第六章 (3)
シャーロが秋の自由市場から帰ってくると、作業場の雰囲気はわるく、みなが黙々と作業をこなしている状況だった。
自由市場の成果を報告しようと思ったのだが、カルラにつかまり、無理やり愚痴に付き合わされる。
数日前の商工会の寄り合いで、シャーロが地方軍に召集されることを議題に出し、タミル夫人に抗議したらしい。
将来のチムニ村を牽引すべき“森緑屋”とその若き代表に対するこの仕打ちは、商工会にとって百害あって一理なしである。特に“怠け箱”の生産にあたっては、鍛冶屋も雑貨屋も陶芸家も、そしてお手伝いとして雇われたひとたちも恩恵を受けている。
それらはすべて、村の利益へと還元されてゆくのだ。
「ヤドニ、ゴウ、スジの三バカたちも、横領の件で肩身の狭い思いをしているからね。希望者を募れば、ひょっとしたら手を上げたかもしれない。そのほうが村のためだって言ったらさ」
ずいぶん攻め込んだものである。
「推薦者が決定するまでは、情報を公開してはならないという国のお達しがありましたし? 選定方法は、村の責任者に一任されているわ。それに、もう決定したことを覆すことはできませんことよ。おっほっほっ」
タミル夫人のものまねなのだろうか、カルラは手の甲を口元に当てて、甲高い笑い声を上げた。
「――むかつく」
そばに娘のクミもいるのだが、小さいことは気にしないようである。
「一部の隙もない、完璧な回答ですねぇ。あのひとらしいです」
のんびりとした口調のモモは、ちゃっかりシャーロの隣に座っている。
その距離が、近い。
「モモさん。シャーロさんは、リーザさんの婚約者なんですよ?」
咎めるようにクミが注意したが、モモはどこ吹く風といった様子。
「私は、借金を肩代わりしてもらった身ですからねぇ。ちょっと優しくされて懐いた犬みたいなもんです。荒波を立てるつもりはありませんから、ご心配なく」
「心配します!」
シャーロとリーザの婚約の件を未だに引きずっているのは、ベラである。
窓際でひとり、“怠け箱”の製作に没頭しながら、ぶつぶつと呟いている。長い前髪で表情は隠されているが、後ろ向きな考えを垂れ流しているのは間違いない。
「それで、シャーロ君。これからどうするつもり?」
カルラの問いかけに頷いて、シャーロは作業場にいる全員を集合させた。
先日三十歳になってしまったらしいカルラと、イマリ、キクの主婦たち。よりいっそう近寄りがたい雰囲気を身にまとったベラ。ほがらかな笑顔のモモと、納得できないといった表情のクミ。
総勢六名。
サナだけが欠けているが、今や戦場と化した鍛冶場でパリィ親方とダンの手伝いをしているらしい。
「みなさんもご存知の通り、俺は地方軍の見習い隊士として、招集されることが決定しました。冬には、ここを出る必要があります」
しんと作業場が静まり返った。
「除隊するには様々な条件があるようで、すぐに戻ってこれるとは限りません」
訓練期間だけでも一年。その後、どこかの街か砦に配属される。地方軍の兵数が不足してる今の状況では、大きな怪我でもしない限り、除隊することは難しいだろう。
もちろん、戻ってこれない可能性もある。
「五百台の“怠け箱”については、契約が完了していますので問題はありません。しばらくはみなさんにも手伝っていただく予定です」
問題はその後である。
リーザ、エルミナ、メグは、ハルムーニで暮らすことになる。マルコについては保留。ダンひとりでは、自由市場の準備すらおぼつかない。
「今後については、正直、まだ未定ですね」
「ま、そうだわね」
大きな仕事が入ったり、自由市場の準備作業がある場合は、お手伝いをお願いすることになるだろうが、今後の営業展開は白紙の状態である。
「私たちは小遣い稼ぎ程度だから、いいけれど」
カルラの言葉に、イマリとキクがうんうん頷く。
「こっちは切実ですよぉ」
主婦であるカルラ、イマリ、キクは生活が成り立っているが、病気の母親を抱えているモモは稼がなくてはならない。
「……同じく」
「ベラさん家は土地もあるし、お金持ちじゃないですか」
「家にいると、怒られる。どうにかして結婚相手を見つけてこいって。もう相手は誰でもいいから、死ぬまでに孫の顔を見せてくれって。ぐちぐちぐちぐち、本当にしつこい」
「お見合いでもしたらどうですか?」
「……」
モモの提案にベラが沈黙したのは、一度、本人に内緒で見合いが設定され、逃げ出した前科があるからだ。彼女は靴を履くのも忘れて一昼夜行方不明となり、翌朝、擦り傷だらけで帰ってきた。
“裸足のベラ”――この異名は隣村まで広まっており、以降、ただでさえ貴重な見合いの申し込みはなくなった。
「だ、だいじょうぶです! きっとベラさんにふさわしい、いい男性が見つかるはずです。私、応援しますからっ!」
「ありがとうクミちゃん。私もそう思う。きっとどこかに、私の王子さまが待っているはず」
十一歳の少女に励まされる二十二歳。
三人の主婦がそろってため息をついたのは、ベラが婚期を逃していく理由を、まざまざと見せつけられたからだろう。
ややいたたまれない雰囲気の中、リビングでエルミナとメグに勉強を教えていたマルコが小走りでやってきた。
「シャーロ兄さん、お客さん。ソウ先生だよ」
玄関先に出ると、村から荷車を引いてきたらしい陶芸家が、メグが運んできた水を受け取って、ごくごく飲んでいた。
「せんせー、メグの水、おいしい?」
「ああ、美味しいよ」
「ほんと?」
「あ、ああ。本当だ」
無理やり言わされている感はあるものの、大人らしい対応である。
「ソウ先生、お疲れさまです。“蝋燭ランプ”の納品ですか?」
「うむ。これで三百になるか。あとの二百も、鋭意作成中である。それと……」
荷車からいくつかの包み紙を取り出す。その中にはティーカップが入っていた。きれいな染付けで、来客用としても使えそうである。
「これは、我輩からの婚約祝いだ。遠慮せず受け取ってくれたまえ」
いつも眉根を寄せて不機嫌そうにしていたソウ先生だが、あの“調停会議”以来、妙にとっつきやすくなった。“蝋燭ランプ”の大量発注で、生活が楽になったことも寄与しているのだろう。自分の作品以外に興味を示すことのなかった人物に、まさか祝いの品をいただくことになるとは思わず、正直シャーロは驚いていた。
少しずつ、形になりつつあるのだろうか。
単純に商品を作って売ることと、みんなをまとめて商品を生み出すことは、求められる能力も、選択すべき言動も違ってくる。
家族のように、無条件で従ってくれるわけではない。
働く目的も、家の事情もそれぞれだからだ。
しかし、信頼される喜びや仕事を果たしたときの達成感は、共通のもの。
経営者に必要な資質は、相手の性質を見定め、これと思えば信頼し、仕事を任せることができる度量なのかもしれない。
夕食後、シャーロは物置から何冊かの分厚い台帳を運んできて、リビングのテーブルに広げた。
このところ、ダンはパリィ親方の家で寝泊りすることが多い。“怠け箱”の部品作成に加えて、地方軍からの武具の発注が、突然舞い込んできたからである。
鍛冶師は免許制であり、その所在を鍛冶師組合に届け出る義務がある。そして、大量の鉄製品が必要になったときに、国や軍から注文書が届くことがあるそうだ。無茶な納期を指定されることも多いが、その分、実入りのよい仕事でもある。
今回の場合、間違いなく遠征失敗が原因だろう。
エルミナとメグは自分たちの部屋にいる。倉庫の整理をしていたマルコが戻ってきた。
「兄さん、お茶、入れる?」
「ああ、頼む」
マルコがお茶を入れている間、シャーロは台帳をめくっていたが、ところどころで苦笑らしき表情を浮かべた。
「それって、うちの家計簿じゃない?」
さっそくソウ先生からいただいたカップでお茶を出してくる。少しだけ贅沢な気分に浸れたが、残念ながらお茶の味はリーザのものより数段落ちる。不思議なことに、同じ茶葉でも作るひとによってがらりと味が変わるのだ。
「それと、食糧庫の在庫帳?」
「昔のやつさ。ちょっと使う予定ができてね」
モズ神父が亡くなってから、見よう見まねでつけ始めたのだが、その内容はひどいものだった。
「家の蓄えは減る一方。食糧庫で増えるのは、山菜ばかり」
「最初の年のやつだね。春先だったから、みんなで山菜を取ってた記憶があるよ。リーザ姉さんがいろいろ工夫してくれたんだけど、塩辛くて、苦かったなぁ」
当時のリーザはまだ料理を始めたばかりで、煮込んで塩で味付けするくらいしかできなかったのである。
「最初にお金を稼いだのは、これだな。猪の肉」
「ああ、覚えてる。罠にかかったんだ」
「ハマサさんに買い取ってもらったけれど、今思えば、完全に足元を見られてるな」
しかし夏の終わりから秋にかけて、食糧の在庫は徐々に増えて行き、次の年の春、家計簿に大きな黒字が出る。
初めての自由市場の成果だ。
その後は、一歩たりとも立ち止まらない快進撃が続き、わずか四年と半年で、“森緑屋”はハルムーニに支店を開き、ひとを雇えるまでになった。
元手がほとんどなかったことを考えれば、偉業といえるだろう。
「だけど、生活のことだけを考えるなら、これ以上、手を広げる必要はないんだ」
「……え?」
意表を突かれたようなマルコに、シャーロは説明した。
シャーロとリーザの給金で、エルミナとメグの学費や生活費はまかなうことができる。ダンはまだ修行中の身だが、いずれは独り立ちできるだろう。
「“怠け箱”は、どうするの?」
「設計図もノウハウも、すべてひっくるめて“瑪瑙商会”に売りつけたらいい。高く買ってくれるはずさ」
一時的に、莫大な利益が上がるであろうことは、マルコにも想像できた。
「で、でも。急にどうしたの?」
シャーロはお茶をひと口飲んで、マルコにハルムーニでの出来事を語った。
「実は、秋の自由市場の後、支店に“魚味”さんがきてね……」
シャーロが渡した名刺を頼りに北区の支店を訪れたのは、パキと妹のコタマ、そして二人の父親――“魚味屋”の四代目代表、ガラオだった。がっしりとしたひげ面の中年男で、根っからの商売人である。
自由市場でしか交流のない“森緑屋”に対して、ガラオは開店祝いの“最高級乾物セット”を持参してくれた。
未熟な五代目では難しい気配りだろう。
約束通りシャーロはハルムーニの物件リストを渡し、それから自分が地方軍に召集されることを告げた。
「――はぁ?」
驚いたのはパキである。
様々な感情をその顔に浮かべ、混乱し、結果的には激怒した。
「おいこら、シャーロ。お前、勝ち逃げする気かいっ!」
すぐさま父親にどつかれて、激痛のあまり床の上を転がり回る。
ガラオは真剣な表情で、「立ち入ったことを聞いて申し訳ない」と断りをいれながらも、今後の“森緑屋”の方針について聞いてきた。
シャーロの答えは、未定。
手持ちの商売に目処がついたら、決断を下すつもりだと答えた。
“森緑屋”の休業――あるいは解散も含めて、検討すると。
しばらく考えたのち、ガラオが遠慮がちに提案してきたのである。
「……ぼ、ぼくを、“魚味屋”の番頭に?」
「そう。“魚味屋”もハルムーニに支店を出すらしくてね。信頼のおける若い従業員を探していたそうだ。支店長はパキだから、番頭にはお目付け役的なひとをつけると思っていたけれど、予想以上に大胆な親父さんだな」
おそらくパキからマルコのことを聞いていたのだろう。
その実務能力に関して、信頼できるということを。
「そ、それで。シャーロ兄さんは、なんて答えたの?」
さすがに、はいどうぞと即答するわけにはいかない。
「保留させてもらった。決定権はマルコにあるからね」
“魚味屋”は、地元では伝統も格式もある店らしい。その番頭としての仕事は、マルコにとって大きな経験となるだろう。
生活も確実に安定する。
おそらく、今後の“森緑屋”以上に……。
いつの間にか俯き、膝に置いた手を見つめていたマルコに、シャーロは「焦る必要はないから」と気遣った。
「まだ時間はある。次にハルムーニへ行くときまでに……」
「ううん。今、返事をするよ」
顔を上げたマルコは、伊達眼鏡の奥から、迷いのない眼差しをシャーロに向けた。
淡々と、まるで兄のような口ぶりで、自分の思いを告げる。
「ぼくは、これまでシャーロ兄さんが築き上げてきたものを、受け継ぎたい。できるならば、少しでも、積み上げていきたい」
正直、自分では役者不足だと思う。
売上げも利益も落ち込むかもしれない。
でも。それでも――
「“森緑屋”で、待つから」
マルコはもう一度、力を込めて宣言した。
「シャーロ兄さんの帰りを、絶対に待つから」
「……」
自分でも意外なほど、シャーロは深く安堵していた。
モズ神父の死後、シャーロは家族に対して、ことあるごとに強権を発動してきた。エルミナには「横暴だ」と罵られたこともある。
そのおかげかどうかは分からないが、当面の生活の危機は乗り越えられた、と思う。
しかし一方で、家族の自立心を奪ってしまったのではないかと、彼は密かに危惧していたのだ。
「マルコ、動くなよ」
シャーロは少し腰を浮かすと、そのままゆっくり右手を伸ばした。
呆気にとられているマルコから、眼鏡を奪う。
「――え?」
「こいつは、もう卒業だ」
商売人らしく見えるからと、無理やりかけさせた伊達眼鏡。それは小さなころ、他人の顔を真っ直ぐ見ることができず、おどおどしていた弟に対する、ちょっとした仕掛けでもあったのだ。
「これからは、眼鏡越しじゃなく、きちんと相手を見て、商売をしよう」
シャーロもまた、結論を出した。
マルコを信じて、すべてを託す――
ハルムーニの顧客を引き継ぎ、営業のノウハウを教え込み、今後計画していた事業についても、すべて伝える。
本格的な紅葉の時期を迎え、忙しくなりそうだった。




