第四章 (7)
最初にシャーロが向かった先は、南門前大通りから一本奥に入った路地にある、自由市場の運営事務所だった。
最終日ということもあり、仕切人とよばれる役人たちが、狭い事務室内を忙しそうに動き回っている。
部屋の一番奥。書類に埋もれている仕事机に向かって、シャーロは声をかけた。
「ヘズミさん、こんにちは」
「――むん?」
顔を上げたのは、四角い顔に無精ひげを生やした中年の男だった。口元はへの字に曲がっており、どことなく不機嫌そうに見える。
仕事はできるが、家庭を一切顧みない男。ひと呼んで“鬼の仕切人”。いわゆる中間管理職ではあるが、上司には煙たがれ、部下たちには恐れられている役人だ。
「おう、“森緑屋”のシャーロか。“十回特典”で欠店の」
「ご迷惑をおかけしました」
「気にしなくていいぜ。規約で決まっていることだからな、十回特典君!」
思いきり気にしろと言っている口ぶりである。
嫌味の風をものともせず、シャーロは平然と会話を続ける。
「今回の自由市場の売上げは、どうですか?」
「……ちっ、相変わらず、動じねぇガキだな」
ヘズミという中年男は、フケ混じりの髪をかいた。
「大通りに、地方軍の隊士たちが群れを成して集まってきやがる。見たか?」
「ええ、黒い軍服姿の。また戦争が始まるかもしれないと、街の噂で聞きました」
「あったとしても、ハルムーニ《うち》じゃねぇよ。北のほうで大規模な侵攻作戦があるとかないとか。それで、こっち側の兵隊を集めてるんだとよ。ったく、戦争なんざ、七年前でこりごりだぜ」
七年と半年前、東部地方では敵国からの侵略戦争があり、ハルムーニの街は大きな被害を受けた。外壁が破られ、南区の一部が焼き払われたのである。もちろん、ハルムーニだけではない。東部地方全体が戦火に巻き込まれたのだ。
一瞬、その瞳に深い悲しみの色を宿したシャーロだったが、あくまでも事務的に、さらなる状況を確認する。
「大通りを見て回ったんですが、空いている店舗がけっこうありましたね」
「酔っ払った隊士どもが、立て続けに騒ぎを起してるからな。おい、昨日までで何件の苦情が入った?」
近くの席には若い役人がいて、睡眠不足を絵に描いたような顔で、書類を漁り出した。
「……ええと、百二十七件です。もうほんと、勘弁して欲しい」
「ハッ、つうわけだ。自由市場の雰囲気も、例年になくわるい。客足は一割減ってところだな。誰だってトラブルには巻き込まれたくはねぇ。そいつが軍人ならなおさらだ。売上げ上位の店は、八割分の商品を売り切って、さっさと店仕舞いしちまったよ」
話しながら興奮してきたようで、ヘズミは書類まみれの机を叩いた。
「ちくしょうめが! 空いた場所に店を出すやつもいやがらねぇ」
「それは、ちょうどよかった」
「――なんだと?」
シャーロが自分の計画について説明すると、ヘズミは「ふーむ」と唸り、両腕を組んで考え込んだ。
「売上げに貢献してくれるなら、運営側としても大歓迎だが、“森緑屋”を出すのは無理だぞ。いくら場所が空いてるからって、“十回特典”で辞退した店を出店させたんじゃあ、筋が通らねぇ」
「分かっています」
シャーロはひとつ頷くと、事前に記入していた書類を提出した。
「お願いしたいのは、“商品目録”の変更ですよ」
そして、正午過ぎ。南門前大通りの人通りがピークを迎えるころ。 円形交差点のごく近い位置に、突如として新たな店舗が出現した。
店の名前は、“豊穣の大地屋〇二”。
がらりとした店内には、テーブルがひとつだけ。
その上に、奇妙な“箱”が置かれていた。
売り子をしているのは、年の離れた三人の少女たちである。
最年長である十台半ばの少女が、“読み原”を手にどこかたどたどしく、しかし透き通るような声で宣言した。
「これより、とっても便利な魔法の箱の、“競り”を行いますっ!」
群集の流れが、少しだけ緩やかになる。
亜麻色の髪と空色の瞳を持つ可憐な少女は、人前で大声を出すという行為に羞恥心を感じているようで、顔を真っ赤にしていた。
「こちらの箱の名前は、“怠け箱”といいます。女性の方や、小さなお子さまでも簡単に火をつけられる、魔法の箱です!」
ピープーと、どこか的外れな音が鳴った。
店内の暗がりにいる黒髪の少年が、草笛を鳴らした音だった。
「毎朝、火打石を叩いて、疲れませんか? 怪我をしたことはありませんか? なかなか火がつかなくて、いらいらしたことはありませんか?」
ピープー。
「そんな悩みも、この“怠け箱”があれば、すべて解決です。どうか足を止めて、見ていってくださいねっ!」
ピー!
続いて動き出したのは、短い赤髪と青い瞳の少女。きりりとした目鼻立ちで、いたずら好きの少年のような、どこか得意げな表情を浮かべていた。
赤髪の少女は慣れた手つきで箱についたハンドルを回すと、細長いランプらしきものを取り外して、その先に息を吹きかけた。
ぼっという小さな音を立てて、火がついた。
群衆の中の何人かが、驚いたように足を止める。
「メグ、一回目、成功!」
「うん!」
最後は、三人の中で一番年下の、波打つ金髪の少女だ。大きな瞳は緑石色。
“怠け箱”の横にある看板。その上に貼り付けられた白紙に、小さな手が線を引く。背負っているのは、桃色の犬のぬいぐるみ。背中合わせになっていて、少女が看板に向かっている間は、大通りのほうを向いている。長い両耳がぴこぴこと揺れて、目立つことこの上ない。
「さあ、どんどんいきますよ! 次は二回目ですっ!」
ピープー。
群集の流れが止まり、“豊穣の大地屋〇二”の前には、尋常ではない数の客が集まった。
自由市場に出品する商品は、あらかじめ価格を設定し、仕切人に書類で報告しなくてはならない。これが“商品目録”であり、設定された価格以上の金額で売ったり、逆に五割を超える値引きをしたりすることは、原則禁じられている。
だが、事前に販売価格を決めずに登録する方法があった。
市場に価格を決めてもらう、いわゆる“競り”方式である。
対象となる商品は、骨董品や工芸品、芸術品などで、“怠け箱”は工芸品に該当する。
“競り”はハルムーニの自由市場でも、当たり外れの多い、しかし人気の高い行事だった。
気に入った商品を見つけた客は、”競り札”に自分の名前と購入希望価格を書いて、“競り袋”の中に入れる。定刻になると袋を開けて、価格最上位の人物に購入権が与えられるのだ。
本人確認に使用するのは、“住民証明券”。ハルムーニの住民であれば、誰もが携帯している羊皮紙のカードである。
シャーロは貸し倉庫から予備の“怠け箱”を持ち出して、“豊穣の大地屋”の“商品目録”に追加登録した。
その数、十台。しかし、すべてを売り切るわけにはいかない。“瑪瑙商会”に納品した百台の“怠け箱”は、現在動作確認の最中だし、その後、商品に不具合が発生した場合には、取り替える必要があるからだ。
なるべく少ない数で、しかも高価格販売。さらには短期決戦が必須。
となれば、予備の“怠け箱”を商品とした“競り”しかない。
可憐な三姉妹による実演は大きな評判を呼び、シャーロの持つ“競り袋”にはどんどん“競り札”が入っていく。
物見遊山な“魚味屋”のパキが顔を出したが、忙しいので無視。
騒ぎを知って見学にきた“鬼の仕切人”ヘズミは、活気づくひとごみの中でにやにやと笑っていた。
定刻は夕暮れ前。
開札の結果、“豊穣の大地屋”はこれまでに倍する売上げをたたき出すことになる。




