第一章 (3)
金属の部品をパリィ親方に発注したとしても、春の自由市場までに馬車の修理は間に合わない。
やむを得ず、今回もチムニ村で荷馬車を借りることになった。
村の荷馬車は村長の妻、タミル夫人が管理していた。
教会で暮らすシャーロたちの境遇を知っているにも関わらず、この夫人は馬車の賃貸料を容赦なく取り立てる。近ごろはシャーロの商売が上手くいっていることに腹を据えかねているようで、嫌がらせの言葉を投げかけてくることもあった。賃貸料の値上げも時間の問題だろう。
シャーロとしては、村の中になるべく敵は作りたくなかったし、そんな相手を頼ることに対して、危機感も抱いていた。
もし馬車を壊したり馬に怪我でもさせたら、どれほどの賠償金を要求されるだろうか。
だから今年は、壊れた馬車を修理し、馬かロバを購入して、自力で自由市場に出かけようと考えていたのだ。
「しかしまあ、できないものはしかたがない。今からチムニ村に行って、荷馬車の予約をしてくるよ。それからパリィ親方に、仕事の依頼と弟子の件を頼んでみようと思う。ダンも一緒に来てくれ」
「う、うん」
今から出たのでは帰りは夜になるかもしれないが、一日遅らせたことで予約が取れなかったら、それこそおおごとである。急ぐに越したことはなかった。
チムニ村の人口は、約三百。平和で閉鎖的な、ごくありふれた村だ。ほとんどの村人たちは農業を営んでおり、村の中で作物と生活用品と小さなお金を交換し合いながら、半自給自足の生活を送っている。
十六歳という年齢にも関わらず、五人の弟や妹たちを養い、大都会であるハルムーニまで出かけて商売をしているシャーロは、村人たちに一目置かれる存在だった。
村長の息子などは二十歳を過ぎても仕事をせず、仲間たちと一緒に遊び回っているらしい。シャーロとの出来を比べられることもあるそうで、そのあたりがタミル夫人の不興を買っている原因ではないかと、密かにシャーロは分析していた。
だが、その日のタミル夫人は機嫌がよかった。
「あら、シャーロ君と……弟さんね。いらっしゃい。そろそろ来るころだと思っていたわ」
タミル夫人は四十代前半、ふくよかな体格である。村の女性にしては珍しく、普段から化粧をしており、フリルのついた派手なデイドレスで着飾っていた。買い物のためにハルムーニへもよく出かけるそうで、夫である村長よりもよほど行動力がある。
慎重に挨拶をするシャーロに、タミル夫人は社交的な笑みで応えた。
「自由市場へ出かけるのね」
「はい」
「これで、何回目だったかしら?」
「三年前の春からなので、今回で十回目ですね」
「すごいわねぇ、たいしたものだわ」
ひとしきり感心すると、タミル夫人は鷹揚に頷いた。
「荷馬車の予約なら心配いらないわよ。シャーロ君のために、一番上等なやつをとっておいたから。まあ、上等と言っても、こんな田舎村だから、たかが知れているけれど。もしよかったら、今日から乗って帰りなさいな」
紅傘茸のように赤い唇から漏れた、予想外に親切な言葉。
「お気遣いありがとうございます。今日は他にも用事がありますので、帰るときに寄らせていただきます」
「じゃあ、それまでに馬を繋げておくわ」
シャーロは淀みのない口調で礼を述べて、村長宅をあとにした。
「あんちゃん、いい荷馬車が借りれてよかったね」
「……そうだな」
ほっとしたようなダンに対し、シャーロはどこか腑に落ちない様子である。
普段意地悪な人間がことさら親切に振舞うのは、どこか後ろ暗いことがある証拠だ。
裏で何かを画策しているのか、あるいは頼みごとでもあるのか。憶測を巡らせているうちに、村外れにあるパリィ親方の家にたどり着いた。
親方は、あいにくの留守だった。
壁一面に蹄鉄や火掻き棒などの金属製品が飾られた鍛冶屋らしい家では、シャーロと同い年である娘のサナが、怒りを押し殺したような顔で出迎えてくれた。
「せっかく仕事を持ってきてくれたのに、ごめんね。お父ちゃん、たぶん酒場にいると思うわ。っていうか、お兄ちゃんが家出してから、ずっと入り浸り。まったく、だらしないんだから。そろそろやる気を出してくれないと、酒代のツケも払えなくなるわ!」
思った以上に深刻な状況のようである。
「お父ちゃんに会ったら、がつんと言ってやってちょうだい!」
勝気な娘に無茶な頼みごとをされて、今度は酒場へと向かう。
村で唯一の酒場は、荒れていた。
悪酔いしたパリィ親方が暴れていた――わけではない。ツケの支払いが滞り、酒を出してもらえなかった親方が腹を立てて、カウンター越しに酒場の主人と睨み合っていたのである。
薄暗い店内には他にも客がいたが、一番隅のテーブルにひっそりと座っており、今年の天候や作柄のことで、ささやかな談笑をしているようだ。
「おう、シャーロじゃないか。久しぶりだな」
店の戸口で立ち尽くすシャーロたちに気づいて、酒場の主人が声をかけてきた。
酒を飲まないシャーロだが、毎年ワインを作って販売している。この店もお得意さまの一軒だった。
「ガキの来るところじゃねぇんだぞ。さっさと帰れ」
やや気勢を削がれた形のパリィ親方が、ひげに覆われた口元を歪める。
「親方に、仕事を頼みにきました」
シャーロの用件を聞いて、酒場の主人が意地のわるい笑みを浮かべた。
「ほれ、パリィさん。お待ちかねの仕事だ。真面目に働いて、お金を稼いで、それから酒を飲みにきてくんな」
「けっ! こいつが持ちこんでくる仕事はな、型のねぇ細々したもんばっかで、儲けになりゃしねぇんだよ。どうせまた、ちっこい部品だろ?」
ずばり正解である。正直者のダンは身じろぎしたが、シャーロは平然と言ってのけた。
「馬車の部品を作って欲しいんです。お金はあまり出せませんが」
背負袋の紐を解き、中から陶器製の酒瓶を取り出す。
「酒なら、ありますよ」
「シャーロ、そりゃ、お前……」
呆気にとられたのは、店の主人である。
シャーロたちが作るワインは、ユニエの森で自然に育った野葡萄のみを原料にしたもので、芳醇な香りとすっきりしたのど越しで、街や村では爆発的な人気をほこっていた。家族六人による手摘み作業のため、品質は高いが生産性が低く、出荷できる量は年に酒瓶三十本程度。酒場の店主にしてみれば、秘蔵の一本ということになる。
先ほどまで悪態をついていたパリィ親方は、「うほ~っ」と奇声を上げて喜び、無骨な顔に笑顔らしきものを浮かべながら、シャーロとダンの頭を撫で回した。
「ま、立ち話もなんだから、そのへんに座ろうや。こぎたねぇとこだけどよ」
「うちの店だぞ!」
店主の機嫌をそこねた酒場で、グラスだけを借りて、持ち込みの酒を飲むわけにもいかない。“彼の森”という酒名だけが描かれたシンプルなラベルを、パリィ親方は愛する我が子のように眺めた。家に帰ってから、じっくりと味わうつもりなのだろう。
親方が酔っ払っていないのは幸いだった。
シャーロは手短に、馬車の部品の発注と、ダンの弟子入りの件を話した。もとより駆け引きの通じる相手ではない。素直に頭を下げて頼み込んだ。
「……弟子、だとぉ?」
一瞬面食らったようなパリィ親方は、目に見えて不機嫌そうになった。薄汚れた袖口を捲り、火焼けした丸太のように太い腕をテーブルに押しつける。
「おい、シャーロ。俺んとこに来た弟子たちがどうなったか、知ってて言ってるんだろうな? みんな口ではなんやかんや言いながら、結局はつらくなって逃げ出したんだ。俺は親切ご丁寧に教えるつもりはねぇ。口で分からねぇやつには、身体で泣いてもらう」
太い眉の下にある目には、相手を脅しつけるような、冷え冷えとした迫力があった。
「親方……」
シャーロは気負うことなく、ひとことだけ言った。
「俺の、弟ですよ」
自信過剰、あるいは傲慢不遜ともとれる台詞。自分の言動に責任すら持たない相手であれば、パリィ親方は鼻で笑ったことだろう。
だが、そうはしなかった。
パリィ親方にとって、二十歳より下の男はみんな坊主である。二十歳を過ぎたとしてもせいぜい若造だ。相手を名前で呼ぶことはない。気づいている者は少ないが、シャーロは極めて珍しい例外のひとりなのである。
「おい、坊主。ちょっと手ぇ見せてみな」
パリィ親方はシャーロの隣で畏まっているダンの手をとると、指で揉みほぐすようにして感触を確かめた。
「骨は丈夫そうだな。肉付きもいい。それに……ガキの手にしちゃ可愛げがねぇ。なんか特別なことでもやってたのか?」
ダンは考えるような素振りを見せたが、「なにも」と首を振った。
ダンにとって薪割りや商品の加工といった仕事は、特別なものではない。家族が生きていくために行う、ごく当たり前の作業なのだ。
兄弟それぞれの表情からそのことを察したのか、パリィ親方は両腕を組み、低い唸り声を上げた。
「坊主、年はいくつだ?」
「じゅ、十四歳です」
「鍛冶屋の仕事は、つれぇぞ。なんでやろうと思った」
「シャーロあんちゃんに言われたのと――」
緊張で思考が麻痺してしまったのだろう。ダンは何も考えずに、思っていたことをそのまま口に出した。
「それと、家族のため」
「……」
パリィ親方はぎろりとシャーロを睨みつけた。先ほどまでの鬱屈とした目ではない。それは怒りや闘争心すら感じさせる、鮮烈な光を宿す目だった。
酒瓶をつかんで、勢いよく立ち上がる。
「ふん、上等だ。すぐにたたき出してやる。自由市場が終わったら、坊主をよこしな!」




