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第四章 (11)

 自分の優柔不断さが、この危険を招いた。

 シャーロの怒りの半分は、自分自身へと向けられたものだった。

 ヤドニが怪我の理由を口にしたときに、終わらせるべきだった。

 大きなわだかまりが残ったとしても、さっさと切り捨てるべきだった。

 自分への攻撃ならばまだしも、まさか十二歳の子どもを脅して、嘘の自白を強要させようとするとは、そこまで倫理観に異常をきたしているとは、想定していなかったのである。

 涙に濡れた伊達眼鏡を向けてくる弟にひとつ頷いて、シャーロは立ち上がった。


「今回、“豊穣の大地屋”の売上金が喪失した件ですが、その原因となった人物から、ハルムーニの街警隊に“被害届”が出されています」

「……え?」


 それまでの迫力が消えうせたかのように、タミル夫人の豊かな身体が傾く。

 シャーロはヤドニを睨みつけた。


「――うっ」


 やはり、伝えていなかった。

 このどら息子が、正確に、ハルムーニの出来事をすべて母親に報告していれば、今回の茶番劇は起こらなかった。

 最初から勝ち目のない戦いだったはずなのである。


「……被害、届?」

「そうです。怪我の治療が終わったあと、俺が街警隊の詰所まで付き添いましたから間違いありません。届出者の“委任状”さえあれば、一週間以内に“内容証明”を入手できますよ。俺が、行きましょう」


 タミル夫人は青ざめた顔を息子に向けた。


「ほ、本当なの?」

「え? だ、だってさ。金が戻ってくるかもしれないって、シャーロが……」


 語るに落ちるとはこのことである。

 何ごとが起きたのか理解できず、室内がざわつき始めた。


「とはいえ、ハルムーニの往復は大変ですからね。俺が記憶している内容を、先にお話ししましょうか」

「――ま、待ちなさい」

「あなたは、この会議の議長ではない。当事者でもなければ、“調停人”でもない。いかなる権限を持って、俺の発言を止める気ですか?」


 このような常識すら、口に出すことをはばかられる村の体質。これこそが、権力者たちの自我を膨張させ、暴走を招いた原因なのだとシャーロは思った。


「みなさんもご存知の方は多いと思いますが、ハルムーニには“壁外側”という領域が存在します。“壁内住人”でも、滅多に訪れるひとがいない危険な場所ですが、ここには、有名な花街があります。田舎から出てきた若者が不用意に訪れ、悪徳業者にカモられる。これは、よくある話なのだそうです」


 テーブルを囲むメンバーの中でおもに女性たちの顔が、嫌悪感にしかめられた。


「チムニ村からハルムーニに向かった三人の男たちは、店の仕事を十二歳の子どもに押しつけて、花街に出かけました。そこで……」

「や、やめ――」

「法外な請求を、受けたのです」


 すでにこの会議は、シャーロの話を受け入れる流れにある。評判のわるいどら息子が叫んだところで、止められるわけがない。


「手持ちのお金では足りず、あろうことか、店の売上金を横領して返済に充てました。それでも足りなかったようですね。暴力を振るわれ、怪我だらけの身体で、彼らはほうほうのていで戻ってきましたよ。診療所に連れていかなければ、村に帰ることすらできなかったでしょう」

「お、横領じゃねぇ! オレは仲間を助けたんだ」

「横領です、ヤドニさん。お金が必要になった理由は、関係ありません」


 何も知らない子どもを諭すように、シャーロは繰り返した。


「この行為は、横領なんです」

「……」


 再び全員に向かって、シャーロは語りかける。


「しかし、彼らがハルムーニで暴力をふるわれた被害者であることには違いありません。だから、街警隊の詰所で“被害届”を出し、その内容を記録してもらいました。誰が、いつ暴力をふるわれたのか、どれだけの金額を花街の業者に支払ったのか、すべて記載されています」


 ヤドニとその他二人が、ぞっとしたように顔を青ざめさせた。


「おおごとになったのは、“豊穣の大地屋”のほうですよ。売上袋は空。市場税や出店料、滞在費などが払えません。釣銭すらままならない状態。このままでは店どころか、村の名誉にもかかわってくる。だからこそ、自由市場の最終日に大きな売上げを稼ぐ必要があったのです」


 すべての出来事を口にしてから、シャーロはタミル夫人を観察した。

 ふくよかな頬をひくつかせ、両手の拳を握り締めながら、身体全体を震わせている。絶体絶命の窮地に陥った我が子を守ろうとする手負いの獣のように、牙をむいていた。

 だが、怒りよりも恐怖の感情が勝りつつある。そのことをシャーロは悟った。

 たとえ真実であったとしても、タミル夫人は認めない。

 “内容証明”の取得には、絶対に応じない。

 どんな強硬な手段を使ってでも、真実のもみ消しを図るだろう。

 このままでは、泥かけ試合の末に、共倒れ。

 それはシャーロの望むところではなかった。


「――と、ここまでが俺の記憶ですが、実は、かなりうろ覚えです」

「え?」


 話の急展開に思わず声を上げたのは、サナだ。

 自分の声の大きさに驚き、きょろきょろと周囲を見渡し、赤くなって俯く。


「ひょっとすると、真実はこうだったかもしれない」


 シャーロは別の物語を語った。

 自由市場最終日の朝、売上袋を金庫から持ち出したヤドニは、ゴウ、スジとともに“豊穣の大地屋”へと向かっていた。そこでふいに、“何者か”に襲われた。三人は怪我を負い、売上袋を守ることができずに奪われた。


「……なん、ですって?」


 タミル夫人の声は、ひび割れている。


「だとするならば、ヤドニさんたちを責めるのは、酷というものです。相手は用意周到に計画を立てて、売上袋を奪う隙を狙っていたのでしょう。もしかすると、複数人の屈強な男たちだったかもしれない。それならば、三人が怪我をした理由も納得いきます。そもそも、南門前大通りには、どすんと落ちることができる階段など、ありませんからね」


 ぎりっと歯軋りの音がするほどに、タミル夫人の顔が歪んだ。

 相手を心理的に追い詰めたところで、わざと逃げ道を作ってやる。それは、先ほどタミル夫人がマルコに使った手。自分が望む“落としどころ”に相手を誘い込む罠。


「もしそういうことであれば、“内容証明”など、必要ないでしょう。正しい証言さえがあれば、こと足りるはずです。もちろん、“豊穣の大地屋”が失った売上金を立て替えた“森緑屋”には、保障をしていただく必要がありますが」


 これもまた、茶番劇である。

 短い休憩時間を経て、ヤドニの証言――怪我をした理由は、訂正された。

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