第四章 (12)
「……ごめん、シャーロ兄さん」
とぼとぼと夜道を歩きながら、マルコがぽつりと呟く。
「うん? どうした?」
先頭をゆくシャーロがランタンを手に振り向いた。
すっかり夜も更けたが、肌寒さは感じない。夜空には雲ひとつなく、灯りがなくても家に帰れそうだ。
心地よい風が吹き、草木がさらさらと揺れる。
「あのとき、ぼくが頷いていれば。ぼくがミスをしたことにすれば、タミル夫人を怒らせることはなかった。シャーロ兄さんがタミル夫人と敵対しないように気を遣っていること、知っていたのに」
「それこそ、気の遣いすぎだよ」
無言のまま何歩か歩いて、シャーロは夜気に息を溶け込ませた。
「なあ、マルコ。俺たちは戦争孤児だから、頼れる大人たちがいなかった」
「うん」
「だから、自分たちで、家族の力を合わせて生きていこうと決めたけれど、それは結局、大人たちを恐れて、固い殻の中に閉じこもっていただけなのかもしれない」
“森緑屋”の商売が拡大していくと、村人たちの妬みや反発を恐れて、売上額や商品を隠すようになった。
だが、そんな状況をいつまでも続けられるはずがないのだ。
疑念はやはり妬みや反発を買い、最終的には目をつけられることになる。
「最初からもっと、村のひとたちを信用して、ともに発展していく道を選んでいたのなら、今回の“調停会議”も、違った流れになっていたかもしれない」
タミル夫人の威光を恐れた村人たちは、誰も味方になってはくれなかった。それは、家族以外を頼みにしなかった、これまでの自分の方針のせいでもあると、シャーロは言った。
「だから、今回のことでマルコが気にすることはないよ。どのみち、タミル夫人との対決は避けられなかったんだ。それならば、旗色がはっきりしたほうが、対応も取りやすい」
淡々と説明する兄は、言葉を飾らない。物事の核心を捉えて、まっすぐに伝えてくる。
「それに、今回はマルコに教えられたよ」
「……え?」
予想外の言葉に、マルコは思考を停止させる。
シャーロはやはり、淡々と語った。
モズ神父が亡くなってから四年と数ヶ月、自分たちは必死で生きてきた。
でも、ただ生きてきただけではない。
孤児なのだからと卑屈になることなく、自信を持って堂々と生きる。それもまた、大切な目標だったのだと。
「それなのに俺は、“森緑屋”のことを考えすぎて、大切なことを忘れかけていた。でも、マルコの姿を見て、思い出すことができたよ。タミル夫人に追い詰められ、二十人もの大人たちに囲まれて、それでもマルコは負けなかった。自分が成し遂げたことを、きちんと主張したんだ」
「……っ」
言葉が、心の底に染み込んでいく。
どこか嬉しそうに、兄は呟いた。
「俺は、マルコのことを誇りに思うよ」
「――ぁ」
先ほどのような、悔し涙ではない。優しく、そして温かい涙が頬を伝い、流れ落ちた。
先ほど流しきったはずなのに、どうしてまだ溢れてくるのだろう。
この熱いものは、いったいどこから湧き上がってくるのだろうか。
思わず足を止めて、眼鏡ごと顔を手で覆ってしまう。
「……っ、……う」
兄が近づいてきて、頭をぽんぽんと叩く。堪えきれず身体を持たれかけると、今度は背中をとんとんと叩かれた。
「さ、みんなが心配してるから、早く帰ろう」
「……う、ん」
細い小道の先。ユニエの森の影に、小さな灯りが見える。
ずいぶん遅くなってしまったが、家族たちはみんな待ってくれているだろう。ぬいぐるみを抱きかかえながら、メグはソファーで眠っているかもしれないけれど。
兄の背中を見つめながら、マルコは歩を進めていく。
その速度は、先ほどよりかなりゆっくりとしたもの。
自分が泣き止み、涙が乾くまでの時間を、兄はちゃんと計算に入れているのだ。
そして一度も振り向かないのは、自分のことを気遣ってくれているから。
――シャーロ兄さんは、ずるい。
涙を振り切るように、マルコは夜空を見上げた。
そこには、どこかで見かけたような丸いおぼろ月が、傷づいた心を包み込むように、優しく光輝いていた。




