第四章 (9)
チムニ村の村長宅、その“離れ”。
数年ぶりに開かれた“調停会議”は、タミル夫人の独壇場の様相を呈していた。
議題は、“夏の自由市場の売上金について”。
参加者は、まずは村長およびタミル夫人。
村長を補佐する“使丁”から、三名の“調停人”。
“豊穣の大地屋”のメンバーとして、自由市場に参加した五名。マルコ、ヤドニ、ゴウ、スジ、ソウ先生。
商工会から六名。地主のヌウ婆、酒場のマスター、八百屋のカルラ、肉屋のハマサ、雑貨屋のビン、そして鍛冶屋のパリィ親方――の代理で、娘のサナ。
野菜の生産者が五名。
最後に、“森緑屋”の代表として、シャーロ。
総勢二十二名の大会議であった。
じっとりとした熱が蟠る夏の夜。
テーブルの上には、井戸水を使った冷茶が出されている。
「あら、シャーロ君。今回は、帳簿を持っていないのかしら?」
蝶の刺繍が入った扇子を揺らしながら、妖艶な笑みを浮かべるタミル夫人に、シャーロは「はい」と、素直に答えた。
商工会議の寄り合いのときとは意味合いが異なる。下手な小細工をしたところで、矛盾を指摘されるだけだろう。それに今は、チムニ村は自由市場の件で話題が持ち切りの状態である。村長がハルムーニへ使いを出したという噂を、シャーロは耳にしていた。
「夏の自由市場が終了してから、もう二週間がたちます。原本の写しを取り寄せているのではないですか?」
「本当に、困った子ねぇ」
特に困った様子も見せず、タミル夫人は顎先を軽く突き上げる。
合図を受けて、村長が疲れたように手を動かした。
「……では、みなに資料をお配りしよう」
配られた用紙は三枚。
まずは、夏の自由市場で使用された“豊饒の大地屋”の“売上帳簿”の写し。市場税を計算するための簡易的なものである。帳簿には、それぞれの日の売上額などが記載されている。
次に、“商品目録”の写し。これは明細が“豊穣の大地屋”と“豊穣の大地屋〇二”に分かれている。
そして最後に、“金庫利用表”の写し。売上金を保管する金庫を利用した日時、および利用者の氏名が記されている。
参加者全員に資料が行き渡るのを見届けてから、タミル夫人は語り出した。
「初めて参加される方もいらっしゃるでしょうから、まずは“調停会議”の趣旨から説明させていただくわ」
“調停会議”。それは、チムニ村に起きたもめごとを解決、あるいは調整するための会議である。これまでの事案例としては、村の水源の利用方法や土地の線引き、軽いところでは、庭木の果実を食べられた、飼い犬に噛まれた――等々。
通常は互いに利害関係のない“調停人”が会議を仕切るものだが、比較的年老いた三人の“調停人”には、まるでやる気が感じられなかった。何しろ、当事者が村長のひとり息子である。彼らの表情からは、揉め事に巻き込まれたくないという後ろ向きな姿勢がありありと見て取れた。
「問題というのは、議題の通り。夏の自由市場の売上金――これが、何者かに奪われたことよ」
シャーロから少し離れた位置、“豊穣の大地屋”のメンバーの中で、マルコだけが身じろぎをした。
「犯人は、分かっていないということですか?」
「正確には、ね」
「それを、この場で明らかにすると?」
「いるかいないかを含めて、みんなで検討するのよ」
シャーロとタミル夫人の会話のやりとりは、ナイフの峰の部分で相手の肌を撫で合うような、そんな緊迫感があった。
他の面々は、固唾を飲んで見守るのみ。
「みなさん、資料を確認していただけるかしら?」
タミル夫人が語るのは、三種類の資料から想定できる状況。
「まずは、“金庫利用表”。初日から七日目の朝まで、ヤドニちゃんのサインが入っていたわ。このときまで、売上金は存在したということでよろしいかしら?」
シャーロは同意した。
「妥当だと思います。一日の最後には、“売上帳簿”の金額と、売上袋の中身を突き合わせますから。金庫に保管されたということは、問題がなかったということでしょう」
「でも――」
蝶の扇子がぴたりと止まる。
「村に帰ったときには、消えてしまった。つまり、七日目――自由市場の最終日、もしくは帰り道に喪失したということになるのだけれど、荷馬車の手綱をとっていたソウ先生の話では、ハルムーニを出るとき、すでに売上袋は空だったそうよ」
タミル夫人は視線を向けて「間違いないかしら?」と問いかける。
「……む」
少し居心地がわるそうに、ソウ先生が頷いた。
この短いやり取りで、ソウ先生がタミル夫人におさえられている可能性を、シャーロは認識した。
明日の食事にもこと欠くほどの貧乏陶芸家であり、村長に多額の借金をしていることは、すでに承知の事実だったからだ。
この場で自由市場の件を直接見知っているのは、六名。
シャーロ、マルコ、ヤドニ、ゴウ、スジ、そしてソウ先生。
子どもということで、マルコは発言そのものを除外される可能性がある。比較的中立だと思われたソウ先生が向こう側についたとなると、その差は歴然。
一対四。それは、事実を捻じ曲げることすら可能な数字であった。
「ここで、“商品目録”を確認していただきたいのだけれど」
がさがさと紙が擦れる音がして、みなが同じ情報を共有する。
「自由市場の最終日、“豊穣の大地屋〇二”という店の明細に、“怠け箱”……かしら? 突然この商品が追加されているわ。そして“売上帳簿”を見ると、その日の売上げが跳ね上がっている。最終日ということを差し引いたとしても、数字が大きすぎわ。これは“怠け箱”を売った影響ということで間違いなさそう。ヤドニちゃん、この商品はどんなものなの?」
「し、知らない。シャーロのやつが勝手に売ったんだ」
茶番劇の始まりである。
シャーロ自身は、この“調停会議”とやらの目的が、真実の究明ではなく、“落としどころ”を探るための話し合いだと察していた。
タミル夫人を除いて、参加者たちの思惑は薄い。
行方不明になったらしい売上金を村長が補填して、生産者たちに正しく分配されたならば、誰も騒ぎを起したりはしないだろう。
しかし、ことが公になった現段階において、理由も明らかにせず売上金を補填したとなれば、村長自身が“豊穣の大地屋”の――ひいては、その代表たるヤドニの過失を認めたことになる。
その結果だけは避けたい。
ようするに真実とは異なる別の理由を、タミル夫人は捏造したいのだ。
たとえば、ヤドニたちが第三者に襲われて、売上金を奪われたことにする。
この場合、犯人の素性は明らかにならなくてもよい。
二十歳を過ぎた三人の男たちが一方的にやられて金を奪われるという状況は、通常であれば説得力に欠けるが、実際にヤドニたちが怪我をしている事実もある。
そして、無理やりな話を押し通すだけの豪腕を、タミル夫人を兼ね備えているはず。
しかし、話の流れを見るに――この線は薄そうである。
ああ、伝えてないのかと、シャーロは内心ため息をついた。
「では、説明してくれるかしら、シャーロ君?」
マルコとパリィ親方の代理であるサナが、心配そうにシャーロを見つめてくる。
「簡単にいうと、火打石を使って火種を作る機械ですね。以前からうちでは、この“怠け箱”を使って火をおこしていたのですが、それを改良して売り物にしたんです。とある事情があって、自由市場の最終日に“商品目録”に登録させていただきました」
とある事情。ここに指摘が入ったら、すでに喪失していた売上げを補填するためだと答えるしかない。
それからはおそらく、証言者の数にものをいわせた一方的な泥かけ試合。
しかしタミル夫人は、蝶の扇子をゆらゆらと揺らして核心部分を避けた。
「代表であるヤドニちゃんの許可を得ず“怠け箱”を売り物にしたことについては、問題があると思うけれど、それはまあ、またの機会にしましょう」
この場に空気を読めない、あるいは萎縮したりしないパリィ親方がいれば、「なんだよ、その事情ってのは」と、ざっくり切り込んだかもしれない。
あるいはそのほうが話が加速したかもしれないが、相手方の意図を察するまでは、シャーロとしても時間を稼ぎたいと考えていた。
「この“怠け箱”の売上げは、どうなったのかしら?」
――回答は二択。
一、他のものと一緒に消失した。
二、あくまでも“森緑屋”の売上げとして、回収した。
前者はタミル夫人の策謀に加担することになる。
売上金を持ち出した犯人が第三者となれば、あるいは問題なく処理されるかもしれないが、そうならなかった場合、不用意な嘘は致命傷な隙を生むことになる。
そして何より、嘘をつく必然性をシャーロは認めなかった。
「“森緑屋”の売上げとして回収しました。もちろん、市場税については支払いを完了させています」
「でもそれは、あくまでも“豊穣の大地屋”としての売上げでしょう? 筋としては、一度チムニ村で商工会に報告してから、改めて分配されるべきお金ではなくて?」
ここは一本取られる。
「おっしゃる通りです」
「困ったわ。こういった身勝手な行為は、不信感を生むことになるのよねぇ」
参加者全員の心に印象付けるように、タミル夫人はその声を響かせた。
「回収したのは、本当に“怠け箱”の売上げだけなのかしら?」
夏夜の会議に、さらなる疑問が浸透していく。
「ひょっとして、初日から最終日までの“豊穣の大地屋”の売上げも含まれている、のではないかしら?」
「さすがにそれは、ヤドニさんたちが見逃さないでしょう」
会話を続けながら、シャーロは頭の片隅で別の考えを巡らせていた。
村長夫人一派との、致命的な対立を避けること。それが、これまで変わることのなかったシャーロの基本方針だった。
ヤドニの横領の罪を白日の下に晒したとして、その後の展開はどうなるだろうか。
“豊穣の大地屋”は解散。もはやどら息子に汚名返上の機会はない。タミル夫人は絶望あるいは逆上し、やり場のない怒りの矛先をシャーロと“森緑屋”に向けるに違いない。
「ヤドニちゃんたちは大怪我をしていた。それは多くの村のひとたちも見知っている事実よ。自由市場の最終日、もしあなたが“豊穣の大地屋”の売上げを無理やり回収したとしても、止める手段はなかった。そう考えるのが妥当ではなくて?」
「そもそも、どのような理由で怪我をしたのですか?」
“森緑屋”は、その運用形態を変える時期にきている。
シャーロはそう判断していた。
これまでは家族一丸となって――逆にいえば、家族だけを頼みに商売を拡大してきた。
しかし、この状況が未来永劫続くわけではない。
今回の“怠け箱”の製作についても、自分を含めた家族の生活に、ほぼ限界に近い負荷がかかっていた。
自ら意図したことではあるが、リーザにしてもダンにしても、それぞれの持ち場で生活の基盤を固めようとしている段階にある。
絶対的に不足している人手を補うには、家族という枠を取り払い、他のものにも頼るべきだろうとシャーロは考えていた。
“森緑屋”の従業員として、村人たちを雇用する。
それは、チムニ村に産業を興すということにも繋がる。
「ヤドニちゃん、話して差し上げなさい」
「お、おう」
まだ痣の色が消えていない顔を緊張で強張らせながら、ヤドニは立ち上がった。
「オレたちは、自由市場の最後の日に、他の店の偵察をしていて、そこで……階段から落ちたんだ」
会議の場に、なんとも表現の仕様のない沈黙が舞い降りた。
「ちょっとふざけててよ。三人まとめて、こう――どすんと」
「つまり、こういうことかしら?」
タミル夫人が言葉を繋いだ。
「ヤドニちゃんは診療所で怪我の治療をしていたから、“豊穣の大地屋”のことを掌握することができない状態だった。そうよね?」
「あ、ああ。そうだ」
シャーロがさらに指摘する。
「副代表のソウ先生がいらっしゃったと思いますが」
これまで“森緑屋”は、売上げや利益を悟られないために、ハルムーニに業者登録をして、ハルムーニの業者として税金を支払っていた。
だが今後は、チムニ村の“森緑屋”として活動し、村に税を納める。そうすれば、誰にも後ろ指を指されることなく、堂々と胸を張って商売を展開することができるだろう。
“森緑屋”のチムニ村に対する貢献度を高め、少しずつ村人たちを取り込んでいけば、たとえタミル夫人であっても、迂闊にはこちらに手を出せなくなる。
その基盤を構築するための猶予期間として、三年――いや二年。
それまでは、村の最高権力者との完全なる対立だけは避けたかった。
「……」
ソウ先生の沈黙は続く。
こめかみのあたりがひくついているので、何事かを考えているようだが、うまく考えがまとまらないようだ。
再びタミル夫人が助け舟を出す。
「ソウ先生は、副代表という地位にあるけれど、あくまでもお目付け役として参加していただいただけ。“金庫利用表”に名前がないことからも、店の売上げについては、一切関与していなかった。ご自身の作品の販売に集中されていた。そうことですわよね?」
「……う、うむ」
これで、裏切り確定である。
どうやら事前に細かい指示を与えられているわけではなく、自分の言うことに素直に頷きなさいと、タミル夫人に命令されているらしい。
浮世離れしているとはいえ、ヤドニたちが花街に出かけたことに対して嫌悪感を見せた潔癖症の人物だ。
世の中の道理を説いて、その心に揺さぶりをかけるか。いや、さらに意固地になり、貝のように固く口を閉ざしてしまう可能性もある。
「実質上、最終日の“豊穣の大地屋”の売上げの管理は、マルコ君に一任されていた。そして、シャーロ君もその場に居合わせてた。“商品目録”を訂正をしたのがシャーロ君であるからには、否定はできないわ」
「確かに、俺はそのとき自由市場にいましたよ。しかし、ヤドニさんたちを欺くわけがない。それどころか、怪我の心配すらしていたんです」
シャーロは一枚の紙を取り出し、みなの視線を集めた。
「これは、ヤドニさんたちを治療した診療所の、領収書です」
「……」
今度は、タミル夫人が言葉を失う。
「日付は、自由市場の最終日。この診療所はハルムーニの南門前大通りに臨時に開設されたものであり、自由市場の期間中のみ運営されていました。そして領収書の宛名は、“森緑屋”代表シャーロ。つまり俺は、ヤドニさんたちに付き添い、その治療費を立て替えたわけです。“豊穣の大地屋”の売上げを持ち出すのであれば、わざわざこんなことをするはずがない。怪我をさせたまま、宿にでも放り込んでおきますよ」
参加者のうち何人かが、理解を示すように軽く頷いた。
「そして、先ほどの“怠け箱”の売上げの件にも繋がるのですが、この治療費に使うため、すぐにでも流用する必要があったのです。チムニ村に帰って商工会に報告してからでは、間に合いませんからね」
流れを押し戻す。




