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第六章 (4)

 本店と支店の往来は、目まぐるしくなった。

 一回目の“怠け箱”の納品と顧客の引継ぎ。さらに入学試験のタイミングに合わせて、エルミナ、メグ、ハルの引越しを行う。

 住み慣れた家を出る不安よりも、新しい家への好奇心が勝ったのか、エルミナもメグも興奮気味である。


「おうち、小さい!」

「うわっ、二階建てじゃん!」


 支店の敷地は、ユニエの森の教会の半分ほど。

 正直なメグの感想通り、礼拝堂のある教会と比べると確かに建物も小さいが、二階建てで、無駄のない構造になっている。

 何より、微妙な色彩の変化を見せる褐色レンガの彩りが気に入ったようだ。


「よしメグ、まずは敵がいないか調べるぞ。探検だ!」

「りょーかい!」


 姉に教えられた敬礼の仕草をして、メグが元気に返事をする。

 駆け出そうとするエルミナの襟首を、シャーロがつかんだ。


「――ぐえっ」

「そんな暇はない。まずは水汲みと掃除。それから荷物運びとベッドの組み立てだ」


 追加で生産した家具を持ち込んで、それぞれの部屋に割り振っていく。

 ハルの犬小屋も玄関先に移設されたが、この犬小屋はユニエの森でもほとんど利用されたことはない。リビングの床に置かれたバスケットの中で、少しだけ体の大きくなった桃色の子犬は相変わらずのんびりと昼寝していた。自分が今、どこにいるのかすら気づいていないのだろう。

 荷馬車があるので、リーザの引越しも一度で完了する。


「レイ。わたしがいなくても、朝はちゃんと起きなきゃダメですよ。あと、部屋の片付けと、お花の世話も……」

「子どもじゃないんだから、心配いらないって」


 そう言ってがりがりと頭をかいたレイだったが、どう見ても強がりの上に、まるで大切なものを取られた子どものように、渋面でシャーロを睨んだ。


「ふん、さっさともっていきな」


 では遠慮なく――とは口にせず、これまでの感謝の意味も込めてシャーロは目礼した。

 森の中では、茨のとげやかぶれやすい木、毒をもつ蛇や毛虫などに気をつける必要があったが、街での生活は異なる。

 まるで迷路のような路地や、馬車の往来、場合によっては住人そのものが危険となり得るのだ。

 完全に浮かれている妹たちに、シャーロは街のルールや生活する上での注意点を指導した。


「そんなことよりさ。散歩しようよ、シャロ兄!」

「メグを見ろ。散歩は明日だ」


 長旅の上に引越し作業をこなして、もう夕方である。

 リビングの椅子でうつらうつらしているメグを起して、公浴場へ行き、買い物をしてから帰宅する。

 少し遅めの夕食を済ませると、メグどころかエルミナも目をこすり出し、新しく組み立てたベッドや枕の感触を気にすることもなく、すぐに夢の世界へ飛び込んでいった。

 子どもが眠った後の大人の特権は、確かに存在する。

 引っ越し祝いとしてミサキからもらった焼き菓子をお茶受けにして、シャーロとリーザは久しぶりに“騎士遊戯”で対戦した。

 シャーロにとっては、勝負というよりは頭の体操という意味合いが強い。駒を動かしながら考え事の整理を行うのだ。

 今考えているのは、結婚式のことだった。

 秋の自由市場の直後に、シャーロはリーザと連名でデュナに手紙を出し、結婚式の日取りを伝えていた。

 あとひと月半ほどである。

 とはいえ、豪華な式を挙げることはせず、この家にデュナを招いて、庭先で“結婚の儀”のみ執り行うつもりだった。

 招待客も家族とごく少数の関係者のみ。

 リーザのドレスは友人のミリィとマスが鋭意作成中ということで、シャーロの礼服さえあれば、準備が整うはずだった……のだが。

 ハルムーニへ出発する前、教会の作業場で“怠け箱”の調整をしていたときに、結婚式の話をせがまれて説明したところ、お手伝い全員から非難されたのだ。


「シャーロさん、ひどいです。リーザさんがかわいそう」


 特に手厳しかったのは、十一歳のクミである。


「いや、リーザと相談して決めたんだけどね」

「そんなの、シャーロさんに気を遣っただけです!」


 チムニ村での結婚式は、盛大に執り行うことが多い。イベントの少ない村だから、ほうっておいても見物客が集まるし、見栄を張るために豪華な衣装を取り寄せたりもする。

 親戚の結婚式に参加したことのあるクミには、確固たる信念があるようだ。

 一生に一度の結婚式は、すてきなものでなくてはならない!


「クミちゃんが正しい」


 最近仲のよいベラが加勢した。


「結婚式をないがしろにする男は、許されない」


 夢見る乙女二人はともかくとして、主婦たちも反対の様子だ。

 曰く、若者はとかく形式を軽視しがちだが、実際はそういったことをきちんとこなすことによって、責任感が生まれるもの。成り行きだけで夫婦になった者は、長くは続かない。


「それに、屋外だなんて。雨が降ったらどうするつもり?」


 その場合は倉庫で式を執り行う予定だったのだが、それを口にしてしまえば、さらに立場をわるくするだろう。


「まあ、本決まりではないので、もう一度検討します」


 シャーロは結論を先延ばしにした。

 とはいえ、式までの時間は短い。費用面の問題も含めて、今から調整がつくだろうか。


「……シャーロ兄さん?」


 気がつけば盤面はかなり進んでおり、いつの間にか長考していたようだ。


「ああ、実は、結婚式のことだけど」


 そう言って、シャーロは自分の駒を進める。


「もうちょっと格式のあるところでやったほうが、いいかなと思ってね。せっかくだから、チムニ村のひとたちも招待して、盛大に……」


 クミの言う通り、リーザが遠慮している可能性もある。

 そう思って話を振ってみたのだが、リーザは考え込むような顔になり、それから駒を動かした。


「王手詰み《チェックメイト》です」

「……え?」


 駒が予測不可能な――というよりも、ルールを無視した動きをして、シャーロの王は突然逃げ場を失った。

 さすがにあ然としていると、リーザは立ち上がって、シャーロの背後に回った。


「どうしたんですか?」


 いつかのように、後ろから抱きしめられたシャーロは、さてどう説明しようかと考え込んだ。


「結婚式はこの家でしようって、二人で決めました」

「でもほら。昔、ユニエの森の教会で、一度だけ結婚式があっただろう?」


 モズ神父が存命のころである。シャーロとリーザは結婚式の準備を手伝って、式にも参加したことがあった。

 新郎と神父は、多くの招待客の前で永遠の愛を誓い、それからみなで聖歌を歌う。最後は聖鐘せいしょうの音とともに退場し、披露宴で再び挨拶。拍手喝采。

 あのとき、リーザは感動していたようだし、いつかは自分もと思ったかもしれない。


「わたしは、家族に祝福してもらえるだけで、幸せです」


 頬を摺り寄せるようにして囁くリーザは、本心を偽っているようには思えなかった。


「それにこの家だったら、ハルやピグとマムも参加できますから」


 確かに、飼い犬やロバが出席できる結婚式も珍しいかもしれない。


「雨が降ったら、倉庫だよ?」

「構いません」


 せっかくだから、もっとわがままを言っていいのに。そう思って口にすると、リーザは首を振った。


「一生分のわがままは、もう言っちゃいましたから」


 春の自由市場で――

 外壁の上。雲ひとつない黄昏色の空。

 切羽詰ったような、それでいて混乱したような妹の顔が思い出される。


「あれは、さすがに驚いたなぁ」


 だが、冷静に考えてみると、なんの問題もないことに気づき、それならばと受け入れたのである。

 あのときの決断に後悔したことはないし、今後することもないだろう。正直、今では人生最大の戦果だったのではないかとさえ思っている。

 だから、リーザの一方的なわがままというわけではない。


「でも……」


 そう言ってリーザは、両腕に力を込めた。


「ひとつだけ、欲しいものがあります」


 指輪のことだろうかと、シャーロは推測した。

 北区にはそういった工房も多いし、東区には有名な宝飾店もある。エルミナの試験が終わったら、二人で結婚指輪を選ぶ予定、だったのだが。


「だから、その……。部屋に、行きませんか?」


 背中と頬に感じる体温が、急に上がったような気がする。

 察しのよいシャーロは、瞬時に頭を切り替えた。

 引越しと部屋の片付けが終わっても、自分たちにはまだすることがある。

 エルミナとメグは熟睡中、のはず。

 とはいえ、今後は細心の注意を払う必要がありそうだった。

 特にメグは、夜中にトイレに起きたり、寂しくなってリーザのベッドに潜り込んでくることがあり、その不規則な行動は予想が難しい。時間帯によっては致命的な状況に陥る可能性を、シャーロは想定していた。

 対応策としては、寝る前に不要な水分をとらせないことと、トイレを徹底させること。加えて、もうすぐ学校に入るのだから、自立心を高めるような教育を施さなくてはならない。

 どちらにしろ、完全に防げるものではないのだろうが。


「難問だな」

「……え?」

「いや、なんでもないよ」


 寝室には鍵がかかるので、とりあえずは安全だろう。

 そう結論付けると、シャーロは周囲の気配を伺いつつ、優しくリーザを抱きしめた。

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