第五章 (8)
荷馬車に積み込める荷物の重量は決まっている。
二頭立てではあるが、あまりにも積荷が重すぎると、事故を起す可能性が高くなるし、何よりも若いロバたちがやる気をなくしてしまう。
ゆえに、今回は秋の自由市場に向けて、二段階で準備を行うことになった。
第一陣としてハルムーニに向かうのは、シャーロとダン。
その目的は、“森緑屋”ハルムーニ支店の修繕と準備作業である。
馬小屋などを修理するための部材や道具類、室内に配置する家具類、滞在時の食料などを積み込んで出発する。
滞在予定は五日間。支店として機能できる最低限度の補修を行うが、土地や家、業者登録に関する行政の手続きや、エルミナとメグの入学手続きも行う。
第二陣としてハルムーニへ向かうのは、シャーロとリーザ。
荷馬車には秋の自由市場の商品と、ワインや香露茸など、お得意さまに卸すための商品を積み込む。自由市場はシャーロとリーザで対応し、リーザはそのままハルムーニに残る。
六人家族と七人のお手伝い、総勢十三人が集合したリビングで、シャーロがこの説明をしたとき、ちょっとした騒ぎになった。
秋の自由市場に売り子として参加したいと、クミが希望したからである。
憧れのリーザと一緒に働きたいという、一途な思いが後押ししたのだろうが、さすがに十一歳では、保護者同伴とならざるを得ない。
そして母親のカルラにはクミの他に二人の子どもがおり、二週間も家を空けることはできなかった。
クミとしても、自分の意見がそのまま通るとは思っていなかっただろう。今回は意志を示したというところで納得し、やや悔しそうに引き下がったが、今度はベラとモモが参加したいと言い出した。
「今はお母さんの容態も安定していますし、なにしろ私、借金を返すために、お金を稼がないといけませんから」
シャーロの左隣にいたモモが、意味ありげな視線をシャーロに送った。
「ハルムーニには、男がいっぱいいるはず。この村では、出会いがまったくない」
切実な理由をぶつぶつと呟いたのは、右隣のベラである。
「もちろん、シャーロ君と一緒に働きたい、ということもある」
「あ、ずるいですよぉ、ベラさん」
借金の件とスパイ活動の件がとりあえず解決して以来、モモは表情も明るくなり、これまで以上に積極的にシャーロに話しかけるようになっていた。
仕事に対する向上心は健在。シャーロやマルコに教わりながら、秋の自由市場の必要経費の算定や、“商品目録”の作成などを手伝っている。
「シャーロさんと働きたいのは、私も同じです。なにしろ、いろいろと興味深いひとですからねぇ」
そう言ってモモは、シャーロの腕に自分の手を絡ませた。
「十五歳の女の子には、まだ未来がある。モモちゃん、今回は私に譲りなさい」
前髪がかかって表情は伺えないが、ややむきになってベラもシャーロの腕をとる。
左右に引き裂かれる力を感じながらも、シャーロは静かにお茶を飲んでいが、瞬間的にその表情が強張った。
――カタン。
カップがテーブルをたたく音がして、正面に座っていたリーザがすっと立ち上がった。
半年ぶりに実家に帰ってきて以来、彼女は自分の言動を制御するよう努めてきた。さすがに弟や妹の前で、シャーロに甘えたりはできない。
二人きりになればと思ったことはあるが、昼間は“森組”と“作業組”に分かれて仕事をしているし、夜はエルミナやメグが部屋に来て、ベッドに潜り込んでくる。そのような機会などありはしなかった。
今が“森緑屋”にとって大切な時期であることも、リーザは分かっていた。お手伝いとして集まってくれた七人の女性に対して、シャーロはかなり気を配っている。それを感じたからこそ、みんなも進んで協力してくれるのだろう。ただのお手伝い要員ではない。仕事中などは、意見や質問なども、よく飛び交う。
それはたぶん、喜ばしいことなのだろうが……。
カルラ、イマリ、キクの主婦三人組については、出来がよすぎる息子を見るような感じでシャーロに接している。しかし、ベラとモモについてはそうではない。特にモモは、とある日を境にして、がらりと変わったような気がする。リーザの目から見ても眩しいくらいに、いきいきとしているのだ。
そして今、彼女の婚約者の両腕は、モモとベラに占領されていた。
思考を停止させたまま、リーザはシャーロの背後に回る。
「シャーロ兄さんは――」
そして、肩越しに抱え込むようにして、抱きついた。
「わたしの、婚約者ですっ!」
リビング内はしんと静まり返り、息を殺すような緊迫した空気で満たされた。
誰もが、身じろぎひとつできない。
驚いたのは、ダン、マルコ、エルミナも同様だった。
リーザの心情を察して、内心彼らは冷や冷やしていたのだが、まさか、あの姉が実力行使に出るとは思わなかったのだ。
「……言った」
その呟きは、エルミナのものである。
ただひとりメグだけが状況をつかめずに、きょろきょろと周囲を見渡していた。
背後から思いきりシャーロを抱きしめていたリーザは、はっとしたように両手を離して、二、三歩後ずさった。
「――あ」
初めて自分の行動を思い出したように、顔を真っ赤にする。呆気にとられたような視線の集中砲火に気づき、うろたえる。
「ご、ごめんなさいっ」
両手で顔を覆いながら、亜麻色の髪の少女は逃げ出した。
リーザは足が速い。あっという間に廊下の向こうに姿を消し、自分の部屋に閉じこもってしまう。
あとに残されたのは、どうにもいたたまれない空気と、カップを構えたまま石像のように固まっているシャーロである。
当事者のうちひとりが逃げてしまったので、もうひとりが責任をとるしかない。
「ほ、本当なの、シャーロ君!」
遅まきながら驚きの声を上げたのは、カルラだ。
「うわっ、わー」
「こりゃぁ、大変なことだわね」
イマリとキクも、続々と参戦。噂話大好きな主婦たちは、鼻息を荒くしてシャーロに詰め寄った。数日中に、この事実がチムニ村中に広まることは、間違いないだろう。
「今のは、あんちゃんがわるい」
やや妄信的に兄に従うことが多いダンが、珍しく非難する。
「そうだそうだ、シャロ兄のせいだ!」
便乗してはやしたてるエルミナ。どことなく嬉しそうである。
「シャーロ兄さん、追いかけたほうがいいんじゃない?」
こちらは心配そうな表情のマルコ。
「リザお姉ちゃん、どこいったの?」
メグの質問には、誰も答えてはくれない。
視線の集中砲火を受けながら、シャーロはひとつ頷いた。カップを受け皿に置き、おもむろに立ち上がる。
自分の対応のまずさを、シャーロは認めた。
つまり――リーザの後を追いかけて、平謝りをして、なんとか事なきを得たのである。




