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第六章 (2)

 春はやや肌寒さが残る。夏には熱がこもる。

 特に出店者の場合、三方を布で囲まれただけの店舗に一日中閉じこもり、それが一週間も続くため、暑さや寒さで体調を壊す者も出てくる。

 その点、秋の自由市場は過ごしやすい季節だ。

 もちろんそれは来場者も同じことで、夏の間に落ちた食欲が戻ったのか、おもに食料品がよく売れる傾向にあった。不安定な世情を反映してか、保存食にも人気が集まった。

 森の恵みを商品とする“森緑屋”としては、追い風といってよいだろう。

 一日の商売が終わると、仕切人に売上げを報告して、解散。


「さあ、帰ろうか」

「はい」


 ここからは二人だけの世界である。

 ごく自然にシャーロの腕をとって、リーザが寄り添う。その顔は上気しており、幸せな気持ちが溢れ出ているかのよう。

 支店ではまだ井戸が使える状態にない。食事をして公浴場に行き、共同広場の水道で水を汲んでから戻るわけだが、二人の心はすでにその先へと向かっているようだ。

 傍目からも初々しい、かなり浮ついたカップルである。もし恋人に恵まれない者がすれ違ったならば、舌打ちとともに呪いの言葉を吐き出したかもしれない。


「ちょっと待たんかい」


 貸し倉庫から大通りへと向かう二人を呼び止めたのは、パキだった。その様子から察するに、待ち伏せをしていたらしい。

 すでに秋の自由市場も中盤に差し掛かっている。運営から提供されている安宿を利用しないシャーロたちのことを、訝しがっているようだ。


「兄妹で腕組んで、仲のええこっちゃ」

「お前もな」

「なんやて?」


 パキの腰のあたりには細い手が回されており、十歳くらいの少女が身体を半分隠すようにして、シャーロのことを睨んでいた。


「わおっ、気づかんかったわ!」


 そんなはずはないのだが、シャーロは指摘しない。

 少女はパキと同じ茶色の髪を左右で結んでいた。両手を離し、パキの背後から飛び出すと、シャーロに向かってびっと指を突き出す。


「あんたが、“森緑屋”のシャーロ。兄貴のライバルやな?」

「……」

「最近、調子こいとるみたいやけど、ウチがきたからにはもうええかっこはさせん。“魚味屋”は、絶対に負けへんからな!」


 いろいろと否定したいところのあるシャーロだったが、少女の前に進み出てしゃがみ込んだのは、リーザだった。


「な、なんやの?」

「わたしは、リーザよ。あなたは?」

「……コタマ」

「お兄さんの、お手伝いをしているの?」

「う、うん。今回から」

「すごいわね、コタマちゃん」


 元気がよい、ちょっとやんちゃなくらいの子どもが、リーザは大好きなのである。

 優しい眼差しで見つめられ、頭を撫でられた少女――コタマは、自分でも分からない理由で真っ赤になった。二、三歩あとずさってから、我を取り戻すかのようにぶんぶんと頭を振る。

 とりあえずリーザのことは棚に上げて、シャーロのみを敵視することに決めたようだ。


「と、とにかくや! ウチらにはとっておきの“秘策”があるんや。春になったら、どえらいことになるで。それまでは、小銭でも稼いで喜んどるんやな」

「春になったら、何があるんだ?」

「ふふん、聞いて驚け。今な、“魚味屋”は支店を出す計画を――あだっ」

「こら。商売人がぺらぺらしゃべるんやない」


 妹の頭をぽかりと叩いたパキだったが、苦笑しつつも否定はしなかった。


「ま、そういうこっちゃ。今回の自由市場が終わったら、ハルムーニで物件を探す。冬の間に準備をして、春には開店。このわいが支店長や」

「やったで兄貴! シャーロのやつ、びっくり仰天しとるわ!」


 勝手に盛り上がっている二人を無視して、リーザとともに大通りへ向かおうとしたシャーロだったが、ふと立ち止まり、頭をかきながら振り返った。


「物件を探すのはいいが、伝手つてはあるのか?」

「いや、ここには知り合いもおらんしな。出たとこ勝負、なんもかんも真っ白や。かっかっかっ」


 これみよがしに、シャーロは大きなため息をつく。


「いくつか、紹介してやってもいいぞ」

「……なんやて?」


 実は“森緑屋”の支店を決めるにあたって、シャーロは複数の物件をリストアップしていたのである。自分の足で探し出したものもあるが、付き合いのある店から紹介してもらった隠れ物件もあった。

 通常であれば、滞在費や物件を探せなかった場合のリスクを指摘して、高く情報を売りつけるところだが、らしくもなく紹介すると言ったのは、自分がいなくなった後、ハルムーニで商売をするマルコが、パキに頼るような状況をわずかでも想定したからである。

 しかし、この考えをシャーロは放棄した。

 弱気になりすぎだと、自分を戒めたのだ。


「いや、なんでもない。忘れてくれ」


 そう言って立ち去ろうとしたが、パキは許さなかった。

 何故シャーロがハルムーニの物件情報を持っているのかを問い詰め、答えなければずっと後をつけ回すと宣言し、再びシャーロにため息をつかせた。

 無言のままシャーロが取り出したのは、一枚の名刺。

 “森緑屋”代表、シャーロ。

 そして、ハルムーニ支店の住所が印字されている。

 ダンが版木を彫って作ったスタンプを押したものだが、素人が作ったものとは思えない出来栄えである。


「自由市場が終わったあと、三日間はここに滞在する予定だ。夕方ならいると思うが、用もないのに来るんじゃないぞ」

「――んがっ」

「兄貴、どうしたん?」


 ライバルの背中を追いかけて、ようやく先んじたと思ったら、完全なるぬか喜び。その姿は再び遠くに霞んでしまった。

 ショックのあまり名刺を手にしたまま硬直しているパキにさよならの合図を送って、シャーロはリーザとともに岐路についた。

 自由市場が終わったあとも、調整することがらは山ほどある。

 まずは、“玉ねぎ娘”を訪問し、ミサキとレイにリーザの長期休暇についてのお礼をした。久しぶりの再開を手放しで喜ばれたが、その後“召集令状”の話をすると、二人はそろって絶句した。

 家族へ婚約の報告をするための帰省だったはずである。 

 信じられないといった様子のミサキと、気遣わしそうにリーザを見つめるレイ。

 強制的な徴兵の噂は耳にしているのだろう。慰めの言葉がいかにむなしいものであるかを知っているかのように、互いに沈黙する。


「それはそれとして、実は、北区に“森緑屋”のハルムーニ支店を立ち上げることになりました」


 事実のみを、シャーロは淡々と報告した。

 支店長はマルコ。エルミナとメグの住所をハルムーニに移して、来年の春からは学校に通わせる予定である。タイミングを見計らって、リーザの住所も“玉ねぎ娘”から変更する。


「エルミナとメグの面倒を、リーザがみることになります。そこで――」


 シャーロはリーザの就業時間の調整をお願いした。

 “玉ねぎ娘”には、昼と夜の営業があり、特に夜は酔客たちの状況によって店を閉める時間も変わってくる。

 シャーロが本店――ユニエの森の教会にいるのであれば、マルコをハルムーニに常駐させる方法も考えられたが、状況は一変した。

 今後、おそらくマルコは、本店と支店を頻繁に往復することになるだろう。

 リーザが働いている間、エルミナとメグを二人だけにしておくわけにはいかない。そういった“森緑屋”の事情に対して、ミサキとレイは理解を示してくれた。

 リーザの仕事を昼の営業と夜の仕込みのみとすることを、ミサキが即決。これでリーザは、エルミナとメグが学校に通っている間に働ける形となった。

 さらにシャーロは、自分が旅立つ前に子どもを作りたいという意向も伝えた。

 あまりの話の展開の早さと直接的な表現に、ミサキは反応に戸惑い、もの言いたげな表情になった。どこか刹那的な、若者たちの危うさを感じたのだろう。

 しかし、結局反対することはせず、婚約者たちの決断を尊重した。


「分かったわ。リーザちゃん、そのときになったらちゃんと教えてね」

「はい」

「おい“森緑屋”。絶対に帰ってこいよ。リーザを泣かせたら、承知しないからな」

「分かっています」


 もし自分たちの条件が受け入れられなかった場合、リーザは“玉ねぎ娘”を辞めざるを得ない。それだけの覚悟をしていたシャーロとリーザは、感謝の言葉とともに深く頭を下げた。

 その後二人は、“黄昏の宴”を始めとするお得意さまを訪問し、ワインや香露茸ビストなどを納品し、“瑪瑙商会”では“怠け箱”の製作状況を報告した。

 どの店でも包み隠さず、自分たちの状況を伝え、後日、後任のマルコとともに挨拶させていただくことを伝えたが、“瑪瑙商会”の営業部門の責任者だけは、今後の取引きついて懸念を示した。

 現在発注されている五百台に関しては、シャーロ自身が直接調整を行い納品すること、以降についても“怠け箱”の共同制作者であるダンが現場におり、品質に問題があった場合は“森緑屋”として責任をとることを約束する。

 同情だけでは商売は成り立たない。今後、結果を示し続けることで、信頼を得ていく他なかった。

 一応の仕事が完了すると、休む間もなく生活環境を整える作業に取りかかった。

 井戸と下水道に関しては、予約していた業者に作業をしてもらう。

 また、生活必需品がまったく足りていないので、二人で買い物をする。


「包丁とフライパンは、いいのを買おう」

「でも、これから物入りですから」


 “瑪瑙商会”の売り場で商品を吟味しながら相談し、妥協点を探りつつ調理器具を購入。食器や花瓶などの生活雑貨については、控えめなリーザの意見を全面的にシャーロが取り入れる。支店と店を何度も往復して、少しずつそろえていく。

 油や薪のような消耗品は、近所にご用聞きに回ってくれる雑貨屋があったので、今後のことも考慮して、すべて任せることにする。

 最後に食材を購入し、ようやくリーザが料理を作れる環境が整った。


「調理場は広くて段差がなくて、よく考えて作ってあると思います」


 調理場だけではない。階段にしろ、柱の位置にしろ、生活上の動線を邪魔しないよう設計されている。リビングはどこからでも部屋全体を見渡せるし、窓の大きさや位置も、光源を効率よく取り込めるよう計算されているようだ。


「みんなが住めるようになったら、あの老夫婦を呼んで、パーティをしようか」


 シャーロが提案すると、リーザは「とってもすてきな考えです!」と、喜んだ。

 久しぶりのリーザの料理に舌鼓を打ち、二人並んで食器を洗ってから、寝室へと向かう。

 ハルムーニに来てからはずっと二人きりの時間を過ごしてきたが、それもあと少しで終わる。

 シャーロはユニエの森の教会に帰り、今後の“森緑屋”の運営方針について決断を下さなくてはならない。リーザは“玉ねぎ娘”へ戻り、しばらくはレイとともに暮らす。

 少しずつぎこちなさが取れてきた愛の行為は、別れの寂しさも相まって、互いを強く求め合うようになっていた。

 恥かしがり屋のリーザだが「赤ちゃんを作る」という目標を掲げると、少しだけ大胆になれるようだ。

 月明かりの中、腕の中で息を弾ませている妹を見つめながら、シャーロは感慨深い気持ちになる。

 雪どけのころ。ユニエの森の教会を出るようにリーザに通告してから、半年と少し。

 たとえ家族がばらばらになったとしても、自立した生活を送って欲しいと願い、決断を下したわけだが、人生とは分からないものだ。まさかリーザとこういう関係になるとは夢にも思わなかったし、自分が戦場へ旅立つことになるなど、想定の範囲を超えていた。

 人生山あり谷ありとは、よく言ったものである。

 いや、自分の場合、山も谷もちょっと大きすぎるのではないか。

 そんなことを頭の片隅で考えていると、もう堪えきれなくなったように、リーザが抱きついてきた。


「はっ、ぁ。……シャーロ、兄さん……」


 潤んだ空色の瞳で見つめてくる。

 白く艶やかな肌が、驚くほどの熱を帯びている。

 いつもなら気持ちを汲み取ってこくりと頷くところ、シャーロは少しだけいたずら気分を出した。


「どうして、欲しい?」


 そう言って、少女の敏感な耳を軽く噛んだのである。

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