第四章 (8)
店頭に並べられた土人形たちは、一体の仲間を欠くこともなく、寂しそうに夕日を眺めていた。
“半額割引実施中。売り切れ御免!”
値札の上に大きく書き加えられた達筆な文字が、さらなる哀愁を漂わせている。
土人形たちを統括するように座っているのは、紙製の帽子をかぶった中年の陶芸家。両腕を組んで、もはや悟りでも開いたかのように、泰然とたたずんでいた。
「値引きをする前より、さらに胡散臭くなったな」
シャーロの感想に危うく同意しかけたマルコだったが、小声でソウ先生を弁護した。
「“豊穣の大地屋”が大変だから、遺憾ながらも協力するって言ってくれたんだよ」
「協力してくれるなら、最初から皿を作ればいいのに」
「――し、聞こえちゃうよ」
“豊穣の大地屋”の店舗内には、どこか弛緩した空気が漂っていた。主力商品である野菜や加工肉はあらかた売り切れて、客も入ってこない。
七日間に渡る夏の自由市場は、ようやく閉会を迎えようとしていた。
「リーザ姉さんたちは?」
「“玉ねぎ娘”に戻ってもらった。今なら夜の営業に間に合からね」
ハルムーニの滞在中、シャーロはひとり安宿をとり、エルミナとメグはリーザとレイの部屋に泊めさせてもらった。さらに、シャーロとエルミナがお得意さまを回っているときには、営業中にも関わらず、ウェイトレスたちにメグの面倒をみてもらった。
「あら、気にすることないわよ。あの娘たち、大はしゃぎだったから」
と、店長のミサキは喜んでいるようだったが、だからといって甘えてばかりはいられない。
「お礼に“怠け箱”をひとつ、持って帰ってもらったよ」
「きっと、レイさんも喜んでくれるね」
“豊穣の大地屋”で野菜を大量に購入してくれたレイに、感謝しているマルコである。
「これから、どうなるの?」
とあることが気になって、マルコは質問した。
「ヤドニたちのことか?」
「戻ってくるかな」
シャーロは夕暮れの空を見つめ、嘆息した。
「花街で一日や二日遊んだくらいで、命まで取られるとは思えない。それに、ヤドニは店の売上げを持ち去ったわけだから、金の折り合いがつけば、きっと戻ってくるさ」
「戻ってきたとして、チムニ村に帰ったら、どうなるの?」
「おそらく、タミル夫人が横領の事実をもみ消すはずだ」
「……!」
衝撃的な推測に、マルコは息を飲み込んだ。
「息子から事情を聞いて、使い込んだ金を密かに補填する。商工会には帳簿通りの売上げを報告するだろうね」
「そ、それでいいの?」
「よくはないさ」
これまで頑張ってきたマルコの努力を無為にする行為だ。それに、“豊穣の大地”だけでなく、“森緑屋”も被害を被るところだった。
「告発することもできるけれど、売上げを補填されてしまったら、証拠がない」
「で、でもあいつは――」
「どうやって証明する?」
「……」
「ヤドニとゴウ、スジの三人は、こう証言するだろう。横領の事実などない。自由市場では商品を売って市場税を払い、売上金を持ち帰った。帳簿とも一致している。まったく問題はないはずだってね」
理路整然とした兄の予測に、マルコは何も言い返すことはできない。ただ、釈然としない怒りだけが胸の中に燻っていた。
「まあこれも、今の段階では想像にすぎない。あまり頭を固くすると、いざというときに対応がとれなくなる。今は、状況が動くまで待とう」
「……うん」
なんとなく沈黙が続き、オレンジ色の太陽が西の外壁にかかったころ。
その笑い声は、店の後方から聞こえてきた。
「へ、へへ……」
店内のシャーロとマルコ、遅れてソウ先生が振り返る。
そこには顔を腫らし痣だらけになった無残な姿の男たち――ヤドニ、ゴウ、スジが、互いを支え合うように立っていた。
すぐさまシャーロが店の椅子を出して、三人を座らせる。
「マルコ、水はあるか?」
「少しなら」
渡された水を貪るように飲み干してから、ヤドニは声高らかに笑い出した。
つられて、ゴウとスジも笑い出す。
「いったい、何があったんです?」
「おう、シャーロか。オレはぁ、やったぜ。みんなを助けた」
「ヤドニさん、っぱねぇっすよ」
「オレたち、信じてたっすから」
ヤドニは満足気な笑顔で応え、自分たちの冒険活劇を得々と語り出した。
曰く、三人で噂に聞こえていた“壁外側”に出かけたこと。そこで出会ったネズミ顔の小男に騙されて、不当な請求をされたこと。手持ちの金では足りず、“豊穣の大地屋”の売上金を持ち出したこと。それでも足りず、丸一日、力仕事を強制させられ、さらには屈強な男たちに暴力を振るわれて、ようやく開放されたこと。
「へ、へへ。ぼこぼこにされちまったぜ。マルコにはわるかったけどよぉ。こっちは仲間の命がかかってたんだ。勘弁しろよな」
「……」
マルコは血の気が引くような感覚を受けた。
この男は、何を言っているのだろう。これはいわゆる、“自業自得”というやつではないか。そもそも“壁外側”などに行く必要はなかったし、行くべきではなかった。
「……ルコ」
この男は、仮にも“豊穣の大地屋”の代表なのに、自分の店を滅茶苦茶にしようとしたはずなのに、どうして反省の色も見せずに、こんなにも満足そうな顔で、笑っていられるのだろう。
「――マルコ!」
肩をつかまれる物理的な力で、マルコは我に返った。
「だいじょうぶか?」
「……シャーロ、兄さん」
兄の声にほっとし、心の強張りが解けていく。
「三人のことは、俺が対応する。マルコは、“豊穣の大地屋”を頼む」
「え?」
まるで暗示でもかけるかのように、シャーロはマルコをじっと見つめて、言い聞かせた。
「いつもの仕事だ。総売上げの計算、市場税やその他の経費の精算。できるな?」
「う、うん――するよ」
「ソウ先生。先生は副代表です。マルコとともに仕切人への報告をお願いします」
「心得た」
シャーロはヤドニたち三人の怪我の状態を確かめて、時間的にまだ間に合うと、診療所へ行くことを提案した。
「その怪我では、馬に乗れません。明日、チムニ村に帰れませんよ」
その言葉に、ヤドニたちは大きな反応を見せた。
「オレも、村に帰りてぇよ。こんな街はこりごりだ。だけどよぉ……」
「金なら、俺が立て替えます」
機先を制して、強引に三人を立たせる。
自由市場の開催中は来場者も多く、問題ごとも発生するため、南門前大通りには簡易的な診療所が設置される。シャーロはそこにヤドニたちを連れていき、治療を受けさせた。
比較的怪我が軽いのは、ヤドニだった。
「これから、街警隊の詰所へいきます」
「……え?」
聞きなれない言葉に、ヤドニはぽかんと口を開ける。
「ヤドニさんたちは金品を騙し取られ、暴力を振るわれた」
「あ、ああ。そうだ」
「では、被害届を出す必要があります。可能性は低いですが、騙し取られたお金が戻ってくるかもしれません」
「わ、分かった」
シャーロの指示により、手続きは恙無く完了した。
やがて、“閉門の鐘”とともに夏の自由市場が終わりを告げた。
売上金の報告と市場税の支払いでごった返す事務所を横目に、ヤドニ、ゴウ、スジの三人は、傷の痛みをこらえながら、粗末な宿に向かった。
苦労して夕食をとり、泥のように眠る。
翌朝は、彼らをあざ笑うかのような、雲ひとつない晴天だった。
売れ残りの土人形とともに荷馬車を走らせるのは、ソウ先生のみ。
ヤドニ、ゴウ、スジは、それぞれの愛馬に跨る。
その一行は、戦に破れた部隊が敗走している姿に酷似していた。
一方、ヤドニたちを見送ってから、当初の計画通りハルムーニの街を観光していたシャーロは、自分の予測が大きく外れる事態が起こることなど、知る由もなかった。
タミル夫人が、息子の横領の事実をもみ消す。通常であれば、そうなる可能性が大きかったはず。しかしチムニ村では、送迎の式典同様に、出迎えの式典まで計画されていたのだ。
行事の少ない田舎村である。三十名を越える村人たちは、傷だらけになって戻ってきたヤドニたちを見て、騒然となった。さらに、地主のヌウ婆が荷馬車に駆け寄って、売上金の報告を求めた。
当然のことながら、シャーロはヤドニたちに最低限の路銀しか渡していない。売上袋が空であることが判明すると、村人たちのざわめきは、徐々に大きなものへと膨らんでいったのである。




