第五章 (7)
森の収穫だけでなく、“怠け箱”の製作にも携わりたいと、モモはシャーロに直訴した。
その向上心をシャーロは認めたが、間もなく“怠け箱”の部品が届くため、本作業に入る必要があること、そして木を加工する技術がないと、“工作組”に入ることは難しいことを伝えた。
「そうですか。分かりました」
そう言って引き下がったモモだったが、次の日、自作の椅子を持参して、シャーロを驚かせた。
「へへ。実は、家でこつこつと練習していたんです。いろいろなことに挑戦したくて」
「丁寧に作ってあるね」
シャーロは椅子の出来を感心したように確かめながら、「考えてみるよ」と言った。
ここ数日、シャーロは時間を見つけては、お手伝いとして集まってくれた女性たちの家を訪問し、その家族に“森緑屋”の状況を説明して回っていた。
自分たちは、村人たちにとってよく分からない存在である。ゆえに、こちらから顔を出して、誠意を見せる必要があると感じたのだ。
その反応は、様々。露骨に迷惑そうな顔をした家族もいたが、シャーロは自分たちがとても助かっていること、そして残業させたり、無理をさせたりしないことを約束して、頭を下げた。
逆に感謝されたこともある。
たとえばベラの家では、年老いた両親が出てきて、一日中家の中にいる娘を連れ出してくれてありがとうと、涙を流された。
モモの家は母親が病にかかっており、戸口に出てくるもの辛そうだった。
「あの子は、私のために頑張ろうとしてくれているんです。家事も畑仕事も、ひとりでこなして。どうか無理をしないように、みてやってくれませんか?」
モモの母親を部屋で少し話を聞いてから、シャーロはしっかりと請け負った。
働く理由はひとそれぞれである。個人的な事情ではあるが、仕事での付き合いがある以上、無関係に振舞うことはできないだろう。
またシャーロは、雑貨屋のビンに火打石の納品日を確認して、鍛冶屋ではパリィ親方とダンの陣中見舞いをした。
「おいシャーロよ! 百台でもひぃひぃ言ってんのに、五百台たぁ、どういう了見だ!」
今は娘のサナがユニエの森にいるので、強気である。
「五百台では、足りないかもしれません」
何しろハルムーニだけで一万五千世帯もある。
「それに、いずれ他の街にも営業をかける予定です」
「ちょ、冗談だろう? な、おいっ」
薄い笑みのまま否定せず、シャーロはダンの様子を観察した。
型の中に溶けた鉄を流し込しこんでいる姿は、いっぱしの鍛冶師そのもの。
作業が一段落するまではこちらを見ようともしない。
「どれくらいで、一人前になりますか?」
「ふん、まだはえーよ。ま、何十年かけても仕方ねぇからな。ある程度基礎ができたら、武者修行だ」
普通は剣士や格闘家が使う言葉である。
「こんな田舎村じゃ、仕事も限られてくる。包丁や鍋の修理なんかじゃあ、腕は上がらねぇ。もっと都会に出なくちゃな。流れの鍛冶師ってのは、昔からいるもんだ」
ダンの今後については、本人を含めた三人で話し合っていく必要があるだろう。
第一陣の部品の納品日を確認してから、シャーロは村外れにある、今にも崩壊しそうなあばら家、“無常庵”へと向かった。
家に名前をつけたのは、家主のソウ先生である。
村長への借金で首が回らなかった貧乏人だが、“蝋燭ランプ”の大量発注を受けて、生活が持ち直したようだ。干し肉をつまみに、昼間から優雅に酒などを嗜んでいた。
「我輩は今、ランプの染め絵を考えている。全体の調和を損なわないものをな。無論、納期は遵守する。だから、昼酒くらいはよかろう?」
普通に皿や壷を作っていれば、センスのよい芸術家であった。
「先生に、お任せします」
礼を述べて、シャーロはユニエの森の教会へと戻った。
半月もかけて家具を作ったおかげて、木の加工については、みなコツをつかんだようだ。
全員がそろったリビングで、手にした設計図を掲げながらシャーロは説明した。
「二、三日中に、必要な部品が届きます。あとは、この設計図通りに組み立てていくだけです。目標としては、ひとりが半日で一台ですが、最初は二人ひと組になって、ゆっくり作っていきましょう」
輪の中で、モモだけがひとり、もの言いたげにたたずんでいた。
“怠け箱”の製作にも携わりたいという彼女の要望を、シャーロがずっと保留にしていたからである。
本日の作業は終了。みなに解散を告げたあと、やはり帰らずに居残ったモモを、シャーロは別室へ呼んだ。
「シャーロさん、どういうことですか!」
部屋に入るなり、少女は普段穏やかなはずの目を釣り上げて、シャーロに詰め寄った。
「どういうことって?」
「私の希望は、事前に伝えてあるはずです」
「うん、そうだね。でも――」
シャーロは手にしていた数枚の紙を、モモに差し出した。
「本当に君が欲しいのは、これじゃないのかな?」
それは、“怠け箱”の設計図だった。
まじまじと見つめてから、モモはぞっとしたように顔を青ざめる。
「そもそもだけど、俺が村のひとたちを集めてるって話は、誰から聞いたの?」
「それは――」
一瞬、躊躇したものの、モモは丸眼鏡の奥でにこりと微笑む。
「もちろん、カルラさんですよ」
「君のことを聞いたとき、最初に確認したよ。カルラさんが教えたんですかって」
「……」
そうでないことは、モモ自身が知っている。
「まあ、別に口止めをしていたわけじゃないからね。遅かれ早かれ、誰かに知られることは分かっていた」
ある程度社交的な者であれば、すぐに得られる情報だろう。しかし十五歳のモモは、シャーロが声をかけた主婦層とは、あまり交流がないはず。
「俺はこれまで、君とろくに話をしたこともなかった。それなのに、君は俺のことを一目置いてくれたり、頑張って働いてくれたり、ちょっと無理があるんじゃないかな?」
「それは……その、働くことが、好きだから」
「単純に働くことが好きなら、仕事を選んだりしないよ。何か、特別な目的がない限りね」
参加してきた時期のずれ。
不自然なほどの向上心。
自分が“工作組”になれないと知ったときの、焦りに満ちた表情。
設計図を見せたときの視線。
そして――
「俺が君の家に挨拶に行ったことは、知ってるかな?」
「母に、聞きました」
「お母さんは戸口まで出てこられてね。すぐに寝室にお連れしたけど、枕元にはとても高価な薬があったよ。失礼だけど、君の家の様子では継続的に購入できる薬じゃないと思う」
通常、村人たちがお金を借りるとすれば、村長である。
立場的にも受け入れられる可能性は高いし、通常よりも低い金利を設定されるからだ。
「君のお母さんは、本当に心配していたよ。できるならば、自分が働きたい。朝から晩まで働きたい。動かない身体が、娘に迷惑をかける弱い身体が、悔しいって」
「……お母、さん」
ほっそりとした身体が、震えた。
母親の話では、モモの家に父親はいないそうだ。十年ほど前に、流行り病で他界したのである。
「ひとりで、よく頑張ったね」
「――っ」
再び身体が震え、モモは自分の両腕を抱きかかえた。
おそらく彼女は、誰にも頼ることができず、精神的な重圧を受け続けていたのだろう。
声を出さずに嗚咽を漏らす少女を、シャーロは静かな眼差しで見守った。
どれほどの時が経っただろうか。
「……はぁ。ごめんなさい」
鼻をすすりながら眼鏡を拭いて、モモは吐息をついた。
「タミル夫人の、命令かい?」
「そうですよ。よく分かりましたねぇ。びっくりです」
「ま、恨まれているからね」
それに、夏の自由市場の最終日にシャーロが販売した“怠け箱”が、莫大な売上げを出したことを、タミル夫人は知っている。このまま放っておくはずがないと予想していたのだ。
「らしいですね」
くすりと笑い、モモはのんびりとした口調で説明した。
「いきなり村長宅に呼び出されまして、あのおばさんに、借金の額を減らしてやるから“怠け箱”の秘密を盗んでこいって命令されました」
「全額ではないんだ」
「半分だけですよ」
“怠け箱”の設計図ひとつで、借金半分。総額にしてもそれほど莫大な金額ではないのだろうと、シャーロは推測した。
「これから、どうするつもりだい?」
「こうなってしまっては、正直に話すしかないでしょうねぇ。見破られました、ごめんなさいって」
「あげるよ」
「え?」
「この設計図を、君にあげる」
数枚の用紙を渡すと、モモは怪訝そうに見返してきた。
「これは初代の――つまり、古い型の“怠け箱”の設計図だ。この通り組み立てたとしても、俺たちが作ろうとしているものにはならない。はっきり言ってしまえば、もう商品価値はないんだ」
しかしタミル夫人は、そんなことを知りようもない。
こんな設計図ひとつで借金が半分になるのなら、わるい取引きではないはず。
「タミル夫人も喜ぶし、誰も不幸にはならないだろう?」
シャーロがそう言うと、モモは一瞬呆けたような顔になって、それからぷっと吹き出した。
額を押さえながらくすくすと笑い、やがて腹を抱えてしまう。
「……勘違い、してました」
目尻の涙を拭いながら、モモは呼吸を落ち着かせた。
「シャーロさんのこと、分かっていたなんて言いましたけど、私が考えていた以上に、とんでもないひとでした」
大きくひと息ついて、いたずらっぽい笑みを浮かべる。
「ついでにもうひとつ、いいですか?」
「なんだい?」
モモは提案した。
「残りの借金と私を、買ってください」
タミル夫人とは手を切り、シャーロに忠誠を――おおげさに言うならば――誓うという意味である。




