぐに慣れてくれそうだ。リーザには少し負担をかけるけれど、仕事の時間を調節してもらったから、だいじょうぶだと思う。マルコも“森緑屋”を引き継ぐと言ってくれた。ダンやカルラさんたちと協力すれば、きっとうまくいくよ」

「……あんちゃんは?」


 ぼそりと、ダンが聞いてくる。 

 シャーロは結婚式の後、春の自由市場の前に旅立つことになる。

 行き先はハルムーニの西、馬車で二十日ほどの距離にあるビシュマという街だ。東部地方最大の都市であり、重要な軍事拠点でもある。この街には地方軍の訓練所があり、シャーロは見習い隊士として着任する予定だった。

 無理やり徴兵された若者たちが集められるわけだから、士気は低く、訓練内容は厳しく、決して楽しい生活にはならないだろう。

 だが、そんなことを口にする必要はない。


「俺は、心配いらないよ」

「いっつも――あんちゃんはそうだ!」


 唸るような声で叫び、ダンはシャーロを睨んだ。


「いっつもいっつも、家族のことばかり考えて、自分のことは後回しで。だから、リーザ姉ちゃんとの結婚は、嬉しかったのに……」

「……ダン」

「戦場に、行くんだろう? 殺されるかもしれないんだろう?」


 おそらくこの弟は、家族の中で一番正確に事態を把握し、最悪の状況を想定している。今のダンにとって、気休めの言葉など意味をなさないだろう。

 そのことを察したシャーロは、事実を認めた。


「その通りだ」

「だったら、オレが作る!」


 ダンはぎゅっと拳を握り締めた。

 ハンマーを握る利き手だ。


「オレが、あんちゃんの敵を切り裂くつるぎを――作る」

「……ダン」

「あんちゃんを守る盾を、鎧を……作、る」


 最後のほうは言葉に詰り、ダンは俯いた。

 パリィ親方の弟子になって、まだ半年の見習い鍛冶士である。自分にそれだけの実力がないことを、自覚しているのだろう。


「で、でも、ダン君はもう、槍だって作れるじゃない。お父ちゃんだって任せてるくらいだし」


 隣にいたサナが、たまらず口を挟んだ。


「あんな鋳造ちゅうぞうの武器じゃ、すぐに折れる。鍛造たんぞうじゃないと」


 鋳型いがたに鉄を流し込む鋳造と、ハンマーで打ちつけて鍛える鍛造。かかる手間も必要な技術も、そして出来上がったものの性能も、まったく変わってくる。


「このままじゃ、オレ――駄目なんだ」


 ダンが無茶をして鍛冶屋にこもっている理由を、ようやくシャーロは理解した。

 そしてこの大きな弟が、完全に自分の手から離れ、自立した道を歩み出そうとしていることも。

 暗闇の中でもがき、苦しみ、考え、光に向かって手を伸ばす。

 養育者であるモズ神父が亡くなり、家族の生活に対するすべての責任を負った、かつての自分のように。


「分かった」


 シャーロはダンの肩に手を置いて、頷いた。


「最高のやつを、頼むぞ」

「う、うん」


心配しつつも口を挟めないでいるサナの視線を感じつつ、シャーロはダンに体調管理について注意を促した。

 いくらやる気があったとしても、身体を壊しては意味がない。焦ってばかりでは、よい商品は作れないのだ。


「それに、徴兵されたからといって、すぐに実践に狩り出されるわけじゃないんだ」

「そう、なの?」

「ああ。一年間の訓練期間のあと、どこかの部隊に配属されて、そこでも部隊に合った訓練があると思う。まだ、時間はあるよ」


 戦況が、よほど追いつめられていなければ――安心させるように微笑みながら、シャーロは心の中で密かに付け加えた。

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